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「仏に逢うては仏を殺せ」というこの言葉を画家の岡本太郎さんの著書の中でみつけました。
大変ショックに思い、少し調べてみたところ、もとの文章は、臨済宗の開祖・臨済のことばで、
「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん」
というのが全文のようです。

この文章、意味があまり理解できません。 自分なりに無理矢理解釈すると「既成の概念や権威にとらわれるな」という意味なのでしょうか? でも、それで「父母を殺せ」だと、家族までも否定したクメール・ルージュ的臭いがします(たぶん、私だけだと思いますが)。結局、あまりわかりません。

この言葉の正しい意味は、どのようなものなのでしょうか? また、手に入りやすい参考文献などありましたらおしえてください。 お願いします。

A 回答 (6件)

この言葉は有名ですね。

「殺仏殺祖」などとして広く使われる言葉ですが、その意義は、常に決まった枠にとらわれてしまう私たちの認識のあり方に禅的な警鐘を鳴らしたもの、と言えると思います。

私たちが物事を認識する時には、必ず分節化という作業が行われています。あるものを認識する時には、そのものを世界から切り出してこないといけないのです。
岡本太郎にならって絵画で言えば、図と地という一種の対立関係を設定することで初めて、「地に対するもの」としての図が認識されるわけです。同じように、善について考えることは悪を考えることと不可分ですし、美を論じることは醜を論じることに他なりません。

言いかえれば、我々の行う認識という作業は、そのままでは混沌である世界にかりそめの線を引いて、枠組みを与えるということに他ならないのです。我々人間が普通に生きていくうえでは、こういう二項対立を通じた認識を拒否することはほとんどできません。

実際に臨済の言葉のなかの「仏」という概念も、「衆生」つまり悟りを得ていない一般人との間に線を引いて生み出された概念です。悟りを求める僧侶にとってみれば、ひとまずこの「仏」はありがたい目標ですし、これがなければ修行もおぼつかない最重要の概念に違いありません。

けれども、特に大乗仏教では法界一如などといって、世界の全ての存在や現象に等しい価値があるのであって、人間が勝手に線を引いて区別する善悪や美醜、上下といった区分に価値を置かないのです。野に咲く名もなき一輪の雑草も、美しくあでやかな大輪の花も仏の世界にあっては優劣をつけられないものだし、世界をそのように見られる存在こそ真の仏である、とするのです。

従って、「仏を殺せ」というのは文字通り殺人を勧めるものではなくて、仏や衆生といった所詮はかりそめの区分にとらわれてはいけない、ということを強調したものなのです。そういう認識をすることが人間の常ではあるけれども、それを当り前と受け止めてはいけない、その認識そのものに安住することなく超える努力をすることこそが仏への道である、というのが臨済義玄の本意でしょう。

この言葉もそうですが、公案のように全く理論を外れていたり殊更に耳目を集めるような奇矯な言葉を弄するのは禅宗の特徴でもあります。少し難しくなるので詳しくは書きませんが、禅宗は、我々が当然だと思っている二項対立による世界把握が言語というものと密接に関わっていることに十分意識的だったので、言語による認識に疑問を起こさせるような言葉による指導を行ったのです。健康であることに意識を向けさせるために敢えて傷をつける指導を行ったようなものです。

「父母を殺す」という点は確かに心情のうえで引っかかりが大きいと思いますが、しかしこれも実際に殺すわけではありません(実際の「殺父母(=せつぶも)」は仏教ではもちろん大罪です)。言わんとするところは、法界一如の観点にたって血縁によって親・疎を分ける二項対立の生き方をやめよ、ということです。つまり、肉親を特別視することをやめ、父母から受けた恩愛を広く世界から受けたものと受けとめよ、という意味ですから、むしろ殺されるべきは自分の側の認識なのです。

臨済義玄から五代さかのぼる大鑑慧能(中国での禅宗の第六祖)はもともと薪を売って細々と老母を養っていたのですが、薪売りに訪れた町でふと金剛般若経の講義を耳にし、即座に出家してしまいます。今の感覚で言えば母を捨てたわけで誠に薄情なはなしですが、そこには仏教に対する揺るぎない信頼があったわけで、たとえ世間の価値観で不義理とされたとしても必ず自分の出家がより意味のある報恩になる、という確信があったのでしょう。この慧能の出家のエピソードは大変よく知られていましたから、臨済が「父母を殺す」と言った時にこれを踏まえていたことは間違いないでしょう。

曹洞宗の開祖である道元も、弟子から「出家は父母の供養をどのようにすべきか」と尋ねられた際、出家は父母からの恩を父母に限定せずに広く世間に返すことを心掛けるべきで、父母に限定した供養はするものでない、という意味の答えをしています。これなどは「父母を殺す」という臨済の言葉の意味をわかりやすく伝えるものだと思います。
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この回答へのお礼

うわぁ!!!
こんなに詳しく説明していただいて・・・、すごく嬉しいです!。 しかも、情報量は多くても、理解しやすい文章で、楽しく読むことができました。 もしかして、neilさんは研究職ですか?

