電子書籍の厳選無料作品が豊富!

A:先生はどうぞお先に。患者がまいってるやもしれませぬ。
B:はい。


A、Bは二人とも診療所の者です。でも、Aは患者さんの話をした時に、謙譲語の「まいる」を使いました。尊敬語の「いらっしゃる」を使うべきだと思うんですが、違うでしょうか。どなたか教えてください。お願いします。

A 回答 (8件)

JIN-仁-ですか?



現代語としては間違っていると思います。患者は客で医師はサービス業と言う見方が強いので、患者>医師ですよね?
江戸時代については、どうなのでしょう?医師は神のように、患者にとって絶対的な存在で会った場合は。。。医師>患者 で、変ではない場合もありもかも知れませんね?そもそも、「いらっしゃる」という言葉があったかもわかりません・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おっしゃるとおり「JIN-仁-」のセリフでした。はやり現代語とは違うんですね。以前も「申される」といったような表現を見たことがあります。これからも気をつけなければなりませんね。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/27 20:07

#3、6です。



この「まいる」は患者を下に見ています。
患者を下にしてはBさんを高めています。
単なる丁寧な言い方ではありません。

「患者」の代わりに、A,Bさんより偉い「院長」という言葉を入れて見ますと、

A:先生はどうぞお先に。「院長」がまいってるやもしれませぬ。

・・・となりますが、
こんな言い方は絶対にありません。
Aさんは言葉遣いを知らぬと言って嗤われます。
この場合は質問者さんの通り「いらっしゃる」を使います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/27 20:31

現代の敬語については、こちらが参考になるでしょう。


 文化庁 敬語の指針
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf …

この指針は2007年に出されたものですが、それまで「謙譲語」とひとくくりにしていたものを
使われ方を考慮して「謙譲語1」と「謙譲語2(丁重語)」の2つに分類しています。

 謙譲語1(「伺う・申し上げる」型)
  自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう
  先の人物を立てて述べるもの。
 (例) 伺う,申し上げる,お目に掛かる,差し上げる,お届けする,御案内する

 謙譲語2(丁重語)(「参る・申す」型)
  自分側の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。
 (例) 参る,申す,いたす,おる

謙譲語1も謙譲語2ももちろん自分の行為について使うのが基本なのですが、謙譲語1が
その行為が向かう相手に対する敬語であるのに対し、謙譲語2は話している相手に対する
敬語なので、若干性質が異なります。
そのような違いもあり、謙譲語2の方は、謙譲語1と違い、自分の側の行為だけでなく、
「立てなくても失礼に当たらない第三者や事物」についても使うことができます。
(上記サイトの18ページ「解説3」参照)
 (例)「向こうから子供たちが大勢参りました。」
    「あ,バスが参りました。」
    「夜も更けて参りました。」
このような用法の場合、「参る」は行為主を低める謙譲語というよりは、むしろ丁寧語に
近いニュアンスで使われていると言っていいと思います。
謙譲語2に「丁重語」という別称が与えられているのはそのせいでしょう。

ご質問の「患者が参っている」も、患者を低めて言った尊大な表現というよりも、目の前の
B先生に対する敬意を表すために丁寧な表現を使ったとみるべきだと思います。

また、日本語の敬語は、例えば韓国語のような絶対敬語ではなく、基本的には話す相手
によって使い分ける相対的なものです。
ですから、目の前に患者がいて、その人に向かって言ったのならともかく、患者のいない
場所で同僚の医師と話している会話の中で、患者に対して敬語を使わなければ失礼に
当たるということは必ずしもありません。
そのような言い方で、話している相手が不快に感じるようなら別ですが。
これは現代でも変わらないと思います。

なお、ご質問の会話文は、明らかに現代では使わない言い回しが含まれているので、
恐らく時代小説か何かからの引用だと思うのですが、このようなものにおいては、
現代語の敬語のルールは必ずしも当てはまらないことがあることも、ご注意ください。
例えば、「参る」「申す」などはどちらも上記の「謙譲語2」に当たりますが、時代劇など
では、しばしば「参られる」「申される」などのように、尊敬表現と組み合わせて用いられ
たりします。
ですから、これらの語が行為者を低める謙譲語であるという感覚は、現代語ほど
はっきりしないと思った方がいいかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧なご回答いただいてありがとうございます。
大変参考になりました!

お礼日時:2011/07/27 20:27

#3です。



たしかに「まいる」には、次のような使い方があります。

1 負ける。降参する。「どうだ、―・ったか」
2 閉口する。よわる。困る。「今年の暑さには―・った」
3 死ぬ。やや、卑しめて言う。「とうとうあいつも―・ったか」
4 異性などに心を奪われる。「彼女に―・っている」

いずれも、当時は下品な言い方で、明治のインテリ階級は使いません。

>A:先生はどうぞお先に。患者がまいってるやもしれませぬ。

このセリフはインテリの男性のていねいな言い方です。

「参っている」を「へばっている」の意味にすると、台詞の格調と合いません。
明治の時代の医者が患者を下に見ている会話なんですね。
病院では今でもその名残はありますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再びのご返事ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2011/07/27 20:25

先の回答者のみなさんは、「まいっている」について、「来る」「行く」の献上表現と受け取っていらっしゃるようですが、元の文章の前後関係はそれでつじつまがあっているのでしょうか。



小生は、「患者がまいってるやもしれませぬ」という一文を見て、「患者さんが、弱ってしまっている、へたばってしまっている」という意味に取りました。

「患者さんが、弱ってしまって難儀しているかもしれませんから、先生、どうぞお先に」というふうに読めば、全く違和感なく読めるのですが如何でしょうか。

元の文章(小説?漫画?)を読んでいないので、全く的外れな回答かもしれませんが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そういう意味に取るのも可能ですね。しかし残念ながら、ドラマの中にそういう患者は出なかったので外れたと思います。私がもっと前後のセリフを出したらよかったですね。ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2011/07/27 20:23

現代だったら、「患者さんが、来ていらっしゃるかも知れません。

」とどこの病院でもクリニックでも
云っています。この時代は医者は特別なエリートで患者を診察してやるという姿勢だったのです。
時代によって立場が変わってきたのです。いまも勘違いしている医者は多少いますけどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。時代によって言葉遣いも変わっているんですね。現代語のルールで昔の言葉を見ては駄目だと思います。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/27 20:14

明治時代の会話だと、こういうことはあり得ます。


医者は威張っていました。
医者は患者より身分が上と思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2011/07/27 20:10

当然いらっしゃるを使うべきでしょう。


あと おみえになるも良いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/07/27 20:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!