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特に不満などがある、といった切羽詰った質問ではないので、
見解などをお聞かせいただくのも大歓迎です。

例えばこちらのサイトでも、回答者が自分の情報を開示する事は禁止項目になっていますよね。
また、大きな規模の話しになりますと、
臓器などの提供者が誰かは、被提供者には教えない事になっています。
当然、一般に情報が公開をされることもありません。

もちろん世の中に、自分に対して好意的な情報を提供してくれる人に対しても、予想外の対応をする人もいるとは思います。
また、各問題に、それぞれ予想できるトラブルがあるとも考えられます。

ただ、こういった決まりが出来るまでに、どういった経過があったのか、
歴史的背景、法的な理由、倫理的意見、などが知りたいです。

ちょっと的外れな質問の仕方かもしれませんが、
そのへんも含めて、ご回答いただければ幸いです。

A 回答 (1件)

こんにちは。



個人情報が秘匿されるべき根拠や制度確立の背景は対象となる事柄によってさまざまで、奥の深い問題でしょうから、ストライクが投げられそうに無いのですが、私の守備範囲でお答えできそうな部分を書いてみます。


<<インターネットにおける匿名性について。>>

私は日ごろ主にここの「ネットワーク・セキュリティー」関連のカテゴリーで回答させていただいているのですが、インターネットにおける匿名性保護の論調が強い点については、「インターネットがアメリカ発祥である。」という部分が大きいと思っています。

また、最近は”匿名性”という権利主張ばかりが先走っていて、その弊害も出始めていると考えているのでその辺について書いてみます。

インターネットにおける、匿名性を語るとき良く引き合いに出されるのが、18世紀のアメリカで出版された「コモン・センス」という小冊子のハナシです。

この小冊子は、当時のイギリスの支配に対する批判を匿名で展開したため、弾圧を受けることなく、アメリカ独立戦争への機運を高めたと言われています。

ところで、インターネットの本格普及のベースとなったのは、アメリカの学者や研究者が善意で情報を共有する”性善説”をもとにしたネットワークですよね。

発展の過程では、当然、権力批判や急進的意見をもつグループもあったでしょうし、もともと上記のようなメンタリティーを持つ国民性ですから、インターネットでの情報発信にも匿名性が保証されるべきだという論調が強く、慣習化していったのかもしれません。

私もこの考え方には基本的に賛成です。

しかし、ちょっとカタい表現ですが、匿名性は「インターネットという共有財産を利用する者として、社会的な還元や貢献のための主張や行動を行う場合。」と「一般的なメディアとしての社会的言論の自由。」においてのみ守られるべきだというのが、私の個人的意見です。

要するに「まっとうな目的でネットを利用し、そのための義務を果たしている人」だけが匿名云々と言えるのだと思うわけです。

ただし、これはインターネットが商売とはほぼ無縁で、”性善説”が成り立っていたころのハナシだと思います。(普通、匿名じゃ商売になりませんしね。)

インターネットが一般にも普及してくるようになると、いたずらレベルでクラッキングを行ったりウィルスをばら撒く”スクリプト・キディー”が出現したり、ネット・ビジネスの普及と個人消費者の増加により、”スパム・メール”の問題が深刻化してくるなど、匿名性を悪用するケースも出てきましたよね。

「2ちゃんねる」での誹謗中傷に対する訴訟騒ぎなどの例を見ても、「匿名性」=「なんでもあり」と勘違いしている人も増えてきたように感じます。

掲示板での個人情報公開が禁止されていることが多い背景には、インターネット掲示板のシステムが個人の誹謗中傷の道具に使われる危険性が高く、管理する側としても、「利用者の保護」と「書き込み者同士のトラブルなどによる自社への責任追及などのリスク」を避けたいという考えもあると思います。(この辺のことは”利用規約”などに書かれていますね。)

もちろん、最近は少し事情が変わってきていて、明確な事件性があれば匿名性の保証はされず、公権力による身元調査や検挙が行われるようになってきました。(匿名性を過信しすぎて、とっ捕まる人も出てきましたね。)

また、何事につけても極端なアメリカでは、FBIによる個人(容疑者)の通信監視(要するに盗聴)が合法化されるなど、無法地帯となりつつあるインターネットに対する権力の介入が現実になりつつあります。(これに対抗する運動も活発ですが。)

