時代劇「水戸黄門」について。好きでいつも見ていますが、いつも疑問に思うことがあります。
(1)悪代官が最後に印篭をみてひれ伏します。なぜでしょうか?
 「幕府の代官」は幕府の役人ですから将軍家の親戚である水戸家を警戒するのは理解できますが、「藩の代官」が身分の差があるとはいえ、他藩のしかも隠居したじじいに藩邸に無断で侵入され説教受けたうえ土下座するのはどうなのかと思っていましたが。
「悪代官」が「徳川幕府の代官」であった場合、水戸光圀が徳川将軍家の親戚かつ幕府要職経験者で公儀にチクられ直接処分をうけるのをおそれているから。
 「藩の代官」であった場合、公儀にチクられ幕府から藩の殿様へ監督不行き届きを咎められる⇒殿様からの処分を受ける・・・間接的処分をおそれているから。
・・・という認識で正しいでしょうか?

(2)助さん格さんが、小さいですが刀をさげています。名主でもない呉服問屋の手代の身分で、帯刀が許されているのでしょうか?旅の護身用ならOKということでしょうか?

詳しい方教えてください。

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A 回答 (4件)

>悪代官が最後に印篭をみてひれ伏します。

なぜでしょうか?

江戸時代末期にベストセラーになった「黄門漫遊記」が基本だからです。
当然、フィクションです。
水戸家が「慶喜を将軍にしたい。水戸家は、光圀のような名君が多い血筋なんだ」
つまり、一種の世論操作の一環としてこの物語が誕生したのです。
印籠の前にひれ伏す場面は、この「フィクション」を真似ているからです。
反対に、「暴れん坊将軍」の場合は、三つ葉葵の家紋が付いた衣装の将軍が現れても「お手向かいします」と、将軍に刃を向けますよ。^^;
これも、娯楽番組だからです。
黄門さんの場合、実際にドラマの内容が当時あったとすれば「確実に、闇」に葬られます。
他藩内に無断で通行しても、「成敗」でしよう。
黄門さんは、「お忍び」ですよね。各藩としては、一般の旅の隠居に過ぎません。
下手に「この印籠が」とやると、反対に「公儀を恐れない者」として処罰されるでしよう。
「お忍び」ですから、公式な訪問ではありませんよね。
闇から闇でも、何ら問題は生じません。
これが、公式の訪問・他国領内通過なら「身分(ご家門・親藩・外様・石高など)格式で対応」します。

>名主でもない呉服問屋の手代の身分で、帯刀が許されているのでしょうか?

日本差しは、武士だけの特権です。
が、一本差しの場合は武士以外でも可能なんです。
ヤクザも、一本差しですよね。ただ、厳密には「刃渡りの長さ」が決められていました。
通行・護身用にも、認められていましたよ。
帯刀の許可と旅の護身用許可とは、異なります。
(渡る世間は、カネ次第)
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この回答へのお礼

>日本差しは、武士だけの特権です。
が、一本差しの場合は武士以外でも可能なんです。
ヤクザも、一本差しですよね。ただ、厳密には「刃渡りの長さ」が決められていました。
通行・護身用にも、認められていましたよ。
帯刀の許可と旅の護身用許可とは、異なります。

他の回答者さまにもありますが、教えていただきたかった回答でした。ありがとうございます。
勉強になります。二本差し・・かな?

お礼日時:2011/10/27 18:57

水戸黄門は、実在の人物を基にした娯楽フィクション作品ですから、まああまり細かいことをいってもしょうがないです。


ドラマ「相棒」を見て右京さんは警察官なのになんで犯人を追い詰めるのに取調室を使わないで犯人の部屋とかで追い詰めるんだろうかとか、マンガの「名探偵コナン」を見てなんで殺人現場に子供が入れるんだとかいうようなものです。
それは視聴者が自由に解釈していいと思いますよ。

ちなみに助さんのモデルになった佐々宗淳さんも、格さんのモデルになった安積澹泊(あさかたんぱく・通称が覚兵衛だったのでカクさんになったようです)さんも儒学者で学者さんでしたからおそらく立ち回りは苦手だったはずです。

