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「昔々あるところに」の決まり文句から始まるような、いわゆる昔話の由来を知りませんが、昔話というくらいですからあまり近代の作ではないのでしょう。それとも「昔」の話なので昔話なのか?

仮に、かなり昔から「昔話」が語られていたとしますと、そのはじまりは「昔々」とは言っても、その語られた時点とあまり風俗的環境的な差がないと考えられます。極論すれば、縄文時代にそれが語られたとすると、1000年前のことだろうが、「今」と何も変わっていないわけです。

つまり、古代人の心には、発展性という概念はごくなかった、1年周期の春夏秋冬の永劫繰り返ししかなかったでしょう。あるいは、拡大解釈すれば、江戸時代人でさえ、ほとんどジェネレーションギャップのような、身近にいる人間の世代間による環境的発展はなかった、100年前だって、お役人の治世は違うでしょうが、生活上意識できるような差はなかっただろうということです。

問題は、この「昔話」が現在捉えられるように「昔々」と始まることで、「今とは違う穏やかで原始的で素朴な時代」という意識を喚起するために始めるようなことが有効なような時代、それはいつから始まったのでしょうか?

維新からでしょうか?

A 回答 (5件)

「昔々あるところに」の決まり文句の由来については、柳田國男が徹底的に論いておりますので、それを参考にして下さい。



質問者さんの認識の仕方に決定的な間違いがあると思いますので、それに関して先ず一言。たとえば、「1000年前のことだろうが、『今』と何も変わっていないわけです。」と言う状況を考えてみましょう。そんな状況でも、人間は誰でも世の中の進歩を実感として感じるものです。このことは論理的に一見矛盾しているようですが、その矛盾を指摘する前に質問者さんも自分が子供だったり思春期だったりした頃を思い出して下さい。その頃は日々世の中がどんどん変わって、とても早く進歩していたと見えていたはずです。何故なら、その頃は質問者さんの経験も知識や智慧もまだまだ未熟で、外界から今まで知らなかったことがどんどん流れ込んで来る時期だったからです。たとえ世の中が前と完全に同じでも、子供の頭の中はどんどん変わって行きます。ですから、車の中から外を眺めているのと同じように、外は動いていないのに、自分から見て外が動いているように見えます。ですから、どんな時代にでも若者から見れば世の中が激しく進歩しているように見えます。一方、どんな時代でも十分経験と思索をして来た成人には、世の中は余り進歩していないように見えるのです。このように未熟な者にとっては世の中はどんどん変わっているのですから、この未熟な者達にはどんな時代でも「昔」という言葉に生き生きとした実感があります。

もう一言。失礼な言い方になってしまいますが、質問者さんは日本のことについてほとんど知らない方だとの印象を受けました。日本に綿が普及したのは江戸時代以降からです。それ以前の日本人は、ほとんどの場合ゴワゴワした麻で作られていた服を来ていました。また、綿がないのですから布団も在りませんでした。地方によっては、例えば東北の一角のように、明治以降にも部屋の隅においた藁屑を入れた等身大の箱の中で藁屑の中に潜って寝ていたという記録が残っています。家に障子ができて昼の家の中を明るくしたのは、やはり中世以降江戸時代になってからです。また、夜の明かりは昔は、松明、油皿、蝋燭と進化して来ました。油皿の油は平安から中世にかけて魚油が主流だったのですが、江戸時代に菜種を栽培するようになって、匂いの少ない菜種油が普及したのは大変化だと思います。家の屋根だって、はじめは傾斜のゆるい茅葺き屋根だったのですが、茅地を田んぼしたために茅が不足するようになり、茅の代わりに藁葺き屋根にするようになったのですが、雨で腐り易い藁葺き屋根を長持ちさせるために、屋根の傾斜を急にして水切りを良くしたため、中世以前と以降で、田舎の風景が一変してしまいました。昔は竃中心だったため、大家族で食事をしていましたが、七輪の普及は小家族化を促進しました。江戸時代以降大豆を田んぼの畦に植えることが普及いし、味噌、醤油、豆腐がそれ以前とは桁違いに庶民の間に普及するようになりました。石臼の目を立てる専門家の出現で石臼が普及し、団子のみならず、粉をベースにした料理の普及は食生活を一変させました。木地師あるいは轆轤師と呼ばれた志賀の小椋一族の全国への拡散は、柄杓や椀を普及させ、庶民の実生活が随分変わりました。応仁の乱以降の槍の普及は、少量の鉄で多くの武器を作ることが出来るため、一夜にして百姓を兵隊として使えるようになり、それ以前の太刀や弓での専門家による戦争の形を一変させました。火の起こし方も、マッチを輸入する直前の日本では火打と火口の進歩で、数十秒で火を起こせるようになっていました。今でもどんどん流行語が変わりますが、そんなことは平安時代の京の都でもとっくに経験していたことです。日本中子供達がいる限り、どんどん新しい言葉を発明したり都会から輸入したりして、親達の使っている言葉を古臭いものにしていました。質問者さんが知らないだけで、いつの時代でも世の中めまぐるしく変化していたのですよ。
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この回答へのお礼

