準・究極の選択

進化の系統樹というのがありますよね。これに自分を当てはめると、現代人の枝の先端にいます。そしてそこから自分の先祖を振り返ると、系統樹の幹から根に向かって何千代あるいは何百万代と連綿と続いているわけです。もしも一代でも断絶したらそこでストップして、今の自分は存在しません。

こう考えると、故意に子孫を残さない人は、何百万代も途中で欠けることなく続いた先祖に対してなにか罪を犯しているような気がしてきます。

進化や遺伝子の観点からご意見をおきかせください。

A 回答 (3件)

人間は、天然痘の撲滅という、特定の種の絶滅により、この40年で人口が倍になりました。

いま、70億人ですか。15年程前に55億人と言ってましたが、驚異的な増え方です。
こんな人口を養えるほどの資源と水と食料は、地球にはありません。
こういうとき、自然界では、
 ・生まれてくるオスの数が異常に少なくなる
 ・レミングの死の行進のように集団自殺する
 ・飢え死にする個体が増える
 ・体のサイズの小さい個体が増える
などの反応が起こります。
それができない人間に、
 ・意識して子孫を残す気がなくなる
という反応が起こるのは、ごく自然の成り行きでしょう。
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この回答へのお礼

同性愛者が増えたように感じるのもそのせいでしょうか。

お礼日時:2011/09/27 20:20

質問者さんの言う系統樹は、系統樹じゃなくて家系図ですね。



質問者さんの先祖はあくまで全員、ヒトです。
系統樹で隣や手前にいるのは、ヒトではないですよね。それは、祖先とか言います。


例えば、女王のために子孫を残さずに働き続けるアリやハチは、果たして進化を冒涜しているのでしょうか。

進化や遺伝子の観点から述べれば、大事なのは種の保存であって、同種であるヒトが生物として保存されるよう努めていれば、個人が子孫を残さなくてもいいのです。
逆に、種として生き残るためには優秀な遺伝子を持たない個体は速やかに消えるべきです。
それが、自然界の掟である、弱肉強食や自然淘汰というものです。


「何もしない」という選択をすることに意義があることは、世の中多々ありますよ。
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この回答へのお礼

系統樹の人間の枝の先端に私もあなたも入れてよいでしょう?
進化(遺伝子の変化)は連続的に起こっているわけですから、系統樹を最も細かく書くと家系図になると思いますよ。もっとも人間だけではなく全生物の家系図ですが・・

>例えば、女王のために子孫を残さずに働き続けるアリやハチは、果たして進化を冒涜しているのでしょうか。

冒涜してないでしょうね。彼らはそのようにプログラムされているのでしょうから。人間も同じでしょうか?論理の飛躍がありそうです。

お礼日時:2011/09/27 20:27

No.1の方に突っ込みですがレミングスは自殺などしません。

あれは餌のある新天地を求めて移動してるだけです。レミングスは泳げますので。結果的に新天地にたどり着けずに溺れ死ぬ可能性は高いですけども。

質問についてですが、生物学的には子孫を残す残さないは単なる結果論です。子孫を残さないのも残せないのも生物学的には等価です。
単にそれぞれの個体がそれぞれの環境と行動指針に従った結果にすぎません。人間も外部からの刺激に対して一定の出力を返すシステムにすぎませんので。
それに対して罪の意識を感じるのも質問者様がそう感じるような脳を成長段階で獲得したにすぎません。
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この回答へのお礼

>子孫を残さないのも残せないのも生物学的には等価です。

そのような傾向を持つ人はいつの時代も常に淘汰されていくわけですね。
にもかかわらず、常にそのような人がかなりの割合で存在していることに違和感があります。

お礼日時:2011/09/27 20:31

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