人間が陥りやすい
>二項対立を通じた認識
を戒めるための言葉だったのですね。

臨済義玄の考え方についても詳しく解説していただき、大変楽しい知識にふれられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/16 19:28

そして、殺す自分を滅す。


このことが、その言葉を放った背景に在ると私は思います。
いや、滅してしまう。ということでしょう。
 
全てのものは等しく無価値でしょう。
そして等しく無意味でしょう。
 
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貴方の「既成の概念や権威にとらわれるな」という解釈でよいと考えます。



禅でも,仏教でも,その他の学問や芸道において言えることですが,学んでいくにつれ一種の「アク」が出てきます。嫌味な感じですね。専門用語を連発し,いい気になるような段階は誰にでもあります。それを戒めて語られた言葉と私は解釈しています。

洗濯も「洗い」より「すすぎ」の方が大事だと言われます。それと同じで,学んだ仏の教え(「洗い」に相当)を一度離れ(仏を殺し),自分の頭で主体的に考えたり,仏の教えを実践したりしてみろ!(「すすぎ」に相当)という意味でしょう。

禅では一座七走と言って,座禅は基本で,理論より実践を重んじる伝統があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>専門用語を連発し,いい気になるような段階は誰にでもあります。
なるほど、「自分は全部知ってるんだぞ」って感じですかね?

>学んだ仏の教え(「洗い」に相当)を一度離れ(仏を殺し),自分の頭で主体的に考えたり,仏の教えを実践したりしてみろ。
いわゆる「守・破・離」に近い考えかたなのでしょうか?だとすると、よく理解できる気がします。「仏に逢っては・・・」の部分は、守・破・離の破の部分に近いのかもしれませんね。

参考になりました。

お礼日時:2003/10/16 18:50

え?という本で申し訳ありませんが「鉄鼠の檻」(講談社刊 京極夏彦著)なんていかがでしょうか。


 話そのものはミステリーなんですけど、そのなかで禅の教えについてかなり細かく書いてあります。「こんな感じなんだ」と分かりやすかったです。
 その中で、「悟りを悟ったと思い、言葉にした瞬間にそれは悟りではなくなる」そうで、言葉などで表現などしつくせないものが本物らしいです。だから、仏を仏と認識したとたん、それは仏ではなくなるのではないでしょうか。
 
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この回答へのお礼

え! 京極さんの本で解説してあるんですか?!
最近京極夏彦にはまって、2册ほどよみました。すごくおもしろく、かつ唸らされるお話を書くかたですよね。
紹介していただいた「鉄鼠の檻」、さっそく読んでみます。

お礼日時:2003/10/16 18:38

>自分なりに無理矢理解釈すると「既成の概念や権威にとらわれるな」という意味なのでしょうか?


 
 貴方の解釈は誤ってはいないと思います。
 実際に親を殺せとは説いていません。自分の宗派以外に対して攻撃的な宗派ですと,その言葉だけを取り上げて,親や仏や羅漢を殺せなんていう天魔の教えだなんて馬鹿なことを言っているところもありますが。
 既成概念,権威,しがらみを捨て去らねばならないというのが禅であり,最終的には禅そのものを否定してしまう奥深いものだそうです。
 まだまだ修行が足りませんので(修行してるの?),何が正答なのかわかりませんが,字面どおりの意味ではないそうです。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>貴方の解釈は誤ってはいないと思います。
あ、そうですか(^^)

ネットでえらいお坊さんが解説しているページでは「父と母はそれぞれ愛欲や物欲を表している」なんて解説もあったんですが、それだと飛躍しすぎじゃないかな~、なんても思いました。 なんか、もっと素直に解釈できるんではないかと・・・。

>言葉だけを取り上げて,親や仏や羅漢を殺せなんていう天魔の教えだなんて
うゎ・・、これは極端ですね(^^;) あ、でも私のクメール・ルージュに近いものがあるな・・・。

情報ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/16 18:34

講談社から発刊されている「あっかんべぇ一休」というマンガがあります。

一休和尚の生涯を描いたマンガですが、そこに禅宗のことが載っています。お役に立てると思います。禅宗に貫かれている思想ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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お礼日時:2003/10/16 18:29

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