

No.15
- 回答日時:
考えだすと、イライラしたり、落ち着いたり、感情が定まらないですね。
こういう話をすると、恋愛カテゴリになると思いますが、
どうしても、支離滅裂な自分から、理論的に考えたいんです。
自尊心は傷つくけど、相手も傷つく。
傷つきたくないから、何とかごまかして、生活をしているけど、何もする事がなくなったら、
虚無感しか残らない。
安定した生活をしないといけないだろうし、他を見て
安定した生活を送っても、何のために生きているのかわからなくなると思いますし、
もし子供が産まれたとして、そんな自分を見せて育てる。
汚いドロドロしたものに、自分がなっているんじゃないかと言う不安感が
根底にあって、あらゆるものに自信がなくなる。
すみません、このように話しているだけでも、自分の頭の中が見えます。
無理矢理、人の言う幸せの道に行って、産まれてきた意味は何だろうと考えてしまいます。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。
わたしのところに来なさいと言った人がいますが それは こう表わされています。
▲ (マタイによる福音書11:28-29) ~~~
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
~~~~~~
☆ つまり 《くびきを負い 荷を背負う》ということはあると言っています。
いまの段階でこういうことを言っていいかどうか迷いますが わたしの考えでは こうも思います。
人間の努力はこれを出来るところまでおこないますが それだけによっては ついぞ求めるところに到達することは出来ないのだと。
われわれはそれぞれ 自分の心を思うように制御し管理しうるか?
そうして 言えると思われることは 無神論をとなえる場合にも人は 自分の心をその《無い神》にゆだねているのだと。
人間の力としての理性 これはそのように考えるということでその科学の力によっても 世界を明るくしてくれます。ひょっとしてわたしの心の中の闇を照らしてさえくれるかも知れません。
ただ たぶん その心の燈心に火をともしてくれるかは分かりません。
科学が・つまりあるいは 自分の心とその力が 自分の心をちいさな光とすることができるかは 分かりません。
わたしの見るところでは 科学を超えた《無い神》が わたしの心を小さな太陽にしてくれる。こう思います。
今回は 雲をつかむ話でした。

No.13
- 回答日時:
いえ、お付き合いいただいて、ありがとうございます。
自分がそういう風にふとしたタイミングで
恨みのような思考を持っている事がとても嫌で。
自分の中に汚い水が流れているような。
何度も相手も言われるのも嫌だろうなと思うけど、
汚いものがなくならない。
今は、相手の美しい感情に、色々なものを感じます。
そういう風に言葉を分けて、使う。
なるほど、綺麗な括りですね。
わかりやすいです。
そういう括りがわかる事が、
賢さだろうなと感じます。
何言ってんだよという反応が出て来たところ いや 待てよ おれも若いころは・・・と思い直すところがありましたが――またたびさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。―― ひとつ違いがあったとしたら そうですね わたしの場合そのように反発を感じ疑いを持ったなら まづそのこと自体を 相手にぶつけていたかも知れません。
ただちにそのようにぶつけることもかなわないときには 一たんタンマを入れていたでしょうかねぇ。
ううむ。
だとすると この際うらみつらみを全部 わたしに対してなら大丈夫ですから――ここでいやというほど言わゆる荒らしに遭い(いまも 一つふたつ 別の質問をもうけて その荒らしがあります) もう誰が見ても海千山千(わるいニュアンスのことばですが)ですから―― 吐き出してもらってもかまいませんし。
かく言うわたしにしても いくらかはそういう吐き出しをここでして来たかも知れません。(意図してはしていなかったつもりですが)。それに元気を出せと言ってくれる投稿者もいますしね。
ただしコトはプライヱ゛ートなことですから どこまで表わせるか それは分かりません。
《Q:ダヰデに何が起こったか?》の参加者のおねえさんは そんな話し合い(相談)は得意なようですよ。
いづれにしましても まづはデ―ンとかまえて 何でもいいでしょうから進めて行けるといいでしょうね。
昔むかし わたしの同僚のあいだで こういう話をしていました。
A くんは 自分について話をするとき だいたい自尊心もプライドも強く二割増しでよく言っている。(中身が 実際の120%のよさに成っている。ハッタリだという意味にもなる)。
B くんは逆に何ごとも控えめで 二割引きで自分のことを話している。
それにくらべると どうも C くん(=わたしのことです)は 自慢したりしない代わりに謙遜ということも知らないかのように 自分のよさについてそのまま(100%のまま)吹聴しているよ。(何とバカな! というニュアンスがふくまれている)。
どうでしょう。

No.12
- 回答日時:
無理矢理回答に追い込んで、申し訳ございません。
書いているうちに だんだん許せなくなり、止まりませんでした。
普段の会話でも、この様な事〈巻き込む〉をしているかもしれないなと
反省いたしました。
話の論点がズレていくから、結局解決していないのだなと。
今迄、気がつきませんでしたが、論点をズラさず
会話を戻しながら、感情的になられないので、わかりました。
ですが、いただいた回答は少し難し過ぎました。
問題を哲学的に、高尚に自分の中で収めるとしたら、どのように考えたらよいと思われますか?