ちなみに本来は黄門様は水戸藩のお殿様です。当時は各藩というのは独立国家みたいなものでした。だから、幕府は監視のためにスパイを送りましたし、もしそれが発覚すれば各藩はそれを「処理」しました。
ドラマでは悪代官をこらしめるので、代官ですから幕府の直轄地に現れるということになります。しかしいくら幕府の直轄地といえども黄門様は水戸藩のお殿様なので幕府の領地で好き勝手をするのは「内政干渉」ということになります。
一応そこは「天下の副将軍」ということになっていますが、江戸幕府に「副将軍」という肩書はありません。あれは「自称副将軍」ということになります。アメリカでは大統領が暗殺などをされると副大統領が大統領になりますが、徳川将軍の場合、将軍が死んだら老中などが合議して「新しい将軍」を立てます。もしその新しい将軍が子供で政治ができない場合などは老中の中から「大老」という特別職を置いて対応したのです。
将軍に世継ぎがいなければ水戸(黄門様のところですね)、尾張、紀州のいわゆる御三家の中から新しい将軍を選びますが、ここから選ばれたのは江戸時代を通じてあの暴れん坊将軍こと吉宗公だけです。それ以降は御三家にお声がかかることはありませんでした。
理由は簡単で、実は暴れん坊将軍は成り上がり者の性で自分の立場にえらく執着し、自分のところ以外つまり尾張や水戸から将軍が選ばれるようなことがないようにと「御三卿」というのを作ってしまってそこから新しい将軍を選ぶようにしちゃったんですね・笑。
尾張や紀州は割と大きい藩だったので別に将軍になれなくてもそこはそれなりの生活を送れましたが、御三家の中で一番小さかった水戸藩は将軍にはなれねえわ、藩は小さくて贅沢できねえわなのに見栄っ張り(茨城の人は見栄っ張りです)なもんだから「俺ら(水戸藩)は将軍の家臣じゃねーんだよ(いや、家臣なんですが)」というひねくれ(茨城はヤンキーが多いのも有名です)になって勤王思想なんかに走って結局徳川家を潰すことになっていくことになります(より厳密にいえば勤王思想を始めたのは吉宗より古い光圀(黄門)さんなんですけどね)。

そもそも黄門様(水戸光圀)は江戸時代初期の人物で、ドラマはほぼ幕末(時代劇に出てくる江戸時代の風俗文化はほぼ幕末になります)で時代が合わない(光圀が生きていた時代にはあんなに宿場や文化などが発達していませんでした)となるので、ケチをつけたらきりがないのですよ。

娯楽作品ですから、そこらへんは自由に解釈して楽しんでいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
もちろんフィクションですから多少の脚色、違いは承知しておりましたが、ご説明勉強になります。

お礼日時:2011/10/27 18:51

悪代官は幕府の代官です。

将軍家直轄の家臣である旗本なのです。諸藩も幕府に倣って幕府同様の役職を設けてはいましたが、幕府が藩の内部の問題に直接介入することはありません。藩内部で解決できないということ自体が大変な大失態で、それは藩が処分を受けることになるのです。「水戸黄門」は諸藩に介入しているのではありません。あくまで幕府直轄領に限定して旅を続けているだけなのです。印籠を見せるということは少なくとも将軍家から、それを公認されている身分の高い人なのだということは庶民でも知っていることなのです。只のご隠居がそんなものを携帯している道理はないのです。日本の隅々まで徳川の絶大な威光が轟いている時代なのです。いわゆる帯刀の特権とは、打刀と脇差の二本差しのことです。脇差か道中差か一本だけなら、それは帯刀の特権に抵触するものではありません。「水戸黄門」はストーリーも設定もフィクションですが、時代背景を無視した話でもないのです。かっかっかっか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりまするー。
ははーっ m(_)m

お礼日時:2011/10/27 19:05

(1) 完璧な不正解   正解はドラマだからです  



実際にあのようなことが起これば、上様を騙る不届き物として始末されてしまうでしょう
(特に光圀の頃は、戦国時代の尾を引いていましたから不届き者を成敗するのは義務、できない者はとがまられる)

武士でも刀を抜けなくなったのは綱吉の代の生類哀れみの令以降です(生類哀れみの令は戦国時代のパラダイム変換が主目的です)

主旨は歴史のジャンルでの質問ではありません

そのことさえ判らないくらいドラマの毒に染まっています

(2) 士分でなくても、道中には道中差として認められていました
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この回答へのお礼

道中差というのがあるんですね。
なるほど。
歴史のジャンルではございませんでしたか失礼しました。
ご回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2011/10/27 19:07

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Q今度の水戸黄門は、武田鉄矢さんに決定!

