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最近の日本人は物事を単純化するのが好きです。
ステレオタイプに物事を単純化して、“勧善懲悪”の世界をつくり、最後には必ず正義が勝ちます。
しかし、現実問題は、そのように単純ではないです。

本来、日本人は和の精神を持っており、世の中には正義も悪もあり、色々な要素が混ざり合って成立していることも知っていました。
そして、良きも悪きも有る程度共存して、お互いの立場を思いやり、争いを避ける知恵を持ってきました。
勧善懲悪という思想はアメリカのヒロイズムに起因しているのですか?
勧善懲悪という思想はいつ日本人に定着したのでしょうか?

特に、ジャーナリストは“勧善懲悪”の傾向が大きいような気がします。
これは、偶然ではなく、受験エリートで、よりアメリカ民主党が日本で制定した教育制度をより従順に無条件に受け入れ、学習してきた人たちがマスコミの上層部にいることに原因があると思います。
つまり、アメリカ民主党の戦後教育の洗脳に侵された人たちが、上層部にいるので、現実を単純化して、正義のヒーローと悪の手先を作って徹底的に悪の手先を叩きのめす。
しかし、実は正義のヒーローも悪の手先も、同じ人から生まれた人間なんですけどね。
母から生まれた子供たちです。
おたがい、妥協しあい、共存して生きていくのが一番なのですが、相手がこちらを全否定して殲滅しようとしてくれば、戦うしかありません。

正義を貫くということは、反面、殺戮の道でもあります。
実は、イエス・キリストという人は、彼らの社会に内在する、この殺戮要素を排除するために人生をささげたのではないかと思うのです。
だから、「あなたに一点の罪もなければ、この者を石で打ちなさい」と言ったのでしょう。
しかし、今の日本のマスコミは純粋に自分たちに一点の罪もないと思って石を投げているような節があります。
人間誰しも失敗はあります。
現実世界に絶対正義など存在しません。
だから、現実に出てきた矛盾を捏造によって改竄する。
難しいですね。

実は、現在進行形で、マスコミを叩いている私自身の中にも殺気が蓄積されている事実です。
人を非難することを楽しんではいけない。
人を非難すること、マスコミを非難することをわずらわしい、後ろめたいという意識はつねにもっておきたい。
人を叩いて、「正義だ!素晴らしい!楽しい!もっと叩きのめしたい!」と思うようになったら、ろくな事はない。
必要がなければ、叩かない。
現在進行形で悪事を働いていなければ、糾弾しない、存在まで抹殺しようとしない。
それは原則です。
早く脱却して楽しいことを考えなきゃ。

A 回答 (5件)

> 勧善懲悪という思想はアメリカのヒロイズムに起因しているのですか?


> 勧善懲悪という思想はいつ日本人に定着したのでしょうか?
一般的には江戸時代だと思います。
少なくともアメリカという国家が存在する前より日本にある理念と思います。
1814年には、その代表格といわれる小説「南総里見八犬伝」が刊行を開始されていますので、1777建国のアメリカとはあまり関係がない理念と思います。

どちらかというと日本の社会が功利主義から利己主義になったという事なんではないかと個人的にはそう思います。
何事も大団円で終われば良いのですが…
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この回答へのお礼

江戸時代の小説「南総里見八犬伝」も勧善懲悪の小説ですね。
参考にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 14:49

勧善懲悪はアメリカのヒロイズムに起因したものではありません。


人種・民族を問わず、人間本来がその心の奥底に持つ「物語性」に起因するものです。
「桃太郎」に代表されるように、人間というのは「そういうストーリーを好む」生き物なんです。本能的に大好きなんです、そういう話の筋立てが。
マスコミはその人間本来の「気持ちよさ」にうまく訴える為に、現実を「おとぎ話」に仕立てているのです。

ホント、今のマスコミがみっともないのには同感です。
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この回答へのお礼

「桃太郎」もそうですね。
日本の昔話にも勧善懲悪は多いですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 14:51

根源からたどるならば、多神教から一神教に移行する時期に、言葉として概念として二分したのではないでしょうか。

キリスト教がより鮮明に、イギリスにいる魔女を醜く描き悪魔に仕立て、ムハンマドを悪魔化してバフォメットという悪魔にしたてました。もっとも多神教の時期はもっとも、善と悪、生と死、光と闇、幸と楽、をあいまいにして人は生きていたと思います。仏教国も比較的穏やかなイメージがあります。
しかし、あいまいにしていては人間を統治できない強固な国家が作られる必要を感じた人達が、キリストの思想はともかく、より国家は善か悪かで判断せざるを得なくなった。

>アメリカ民主党の戦後教育の洗脳に侵された人たちが

資本主義を二元的に分けるなら、金か貧。帝国主義の時代からすれば、統治するか植民地になるか、勝者が正しく敗者が誤りの時代。人は二元的な断定をせざるを得ないのではないかと思います(日本含む)。個人的に資本主義の競争意識に勝者と敗者があるところに善悪を切り分ける仕組みがあると思っています。
投稿者様はマスコミを見ていて生じる自分の"悪"という観念に「あーいやだいやだ」と思っているわけですが、マスコミは金になるネタが欲しいから、煽る対象や讃える対象が欲しいわけですよね。ホリエモンを善から悪に叩き落とすところとかにドラマがあり人はドラマを求める。
とはいえ貨幣経済が無くなれば解決する問題でもないので、21世紀は共生の時代と言われるように、徐々に「和」を重んじるような社会にしていこうと思う人間が増えて、近代を越える思想がこれから考えられていくのではないかと思っていますが。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
参考にします。

お礼日時:2007/08/28 14:50

失礼、アメリカ独立宣言は、1776年でした。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/28 14:49

世の中で一番残酷なのは


何らかの根拠で自分は正しい、自分は正義だと思い込んでる人ですよね。
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この回答へのお礼

そうですよね。
特に朝日新聞などは「朝日は正しい!朝日は正義だ!」と思い込んでるように感じます。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 14:48

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