いえ それほど突飛ではありませんでした。その日は天気予報が雨だったものですから 早く図書館へ行っておきたかったのです。
またたびさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
そうですね。
○ スサノヲ人間語とアマテラス抽象普遍語
☆ について捉えようとしてみてはどうでしょうか。
○ 《わたくし》と《おほやけ(タテマエ)》
☆ ですから たとえば 菅直人らの政治家にしても 芸能人にしても 誰かれにしても その言動がそれぞれどれだけギャップがあるか無いか。そういった見方で捉えてみてはどうでしょうか。誰でもいいわけです。自分自身でもいいでしょうし。
公共の職務についている人たちは あまりスサノヲ語を話さないわけですが さりとてアマテラス公共語だけでは 人間語が聞きたいとも思います。タレントは むしろ公共の場にいても スサノヲ語でしゃべっていますが でも昔はひととおり無難な内容のことを話していた時期もあります。NHK は スサノヲ語を アマテラス語の雰囲気に包んで使っているように見えます。
あぁ 《高尚》にはならなかったですね。
でも このような基礎から自分で高尚な認識のほうへ進んで行きたいと わたしも思います。どうでしょう。
あまり書けなかったですね。焦点がずれてしまいましたか?

No.11
- 回答日時:
ありがとうございます。
はじめてですね。まともに考えられた方は。
問題は、ストーカーだと言われたら、自尊心が傷つけられるので
やめて下さいに対し、言った過去に傷つくから言うな。撤回はしない。
私が心の傷を癒さないといけないとおかしな事になっています。
そういう事については、どう思われますか?
相手を責めたいのではなく、犯罪者のままにするのはやめて下さいと
言っても撤回はありません。
哲学的に、どのように考えたら、良いと客観的に思われますか?
思考が犯罪者のままにされて、何故私は幸せになろうとすると、
キレられるのか理解出来ないのです。
この回答への補足
お礼欄にかんするおぎないや見直しは それほどなかったようです。
★ 上昇志向
☆ にも いくつかの種類があると考えられます。
おっしゃっていた視野を広くし経験を積むといったふつうの向上心のものがあります。
そして 出世志向のごとく上に向かう動きもありましょう。
そしてそれは アマテラス公民となる場合と スサノヲ市民圏つまりいわゆる民間での出世の場合とがあるようです。
もっぱらアマテラス公民になるという場合を アマアガリ志向と呼びました。
そしてその中で アマテラス抽象普遍語を駆使するようになると見るのですが 特にはマチガイを犯さないというアマテラス人間像を目指す場合には そのアマテラス人格語をただ上辺に着るだけとなりがちであることから アマテラス・シンドロームと呼んでいます。
ウラオモテあるいはタテマエとホンネのギャップが大きくなる場合です。
スサノヲ人間語を基礎として アマテラス人格語を身につけること これがいちばんの理想ですが なかなかむつかしいと考えます。ウワベを短い時間において飾ることに成功するよりは あやまちうるスサノヲ人間語を少しづつ練り上げ磨き上げていくほうがよいかと思います。
ご回答をありがとうございます。
★ ・・・おかしな事になっています。
☆ 取り敢えず考えに浮かぶことは 《集団のちから》です。集団として全体として何らかの秩序が得られるようにまたそれが安定するようにと考えるとき それは 途中の道筋を端折りますが(と言っても 分からないところがありますが) 行き着くところとして いけにえをこしらえる こういう策なのではないかという推理です。
★ 言った過去に傷つくから言うな。撤回はしない。
☆ これも 《いますでに集団としてけりがついているのだから 過去のことを蒸し返すな》といった意味で――たとえその人が自覚していないとしても―― 言っているのだと思われます。
★ 私が心の傷を癒さないといけない
☆ ということは すでにいけにえとしたし いけにえとなったのだから その出来上がった過去を掘り起こすことはするな 集団の秩序に従え――つまり そのクウキにおまえの心をも合わせるようにせよ――と言いたいのでしょうね。