以前の放送終了から6年ぶりとなる、TBSの「水戸黄門」ですが、黄門様役に武田鉄矢さんが決定したそうです。
さて武田鉄矢さんと言えば、「金八先生」「101回目のプロポーズ」「刑事物語」などの作品の印象が強いためか、ネットでは“武田黄門”の活躍をそういう物語と重ね合わせて妄想している人が多いそうです。

そこで、皆さんはこの“武田黄門”、どんな裁きを見せると思いますか?
どんな水戸黄門になりそうでしょうか?

Aベストアンサー

何だかイメージが全く湧きません〜〜
髪を掻き分けながら、この紋所が…って自身が言いそう。

Q時代劇を見て疑問に思ったことです。暇なときにでも読んでください

どうでも良い質問ですが気になりました、笑い飛ばす程度で読んでいただいてください。
時代劇、とくに水戸黄門と暴れん坊将軍を見て疑問に思ったのですが、毎度45分すぎに仕留められる悪人達は御三家、将軍と知らなかったとはいえ斬りかかったのは事実ですから、その処遇はこの悪人達のみ切腹!や追って沙汰を通すので覚悟せよ!どころではすまないんじゃないのではないでしょうか?史実でそういうことがあったとは思わないのですが、仮にやっちゃったとしたらある種クーデターな訳ですから、一族縁者すべて抹殺されるんじゃないでしょうか?
リアルに歴史考察するとどういった罪状と処罰が妥当と思われますか?

Aベストアンサー

面白い質問ですね。

いずれも、本来やってはいけないことをやっていると言うことで考えます。

水戸光圀の場合
由井正雪の乱を期に、武断政治から文治政治へ転換していくことになりますが、その後の播州赤穂藩への対応を見る限り、大名ならば御家取り潰しでしょうね。(おそらくその事件がおきるとすれば由井正雪の乱と赤穂藩取り潰しの間に起きるものと想像)隠居の身とはいえ、先の水戸藩主を危険にさらした事で多くの人の罪が問われる気がします。
戦国気風が抜け切っていないと思われる時期なので、幕府の権威が失墜し、戦国時代にもどってしまう可能性もあり考えると恐ろしい。

徳川吉宗の場合
この人の性格を想像すると隠ぺい工作を行うのではないかと。しかし、尾張の徳川宗春あたりが自体をかぎつけ吉宗批判を展開し将軍に。米経済から貨幣経済に経済改革。これは良いことかも。

Q武田鉄矢のなぞかけについて

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以下の武田鉄矢のなぞかけ、どなたか思いつきませんか?

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Q 時代劇を見ていて思ったのですが、昔の武士は甲冑で身を固めていましたが

 時代劇を見ていて思ったのですが、昔の武士は甲冑で身を固めていましたが(足軽は別として)、刀で間

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時代劇ではただ切っているだけでしたが、そんな手段では甲冑に阻まれて殺傷できないと思います。

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ご推察のとおり、甲冑は簡単に切れません。
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モテるか、モテないか
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有識者であるのに、気取らないのは好感が持たれがちです。
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Q水戸黄門について

水戸の黄門さまは 現代の政治での役職は総理大臣くらいでしょうか ?
今の政治家だと 何方が黄門さまにふさわしいでしょうか

Aベストアンサー

御三家について
十一人の男子に恵まれた徳川家康の死の枕元にいた男子は
四人だけでした。

二代目の将軍職をついだ三男徳川秀忠、九男の尾張松平義直、
十男の紀伊松平頼宣、十一男の松平頼房。
他の六人は家康の存命中に病気や事件で死亡し、六男は
勘気に触れ蟄居(罪人状態)でした。

家康の心配は豊臣の残党より、将軍職をめぐるの身内の争いでした。
将軍にあとを継ぐ男子がいないと、松平家一統の骨肉の争いになり、
場合によっては天下大乱で、苦労して築いた平和が消える。

家康は死に当たり、代々将軍に嫡男が無い時は、尾張または
紀伊家より次期将軍を出す。   将軍(元も)しか名乗れなかった
徳川の姓を、尾張、紀伊、水戸の藩主(元も)にも許すときめました。
宗主の徳川に準じるとして、御三家という他の親藩大名より
格上の地位を設けました。  また御三家の藩主は将軍の補佐を
するよう命じました。 

