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 なぜ生きないのでしょう?




 感性か何かがちがっているのでしょうか?
 
 もしそうだとして マ(間・間合い)がちがって来ているので 感性が違う働き方をするのではないか?
 環境や情況から このマを見失わされたというような経験が原因にあるのではないか?

 よく分かりませんので おしえてください。

A 回答 (54件中1~10件)

苦の消去の理由を意識が感性に求めているように思われます。


それは同時に、意識が感性を捨て去ろうとしている姿でもあるようです。
意志によって判断されるべきものを与える感性の働きを、意志そのものが捨て去ろうとするのは苦の認識によるものです。

休みなく苦の認識の基となる情報を送りつづける感性の働きを遮断することによって、外界を変化させること無く、苦の消去を計ろうとするものです。

意志が感性の働きを捨てようとする事は、肉体における諸感覚や、それらに付随した直観の働きも含めた全てを捨て去ろうとする事です。

苦の消去を肉体の消去によって計ろうとしても、中々実現しずらいのは、直観の働きを意志が消去できないところにあると思われます。
感覚を通さずにもたらされる情報が、意志による苦や肉体の消去を押し留めているようにも見えます。
いわゆる「葛藤」です。
意識における正解が、意識でないものに否定される、という人間らしさでもあります。
生を否定して、苦の消滅を計ろうとするのも人間らしさですし、それが中々出来ないのも人間らしさです。

感性が訴えかけてくるものは、意識へのSOSだけではなく、外界への変革の可能性も含めたものであるように思います。

以上から言えるのは、生に対する意識の関与には限界があり、意識自体の持つ領域に納めようとするところに破綻をきたす、という事です。

苦の消去において意識のみが正解を持つという執着が、生きる事を妨げているように思われます。

以上思いつくままに書いてみました。
ご参考になさってください。
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この回答へのお礼

 おおーっ。とまづは雄たけびを挙げまして。

 へたのすけさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 もっとも偏屈になってあるいは自己中心主義になって言うとすれば 質問者のかんたんに述べた趣旨と案外同じ軌道の上にあるご見解であるかと思いました。

 ○ 人とのあるいは漠然ととしては社会との間合いをどのように取るかで戸惑っている。
 
 ○ あるいはつまり その間合いをもはや取らないようにするのはいかにすべきか これを暗中模索している。

 ☆ このような七転八倒の姿を 心的現象として深く掘り下げて 片や感覚および意識 そして片やそれらに対するにむしろ意識や或る意味で意志をも超えたところにはたらく直観 これらの言わば絡み合って作用するところを明らかにしたご見解であると思います。

 ★ 意識における正解が、意識でないものに否定される、という人間らしさでもあります。
 ☆ 直観のほうがつよい。有効である。このあたりが 表現としてもいいですね。

 もしもっと大胆に質問者の特権(もしくは出しゃばり)において展開してしまうなら こうなりましょうか。

 ○ 生きないでいたいというのは感覚でありその意識でありおそらくそういう――マイナスのだが――意志でもあると考えられる。

 ○ それに対して これをどこからかひっくり返すところの力。これは――意識に上がったときには直観なのだと思われるが―― したがって意識を超えているばかりではなく 人間の意志をも超えてはたらく源泉としての意志のようなものである。

 ○ のであって この源泉としての力――意識しうる意志の・見えず意識し得ない裏打ちのような力―― これを直観するときには すでに消えていると言いますか すでに作用をし終えて 人を生きる道に乗せ戻している。

 ☆ このまとめは 次の結論を解釈して得たものです。
 ★ 以上から言えるのは、生に対する意識の関与には限界があり、意識自体の持つ領域に納めようとするところに破綻をきたす、という事です。
 
 ☆ この
 ★ 意識自体の持つ領域に納めようとするところに破綻をきたす、という事
 ☆ については わたしの文章では触れていませんので 是非その種の疑問質問に向かい合うときには 考えに入れて欲しいところだと 質問者ながら 思います。

 あるいは 《苦》の主題についても質問者は触れていませんので へたのすけさんのご文章に就いて検討されることを みなさんにおすすめしたいと思います。

 ★ 感性が訴えかけてくるものは、意識へのSOSだけではなく、外界への変革の可能性も含めたものであるように思います。
 ☆ ここは読み解きにくいように思いますが こうでしょうか?