アマアガリ・シンドロームという意味での《上昇志向》 つまり何が何でも地位や身分が上の者になるという指向 これを考えましたが ここでは よく似たアマテラス予備軍症候群についても考えたいと思います。
人びとは《安定志向》の場合 特に出世を望むわけではなく さりとて安定を志向するからにはその生活の安定を望まないわけには行かない。寄らば大樹の陰となります。アマテラス公民――芸能人やスポーツ選手を含めて――の応援団といったところでしょうか。いつでも一大事のときには駆けつけるぞという予備軍です。
つまりは 分野や地域に従って大小や種類のさまざまな集団がありますが いづれの集団についてもその秩序というものは まづは《アマテラス公民圏の安定が基本である》という考えのもとに生きているということではないか。こう捉えます。お上志向とも言います。
つまりは このアマテラス天国の安定的繁栄のためには もし必要ならば 例外をひとりつくって これをその秩序維持のために犠牲とする。そういうやり方ではないか。
一たんこの方針が決まれば・そしてその方針が実行に移されれば あとはその犠牲者を《犯罪者扱い》することになろうとも その過去の実行によって実現した秩序のほうを自分の社会的生命をかけて守る。こういう仕儀に出ている。
これから朝食を取って そのあと図書館へ本を返しに行かねばなりません。午後になります。
(上の文章は 推敲が足りないかも知れませんので その点 あしからずご了承ください)。

No.10
- 回答日時:
それはあるでしょうね。
私も以前、自分達のした責任が取りきれないからと
退職に追い込まれた経験があります。
話そうとすると、ストーカーだと言われ、
承認されたいのであれば空気を読んで言う事を聞けと、
その人間心理を利用して、動かされた経験はあります。
それも、人間として仕方のない事なのでしょうか?
そうですか。理論は 現実であるようですね。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~
話そうとすると、ストーカーだと言われ、
承認されたいのであれば空気を読んで言う事を聞けと、
その人間心理を利用して、動かされた経験はあります。
~~~~~~
☆ 集団あるいは組織というものは なかなか人間がひとりだけではどうにかしようにも その力が限られて来るようですね。
どうも何はともあれその場や組織が全体としてともかくの秩序を見出したと見なせば その状態のほうが一人の人の表現の自由や存在じたいよりも守られるべきだと 感覚的に(つまりは あやまった感覚となったクセや習慣として)そこに落ち着いてしまうところがあるのでしょうか。
★ それも、人間として仕方のない事なのでしょうか?
☆ ここに哲学の出番があるのではないでしょうか。
徳俵に足がかかるほど寄られたとしても そこから是非ともウッチャリをかけられるように 人びとが――三人寄れば文殊の知恵ですから――知恵を出し合って 日ごろから考え合って行くとよいと思います。
へたのすけさんが 言わば一対一の場合の処方箋を出してくれましたが 今度は 二人以上の寄り合いにおいてどのように互いの自由や生活を守るか これを考え抜いて行かねばならないように感じました。
ウッチャリなどと言わずに そして《和を以って貴しと為す》のは勝負ではないでしょうから 普段から話し合いを自由に密に推し進めていることが大事でしょうか。
そしてその話し合いのためにこのカテと場があると考えますから 進めて行きたいと思います。
クウキの問題も出ていますね。

No.9
- 回答日時:
何故生きないのか、
私自身は上昇思考が強いので、今以上の自分の知らない喜びの世界が人々がいると、
感じて生きている感覚です。
安定思考の方は家庭で、平凡に家族と暮らす事が生きている感覚なのかなと。
どちらにしても、人に受け入れられる。必要とされる事なのかと。
人に受け入れられない、必要とこれからもされないと感じた時に
生きないという選択になるのかなと。
ですが、たった2つの分類で、考えられるものではないなと。。
答えるために考えなかったら、気づかなかったですね。
