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イスラム教が主流の国々であるアラブ諸国は西欧はもとより、日本や中国、韓国、台湾、シンガポールなどのアジアの国々にも近代化という面で遅れていると思います。中世の頃は、ヨーロッパよりも進んだ文化などがあったのに、なぜここまでの差がついたのですか?

日本は西欧の文明を早くから受け入れ、近代化しましたし、中国も近年の成長は目を見張るものがあります。しかしながら、アラブ諸国一つ一つのGDPを見ても、アジアの進んだ国々に遠く及ばないことがわかります。又、同じイスラム教を主流としながらも、近代化が進んでいる国として東南アジアのマレーシア、インドネシア、アラブ諸国に近いトルコなどがあります。

アラブ諸国は西欧に近いにも関わらず、なぜ産業革命の影響を受けなかったのでしょうか?イギリスなどの国に植民地にされて、近代化に目覚めることはなかったのでしょうか?西洋的な文明を拒絶しているのはなぜなのでしょうか?西欧に負けて悔しい思いをするならなぜ、近代化をして力をつけようとしないのでしょうか?

西洋の文明を受け入れたアジアと、拒絶するアラブ諸国の違いはなんでしょうか

A 回答 (6件)

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石油のほとんどアラブ諸国にあるから。

西洋化する必要性ありますか?宗教的にも
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その原因は、イスラム教の世界観が「聖俗一致」であることにあります。


イスラム文明はアーウィン・ローゼンタールが指摘するように、「『宗教と国家』がシャリーア(イスラム教の律法)の両面であることを意味する」といった「世俗主義的平等主義的神聖政治」を理想とする世界観を持っているのです。

キリスト教西欧諸国が近代化に成功したのは、キリスト教文明そのものに内在する聖俗分離の原則、宗敦改革による神からの解放、そしてそれらを基にしたデカルト哲学の完成があったからです。

キリスト教にはもともと「聖俗分離」の世界観を内在していました。(「神のものは神へ。カエサルのものはカエサルへ」マタイによる福音書)この聖俗分離の世界観を内在していたからこそ16世紀の「宗教改革」が成功したと言えます。キリスト教西欧諸国の近代科学技術の発展はこの宗教改革が起点となります。

宗教改革によって、人々は神をこれまでの超越的な存在から内在的な存在へととらえることができるようになり、この新たな世界観によりデカルトの主客対立の自然哲学が生まれます。このデカルトの主観の世界の延長線上に近代の政治思想、社会思想が生まれ、客観の世界の延長線上に新しい近代科学、近代技術が創造されてゆきました。

実在としての産業は、思想、哲学と表裏一体を成します。主観は客観なくして成り立たず、客観は主観なくして成り立ちません。それゆえに単に実在としての科学や技術だけの近代化は原理的にありえず、そこには必ず相互に連関する思想、哲学の近代化が付随します。

つまり、産業の近代化には必然的に思想、哲学の近代化、すなわち聖俗分離の原則、主客対立の哲学、そしてそこから派生する近代思想がともないます。この為、イスラム教国が産業の近代化を実現するには必然的に西欧キリスト文明の聖俗分離の思想、哲学を受け入れなければなりません。

しかしそれは聖俗一致の世界観をもつイスラムにとって、イスラムの否定以外の何物でもありません。
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そうですね、もともとおそらくは、少なくとも100年以上前から、宗教的にも、文化的にも西欧文化とイスラム文化は異文化として存在していました。



あなた様はこの質問をお考えになった時に、考えるべきキーワードがあります。それはイスラエルです。パレスチナ人がもともと住んでいた地域にユダヤ人が入植してきたのです。第2次世界大戦で、ナチスドイツが、ユダヤ人を排除したため、多くのユダヤ人が、もともとイスラム国家に統治されていたパレスチナの土地に勝手に入植してきたのです。

そして国連により、2国成立の決議がなされました。ところが、アラブ人はこの決議に反発した。それはそうでしょう。もともとはイスラムのパレスチナの土地だったのですから・・。そして1948年、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言した。この年は意外にも60年も前の話です。日本もその頃は第2次世界大戦前後だった頃です。

それ以来、この地域は紛争が耐えません。生きるか死ぬかの状態が続いています。スエズ運河という地形、石油利権問題もからんできて大変なことになってきています。決定的な事件は、1995年和平条約を結び、パレスチナ国家を樹立することを目前に、そのときノーベル平和賞を受賞したラビン首相(イスラエル)とアラファト議長(パレスチナ)がいたのですが、ラビン首相は、1995年極右の青年に暗殺されて、国家樹立は暗礁に乗り上げ、パレスチナ過激派もテロを起こした。

そしてついに、イスラエル軍が鎮圧、その他いろいろ事件があって、最近はイスラエルのレバノン侵攻により、アラブ諸国の非難を買った。さらにユダヤ系アメリカ人がイスラエルに武器を提供して、パレスチナやハマス(イスラム原理主義)の幹部を殺害し始めた。おそらく大勢のパレスチナ人が犠牲になっていりことでしょう。この地域ではこの60年間で4度も中東戦争を繰り返しています。そして、あの9.11事件が発生したものと思われます。これだけ追っただけでも日本やアジアとは明らかに進化過程が異なっているでしょう。これだけ紛争にさらされては発展は望めなかったでしょう。

どちらかと言えば、パレスチナの方々に同情の念を感じざるをえません。イスラムの人々は誇りを持っておられるようです。そのうち西洋文明を追い越すと本気で思っているようです。イスラエルもアメリカもアラブの国々を空爆したり、一家惨殺などもまれにごく一部報道されているようです。それでビン・ラディンをはじめ、イスラム過激派が怒ってテロを起こしたというわけです。
アラブの人々は一般的に親日です。原爆のことがあるからです。さまざまな感情を呼び起こさずにはいられません。
長々と失礼しました。
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結局は、イスラム的価値観以外の全てに関して存在を無視するというイスラム法学者と呼ばれる方々の教条主義が主因かと。



かつて、マハティール元首相が新聞へ寄稿した文章には
(長い文章なので勝手に要約させてもらいました)
・スンニ派とシーア派の対立の根は深い。
・コーランを解釈する者たちが宗教の枠内でその法や実践を学んでいるため、今日の科学的な事象を理解できないことが多い
・初期のイスラム教徒はペルシャ人やインド人、中国人たちの著書からも学んだ
・ところが、イスラムの有識者たちは15世紀ごろから科学的な研究を抑制し始めた。
・そうした視野の狭さが、今日のイスラム教徒の苦境を招いたのである

と言うような事が述べられています。

初期イスラムの自由闊達な雰囲気(宗教は宗教、学問は学問、生活は生活)が失われ、宗教権威を持つモノ達が自分たちの権威を永続させる為に、イスラム世界の周囲に高い障壁を設けたようなモノでしょう。
権威者に疑問を持ったり外の世界を知ろうとしたモノには、宗教的な懲罰を与える。

仏教文明においては、各地の土着宗教との融合も見られるように、他者への寛容や柔軟性が有るのでは無いでしょうか?
そして砂漠の遊牧民と違い、農耕民族という生活様式の違いも大きいのでは無いでしょうか?
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イスラム教の教義が近代化を忌避する。


というところに尽きると思います。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/60/kt1/kt.htm
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