このことから世間は俗に副将軍と呼んだのです。
ただ副将軍という役職はなく、また補佐といっても何をするという
決まりもなかったので、家光の時以降幕府の体制が整備されると
御三家が幕府の政務に口をはさむことはほとんどありませんでした。

ただ一度四代将軍家綱が嫡男に恵まれなく、次代将軍を綱吉に
決めるにあたり、水戸光圀が強力に後押ししたことがありました。
このいきさつより、光圀はたまに親しい綱吉に苦言を呈したことも
ありましたが、煙たがられたようです。
その後幕末まで、御三家が影響力を示したことはなかったようです。   

光圀の俗称副将軍は案外的を射ているかもしれません。

水戸黄門を光圀に限っていうことにすると、御三家の藩主は主要
都府県の知事で、将軍の補佐は首相のご意見番(勝手な非常勤
顧問)になりますがどうでしょう。
これではふさわしい人は難しく、元首相(首相にはなれなかったが
同格と見られる人もふくめ)で現首相の非常勤顧問のような人を
さがしますか。   地位だけはふさわしい人はいるようですが、
品格ではどうも。

御三家について
十一人の男子に恵まれた徳川家康の死の枕元にいた男子は
四人だけでした。

二代目の将軍職をついだ三男徳川秀忠、九男の尾張松平義直、
十男の紀伊松平頼宣、十一男の松平頼房。
他の六人は家康の存命中に病気や事件で死亡し、六男は
勘気に触れ蟄居(罪人状態)でした。

家康の心配は豊臣の残党より、将軍職をめぐるの身内の争いでした。
将軍にあとを継ぐ男子がいないと、松平家一統の骨肉の争いになり、
場合によっては天下大乱で、苦労して築いた平和が消える。

家康は死に当たり、代々将軍...続きを読む

Q水戸黄門

時代劇の「水戸黄門」。
時代劇といったら、まずまっ先に大抵の人が挙げてくれるだろう「水戸黄門」。
(いや、違うだろう、という人がいることはわかっています)

しかし、水戸黄門は御存知のとおり、いろんなバージョンがあり、どうも新しいキャラとか配役になじめないということは多々あります。
そこは百歩譲りましょう。

みなさんにとって、「水戸黄門」にこれだけは欠けてはならないものはなんでしょうか。
ちなみに、これは前提条件とします。
 1.水戸黄門(いなくちゃはじまりません)
 2.勧善懲悪(正義が最後に勝つ)
 3.諸国漫遊(旅に出ない水戸黄門は面白くないかと)

ちなみに、僕は「風車の弥七のいない水戸黄門」はものすごくさびしく感じます。なんででしょうかね。

Aベストアンサー

nabayoshさん、こんばんは。

じいちゃんばあちゃん子だった自分は、子供の頃には(○十年前)よく見ていました。よって私もgunmanさん同様「東野英二郎」黄門じゃないと、やはり違和感があります(東野氏が何かの映画で悪役やってたのを見たときは、大ショックだった・・・)。
よって助さんも里見浩太郎、角さんは横内正でないと何か、「栗貫のルパン三世」みたいな気がします。

私にとっては、この三人キャストが「必須条件」ですね。

弥七、八兵衛はもちろん必要ですが、お銀や飛猿には思い入れが全くありません。

あ、それから15回に1回ぐらいの割合で「印籠が出てみんな『ははーっ!』と恐れ入っているのに、いきなり身を捨ててはむかってくるやつ」が出てくると、なぜか嬉しかったです(体制への挑戦?)。結局角さんとかに斬られちゃうんですけどね(笑)。

Q時代劇をみて素朴な疑問

テレビ・映画の合戦のシーンを見ていつも不思議に思っていることがあります。それは馬上の武将を鉄砲や弓矢で攻撃するときになぜ馬を狙わないのか?ということです。馬のほうが標的になりやすいのに馬を狙っていることはほとんどありません。その理由は馬は貴重な戦利品となるからでしょうか?それとも演出上馬への攻撃の表現が映画等では難しいからでしょうか?
それとも馬を狙うのは卑怯なのでそういうことはしなかったのでしょうか?どなたかお詳しい方お教えください

