

産業革命以降、テクノロジーは大量消費社会と二人三脚で発展してきたように思います。テクノロジーの発展とともに、個々の人間の技能は不必要とされ、もういくつも失われてきました。例えば農業においてすら、作業の手間を省くために「種とり」は行われなくなっています。農家にとって作物は植物という連環的存在ではなく、種から出荷までの切り取られた工業製品的存在なのです。
まず、なぜテクノロジーはこうした大量消費社会を必要とし、また必要とされるのでしょう?
そして、この先の未来、テクノロジーとともに発展していく社会は、機械の星の疑似空間社会(例えばマトリックス)以外に、描ける物があるのでしょうか?
A 回答 (21件中11~20件)
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No.11
- 回答日時:
気になるのは、近代が自己実現を阻害するという強弁です。
勿論人間の幸せの為に生産されなければいけないというのは
基本だと思いますが。
なぜ、キャベツの収穫機がないのか、コンビニが無人自販システム
にならないのか、電子書籍がいち早く、日本で開発されたときに
市場にのらなかったのか、自販機のデザインが
格納部地下埋め込み型の取り出し口の為の腰高円柱型のような
環境配慮デザインにならないのか。
ついでにパソコンをメイドインジャパンの家庭用サーバー機に
かえて、共通仕様で端末もばらばらにしてくれないでしょうか。
つまり、お付き合い型社会がよくもわるくも作用しているのです。
方向としては、収縮しながらも、全体効果(人間の幸福度)が
あがっていくことだと思います。
イギリスでは、ものづくりがいやんなちゃって、高尚な夢のある
飛行機しか作りたくないそうです。
それから比べると、小さい部品の精度の誇りや、
素材産業の元気な日本はまだ捨てたものではないと思います。
しかし、むいぐるみロボットが高齢者の慰めになるという発想
は、ずれずれでしょう。
ごめんなさい。理解がおいついてません。
>気になるのは、近代が自己実現を阻害するという強弁です。
勿論人間の幸せの為に生産されなければいけないというのは
基本だと思いますが。
これは、そうした強弁が世の中にあり、テクノロジーの進歩を阻んでいるが故に、洗練されない、というお話なのでしょうか?
話はズレてしまいますが、
私は「大量生産」の問題点は、「素材が均質なもの」だという虚構に立脚している点にあるような気がしています。
さらにズレますが、製品の規格も問題を感じます。例えば缶詰めなどの加工食品。欧米の物は規格に幅があり、味付けもシンプルでバラつきがありますが、日本の物はどれも粒ぞろいで、味はアミノ酸によって均一に塗りつぶされています。
まったくスレッド違いの話ですが、砂漠に水路のような発想には、何か名前がついているのでしょうか?
No.10
- 回答日時:
世界で最も食糧としての大豆の輸入量が多いのは中国です。
しかしその中国すらもアメリカからの大豆の輸入には懸念を示しています。♯9様はなぜだとお考えですか?。遺伝子組み換えを商品作物へいち早く転用したのはアメリカです。けれどそのアメリカも「小麦」に関してはその技術の転用を容認してはいません。「小麦」がアメリカのごく一般家庭での主たる食料品である「パン」の原材料だからですよ。もしアメリカの食卓に大豆加工食品が日々並んでいたらこのような対応をとっていたとお考えですか?。
つまりはテクノロジー先進国であるアメリカはその危険性などとっくに織り込み済みであることの証拠でもあります。危険だから自分のためには使わず、他国での状況を実験データとして集積するだけです。激甚災害が発生した時真っ先に援助の手をさしのべて「私達は常にあなた方と共にいる」姿勢を世界にアピールしますが、その裏では「自分本位の姿勢」を示して馬脚を現している。こうした点で私はテクノロジー依存症には胡散臭さを感じてしまいます。
