出産前後の痔にはご注意!

みなさんこんにちは。
寺山修司さんの詞なんですが、原文を避けますけれども、

「マッチをする、海には霧が深く立ちこめている、身を捨てるほどのふるさとというのはあるのだろうか」

という内容の詞があると思いますが、これの解釈がいまひとつしっくりこなくて気になっています。どういうことを言おうとしているのでしょうか?皆さんの解釈をお聞かせ下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

寺山修司の短歌に昔、はまっていた頃がありました。


思春期から青年期に移行する頃だったと思います。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 
身捨つるほどの 祖国はありや」

これは寺山作品の中でも大好きな短歌でした。
現代語での解釈はNo.1さんのおっしゃっている通りだと思います。
ただ、言葉どおりの意味でとろうとすれば、
解釈は確かに難しいものなのかもしれません。

「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし」
作者の寺山修司には、
くわえ煙草で少しはにかんだような写真がよくあります。
きっと霧のかかる海を眺めながら、一服をしようとしたのでしょう。

孤独と不安を感じ、自分が何者かを確かめたい欲求は、
青年期には誰もが、ふとどこかで立ち止まった時、
少なからず体験しているのではないでしょうか。
そこで突然湧き上がった思いが

「身捨つるほどの 祖国はありや」
という表現になったのだと思います。
身を捨てるほどの情熱を傾けるものよ、現れてくれ・・!
という彼の心の叫びだと、若い私は思っていました。
今でも、ボランティアを志願する多くの若者の尊い気持ちは、
これに近いのかもしれません。

ずっと私は、この時寺山は煙草を吸いながら涙を流していたのだ、
という情景を思い浮かべていましたが、10年ほど経った今は、
彼は静かに、ただ海を見つめていたのかもしれない、と思います。
寺山がどう思って作ったのかということより、
この珠玉の言葉が私の中で、私と共に変わっていくことを感じます。
彼の言葉がオーケストラとすれば、私はただの客ですから、
これでいいと思っています・・答えにならないですね(笑)

仕事に忙殺され、豊かな心をきっとすり減らしている今の私は、
思いがけずこの歌に出会えたことが何よりうれしく、
もうすぐ今夜も徹夜になりそうな、嫌な気分が晴れてきました。
ヘンかもしれませんが、お礼を言いたい気持ちです。
ありがとうございました。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私も昨晩はほぼ徹夜仕事でした。体を大事に頑張りましょう。
私は今自分の仕事で壁にぶち当たっているのですが、気が付くとなにとはなしに、この詩を何度も反芻していることがあります。自分の中でどういう意味があるのかも分かりませんが、何か妙に気になると同時に不思議な平静をもたらします。
私は、自分を縛り付けるものなど無いんだから、とにかく進んでいこう、という意味だと思っています。ある意味では決意、また一方で諦観に似た感情を感じています。
人によって、また精神状態によっても受け取り方が違うのがこの詩なのかもしれませんね。珠玉の言葉、わたしもそうだと思います。無から紡ぎ出された文学の偉大ささえ感じます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 11:39

解釈がしっくりこなくて当然なのです。

内容的には大した意味はありませんし、どう解釈するかは読み手の問題でしかありません。
この短歌は上句が客観、下句が主観という構成になっていて、それをくっつけた形になっています。上句と下句のずれ。それを最後の「ありや」で作者の顔がニュッと出てくる形にしたという展開の面白さを味わえばいいのではないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
構成のアンバランスさと不安定感、そこに私もトラップされ、妙に気になっているのだと思います。
確かに解釈は二の次というか、それぞれが感じればいいことですね。私は他の皆さんがこの詩からどのようなことを感じ取っているのかが気になっていましたので、大変参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 11:45

 「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」


こういう短歌でした。寺山修司さんは詩人で劇作家でもあって、短歌も若い感性でみずみずしさがあふれていて、それでいて愉鬱桜佐を表現する徳治の世界をもっていた人です。1960年代のカリスマと言いいいのでは。でも若くしてなくなられたので、これからさらなる活躍が期待されていたのに残念です。
 ではこの短歌を素直に解釈してみると・・・
 <マッチを擦ったその瞬間、海には深い霧が立ちこめていたことに気づく。命を投げ出すほどの祖国というものが自分にはなるのだろうか。>