これは歴史上人類が克服できていない課題だと思うのですが、「自由が行き過ぎると権力が介入し、やがて独裁となって、今度は独裁が行き過ぎると、革命が起きて再び自由がもどり~~」というパターンを繰り返していますね。

インターネットも、行き過ぎた自由の弊害が問題となっているのが現状だと思います。

商業化が進んだり、一般社会に定着してくると、インターネット発祥時の理想やキレイ事では片付かない部分も増えてくるのでしょう。

多くの人が、インターネットネットに対するイメージから過大評価をしがちだったり、油断による被害を受けやすく、無責任な行動をとりやすいと言う傾向もあると思います。

いくつかの仕組み的な特徴をのぞいては、現実社会で危険な行為はインターネットでも危険ですし、反対に慎重に行動すればインターネットでも飛躍的に安全性が高まります。

また、「自由=責任が不明確」という点でも、一般社会の常識が通用しない場面にも多々出会います。

最近のウィルス蔓延の責任論に関しても、古くからのネット利用者には「自分の身は自分で守るべきで、安全性の維持や二次感染などの阻止のための対策を行う義務はユーザーにある。」という考え方が多い(私も含めて)一方で、「マイクロソフトなどのメーカーに責任がある。」という意見をお持ちの方も多いでしょう。

たしかに、IT業界はまだまだ歴史が浅く未成熟ですから、企業が消費者に対する責任を果たしていない部分も多いと思います。

加えて最近問題になっている「管理不足など人為的ミスによる商業用ホームページ経由の個人情報の漏洩」の問題など、責任の所在が明確なものも出てきていると思います。(セキュリティー的な意味合いでは、ネットでは「有名企業」と言われているところのWebサイトでさえ、安易に信用すべきではありません。)

ただし、インターネット自体が上記のような”生まれ”を持った仕組みですから、「消費者vs企業」という視点で責任追及を行い改善を期待しても、究極的には「インターネットを使わない。」という選択肢以外は効果が薄いというのが現状だと思います。(結局は「自分で自分の身を守る」のが最も得策だと言うことです。)

いずれにせよ、ネットの環境が日々悪化してきていることは確かですし、匿名性があるからといって、あまりに無責任な発言や行動をする人たちは、結局自分で自分の首を閉めることになると言うことを少し考えて欲しですネ。

少し横道にそれました。


<<臓器提供者の名前が明かされないという事について>>

私は医療の専門家ではありませんが、臓器提供を受けた側からすれば「ドナーのご家族に会ってお礼が言いたい。」と思う場合が多いということは容易に想像がつきます。

一方、ドナー側の家族にとってみれば、そのときは他人への臓器提供に同意したものの、後に本人に会った場合、複雑な心理が生まれることもあるでしょう。

こうした問題を避けるためや、「全てを知ることがお互いに幸せとは限らない。」といった考え方も制度の背景にあると思います。

ちなみにアメリカでは、「お互いの同意をもとに、ドナーの家族が移植患者に会ってハナシをする。」というプログラムも始まっているようです。

このプログラムによって、「お互いの心の整理がつく。」というメリット生むケースもあるようですが、「今、目の前の移植患者の体の中にドナー(家族)の臓器が動いているという事実に戸惑いを感じる。」という感想も報告されているようです。


私のお答えできそうな内容はこんなところですね。

長文になりましたが、参考になれば幸いです。

それでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんだか色々調べてみたり、考えたりしてからお礼をしようと思ったんですが、
文字数が足りなくなり、ショックをうけたので、
簡潔にまとめてみます(笑)。

知らない事が多くて、とても参考になりました。
また、さらに考えるきっかけになりそうです。
その真偽すら不明な「消費者」や「被害者」が、急に増えた風潮には、私も疑問を感じています。
「権利の主張が正当であるか」というのは、
今後の大きな問題ですね。

善意と、悪意、という、心の中でしかわからない問題に関しても、
そこに規制をかける必要性、
そして、緩和するに至るまでの研究・議論などがある。
頭がどんどんよくなって、道具をどんどん得て
ますます窮屈になっている気もしてしまいますね・・・

あれ、まだ続いてしまいそう(笑)
ほんと、ありがとうございました。
また繰り返し読ませていただきます。

お礼日時:2003/10/05 05:03

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