「お昼の放送」の思い出

英語の無生物主語の説明サイトに
「もともと古代大和言葉にはモノ主語なんかなくて」
http://blog.meigaku.ac.jp/yabu/2011/04/30/%E6%A7 …
とありますが、
「雨が降る」「石が転がる」といった表現も無かったのでしょうか?
それともこのサイトや英語教師が「無生物主語」という言葉に騙されているのでしょうか?

A 回答 (3件)

「何が彼女をそうさせたか」という形式というか発想が日本語に乏しかったあるいはほとんどなかったということです。

注意を引くためのに「古代大和言葉にはモノ主語がない」という書き方をしたのかもしれませんが、不注意な書き方です。

そもそもが英語などの無生物主語という呼び名が不適切です。The sun rises はモノが主語ですが無生物主語とは言いません。

ついでに、欧米の言語(印欧系)の全てで中性名詞の主格と直接目的格が同形なのは本来性別のない無生物である中性は主語に立ちえなかったから、という「説」があります(相当古い時代のことです。古典語でも生物を表す中性名詞はあり、モノの中性名詞も主語になります)。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

そもそも「無生物主語」という言葉はどこから出てきたのでしょうか?
欧米の文法書でも出てくるような発想なのでしょうか?

>ついでに、…
とても興味深い説です。
ありがとうございます。

「太陽が昇る」のではなく、
地球が回ってるから「太陽が昇ってるように見える」だけなんですが
それは置いておくことにします。

補足日時:2011/09/20 13:32
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古代日本語には「非情の受身」(無生物を主語とする受身文)がきわめて少ない、


という日本語学の常識をどこかで聞きかじってきて、かつ何か勘違いした結果が某英語教師の発言ではないかと想像します。
馬鹿な話です。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
「筆が折られる」などの表現は少なかったということでしょうか?

補足日時:2011/09/20 13:29
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    僕はこんな事どうでもいいのですが、ちょっと古い『古事記』の上巻の初めの方を見てみました。



 1。「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時」という言葉があります。天地は物です。

2。第2文は「次に国稚(わか)く浮きし脂(あぶら)の如(ごと)くして久羅下那州多陀用弊流時(くらげなすただよへるとき)」という言葉が続きます。国は物です。

   まあ日本語のかなり古い文の中に反例があるので、「もともと古代大和言葉にはモノ主語なんかなくて」とは言い切れないと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
文ではないので文法的に主語とは言えないようにも思えますが
主語になっている文が存在しそうな例ではありますね。
ありがとうございました。

補足日時:2011/09/20 13:51
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