 こう書いてみると前半部と後半部とのつながりがあまりないように思えてくる。作者はあらためてこの国に目を向けてみると、自分はこの国に命を捧げるかどうかと聞かれたらないと答えるかな?自分にはそういう祖国がない気がするという感じかと思っていた。

 調べてみて意外なことがわかってきました。

「寺山修司は青森の国民学校の3年生のとき、天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送を聞いた。そのときのことを、「つかまえたばかりの唖蝉を、汗ばんだ手にぎゅっとにぎりしめていたが、苦しそうにあえぐ蝉の息づかいが、私の心臓にまでずきずきと、ひびいてきた」(『作家の自伝』/A新聞)とあり、
「「身捨つるほどの祖国はありや」と謳った彼は、終戦がなければ、いつかは自分も戦場に出向かなければならない、その意味はあるのだろうか、と自分に問いかけていたのだろう。」
次のホームページの中にありました。http://www.mypress.jp/v2_writers/kanon77/?all=yes
子ども頃に終戦を迎えた作者の戦争に対する考え方が述べられていると考えられますね。ここで次のような話が出てきました。寺山さんはこの短歌を盗作したと考えられているのです。確かに本歌を利用した短歌が多いようです。

「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」 修司

「一本のマッチをすれば海は霧」 富沢赤黄男

もとは俳句だったのですね。それに「身捨つるほどの祖国はありや」をくっつけてきたと言うことになります。
 無理矢理つけたと言うことでしょうか。彼は戦後日本がアメリカに流されていく姿を見て安保闘争に参加こそしなかったが、日本の現状に疑問を感じ、あるべき姿はどうなのかを自問自答していたのであろう。そして「この国命をかける価値があるのか、いやないといえよう」と感じ詠んだのであろうという見方もできるということがわかりました。「霧」は日本の将来への不安をあらわしていたのでしょうか。

 ともかくも、夕暮れ時の海を前にマッチをする。霧に包まれている。と言うシーンは目に浮かぶ。美しいもはかないたんかと言えよう。

 解釈するのは難しいですね。

http://www.wombat.zaq.ne.jp/sugane/frame/nichi12 …

参考URL:http://www.wombat.zaq.ne.jp/sugane/frame/nichi12 …
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は詩の詠まれた背景などを知りませんでしたので、勉強になりました。また違った解釈の仕方があると感じました。
わたしは、「自分を縛り付けておかなければならないほどの郷里なんて無いのだから、我が道を進もう」という意味なのかなと思っていました。なるほど、戦争という背景を重ねると、違った見え方がしてきます。

ともあれ、構成のアンバランスとそこに漂う不安感のようなものがこの詩の魅力なのかなと感じています。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 11:30

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q寺山修司の短歌につぃて。

今度私は授業で寺山修司の
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
を説明することになりました。
ネットでいろいろ調べたのですが、
あまり詳しいことはのっていませんでした。
この短歌への情報がほしいです。
ぜひこの短歌について教えてほしいです。

Aベストアンサー

寺山修司の名作中の名作といわれる短歌ですね。
「身捨つるほどの祖国はありや」身を捨てるほどすばらしい祖国はあるのだろうか(いや無いのだ)
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」濃い霧のかかる海を見ながらマッチをする(タバコを咥えているのかな)。寂寥感て感じかな。
いい短歌ですよね。

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む

Q現代文B

現代文B 短歌と俳句 【花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく夢をはなるる】について ①「花びら」の質感を的確に表現している一語を歌中から抜き出してください

②この歌の上の句と下の句との関係を
示したものとして最も適当なものを
次の中から選んでください。

ア 原因と理由
イ 原因と結果
ウ 結果と説明
エ 経過と結論

【マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや】

①「祖国」の現状を暗示している語句を
歌中から四字で抜き出してください。

②「身捨つるほどの祖国はありや」について、「や」は反語の係助詞であるが、反語表現であることがよくわかるようにこの部分を口語訳してください。

Aベストアンサー

「花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく萼をはなるる」だとしたら、花びらの質感は「重たく」が表わしていると思います。(肉厚でぽってりした重量感を表している)
上句は、牡丹の花弁が開ききって疲れ衰えたので(原因)、下句の花弁が萼を離れる情景(結果)を生んでいます。
イ原因と結果でしょう。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
①祖国の現状を暗示する語句→霧ふかし
②身を捨てるほどの祖国があるだろうか?(あるだろうか→あるでしょうかでも良い)