無論、私とて「物事には多様な側面がある」ことも承知しています。サン・テグジュペリの『星の王子様』に記されている「大切なモノは目に見えない」との言葉が語るように「目に見えるモノ=テクノロジー」とするならば「目に見えないモノ」は何でしょう?。私には「テクノロジーに正当な裏付けを与える思索」だと思われます。思索は信仰と異なりアウフヘーベンの形でしか進化せず、そこには不可知論的要素は存在し得ません。それゆえに安易なテクノロジー信仰論には異を唱えます。
砂漠を水で潤し緑の大地とするため、そこでは人工透析に使用されている「フィルター技術」が応用されていることなど既に知っていますよ。海水を淡水に変えるためには有効な技術です。これはテクノロジーが有用に機能した一例ではあります。しかしながら残念なことにテクノロジーにはそうした陽の面に対し陰の面が深くそして大きな影を落としてきたことも事実です。例えば太平洋戦争で使用された焼夷弾は戦後にナパーム弾としてより高度の殺傷能力を持つ兵器となり、ベトナム戦争の「枯れ葉剤作戦」は人類の開発した最悪の化学物質であるダイオキシンの災禍をもたらすに至っています。
FAOの資料を引用されて食糧危機の問題をテクノロジーで解決できるかのように力説されていますが、この問題に対して現代の私達がなすべきことは先ず「食べ残し」や「不必要なモノを買わない」ことを考えて行動することから始めるべきではないでしょうか?。昨今ではスーパーや小売店でも「パック売り」と「単品売り」として選択の幅が増えてきています。一人暮らしのお年寄りや下宿住まいの学生にとってパック売りの食材はどうしても残りがちになり廃棄せざるをえず、お金を捨てると同じ事でモッタイナイとの購入者からの声も聴かれます。そうした消費者の声を受け止める販売側が社会的に高い評価を受けることも当然でしょう。消費者は購入者であると同時に最大のモニターでもある。そしてその声を無視しては商売などできないことは当然でしょう。
かつての「大量生産・大量消費」は地球規模で「画一化を進める」ことで実現しました。日本で類例を見るなら地方都市の「小東京化」にあたります。地方都市を訪れると東京とは代わり映えのしない光景と情報が溢れかえっています。何処にいても最新の情報に触れることが出来る反面それによって「消え去ってしまった」モノがあることも事実です。
「時代にそぐわないモノは退場するしかない」との言葉で言えば、何れは全てのテクノロジー自体がイノベーションにより「取って代わられる存在」となることは論理的帰結でしょう。携帯電話に使用されているシステムの原型はかつてのトロン計画で提起されたβトロンの再現であると言われていることもご存知ですか?。その発想はWindowsにすら継承されています。89年~91年当時、「トロン?、そんなモノあった?」と日陰者的な扱いを受けていた存在が突如脚光を浴びたのはなぜだと思いますか?。
必ずしも新しいテクノロジーだけが希望の星となるとは思えませんが如何ですか?。
とりあえず、お礼欄は好き勝手に使わせていただきます。
>この問題に対して現代の私達がなすべきことは先ず「食べ残し」や「不必要なモノを買わない」ことを考えて行動することから始めるべきではないでしょうか?
人間の行動は意志によって発現します。意志は感情と論理との化合によって生まれます。
例に挙げられた「努力」する意志を生み出す情・知は、テクノロジーを進歩させる原動力である情・知と相反するのではないか、というのがそもそもの私の疑問です。
近代テクノロジーが大量消費社会を必要とする理由に「儲かるから」という回答を寄せてくれた方がいましたが、私はこれが真実に近いと思います。なぜ儲かるのか?多くの人が「便利」「快適」=「自然の摂理からの我が儘な自由」を求めるからではないかと思うのです。この、私たちの本能から沁みだしてくるかのような欲求を、どうやったら私たちは自覚し抑制することができるのでしょうか?