人間の習性として、「昔とは違う!」という感覚はあるのかもしれませんね。たとえ、少しも違っていなくても。そうでなければ、人間の発展性というものは不可能だったのかもしれません。幻想が現実になってきたのは、産業革命から顕著です。それに、おっしゃるように、世代によって世の中の見え方も変わります。
昔の世にも、それなりに違った種類の移り変わりがあった、この考えは非常に新鮮です。とても勉強になります。

お礼日時:2008/11/26 09:30

#4です。


そこでは相当辛辣なことを書きましたが、勢いに乗じて書き忘れたもう一つの辛辣を書いておきます。

思索好きだが未熟な若者のする共通した誤解は、自分の生きている時代だけが特別で違った時代だと思い込むことです。

どうです、今までの質問者さんからの質問を見て、普段から思索好きと御見受けした質問者さんにも役に立つコメントでしょう?
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この回答へのお礼

私はかなり総体的に時代を考えていたと思っているのですが。ただ、昔の感覚を少しでも実感しろといわれても、非常に難しいです。敗戦直後切腹した人がそう驚かれなかったが、20年たったらもう奇特なことになった。あるいは、帝国主義時代の弱肉強食などモラル内だったとか。

いろいろと想像には限度があるゆえに、「この時代」を特別に考える傾向が人類全体にあるんでしょうか。

お礼日時:2008/11/26 09:33

「昔話」の定義、についてですが、


似通った感じで、「民話」「お伽話」「伝説」と言ったものも有りますね。
これらは、「作者不詳」「成立年不詳」の物語、ですよね。
それらの中で、「以前起こった事」と言う「過程/設定で」語られる物語が「昔話」だと定義出来るのでは?と思います。

また、これらの物語は、「誰かの意図」「伝えたい事」と言う「明確な目的を持たない物語」だと思います。
只「自然発生的に生まれ」、「口承で伝わり」、文字を持たない物語、として長らく存在して来た筈です。
現在見られる「文学」とは異なり、「文字に言葉(物語)が籠る」では無く、「言葉(物語)そのものが文字の姿を「借りて」形取る」と言った感じだと思います。

>「昔々」とは言っても、その語られた時点とあまり風俗的環境的な差がないと考えられます。
>ほとんどジェネレーションギャップのような、身近にいる人間の世代間による環境的発展はなかった、
>生活上意識できるような差はなかっただろうということです。

これらの文章は、
昔は今程「時代の変化」がはっきりせず、早くなく、気付かない程ゆっくりだった、と言う事でよろしいでしょうか?

この私の理解の前提の上で、
>つまり、古代人の心には、発展性という概念はごくなかった、

と「結論づける」のは、(私の感覚では)「ちょっと違う気がする」のです。^^(申し訳ありません!)

「時代の変化」は気付かない程ゆっくり、だったかも知れませんが、
「命の変化(世代交代)」は、今と比べて遥かに早く、激しかった、と思うのです。
今でこそ、「老人」と言えば七十、八十かも知れませんが、源氏物語等を読むと、三十歳を超えると「老人扱い」と言った感じです。

「世代間の環境的発展」の意識より、遥かに大きく重く、「世代交代そのもの」が感じ取れる時代だった、と考えられます。
なので、春夏秋冬を「繰り返し」と捉えていた(=発展性と言う概念を持たなかった)からと言って、
>「今」と何も変わっていない
=「昔」と言う概念/感覚が無かったとは、私には考えられません。

よって、
古代であろうと、「昔」と言う概念(感覚?)は今と変わらず存在した、と思うのです。
もしかすると、「命の変化(世代交代)」が著実に感じられる時代は、「昔」と言う感覚が「今よりも何倍も強かった」かも知れない、とさえ私は考えます。

更に言えば、(何だかケチをつけているようで申し訳ないのですが)
>「今とは違う穏やかで原始的で素朴な時代」という意識

も「有ったかどうか、疑わしい」と思います。(ごめんなさい!)
当時、「昔」は今よりもっと「生きる事が厳しい時代」だったのではないでしょうか?

もしも、garcon2000様が、「今とは違う穏やかで原始的で素朴な時代」の昔話、を想定なさっているのならば、それは、

>いわゆる昔話の由来を知りませんが、

と言うような、「作者不詳」「成立年不詳」と言った「本物の昔話」では無く、「(昔話の形式を借りた)文字に頼る文学」だと考えられるのではないでしょうか?