 ○ 感性がうったえかけてくる場合 ふたつあると思われる。それらはどうやら筋が違ったところに起きるようだ。

 ○ ひとつにそのまま 感覚そのものの心的現象として辛さや苦しみがある。

 ○ もうひとつに上に直観として触れていたときの・源泉としての 意志以前の意志 これがはたらいて《外界への変革の可能性》を語るかのようにうったえる場合。

 ○ そしてこの場合には うったえた時点ですでにかまたは同時に むしろ自己を変革し終えていて外界との間合いの取り方を元に戻した恰好となっている。

 ☆ こう解釈しました。

 以上勇み足をおそれずに大胆に解釈しましたので 審査していただければさいわいです。
 あと 内面における葛藤といったコトについて触れそびれています。苦手です。

お礼日時:2011/08/14 23:12

こんばんは、bragelonneさん。




荒らしとみなすって…たしかに引き出してとは言いましたけど、座礁しちゃいませんて。海難事故。海の上でのレスキューといえば…〝海猿″。洒落たことを、まあ、「海猿」第4弾の撮影ロケ御一行神戸にやって来てはいますがね。しかし、そのまえの「もういいよ」って、何ですの?かくれんぼですか?ふつうに「また明日」といえばいいのに。やいこしいわー。

「にんげんっていいな」
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/n …

そやしね、荒らしとみなすっていいはりますけど、どこをどうみたらあたしが男の子に見えます?失敬なはなしやで、正真正銘女の子ですよ。ホントにもうー、ムーミンじゃないってば、ムーミン物語でいえばノンノン若しくはフローレンてところですかね。

【ムーミン公式サイト】
http://www.moomin.co.jp/index.html
http://www.moomin.co.jp/data/chara01.html

底引き網業…「もういいよ」ヨッシャ!巻いて巻いて
いとまきまき いとまきまきひいてひいて トントントン♪♪♪

「いとまきのうた」
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/i …

【楽しいムーミン一家 第1話】

【北欧神話入門】
http://homepage3.nifty.com/ryuota/norse.html




【道州制ってどうよ?】
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/2008110 …

よくわかんないなぁー
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【きらめく生の証 ~分子からの手紙~】


http://www.nikon.co.jp/channel/light/chap04/sec0 …

【光と分子】
http://www.chem.s.u-tokyo.ac.jp/users/struct/inv …
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この回答へのお礼

 荒らしと見なします。

お礼日時:2011/10/26 21:39

こんばんは、bragelonneさん。





ごめん。

頭に金融の二文字がべたーっと張り付いて、

 ★ (回答No.41) 失楽園 / 『1.楽園出奔:内部と外部の亀裂』
 ☆ → No.41補足欄に批評を書きました。

 ▲ (回答No.31) 藤田 一美:「実存の藝術としての<Tragische Philosophie> -ニーチェとアリストテレス-」
 ☆ → No.32補足欄にお応えとしての批評あり。

 ▲ (回答No.34) 萩原朔太郎:詩の原理
 ☆ → No.34補足欄に応答あり。

書いてもらったの読んでるんだけど、意識が「金融」に流れちゃう、いまは。

自由でない資本主義もありうるとか… 頭ン中ごちゃごちゃ 整理できてない

民主主義と社会主義がぐるぐるまわる

うまく言葉にできない… ちょい引き出して、
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この回答へのお礼

 ご投稿をありがとうございます。


 でももういいよ。

お礼日時:2011/10/24 22:12

よっしゃ!充電完了―☆



●慢性結膜炎に角膜炎が何度も再発

もしや、コンタクトを使用されてますか?

眼鏡にかえてみてはどうですか?

【漢方薬】
http://www.kotono8.com/2009/11/30kanpou-hoken.html
【漢方革命】
http://www.seihouen.ne.jp/newpage-kanpo-kakumei. …
【抗がん剤治療】
http://www.kenko-msnet.jp/koganzaichiryo.html



順列と組合せ
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この回答へのお礼

 ご投稿をありがとうございます。


 ★ (回答No.41) 失楽園 / 『1.楽園出奔:内部と外部の亀裂』
 ☆ → No.41補足欄に批評を書きました。

 ▲ (回答No.31) 藤田 一美:「実存の藝術としての<Tragische Philosophie> -ニーチェとアリストテレス-」
 ☆ → No.32補足欄にお応えとしての批評あり。

 ▲ (回答No.34) 萩原朔太郎:詩の原理
 ☆ → No.34補足欄に応答あり。

お礼日時:2011/10/23 12:42

【 解体新書、雑感 】


http://homepage3.nifty.com/yoshihito/kaitai.htm
【 西野カナ/会えなくても 】


週末まで時間下さい。極度の睡眠不足。回復までに3日を要す。
のちほど。
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慢性結膜炎に角膜炎が何度も再発



さすがにもう挫けた。

水虫も治らないのかずっと通院しているし

頻尿で一時間に一度は尿意が起きるし
お腹も弱いし

体は冷えるし

各種トラウマに襲われるしなにもできないし

さすがにもう生命を維持するのに疲れた。生きるのにストレス。

バス代が値上がりしたことを忘れるミスをしたり、風邪で熱があって朦朧としてたとき薬局で支払いを素通りしそうなミスして店員に睨まれたり、モノを落として壊してしまったり、列に割り込まれただのなんだのいちゃもんつけられたり、行動もマヌケだしもうなんだかなんか言葉もない。 苦痛だよ。
しかもこうやってネットに書いて救えないよ
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この回答へのお礼