No.9
- 回答日時:
文章の拙さをお詫びするとともに、文面からの解釈お礼申し上げます。
疎外についてですが、
仙石の言った「自衛隊は暴力装置」と同じですね。
社会学・経済学を学んだ事のない人間には奇異なる言葉です。
私は一般教養で卒業の為だけに単位をとりました。(大昔の事でほとんど記憶にもないですけどね。)
本物の自分だと思っている将来が獲得できないという疎外。「自己疎外」の事ですかね。
共同体から与えられてきた将来を、「個人の自由」という生活に移る過渡期に生じた問題と認識しており今更の感があります。
2006年FAOによると飢餓人口は9億6300万人おり、その数は毎年増加傾向にある。毎年約1500万人、4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡していおり、人類の6人に1人は十分な食糧を得ることができていないとの記述がありました。
にも関わらず世界の食料生産総量は、世界中の人々を養うに十分な量があるり、世界の肥満(食料の摂取しすぎ)の人数は、世界で飢えている人とほぼ同じ人数と事。
東京都23区の家庭から1日に捨てられる食物は、アジアの50万人以上が1日に食べる食料に相当するそうです。
人類の英知と努力を結集して食料をうまく行きわたらせたとしても
2050年には世界人口は93億人だってさ。
現状70億人分の食料の確保が可能だけど、のこりの23億人分の食料どうするの、西暦2050年て来るんですよ。
「さんすう」の簡単な引き算と、時が過ぎればやがて2050年が来るという常識があればわかるでしょ。
来たるべきその時の為、テクノロジーの確実な進歩を信じて
砂漠の真ん中に農地・野菜工場を作るため、賄賂を要求する役人や盗賊や強盗の恐怖の怯えながらプラント建設の現地調査した時の事や
まだ現地で行動している社員を思うと、家族に申し訳なくて眠れない時だったある。
自分の周りしか見ないで文化人を気取ったお気楽社員の家族の生活も含めて肩にかかった重さを噛みして何とかしたいともがいている
もっと「歴史」を勉強し「社会」を知り自らの言葉で語る「哲学」を学ばなければならないぼうやでした。
8番さんが「坊や」と呼んだのは、それだけ7番の回答が拙いと受け取ったからでしょう。現に私も7番さんを二十歳くらいの方だと思いましたし。
アフリカ問題は手強い問題ですが、それとプラント建設の経験とは、何の論理関係もありません。強いて挙げるとすれば、批判に対して「オレ達の苦労を愚弄する気か!」というハッタリの伏線でしょうか。やはり拙いです。正直そのレベルの方が、国際的に重要なプロジェクトの責任ある立場の方だとは信じられません。
喩え語られた立場が真実であっても、それはプロジェクト実施に関して解決された課題についての経験であり、その方面の回答で有効に活用すべきでしょう。
論説としては、
「食糧難はテクノロジーの進歩(供給の増加)によって解決できる。少なくともそう信じる他ない」
との主張のようですが、テクノロジーの進歩と人口増加はいたちごっこではありませんか?
そしてまた、アフリカ問題を含め、食糧難は政治や文化などの複合的で根深い問題が関わっており、単に供給を増やせば解決できるという問題ではないでしょう。
すみません。批判するのも疲れるくらい独善的で感情過多の御意見です。
No.8
- 回答日時:
No.7の皮肉屋さんへ
一面の真理とは言い得て妙な言葉です。テクノロジーが大量消費を必要としたのではなく可能とした、この言葉は少なくとも近代を理解していない証拠です。近代がもたらしたもう一つの要素、それは「疎外」です。この概念は少なくとも経済学や社会学では初歩も初歩の概念です。端的にいうならC.チャップリンの『モダン・タイムス』に登場する「工場機械の歯車の間を通る人間」の姿、つまり「機械に人間が使われる」ことで本来の形とは異なった形、全く逆の形となってしまった「社会と人間の関係のあり方」を示しています。
なるほど「便利」「快適」といった表面的かつ些細な事象に満足しているならばそれでも良いでしょう。けれど社会科学や歴史学といった学問に携わり、尚且つ企業人として勤務する者の立場からすれば、あなた様のような物の考え方をされる方とは一線を引かざるを得ません。それほどにあなた様は刹那的であり傲慢ともいえます。
