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私は信者ではないので、失礼なだと思われるかもしれません。
信者の方はスルーして下さい。

友達に誘われて、教会に行きました。
そこでゴスペルソングを聞いたのですが、
「主は私たちのために死んでくれた」
という一節がありました。
信者の方は、愛が深いといっていましたが、全くわかりません。
イエス様が十字架にうたれたことで、私に何のメリットがあったんですか。
そして、歌は誰が作ったか知りませんが、恩着せがましいと思うのですが。

また、いつも見守ってくれているとよく言いますが、
私はイエス様を信じていた時でさえ、何も助けてはくれませんでした。
信者の人たちは、何をもって信じているのですか。

別に疑っているとかではなく、素朴な疑問なので、
優しくご回答頂けると嬉しいです。

A 回答 (15件中11~15件)

 私も所謂るキリスト教の信徒ではありません。

しかしイエスの十字架やそのような福音の賛美歌があるだろうことは知っております。
 そしてkamiya-kaさんがここで書かれている疑問は私も当然ありました(過去形です)。
 ここでおこがましく、私の思考を陳述しましても単に更なる問題に繋がるだけですので、自己や人間の根源というものとの関係の中での思い廻らしという作業が、自分としての理解に歩めるかと存じます。
 
 【 いつも見守ってくれている】というお話もどこにどのように唯一者がいて、それは自分とどういう関係かという自己の内的省察がよろしいかと存じます。
 ご質問を拝読すると、相当にそういうこともされ、また、キリスト教会にお友達と一身同体的に関係の深いご様子が伺えますが。
 【助ける】私自身はいろんなことの展開の中で、何かを感ずるのです。それを○だとか何とか口外することは、これまたおこがましい限りです。
 或いはそうかもしれないと思うことくらいで本当なのかもしれません。ここではイエスがどうかということではなく。
 それでは、何かの助けがなかったとしたら、kamiya-kaさんや私たちはどうなのかを逆に考える作業の契機はないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
似た疑問を持っていた方もいらっしゃったんですね。
自分としての理解、確かに実際にある事実から、あとは個々が考えて話を導いていってるのでしょう。
理解するには、私自身も事実と事実の間を自分が納得できるような筋道を立てれば良いんですね。
その仕方が、前からでなく今から逆に考えても繋がれば良いんですね。
解決の道筋が見えてきた気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/24 15:04

信者ではありません。



キリスト教も仏教も、キリストや仏陀が真理を説きましたが
今のように教会やお寺を作って広める活動を勧めたわけではなく
後の人が、その教えが素晴らしいと思って布教活動を始めています

ですので開祖が恩着せがましいというのは、当たらないです。

宗教の教え等は、本来は書物や言葉やお祈りで得られるものではなく
唯一分かるかもしれないのは、その人の生き様で実証することで、
後の人が理解できる場合があるだけです。
仏教の場合だと、小乗仏教のように修業をして悟りを開くといった
アプローチをする方法は教えるが自分で考えろ的な教えになったりします

十字架のエピソードは、それを行うことで、弟子たちがその教えの正しさを体得できたという意味で
その後の布教活動が始まり、少なくともキリスト教を信じる後世の人たちには、
真理を理解する機会と場所が与えられていることになり
そのことがありがたいという事だと思います。

信者の方たちが、何を以て信じるかは私にもわかりません。

大乗仏教では理解することよりお祈り等をすることで真理が体得でき、
それでその後の人生もしくは来世で助かるのだ
(世が乱れて社会不安が蔓延するときには、何がに縋りたい、これをしていれば道は開けると
信じられることで心の安寧を得られる場合がありますので広まったと理解してますが…)
という教えになっていますが、
しかし繰り返しますが本来真理等とは、その言葉とかで表現できるものではなく
すがるようなお祈りをすること自体は、真理の探究を諦めたことに対する一種の代償行為でしかないと言う気がします。
お祈りは、それをして、そこで何かを考えて、自身の生活で生かすことで何かが分かるかもしれないという代物です
なのでメリットがないと思われるのは、お祈りをすることだけで何も得られないという意味で正しいのですが
お祈りだけをしていればいいと思ってお祈りをするからメリットがないとも言えると思います。

形式だけを追求する現在の宗教は、真理に近づける場所のようで実はあまり(無信心者とも)大差がないと思います
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい解説をありがとうございます。
確かに目の前で十字架にうたれるのをみれば、
色々と学ぶことがあったでしょう。
伝える時にも、具体的なインパクトのある話として意味のある行動だったのでしょう。
そういう意味で、私たちの為に~と弟子が言ったという考えも理解できる気がします。
そして、やはり信仰してる人も何かあったというよりは、
合格発表前に神頼みするという感じで、
いいように神頼みをしているんですね。

