それ、メッセージ花火でわざわざ伝えること?

私の祖父は第二次大戦中に、飛行兵として中国にいたようです。
子供のころ酔ってよくその話をしていましたが、10年ほど前に亡くなりました。

最近になって、どんなところにいたのか、何をしてたのか知りたくなって、ネットで調べているのですが、やはり下級の兵士ですし、ネットですと限界がありほとんど分かりません。
祖父は大正15年生まれ

昭和18年か19年に大津陸軍少年飛行学校
昭和19年くらいに宇都宮飛行学校
そのあと配属(?)された部隊が通称号ですが、隼15305
終戦

という感じだと思います。学校・通称号は残っていたはがきから分かりました。
昔は写真もたくさんあって見た記憶があるんですが、今はどこにいってしまったのか・・・。

上記の学校・部隊をご存知の方なんでもいいので教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 少年飛行兵制度というのは、最年少で14歳の少年を三カ年間教育して、満17歳をもって陸軍伍長として現役兵役に編入して軍の中堅をになう下士官を養成するものでした。

 

 昭和19年頃というと、太平洋戦争末期のころで、日本本土(内地)では航空用ガソリン(航空燃料)が不足していたために南方とか中国の比較的航空燃料がある地域に航空教育部隊を分散させていた時期にあたります。

 大津陸軍少年飛行兵学校では、操縦、航空通信、航空整備としての基礎教育を実施する学校で、卒業後各専門別に別れました。宇都宮陸軍飛行学校は、操縦のほか航法(航空方位の算定)教育を実施する学校でしたが、昭和20年4月に廃止となっています。このため、中国にある航空教育部隊へ入隊された可能性があります。

 隼15305というのは、たしかに第118教育飛行連隊の通称号ではありましたが、同部隊は昭和18年12月に廃止となって、第18教育飛行隊(部隊長:桜井少佐)と名を変えております。同飛行隊は昭和19年3月頃は南京に駐屯し、その後太原、天津、済南と移動して終戦時の昭和20年8月には天津飛行場にありました。

 なお陸軍航空教育の過程から見ると、教育飛行隊で約4ヶ月の基本戦技を習得した後、錬成飛行隊に入隊して、さらに4ヶ月間実際の戦闘機に搭乗する実戦教育に進む予定でした。
  
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。

祖父の持ち物の中に、軍歌集があって、同じ部隊のかたと同窓会みたいなものをしたときに、そのなかのお一人からいただいたようで、○○伍長殿へ、と書いてありました。

確か、曾祖父の印鑑を勝手に持ち出して、応募したとも言ってたのを思い出しました。
未成年だからですね。

ありがとうございました

お礼日時:2011/06/17 20:07

隼15305は「第118教育飛行聯隊」だったようですね。



第3飛行師団の一部として南京に駐屯していたようです。

http://www.fontessa.info/tsuushougou/kyouikubuta …

a.wikipedia.org/wiki/第3飛行師団_(日本軍)



大津陸軍少年飛行兵学校は、

http://www.geocities.jp/bane2161/ootusyouhigaxtu …

宇都宮陸軍飛行学校は、

a.wikipedia.org/wiki/宇都宮陸軍飛行学校


ここらへんまでなら、ネットですぐ検索できました。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

上記のHPは拝見したことがありました。

ご存命の方はインターネットと化される方も少ないでしょうし、情報が少ないですね!

ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/17 14:39

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