少なくとも共有すべきは「フェア・トレードの考え方」であると思われます。便利や快適を提供してもらっている裏側にどれほどの労力や搾取が介在しているか。ナイキのシューズは東南アジアやインドの未成年や子供達の手によって作られています。そして彼らの賃金はシューズ一足に遙かに満たないことも現実です。
それを考えるならば、テクノロジー信仰に対する私の考え方は「全面的な礼賛」ではなく「その裏にあるモノを日の下に曝し出す目を失いたくない」との一言です。
もっと「歴史」を勉強し「社会」を知り自らの言葉で語る「哲学」を学びましょうね、坊や。
お礼欄前後してしまいました。
話が飛びますが「不老不死」の話題、TANUHACHIさんが挙げてくださっていた作品はお恥ずかしいことに全く知らないのですが、
回答を読んでいたら、ふと「竹取物語」を思い出しました。手元に無いのでうろ覚えですが、天人の衣を身につけて天人として覚醒した(不老不死になった)かぐや姫は、その瞬間から人間の情を失ってしまったと記憶しています。
No.7
- 回答日時:
>なぜテクノロジーはこうした大量消費社会を必要とし、また必要とされるのでしょう
ちがいます、
テクノロジーの進歩が大量消費社会を必要としたのではなく、可能としたのです。
その技術が現在社会の生活を支えているんです。
縄文時代の竪穴式住居や穴居人に戻るわけにはいかないでしょ。
小学校か中学で習った
テクノロジーの進歩が作り出した熟練の必要のない強力で大量の銃器は
一般民衆を、長い間修行の必要だった刀や槍を使う武士より有効な軍隊とした。
そして時代が変わった。
まあ歴史の話はいいでしょう。
テクノロジーの進歩はクール便やロジステックにも大きな恩恵をもたらせていますね。
今のクール便やロジステックテクノロジーがあるから沖縄の果物を東京で手に入れる事ができるんですよ。
果物を天候不順を理由に出荷できないとの対応を大地からの贈り物として受け取り責任をもって消費者に届ける誠実な姿とと評価されている人もいるみたいですが、一面のみを見てフードマイレージなんか考えないのでしょうか?
それとも物流によって地球に与える環境よりも食糧を生産する効率を考えた 種から出荷までの切り取られた工業製品的存在ととらえているのでしょうか?
>テクノロジーの発展とともに、個々の人間の技能は不必要とされ、もういくつも失われてきました
すべての技能自体、最初は新しい技法だたはずです。
不要になったものに執着しては進歩は望めません。テクノロジーの進歩は人類を豊かに過ごしやすくしています。
ロハスな生活を気取っても、しょせん現状の文明に支えられての生活ですよ自分の嗜好のためマイレージを無視したりするかえって迷惑な人もいますよね。
回答ありがとうございます。
厳しい御批判をいただきました。批判は大切です。
でも、批判は正確さが求められます。
>縄文時代の竪穴式住居や穴居人に戻るわけにはいかないでしょ。
こういった趣旨の事はどこにも主張していないはずなので、いきなり「藁人形論法」という詭弁です。また、近代テクノロジーの以前には様々な段階があるので、竪穴式住居まで戻るのは「完璧主義の誤謬」かとも思います。
つまりいきなりボロボロなわけですが。
歴史認識は偏っていますし、
フードマイレージの議論は興味深いですが、四番さんから直接の返答があったみたいなので、私からは「文脈が異なる」ということを指摘させていただきます。それと、そもそも竪穴式住居に戻ることを主張していないので、「より良い選択」として「お取り寄せ」はあり得るでしょう。
技能の淘汰に関しては、単純に進歩主義の誤謬ですかね。「新しい物は良い物、古い物は要らない物」という価値観の盲信による幼稚な議論でしょう。それだったら、経済の原理の方が的確なのですから。
No.6
- 回答日時:
丁寧なお礼ありがとうございます。
失礼な回答をしてしまったかもしれません。すいません。
「本能にとって必要」なのと「趣味として楽しい」は