そうですね。――おっと まづはご回答をありがとうございます。
そうですね。
○ 承認欲望
☆ これが人にはあると言われることがあります。
★ どちらにしても、人に受け入れられる。必要とされる事なのかと。
☆ ですね。たしかに まづは人と話が出来ているというところから 人は出発すると思われます。受け容れられていないとなると この出発することすらむつかしくなるかと考えます。
この承認欲望を満たすために人は 一般に人びとを模倣するとも言います。同じように振る舞うようになるのだと。そしてさらには この欲望の満たし合いのような振る舞いが行き着くところは つねに承認されているという感覚を持ちたいためには 承認し合っているという状態を人為的にでも作り出す。
ところが このとき相互の承認という状態を安定して保つためには 一人・つまりただ一人だけは その輪の中から排除するのだという見方をする理論があるようです。
この《承認欲望←→排除の論理》が さらに行き着くところは? と言いますと ひとつにその例外と見なされる《ただひとり》を 周縁に追いやる。外に出してしまうまではしない。さりとて 仲間の輪の中に入れておくことはしない。境界に追いやり置いておく。《活かさず殺さず》。
この排除される一人が それでもうるさく何のかんのと口を閉ざさずその言い分を言い続けるなら どうするか? 抹殺する。
抹殺して そのあとには この《ひとり》を神聖なものとしてまつりあげる。そのためには 儀式をも定め 定期的にこれをおこなう。この世の屑として排除した者を その事後の処理としては 聖なる者として祀り上げる。これを儀式においても讃える。
そのようにして 実際のところ《承認欲望を互いに充足し合うゲーム》は 安定して人びとの生活の安定をももたらす。と捉えられているようです。
組織宗教としてのクリスチアニズム そこではいまも キリストが聖なるいけにえとしてあがめたてまつられる儀式が きちんとおこなわれいるようです。
どうなっているのでしょう?

No.7
- 回答日時:
他の回答者様の回答で、
何故このような質問を対面して話したほうが良いと考えますか?
私は感情をぶつけられるのが苦手で、
あれこれ考えながら、文章を書く事で頭がまとまり、冷静に考えられますが。
直接このような話をすると、その場で答えを出さないといけないので、
一方的にいわれている感覚になるのですが。
またたびさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。
★ ~~~
私は感情をぶつけられるのが苦手で、
あれこれ考えながら、文章を書く事で頭がまとまり、冷静に考えられますが。
~~~~~
☆ あぁ えぇ なるほど。文章にして考えをつづりまとめて行くことは おっしゃるとおりだと思います。もしそれを否定しているとしたら まちがいでしょうね。
とにもかくにも 《個人にとってはその生活の情況や育った環境が 一人ひとり違う》と思うので そのそれぞれの事情を把握していないと 話がうわずってしまうのではないか。こう思われたからです。
人間ひとりの力に限界を感じ 将来への考えも想像も浮かばなくなるといった状態についても 人それぞれの個別具体的な事情があるのではないかと思ったからです。
ですから ここ(この質疑応答の場)では あまりにもプライベートなことがらを述べるわけには行かず たとえ述べたとしても そのときの現在の情況を言っているに過ぎず けっきょく育ちや周りの人びとのことなどなど 相手の人となりを明かすことがらについて分からずじまいであろうと思うからです。
いえ もっと端的には 顔の色あるいは目の表情が分かれば 話は早いだろうなと思うからです。
それは ここでは 無理だと思います。(対面の場に移ろうという意味ではありません)。
たとえば 次のようなコメントは かなり――憶測を交えて――踏み込んだ発言なのです わたしの中では。
☆☆(No.5お礼欄) ~~~~
○ ときが満ちる。
☆ こういう言い方もよく聞きます。おそらくそういったことではないでしょうか。ご自身の中でいろんな要素がすでに準備をととのえて来ていたのではないでしょうか?