本当に、申し訳ありません!
私は、本格的な知識が有る者では無く、只「物語」や「言葉」と言ったものに、強く惹かれて興味を持っているだけ、の者です。
そして、三人の小さなこども達を見守る日々の中で、「命の流れ方」「時間の流れ方」と言ったものを強く大きく感じているだけ、の者です。
そんな私のアンテナにgarcon2000様のこのご質問が引っかかり、私にはご質問の「前提条件」が少し疑問に感じましたので、このような回答になってしまいました。
でも、主題である「時間の感覚/捉え方」って、私にはとても興味深い事柄で、素敵な質問だなあ、と思っております。
この回答が、「無知な私の勘違い」等でありましたら、どうぞ遠慮なく読み捨ててくださいませ。
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この回答へのお礼

今と昔は、その着目点がちがっても、やはり、過去は過去、今は今の再が感じられながら生きたということらしいですね。だから、昔々という言い方には、インパクトが存在するのかもしれません。ただ、今とは違ったインパクトです。新しい視点を気づかせていただきました。

お礼日時:2008/11/26 09:26

 昔々あるところにね、というお話は、70年前の私たちの子どものころもありましたし、昔々という高座名の噺家もいましたね。


 今は昔、で始まるものも、今も意外と唸らせてくれますね。
 
 人は関心のあることを、あるいはいろんなことを関心にしたがって、想起し、或いは意識し、関心していく。
 そして紡ぐ。そういう機能性質からのことなのでしょうね。
 多分そういう意味では、縄文やその前のことを話されても、またはそういう方が今おいでになって、お話されても、自分の意識の範囲でお伺いするのでしょうね。
 そして昔も今も、人や人の心、本質は変わらないなぁなどと感想を持つかもしれませんね。
 私自身は縄文の前の昔昔、またその昔も、そして人の誕生以前も、人のありようの基本は続いているとは思います。
 その外装は違ってきても。そういうことで共感をするのかもしれないと存じます。
 
 ☆それはいつから始まったのでしょうか?
 ですが。孔子が改革者かどうかは別にして、模範型はやはり今は昔、と前々代の理想的王政を置いて、自分の政治理念の説得性材料としております。いろんな聖典もそうやってきております。
 二百数十年前のマルクス・レーニンは新たな科学的社会主義という革命理論なのかも知れませんが、そういう新たな事へ移行するのは理論構成が困難であり、前提とフィクションが入ります。
 人が何かを主張するとき、過去の理想化をして、語るのが賢明です。
 そういうわけで、文明はともかく、文化は常に過去を理想化して、現在を批判し、理念・理想を主張し、過去に回帰するという仕方で、展開してきました。
 多くの宗教書も、神や聖者に帰ることを、手本にすることを教えます。今はそれから堕落してきたのだと。
 だから、仰せの時期は人類が団体生活をし始めたとき。といえると存じます。リーダーが出てきたときです。
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この回答へのお礼

過去からの流れを現在未来系に連続させるという本能的精神があるのでしょう。よくしりませんが、マルクスレーニン主義は革新的なのかもしれませんね。

お礼日時:2008/11/26 09:23

以下は日本最古の物語とされる竹取物語の書き出しです。


『今は昔、竹取の翁といふものありけり。 野山にまじりて竹をとりつつ~』
つまり、日本文学はその成立の時点ですでに『昔話』を基準としていた
こととなります。その後の今昔物語集のような説話集も
同様のスタイルを取っています。



これは何故か?
私見ですが、これは何も世界の普遍性のような哲学命題ではなく
単純に作者の『気遣い』なのではないでしょうか。
古典時代~中世の文学の作者は政治中枢に携わる立場の人間である一方、
説話集は政治がらみの抽象表現による物語構成であることが多く
ともすれば近しい人への悪口であるとられてしまう可能性もあるわけです。


平たく言うと『今の話じゃないよ、今話題のあの人の悪口じゃないよ。』という
言いわけに過ぎないのではないか?と思います。
ただこの解釈だと、『昔々とは永劫回帰を規定した哲学上の概念だったんだよ!』
のような、カッコのよい話じゃなくなっちゃいますけどね。






以下は余談です。現代の日本人が『むかしむかし』という
フレーズに慣れ親しんでいるのは、TV放映されたアニメ『日本むかしばなし』の
影響が強いと思います。(もちろん世代によるでしょうが)
私は20年以上前のこの番組を絵本化したもの(ソノシート付き)を
何故か持っているのですが、そこに興味深い解説が書かれていました。

その定義によると『むかし』一つで200~300年前と規定していたようです。
むかし(300年前)は江戸時代、むかしむかし(600年前)は室町・春秋戦国
むかーしむかし、そのまたむかし(900年前)は平安末期から鎌倉への移行期、
つまり竹取物語や今昔物語の時代と重なります。
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この回答へのお礼

たいへんよくわかりました。
特定の人物への抽象表現じゃないよ!というのが、昔の文学における条件だったのかもしれませんね。そうすると、未来というわけにはなかなか行かないので、とりあえず過去にするということで、条件を満たします。考えすぎましたかね。

アニメについてはまた私も刷り込みがあります。でも、その昔々が600年前とは知りませんでした(笑)ハイパー昔というのがあったら縄文とかその文明化政治化以前のときだよとなりそうです。

お礼日時:2008/11/22 09:05

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