 お早うございます。

 話がつづくようになって よかったと思います。


 もしわたくしの考えをもろに出してよいとしたら こうです。

 人間として・また人間にとって 存在は とうとく まもるべき善であり 生きること自体が 善だと思います。
 ただし―― 一般にはどうであるか知らないのですが と言いますか 一般論をいま敢えて別にするのですが―― この《生き動き存在する人間》は 実際には 《何々をしこれこれのように生きるわたし》であるというのが 相場です。というひとつの見方・生き方をかかげます。(相場と言うからには 一般論だとわたし自身は 思っているということですが)。

 つまり 生きるのは からだの健康を回復してから やおらそうするというのでは必ずしもなく 何かをおれはおれの流儀でやるのだと決め実際にし始めることだと考えるのです。健康は あとからついて来る。あるいは ついて来なくても やる。そういうものだと思っています。

 どうしても休まねばならない場合は 休みます。



 きついですかね。

お礼日時:2011/10/18 10:09

体のあちこちがどんどん不調で死ぬより悲惨なことになりそうです。

腰までつらくなった。後頭部もつらい
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この回答へのお礼

 医者は どう言ってるんですか?

 わたしには 励ましの言葉しかないのですよ。

 それでよければ 尽きるまで書き込みますが。


 わたしも けっこうつらかった。
 きょう 一服しました。おかげで。
 しかも 申し訳ないことに
 あなたと逆に やっとよくなろうかというまでになりました。
 異端児・反逆児として長年生きてきたから ハイテンションなんです。
 批判をせずにはおかないという性質になって来ています。
 どうなんでしょう この一年くらいをながめてみれば 少し ほんの少しおだやかになりましたかねぇ。
 おかしなことに このここでのやり取りをおこなうときは どういうわけか 元気になって 書き込むことも出来ます。

 何にもしてやれないなぁ。
 どんでん返しといったことも 安易には言い出せなくなってしまった。

 暗くなっちゃった。



 逆療法:思いきって歩いてみる。歩きがからだに調子を取り戻すかも知れない。ベースになるかも知れない。

お礼日時:2011/10/17 22:58

チェリーブロッサムとは違う同級生で勘違いメールや失礼な言動をしてしまい、もう止めてください迷惑です。

とはっきり返答され、同窓会に行くのは止めようと決意したことが思い出されるとどうして一方的メールをしておきながら断ったあいてに…普通断る…失礼だなんて逆ギレしたり、なんどもメールしてしまったんだろう
覆水盆に帰らず
赦されたいと思うけどもう関わらないことでしか赦されないだろうし下手に関わったら迷惑防止なんたらに引っかかるかもしれないし
だからひたすら放置…記憶から消える日まで…とか深夜に考えると、なるほど生きる気力は減るなあと…
ポストチェリーブロッサム なんて考えたのも間違いだったし私って自分が思っている以上に人に嫌われているな、と…
どうでもいい人に誘われるのはウザくてしかたないのになんどもしつこいと怒るのは当然だしこの場で謝ります。
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この回答へのお礼

 おいおい ざんげの連祷かい。

 罪深さは それほど程度の違いが人びとのあいだにあるとも思えません。立派さも どっこいどっこいであり それと あまり変わりません。

 受けた迷惑やそれの取り扱い(つまり 何らかのかたちで心の中または表面に引っかかった場合 それの処理)に関して 当事者は けっこう悩みます。という一面も確かにあります。上のように相対性理論を持ち出すとは言うものの です。

 考え行動すべきことは ただひとつ。うしろにあるものを忘れ まえにあるものごとに きちんと向き合う。
 ふるき人を脱ぎ あたらしき人を着よ。


 ただし確かに そのどんでん返しの起きるには 人によってでしょうが 最悪のばあい イエスの事件のようになるかも分かりません。《わが神 わが神 なにゆえわれを見捨てたまいしや》と叫ばなければならないほどの究極の事態に落ち入る事件を通過しなければ あたらしき人を着ることが出来ないというような です。






 しかし ポスト・ポストチェリをすでに探しているとは きみも 隅に置けんなぁ。




 竹を割ったような〔性格 がむつかしければ その時々の〕振る舞いで行くといいよ。



 わたくしは 冷酷( sans coeur )と言われることがあるので そのぶん割り引いて話を聞いておいてください。

お礼日時:2011/10/17 10:14

今日は今日でトラウマの蘇り。

教授にずいぶん失礼なこと、無礼なこと、迷惑なことをかけてしまった。
この場で…申し訳ありません
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この回答へのお礼

 お早う。


 教授って おれのこと? ひどっちさんか? 
 あっ ほかにも 立派な面々がおられる。

 



 もし過去のあやまちを思い出しわびるのなら たとえば 先輩! まだまだこれからも迷惑をおかけしますから 覚悟していてください とか何とか しゃれてみてくれたまえぞかし。


 ご投稿をありがとう。

お礼日時:2011/10/16 11:20
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