って あんまりいい加減なことは言えませんが いやあ それにしても すごいですね。
~~~~~~~~~~~
でも こういったことを前提としてでしたら あとは この場で話せる事柄を出し合って 考える時間をも――間合いとともに――じゅうぶんに取って 対話をすすめていけばよいとわたしも 考えます。それは 同じです。
繰り返すなら この質問が主題とする事柄にかんしては 個人の個別の事情がからむでしょうから なかなか互いに話をすすめるには厄介なところがある。こう思っていて こういう意味でした。
(いまの人は ワ゛-チュアルな場でのほうが 話しやすいでしょうか? わたしの若いときに パソコンもケイタイもむろんありませんでした)。
★ ~~~~
直接このような話をすると、その場で答えを出さないといけないので、
一方的にいわれている感覚になるのですが。
~~~~~
☆ 分かりました。時間はじゅうぶんありますので 今回も同じく ぼちぼちまいりましょう。
この質問も 前言をひるがえしてこのあたりで閉めましょうかという段階になるまで 開けていることにします。
No.6
- 回答日時:
回答の時間を下さりありがとうございます。
一通りと言いますか、ご質問に添った形での拙い私見を述べさせていただきました。
自殺防止という実践面に、私がこだわりを持つのも、実際に立ち会った経験があるからです。
以下、付け足しです。
感性的伝達といえば
ブラジェロンヌさんは、ぶんなぐってやる、と仰いましたね。
まったくそのようなものです。
私は、自殺した友人の遺体を目の前にして、バカヤローと思わず何度も言ってしまいました。
その時でしたが
友人の閉じた目が少し開いたのです。
薄目でしたが確かに開きました。
周りにいた人達も、その事は目撃して今も印象に残っている事です。
あの世から一瞬帰ってきたのかもしれません・・・
もっと早く、バカヤローと言ってやればよかったのかもしれません。
さみしいバカヤローになる前に、楽しいバカヤローを言ってやればよかったのかもしれません。
瀬戸内寂聴さんも同様の出来事を語られています。
このような人の死にまつわる不思議なことは、いくらでもあるのでしょう。
死んでからの奇跡などよりも、生きているうちの笑顔のほうがずっといいと思います。
その笑顔を見るためには、何かが必要だったような気がします。
必要なものとは、案外簡単なものだったのかもしれないのです。
それを与えてやる事ができなかったという思いは、周りの人達が皆持っていたように感じました。
死んだ人が戻ってこない以上、残された人は何が分かればいい?
という問いかけがあります。
答えは・・・
死んだ人が与えてくれたものが残り、与えてあげられなかった悔いが残る・・・というものです。
私は、与えるとは簡単なものでいいと思っています。
簡単なものであればこそ、誰もが与え合うことができるのではないでしょうか。
挨拶でも、言葉一つでもいいと思います。
普段の何気ないことの中に大切な意味が含まれていると思います。
>なぜ生きようとしないのか?
という問いかけは
自分が与えることを問うものでもあるように思います。
上記の答えを噛みしめる時が来る前に、なすべき事があるのではないかとも思います。
以上にて終りにしたいと思います。
一点だけ説明不足があります。
それは「祈り」を自力と解釈されてしまったことです。
宗教色の濃い内容であれば、あえて哲学的に無理に解釈はせず、自内証のままに、という個人的で自由な形で解釈されてもよいと思っています。
その辺をご了承ください。
それではブラジェロンヌさん、ありがとうございました、お元気で。
へたのすけさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ ~~~
一点だけ説明不足があります。
それは「祈り」を自力と解釈されてしまったことです。
~~~~~
☆ どうも 考えてみたら いくらかの点で憶測を過度におよぼしているかも分かりません。
★★(回答No.3) ~~~~
★ ~~~~~~~~
個から全体を通して、別なる個に働きかけること、が可能であると思われます。
その働きかけとは「祈り」です。
これは思念の現実化というような、狭い意識の妄想ではなく
感性や直観の世界を介在とした直接的な働きかけです。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまりこれは いわゆる自力の見方としておこなわれる祈りのあり方のように思われます。感化と言いましょうか。それはそれとして起こり得ると考えます。
~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり
★ これは思念の現実化というような、狭い意識の妄想ではなく
☆ ここのところをしっかりと把握していなければ駄目でした。
★ 感性や直観の世界を介在とした直接的な働きかけです。
☆ この《直接的な〔働きかけ〕》を努めて相手にはたらきかけていると取ってしまったようです。
★ ~~~~
宗教色の濃い内容であれば、あえて哲学的に無理に解釈はせず、自内証のままに、という個人的で自由な形で解釈されてもよいと思っています。
その辺をご了承ください。
~~~~~~
☆ おわびとともに 了承いたしました。
何だかこの種の質問と言いますか主題については 苦手の感覚があります。あるいは 別の言い方をするなら このような主題については 面と向かって話をするのがよい。こう思ってしまうところがあるのだと思います。いちど行き着けるところまで行って はっきりさせておきたかったわけですが。
でももし――いちおう区切りを打つとおっしゃっていますが―― 展開すべき見解や材料などがなおおありでしたら 開けていてもよいと思いますが どうでしょう? 少なくともお二人は参加しておられますから もうしばらく二三日あけていましょうか。
* 前半で展開されたお話 要約したりするのは むつかしく 全部引用するのも 何ですから 受けとめましたとお伝えします。それだけになります。ほかのみなさんにとっても 読んで感じるところの文章だと思います。
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