神に祈って罪を許してもらうという話がありましたが、
あれは罪を犯した人が信仰をいいことに神を利用しているとしか思えませんでした。
そういう意味で、神を信じることでメリットを生じる人もいるんですよね。

信者が多くなり、統制できる人もいないので、
個々で解釈し広めていくことで、
どんどん宗教の信仰とは言っているけど、
それぞれ別物になっていて
仏教もキリスト教も場所や形式など大きなところは違うけれど、
無宗教の人とも、人生は変わらないんじゃないかと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/23 19:59

 本来宗教は「そんなもんだね」と信じることから始まる。


 どの宗教も始まりは説明できないことからスタート。そこから論理を組み立てていく。当然矛盾が沢山発生するので、論理の構成だけは緻密になり、隙がなくなっていく。だから始まりが信じられなければ、それでおしまい。
 あのガリレオの天動説が拒否され、コペルニクスが受け入れられたのは。神が創ったのだからより整合性が高い説明が出来るはず。ならばガリレオの説明よりコペルニクスの説明の方が(方程式の数が少ない)のでシンプル。つまり神の世界に近づいているのでOK。
 たとえば神や奇跡、お告げ、預言はそもそも存在したのかとか、現実との関係は証明されたことは無い。だから多くは秘密にされる。でもそこだけ信じた連中は、そこから現実を解釈していく訳だから、昔いわれたマルクス主義は宗教みたいなものといわれたのと同じ。当然、身内だけで伝わる言葉が広がっていくので、「愛」や「助け」の意味も変わっていき、やがて解釈もバラバラになり派閥が生まれる。
 こういった身内だけで待たれ合おうとするのは、いまの役人達と同じ。だから個人的には仏教徒で良いんじゃないかと思っている。だって「仏になるために努力」することだけが教えだから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
信じないと、始まらないですか。
納得する回答が得れれば私も信じるのに、
具体的なことはいつも教えてもらえず、疑問に思ってしまいます。

信じた人が勝手に解釈していくから、派閥ができる。
本当にそうですよね。自分にあうように、無理やり納得できるように解釈してる気がします。そこまでして信仰する必要があるのか疑問に思うところもあります。
宗教って、難しいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/23 19:37

そんな理屈というか理論で考えたら宗教なんて


矛盾だらけです。

イエズス会が来日して、日本人に布教をしようと
したら、やはり貴方のような人がいて、往生した
という記録が残っています。
具体例として少しあげてみます。
1,入信すれば救われるというが、それでは先祖は救われないのか。
  先祖を救ってくれないような宗教では困る。
2,神と悪魔、善と悪、というが、善悪などは所詮相対的
  なものだろう。
3,この世が存在するということは、誰か創ったものが
  いるはずだ。それを神というのなら、神は誰が創ったのだ。
  神は自ずと存在するというのなら、山川草木ことごとく
  自ずと存在するとして何が問題なのか。

ただ信じるだけなんですね。
宗教てのは。
それだけに危険でもある訳です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
往生ですか。
おっしゃるとおり、善悪は、絶対的なものがなく、勝てば善になる社会だと思います。
悪魔が本当に存在したのか、神が善になるために普通の人を悪に仕立て上げたのか、誰も今は分からないですよね。
そして、神は誰でも愛しますといいながら、信じないといけないだとか、高額な物を売りつける人だっています。
信じていて人を罠にはめうとしてる人と、信じてないけど人に害を与えない人だったら後者の方が愛されるべきだと思います。

考えるとおかしいことが多いですが、理屈ではないんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/23 19:29

ちょっと厳しいかもしれませんが…


そもそも、信仰はメリット、デメリットで考えるものではありません。
信じていたとき…とは何をどう信じていたのでしょうか?
信じたんだから何かしてくれ…ではなく、その人の教え、考え方を理解し、共感し、同じ考えをもって行動する事が信仰だと思います。
聖書をきちんと読んで理解しましたか?
それがなければ「サンタクロースさんっているんだよね?」と言っている子供と何ら変わりません。
サンタクロースを信じていたらプレゼントは必ず貰えますか?
同じことですよ
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
小学生の時、教会でずっと聖書を読んでいました。
ガリバー旅行記みたいに聞いてて、理解できてなかったのかもしれません。
プレゼントもらえないから、サンタはいないって思ってしまった人間です。
ただ、一般的にサンタはいないというものになっているのに、
どうして宗教はありつづけるのでしょう。
サンタがきちん物で判断するけど、
思想は目に見えないから信じつづける人が多いってことなんでしょうか。
難しいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/23 19:22

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