Q寺山修司

下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。
ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか?
あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。


1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』
ーーーーーーーーーー
寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。
彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。
霧が深い夜で、遠くで霧笛が聞こえる。
煙草を吸おうとしてマッチに火をつけると、朱赤の煌きに自分を含めた周囲の大気だけがぼんやりと浮かび上がった。
そのさらに外側は濃い霧に包まれたままだ。
その霧に包まれながら一瞬浮かびあがった自らのシルエットに、
「俺は俺自身以外の何者でもない」という、「俺というものの本質」を唐突に意識した。
「社会的人間って何だ?」
「第一、国家って何だ?」
「こんな国、捨ててやる!」などと思うことすら愚かしい、個人を束縛しようとする単なる機構にすぎないではないか。
ーーーーーーーーーー
といったような感慨が沸き起こった末の作品であるように感じます。


2、『海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり』
ーーーーーーーーーー
寺山、子供の頃の回想でしょうか。
もしかすると初恋の思い出かも。
夏休みのある一日、理由ははっきりと覚えていないが偶然その少女と二人きりになった。
少女は海を見たことがなかった。
寺山は何度か見たことがある。
少女:「海ってどんなものなの? 」
寺山少年:「すっげくおっきいんだ。」
少女:「すっげく、って・・・、どのぐらい? 」
寺山少年:「・・・。こ~んなぐらい。」
と言って、幼い彼は精一杯手を広げた。
ーーーーーーーーーー

下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。
ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか?
あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。


1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』
ーーーーーーーーーー
寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。
彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。
霧が深い夜で、遠くで霧笛...続きを読む

Aベストアンサー

#2shigure136です。
国を捨てるのではなく、命を捨てる、すなわち「国のために自分の命を捨てる=国のために死ぬ」ということなのではないでしょうか。

「命と引き換えにできるような祖国なんて無い」という気持ちを表したのではないかと思います。

Q寺山修司の短歌について

今短歌を勉強しているのですが、寺山修司の担当になり、作品の出典を調べる事になりました。
しかしいくら検索しても出てこないのでここで質問させて頂きたいのです;

「大いなる欅にわれは質問す 空のもつとも青からむ場所」
という短歌の出典を教えて頂けないでしょうか?
知っている方いらっしゃったら回答お願いします。

Aベストアンサー

未刊歌集「テーブルの上の荒野」に入っています。
その中の「飛ばない男」の中にあります。

未刊歌集なので、単独の本はないと思うのですが、たとえば参考URLの寺山修司歌集の133ページに収録されています。

参考URL:http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0190-5.html

Q加藤楸邨の鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらるについて

加藤楸邨の俳句の中で、「鮟鱇の骨まで凍ててぶちらる」というのがありますが、
最初は、どんな思いで、鮟鱇を見ていたか、教えてください。
(解釈では、魚のあわれさとありますが、あわれさは、あとからの考えで、そのあわれさを感じる前の思いを教えてください。)
ほかの情報もあったら教えてください。

Aベストアンサー

 「ぶちきらる」と受身になっている点に注目すべきです。
 「鮟鱇の」の「の」は主格(主語を表す=鮟鱇「が」)です。切られるものが鮟鱇であることを示しています。
 下手な例ですが、「鮟鱇の骨まで凍てしをぶち切りぬ」というような「鮟鱇を切った」という言い方ではありません。
 極言すれば、調理をする側でなくて切られる鮟鱇の側に立った句です。

 俳句では小説などと違って、作品の鑑賞には作品以外のものは必要ない、という立場は貫きにくいですから、他の回答者のお答えにあった、作者が病身であったことを加味して鑑賞するならば、理解の方向は定まってくると存じます。 