仰る通りおおよそ等価だと思います。
質問者様はまっとうなプロフェッショナルな職人さん
なのできっとおわかりになるとおもいますが、
全てに言えることかもしれませんが、作りたいものと
必要とされているものの差を埋める方向性、方法論と
して何が正しいのかの解を求めることはエンドレスな
作業だと思います。
伊丹十三監督の「スーパーの女」という映画はご存じ
でしょうか。近代化の波に対する魚屋さんの苦悩が
描かれていますが、あの問題を今の時代で考えてみた
時どういう解答が一体望ましいのでしょうか。
私は個人的には近代を全否定することは反対です。
できれば近代のいいところと、失われた前近代のいい
ところと、近代の反省するところを全て有効な材料と
なるのが希望です。
謝るべきは私の方です。失礼なお礼文だったと反省しています。
>私は個人的には近代を全否定することは反対です。
できれば近代のいいところと、失われた前近代のいいところと、近代の反省するところを全て有効な材料と
なるのが希望です。
この御意見から、heartmindさんの誠実さを強く感じました。
私は、
「近代を全否定することなど、近代に生きる私たちにはできない」と考えています。
ですから、
「いいところ・反省するところ」という冷静な批判を、近代に対して行えるのか、疑問なのです。依存している人間が、依存の対象を冷静に批判することができるのでしょうか?
その依存を克服する手段の一つが技能の世界ではなかろうかと考えているので、「本能にとって必要」とも、少し考え方が違います
No.5
- 回答日時:
収穫の喜びや手を使ってものを作ることは、人間の本能に
とって必要だと思います。
お菓子作りは子供にとっては楽しい遊びです。
野菜も家族の食べる分を小さい面積を使って作る分には
趣味として楽しいと思います。
しかし、現実の仕事にするとしたらそういうわけには、
いかないんじゃないでしょうか。お米から他の作物に
かえることが難しいのは、それはやはり作業がある程度
機械化されている為(田植え機、コンバインなど)に、
人的コストに対する面積収穫率の高さが原因だと思います。
有名なリンゴ農家の方のご苦労はそれは並大抵のことでは
ないと想像します
朝露の発酵や、ニーダー使わないパンやさんは、おとぎ話
としては美しいと思いますが、現実として犬のしょんべん
いりのパンは、マーケットがどう反応するか・・・。
愛は腹の足しにはならないと震災は教えてくれたはずです。
また、少子高齢化社会は現実です。
それなのに日本人がいまだに情報科学を仮想空間の為の、
おもちゃとしかとらえられなくしてしまった責任はもちろん
企業やメディアにもありますが、それ以外にもなにかが
あるような気がするのですが。
回答ありがとうございます。
ちょっと誤解が多そうなので、いくつか補足させてください。
>朝露の発酵や、ニーダー使わないパンやさんは、おとぎ話
としては美しいと思いますが、
まっとうなパン屋で、そんなことを「理想」だと思っている人はいませんよ。どこからの情報か知りませんが、まさにマーケットのウケねらいなんじゃないですか?よくそういう勘違いの「自然派パン屋さん」いますよね。けど、本当のパン屋の技量(技能)とはまったく関係ない話です。
私自身は、ヨーロッパ文化の核心としてのパンには意義を感じますけど、「自然派」を含めて日本で売るためだけのパン、腹を満たすメシ代わりのパンなんて、早く無くなって、日本人は四合の玄米を食うべきだと思っていますよ。そうなったら喜んで廃業します。
>収穫の喜びや手を使ってものを作ることは、人間の本能に
とって必要だと思います。
お菓子作りは子供にとっては楽しい遊びです。
野菜も家族の食べる分を小さい面積を使って作る分には
趣味として楽しいと思います。
頭悪いんで良く解らないんですけど、「本能にとって必要」なのと「趣味として楽しい」のが等価だということなんでしょうか。
子どもに必要なのは楽しい菓子作りなんぞではなくて、アミノ酸漬けのスナック菓子やインスタント食品、レトルトや冷凍食品なんかをやめて、普通にまっとうな料理を食べさせてやることだと思いますよ?