Aベストアンサー

 
日本には、騎馬軍団がいたのかいなかったのかということでは、わたしは飛鳥や奈良時代にすでに、五百人や千人規模の騎馬軍団はいたと思いますし、その後、平安時代は全国的に平和になるので、軍団というような規模はいなくなっても、武士の擡頭と共に、再び、騎馬軍団が生まれたと考えています。鎌倉、室町、戦国の時代には、規模は様々でも、騎馬軍団は当然いたことになります。

また、日本で考えなくとも、中国や西アジア、西欧などで考えれば、騎馬軍団がいたのは自明のことです。特に中国は、騎馬軍団で侵攻してくる遊牧民族と、農民を基本とする農業帝国のあいだでの絶え間ない戦いの歴史だったとも言えます。

その場合、弓や鉄砲があれば、馬上の人を狙ったか、馬を狙ったかという問題は、「どういう戦闘」状況での話なのかで、全然事情が違ってきます。

>その理由は馬は貴重な戦利品となるからでしょうか?

これは、標的を馬上の人か、馬か、どちらかを「選べる状況」では、馬は殺さないで戦利品として欲しいので、馬上の人に狙いを付けたと言えます。他方、狙って撃つなどという戦闘状況でない場合は、仮に、馬と人が射程に入れば、馬の方が大きいですから、馬に矢が当たり、馬が倒れ、人は落馬というようなことが多かったでしょう。

>それとも演出上馬への攻撃の表現が映画等では難しいからでしょうか?

馬か人か、狙いを付けて撃つ状況でない場合の戦闘シーンで、馬が撃たれて倒れないのは、単純に、本当の戦闘ではないので、馬が倒れたりすれば、俳優やエキストラや馬も、傷を負い、命にもかかわってきて危険なので、そういうシーンは出せないということです。

しかし、最初に述べているように、そう簡単に、貴重な軍馬を弓の標的として狙い撃ちにされるような戦闘は、騎馬軍団の場合、「実際には行わない」というのが大きな理由です。敵が、何百人も、弓を構えて、今にも撃とうと用意している前に向かって、刀や槍を振り回しながら、騎馬でなくとも、武士や兵士が突貫して行くなどは、自殺行為であって、そんな「戦術」はないのです。

相手が、弓部隊を並べて、攻撃を待ち受けている場合は、攻めて行く側も、大型の楯を持って身を守りながら、楯の後ろから、弓矢を撃ちつつ、押し寄せて行きます。防御する側も、楯だとか、柵、土累などの陰で身を守りながら、弓を撃つのですし、攻撃側が至近距離に来れば、長槍というもので、攻めて来る敵を突き殺す戦術を取ります。これは、歩兵と歩兵の戦いです。

つまり、騎馬軍団というのは、待ち受けている弓兵部隊の一斉射撃の前に、身を晒すような戦闘はしないのです。弓兵部隊を無力化してからか、または有効に弓兵部隊が力を発揮できないような場面で、疾風のように騎馬で襲いかかって、敵陣の防御を破壊して、また疾風のように引き上げるのです。

こういう風に攻めて来る騎馬軍団に対しては、組織的な弓兵隊ではなく、何かに身を隠した弓兵とか、土に穴を掘って、そこに隠れて、走って来る軍馬に鉄砲などで狙いを付けるというような戦い方しかないとも言えます。そして、こういう場合、撃ち手には、機会が一回とか二回ほどしかないので、人を狙って撃つのだと言えます。

騎馬部隊が、疾駆して進む頭上に、何千もの矢が、雨霰のように一斉に降って来るというのは、騎馬部隊としては、戦術に失敗しているのです。こういう場合、人馬もろとも、矢の餌食ですし、倒れた馬にぶつかって別の馬も倒れるので、騎馬軍団としては、こういう戦闘になっただけで、すでに敗北なのです。

しかし、映画などだと、騎馬と人の部隊が攻め寄せて来るのに向かい、同じく、騎馬と人が迎え撃ち、弓矢を射かけるというのが、いかにも「戦闘スペクタクル!」という感じなので、こういうシーンを出すのでしょう。実際は、こんな戦闘方法は、どちらかが敗北しているような場合で、ごく短時間しか続きません。
 