Q文節についてお伺いします。

文節についてお伺いします。

文法を勉強しております。
下段??の<とうてい>について、どの文節に係るか教えていただけないでしょうか。

?偉いお坊さんが凡人には<とうてい>わからないお経を唱えてくれて、
  私たちはそれをありがたがって拝聴してきた訳である。

?単にあちらこちらからさまざまな文章や、図表類をダウンロードして並べるだけでは、
<とうてい>何らかの知識を知っているとはみたされないことになる。

?は、わからないだと思うのですが、?は、みたされないの「ない」が文節にあたるかと
浅はかな知識で思っているのですが・・・。

お手数ですが、ご教示お願いいたします。

Aベストアンサー

「とうてい~ない」となるように「とうてい」は、陳述(呼応)の副詞だと思います。
なので、上の文では「とうてい」→「思わない」
下の文は「とうてい」→「みなされない」
でしょう。(下の文は「みなされない」では?上の文も「思えない」の方が正しいと思いますが)

「みなされない」の「ない」は、「思わない」の「ない」と同じく助動詞ですので、文節には区切りません。

Q寺山修司の短歌について教えてください

寺山修司の短歌が爆笑問題の番組で紹介されていました。相当なもののようですが、学がなく古い言葉を知らない自分にとっては考えても考えても妥当な意味を見い出せません。言葉が古くてわからんのです。
短歌集のような本があるようなので読んでみたいのですが、おそらくほとんど意味がわからずに終わると思います。でもそのままじゃぁつまらんなぁと思い始めていて今日日。
見つけた詩集:http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31199120
そこで伺いたいのは、

[1] 解説が併記された寺山修司の短歌集(詩集と広げても可)はありませんか?

[2] これらはどういう意味でしょうか?
「新しき仏壇買いに行きしまま 行方不明のおとうとと鳥」
※親でも亡くなってその仏壇が必要だからと買いに出かけた弟は、親の後でも追おうと思っていたのかな? 親が飼っていたカゴの鳥も持ってったくらいなので・・・。わからん・・・。何で弟がひらがな? 何で行ったままじゃなく行きしまま? 当時でもまだこんな昔の言い方を使うのが普通だったの?・・・

「マッチ擦るつかの間の海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」
※この歌の下敷きには「一本のマッチをすれば湖は霧」(富沢赤黄男)、「めつむれば祖国は蒼き海の上」(同)があったとされるようですが・・・
戦争時、負けると悟り自身の船を燃やそうとして思いとどまっているの?? いや、そんなんじゃ浅いだろうし・・・

「青空はわがアルコールあおむけにわが選ぶ日日わが捨てる夢」
※古い言葉ないのにわけがわかりません・・・

「亡き母の真赤な櫛で梳くきやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり」
※「櫛で梳く」「山鳩の羽毛」と意味がわからんので何もわからず・・・。単に死んだ母の髪をとかしてると抜けまくって切ない気持ちだ、という意味じゃぁないですよね?? 浅はかだしなぁ・・・。さっぱりです。

以上、宜しくお願い致します。

寺山修司の短歌が爆笑問題の番組で紹介されていました。相当なもののようですが、学がなく古い言葉を知らない自分にとっては考えても考えても妥当な意味を見い出せません。言葉が古くてわからんのです。
短歌集のような本があるようなので読んでみたいのですが、おそらくほとんど意味がわからずに終わると思います。でもそのままじゃぁつまらんなぁと思い始めていて今日日。
見つけた詩集:http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31199120
そこで伺いたいのは、

[1] 解説が併記された寺山修司の短歌集...続きを読む

Aベストアンサー

「新しき仏壇」の歌
補足で…
説明不足ですいません。
仏壇を買いにいった弟は水子だと解釈してます。この世に生を受けなかった子供が仏壇を買いに行っても余り違和感はないと思って、断りなく書きましたが、あれは水子なんじゃないかと思ってます。
この歌を間引きとしたのは寺山の下の歌からの連想です。
 
問引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
 
おとうとの年齢については、余り関係はないんじゃないのかと解釈してます。元々、この世に生を得てないのですから…
余談ですが、地方で地獄沢とか地蔵河原とかいう地名のところは、昔、間引きした子供を流した川の名残だそうです。水子地蔵がズラッと並んで、赤い風車の群れがカラカラまわるような、なんとも土俗的な光景を寺山の「おとうと」の歌からイメージしまっす。


人気Q&Aランキング