家庭菜園で種とり育苗までしないでしょう?趣味の家庭菜園はすでにテクノロジーと大量消費社会の一部に組み込まれているのであって、農家の技量(技能)とはまったく別の話題だと思うのですが?
かみあいませんね。
理解が至らずに申し訳ない。
No.4
- 回答日時:
こんばんは、お久しぶりです。
僕は「産業革命」との言葉に以前から少なからず違和感を持っています。と申しますのもいわゆる「産業革命」といった場合、古代エジプトに見られる「農業革命」に対峙する形での18世紀イギリスに見られるイノベーションを「産業革命」と称しているからでもあります。
この18世紀イギリスの現象は元々ルネサンス以後の近代科学の蓄積(合理主義への転換)が実を結んだといえましょう。熱エネルギーがタービンや車軸を回す動的エネルギーへと変化することが人や物資の高速移動手段を生み出し、経済活動の飛躍的発展を後押しした。
けれどもそれによって形成された社会の形は「持てる者」と「持たない者」若しくは「支配」と「被支配」の分化であり、何らエジプトの農業革命とは変わっていない。その後80年代前半にアメリカのA.トフラーによって語られた「第三の波-情報革命による第三次産業革命」との未来学的予言も実際には「革命」などとの概念には相当せず単なるイノベーションにしか過ぎなかったのが現実です。
「革命」が社会のトータル的構造の変革を意味することに対し、技術畑の人が使ってきた「革命」との表現が実際に「革命」に相応しいかは疑問符が付くと思われます。
農業大国としてのアメリカでもこうした技術依存症に対しての警告が発せられてきたケースも過去に多々ありました。かつてのアメリカでも現在の日本に於ける一部と同様「工業製品としての農産物」の発想があり、それは遺伝子組み換えやブロイラーなどの形で大量生産を是とする風潮がありましたが、それによってもたらされた人体への病理的影響などの問題を消費者から訴訟の形で提起され、今では一時の勢いが影を潜めています。
夏の炎天下で育てられた青臭いトマトの美味さに僕は惹かれます。毎年夏に注文している沖縄のアップルマンゴーは宮崎のそれとは異なり「毎年の収穫高」を事前に予測することは困難な作物の一つです。「今年は天候不順でお届けが困難となりました」との便りを頂いても「また来年に期待しよう」として楽しみを先送りにすることもあります。それらは農作物を大地の恵み、大地からの贈り物として受け取り責任をもって消費者に届ける誠実な姿と僕は思います。
戦後の日本は何時しか「身の丈」を忘れてしまったかのように感じられることも屡々です。「大量消費社会」のあり方が必ずしも本来の形であるとは思われません。これは裏話ですが、全国の大学や図書館で「蔵書の電子化」が喫緊の課題とされているのは、本に使用されている「洋紙」が酸性紙であり、あと100年もすればボロボロになり保存も修復も不可能となるからです。これに対し中国や朝鮮半島そして日本や東南アジアで用いられてきた紙が1000年以上もの間、元の形を保ち続けてきたことはそれこそ「匠のなせる技」だと思います。
回答ありがとうございます。
他のスレッドでもTANUHACHIさんの回答はしっかり読んでいるので、私にとってはあまり久しぶりではないんですけどね。
語りたいこと語るべきことは山ほどありそうですが、なにしろ携帯だと千文字ほどしか書けません。文の拙さも相まっていつも意味不明のドツボにはまり気味ですがご容赦ください。
「産業革命」について、回答をいただいてふと思ったのは、命名者の意図外かもしれませんが、「人間と自然」との関係においてはまさに「革命」なのではなかろうかと、時代は違えど「もののけ姫」なんかに想いを馳せながら考えました。
ルネッサンス以降の一つの到達点であるという見方は、議会制や外交・諜報そして出版や商業の先進国であったヴェネツィアから、イギリスが吸収したものは計り知れないと素人の思い込みをしているので、至極納得がいきます。
農作物が大地の恵みであること、「身の丈(私流には「分」)」の大切さ、「匠のなせる技」
