最近、いつ泣きましたか?

まいどお馴染みの(?)滋賀ねたですみません。

「琵琶の形をしているから琵琶湖」というのは当たり前みたいですが、
「鉢を伏せた形だから鉢伏山」や「ひょうたんの形だからひょうたん池」などは、誰が見ても(主観の違いはあっても)そう見えるのに対し、琵琶湖が琵琶の形に見えるものか?という疑問があります。
伊吹山や比叡山にのぼったとしても、あれだけ大きな琵琶湖をかなり横から見ることになりますので、琵琶の形にはみえないのではないか?と思います。だいたい、しょっちゅう登る人しか感じられない名前では、一般人に受け入れられないはず。

信長の時代には(たぶん)、「おうみ(淡海)」といわれていたそうですから、「琵琶湖」の名前がついたのは、新しいことかも知れませんが、誰かが(明治時代の文部大臣とか)名前をつけたのでしょうか。

A 回答 (5件)

琵琶湖が古来「淡海」と呼ばれ、「琵琶湖」の名がかなり後世につけられたというのは仰せの通りですが、その時代は明治より少し遡るようです。


江戸前期の儒学者、伊藤仁斎(1627~1705)も「過琵琶湖作」という文を残していますし、他にも近世漢詩に琵琶湖の名は散見されます(守屋東陽、垣内海荘など)。
吉田東伍の「大日本地名辞書」にも「近代に及び専ら琵琶湖と云ふ」とあるので、この名が広まったのはたしかに明治以降なのでしょうが、時の文部大臣が―というような経緯でないこともたしかなようです。
「海道図会」にも「琵琶の名は何時代に起これりやを詳にせず」としているので、命名者やその時代はわかりません。
思うに、精密な測量と地図が普及した戦国~江戸初期には、すでにこの湖の形は明らかになっていて、それを漢風趣味の学者が琵琶になぞらえて呼んだのが始まりではないか、と憶測するのですが…。
(中国の古地名を真似て日本の名所地名を呼ぶのは当時の流行でした)
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。けっこう古いのですね。

お礼日時:2001/04/22 22:46

ええそうですね、確かに数値的にはそうかもしれませんが・・・どうなんでしょうね?僕もだんだんわからなくなってきました^^;あまり関係ないかもしれませんが、琵琶湖バレイという、比良山のそんなに高くない山があるんですが、僕がかつてその山に上った時、もちろん琵琶湖全体は見えませんでしたが、少なくとも琵琶湖の対岸までは余裕で見えました・・そんなに高くないのにです。

だからやはり、
滋賀県の山(比叡山か伊吹か、野坂か、鈴鹿かそのへんはわかりませんが)で、たまたま琵琶湖のビワに見える部分がよく見える場所がどこかにあるんではないでしょうか?守山辺りはかなり有力だとは思うんですけどね・・・・あと、高さ1000mぐらいの山でも、以外とかなり遠くのものまで見渡せますよ。比叡山なんて
頂上に上ると、ほんとに天気のいい日は琵琶湖のかなりの部分が見渡せるそうです(見たことありませんけど、、)今回から自信はなしにかえときます・・・^^;
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この回答へのお礼

地元から何度もすみません。
琵琶湖バレイは1回だけ行ったことがありますが、志賀町でしたね。このへんは北湖の南のほうなので、湖の幅がせまくて、対岸の守山からも冬には雪をかぶった山々が良く見えます。

対岸から比良連峰が見えるのだから、比良から湖東が見えるのはとうぜんでしょうね。また、山に登ったら見てみましょう。

お礼日時:2001/04/26 18:42

 元禄の頃に出た「淡海録」という地誌には、「琵琶湖」と記され、「東海道分限絵図」には、「近江湖水」と注記のうえ「一名琵琶湖」と明記されています。

よって、江戸時代中期には、琵琶湖という名前は一般に定着していたようです。
 湖が琵琶の形に似ていることは、応永22年(1415)の群書類従本「竹生島縁起」に、「湖海者琵琶形也」と記されていますから、室町時代には、すでに、湖の形が琵琶に似ていることは、知られていたようです。
 延暦寺の修行僧が山での修行中に湖を見て、その形が琵琶に似ているので、昔からそう呼んでいた。というような話を兄が延暦寺のお坊さんから聞いて、私に教えてくれたことがありました。確かに、琵琶なんて風流なものを連想するあたり、延暦寺のお坊さんだな、と思いました。


        
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この回答へのお礼

ありがとうございます。伊能地図ほど正確でなくても、地図はあったから、だいだいの形はわかっていたのでしょうね。

ふと思ったのですが、一般の民衆にとって、琵琶などという風流なものの名前をつけて定着したかどうか・・。一般人はやっぱり、枇杷の実と思っていたのかもしれませんね。(当時の識字率を思えば、漢字で琵琶湖、というのはかぎられたひとだけでしょう)

お礼日時:2001/04/26 18:28

そういえばそうですね、確かに守山とかから見るには無理がありますね、伊吹や


野坂の山なら見えるんじゃないですか?、私は小学生の時に果物のビワだと思っていたら先生にバカにされて、楽器の琵琶と習いましたが・・・・・現在の地図を見ると確かににてるんですが、地図の無い時代は・・・・・・・・やはり伊吹、野坂からみたんじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 琵琶湖の周囲が200何十kmほどありますので、南北も100kmちかくあるでしょう。伊吹山の高さは、1000何百mで、ひと目で見渡せるような大きさではないと思うのですが。

お礼日時:2001/04/22 22:51

地元の滋賀県人です!名前を付けたのは誰かということですが、小学校の時に習った滋賀県用の社会科の副読本「私たちの滋賀」に書いてあったように思うのですが、誰が名前を付けた、というのではなく、確か自然にみんなが言うからゆうようになったんだと思います。

琵琶の形に似てないということですが、琵琶っていうのはもちろん楽器の方の琵琶ですよ、くいもんじゃなくて、わかってると思いますが・・・結構似てると思いましたが・・・  琵琶の紹介ページ↓(笑)

参考URL:http://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/kyoinshitsu/ko …
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この回答へのお礼

早々と回答いただきありがとうございます。
私は、よそ者なので、小学生の副読本は知りませんでした。(それぞれの地元ですから)
あまり山の上から見ないですが、守山や能登川のへんからみる限りでは、「琵琶の形」には見えませんよ。だいたい、湖北は水平線の向うで湖岸線がみえない。伊能地図が広まった後なら、先入観があるのですが、地図なしには・・・。

補足。
そもそも「琵琶」は果物の「枇杷」に形が似ているから名前がついた、ということを聞きました。

お礼日時:2001/04/22 15:59

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