どれも良く解ります。ほとんどの志向が一致している様なのに…
なんで
これらのことが
「これ物の心を知るなり。物の哀れを知るなり。」(本居宣長)
ではないのか、
未だに解りません。
それと、
別スレッドでの話で、
件のパンを作る人物が私だと思うのは思い上がりかもしれませんが、
私は「誰よりも美味しいパンをつくろう」と思っているわけでもないのです。
毎日毎日自分のいたらなさと向き合いながら、
日本にフランスのパン作りを伝えたレイモン・カルベル先生が示されたパンの理想に、
全てのパン屋が抱くであろう、欧州文化の魂であるそのパンの理想に、
せめて昨日よりは僅かでも近づきたいと足掻き続けているだけなのです。
No.3
- 回答日時:
思い描きとは思想です。
テクノロジー重視は、
人間の文化が 物から始まったとする 思想につながります。
すべての人間は同じであるという理論が、その根底をなします。
俺もバカならお前も馬鹿だ。しかし俺はお前のばかを指摘したことにより お前より一歩秀でている。
尊敬しろという考えですが、 迷彩を施してきます。
自分がわからないことは相手もわからないという傲慢が自尊の理由です。
簡単な例
文化は IPHォNE から生まれた。リンゴが創造するまで人間の文化というものはなかった。
それ以前の文化は古い文化である。 人間が古いということであり、それは、今は新しい人間の世界であるということをしめしている。
新しい文化を所有する新しい人間は俺様である。
ということです。
結構ワンパターンですよ。
ふるくは、聖書を持たないものは人間ではない。と合唱するのと同じです。
つまり、愛は聖書とトもに生まれたと考え、愛とは聖書に書かれている面白いおとぎ話だと言い張る。
議論が続かなくなると わからないと いいだし スタート地点に戻るという習性です。
俺様はわかるかわからないかわからないと知っているということです。
簡単に言うと
あいは聖書より古いものであって、辞書の中・本の中を探しても永久に愛が見つかることはないということです。
神学的永久の定義はそこにあります。 久遠とは無駄に探すことです。
愛に先立つのは 「人と巡り合う」ということであるということさえ
¥分からなくなってしまう文化が¥一神教=もの重視の文化です。
回答ありがとうございます。
ヨーロッパのテクノロジーの母体はローマ多神教なはずですが、いつから、なにを間違って一神教に洗脳されてしまったのでしょうか。
No.2
- 回答日時:
>なぜテクノロジーはこうした大量消費社会を必要とし、また必要とされるのでしょう?
儲かるからです。
沢山作る→安くなる→沢山売れる→作れるだけの投資が出来るだけ儲かる→更に沢山作る+テクノロジーの進歩→更に安くなる→更に沢山売れる→ こうやって一方的に膨らんできました
>テクノロジーの発展とともに、個々の人間の技能は不必要とされ、もういくつも失われてきました。
このあたり現実はもう少し複雑です。多くの技能がテクノロジーに吸収されて不要になってきたという面もあります。
もっとも、博物館に(生かして)残したい技能と言うものもあるかもしれません。
そして、大量消費社会も進化しています。単なる大量生産では対応できず、少量多品種生産(トヨタ方式など)から低廉な個別オーダーメードへテクノロジーと工業生産販売受注システムが進歩してきています。農業はテクノロジーがまだその方へ向いていませんが、いずれそうなるのではないでしょうか。魚沼産こしひかり一辺倒でなく、2012年物の男米10Kg欲しい、とかネットで予約できる時代が近々くるはずです。
回答ありがとうございます。
やはり資本主義とは切っても切れないものなのですね。
そして「オーダーメイドテクノロジー」は、ロボット工学によって進歩するものなのでしょうか。いずれは農業も、核融合電力によって工業化するかもしれませんね。
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