 
日本には、騎馬軍団がいたのかいなかったのかということでは、わたしは飛鳥や奈良時代にすでに、五百人や千人規模の騎馬軍団はいたと思いますし、その後、平安時代は全国的に平和になるので、軍団というような規模はいなくなっても、武士の擡頭と共に、再び、騎馬軍団が生まれたと考えています。鎌倉、室町、戦国の時代には、規模は様々でも、騎馬軍団は当然いたことになります。

また、日本で考えなくとも、中国や西アジア、西欧などで考えれば、騎馬軍団がいたのは自明のことです。特に中国は、騎馬軍団...続きを読む

Q「ミットもない」はどちらが先(武田鉄矢、高倉健)

 カテゴリーをどこにしようか迷いましたが、ここにしました。
 映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の中で、高倉健が武田鉄矢に言うのと、「三年B組金八先生」の第一シリーズ(鶴見辰吾、杉田かおるらの)で、海援隊のコンサートに行く回で、本人役の武田鉄矢がコンサートの中のトークで言うのがあります。
 「お前らみたいなのを、俺たちの方(九州)では、『草野球のキャッチャー』と言うんだ。意味が分かるか。『ミットもない』ということだ。」
 映画が公開されたのは1977年、ドラマが放映されたのは1979年で、映画の方が先ですが、ドラマの中では、海援隊のコンサートの中のせりふということで、海援隊のコンサートでは、映画より先に言われていたのかもしれないという可能性があります。海援隊の「母に捧げるバラード」がヒットしたのが1974年頃です。
 つまり、
・海援隊(武田鉄矢)らのネタを山田洋次監督ら(映画の脚本にも山田監督が加わっていると思います)がパクったのか、
・映画の中の高倉健のせりふを、武田鉄矢らがパクったのか、
どちらなのでしょうか。一つの目安として、映画が公開されるより前から武田鉄矢が言っていたとすれば映画の方がパクリでしょうし、映画が公開される前には武田鉄矢が言っていなかったのなら、武田鉄矢の方が映画のせりふをパクった、ということが言えると思います。海援隊に詳しい方など、ご存知の方、ご教示願います。

 カテゴリーをどこにしようか迷いましたが、ここにしました。
 映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の中で、高倉健が武田鉄矢に言うのと、「三年B組金八先生」の第一シリーズ(鶴見辰吾、杉田かおるらの)で、海援隊のコンサートに行く回で、本人役の武田鉄矢がコンサートの中のトークで言うのがあります。
 「お前らみたいなのを、俺たちの方(九州)では、『草野球のキャッチャー』と言うんだ。意味が分かるか。『ミットもない』ということだ。」
 映画が公開されたのは1977年、ドラマが放映されたのは19...続きを読む

Aベストアンサー

どうもこんにちは!


海援隊のライヴステージでは、『母に捧げるバラード』のレコーディングバージョン以外にも、様々なセリフのバージョンが存在していました。
その中に「ミットもない」のエピソードもあったように思います。

つまり、元ネタは海援隊だと思われますが、山田洋次監督がパクったというよりも、武田鉄矢公認で使ったエピソードということでしょう。
いつもは母親に言われる言葉を、勇さん(高倉健)の口から言わせるという演出だったと思いますよ。


ご参考まで

Q水戸黄門が大名行列に遭遇したら?

諸国漫遊している水戸黄門が大名行列に遭遇してたらやはり土下座をするのでしょうか?

WEBで検索してみると土下座をしなければならない大名は
将軍と御三家(水戸藩、尾張藩、紀伊藩)だけでよかった。

となっております。

水戸黄門とお付きのお二人ははたから見ると侍には見えません。

遭遇するようなことがあったら水戸黄門御一行はどうするのでしょうか?

Aベストアンサー

黄門様の諸国漫遊記は隠栖した黄門様が、介さん、覚さんを伴い諸国を旅し、悪者達を懲らしめ善を勧める物語です。しかし実際に黄門様が諸国を漫遊した事実はありません。
では、なんであんな漫遊記が出来たかというと、藩主時代から黄門様の領内巡視は有名な話で、とくに隠栖後は、わずかなお供と目立たぬように、土地の人と同じ物を食し、農家の苦労を聞くと自ら田を耕し、その苦労を体験したといわれています。そういった話をもとに、明治二十年代に大阪の講談界で面白おかしくついくられたのが原型のようですね。

というわけで、黄門様は大名行列に遭遇する心配はありません。(笑)
でも、そう言ってはみもふたもないでしょうから、お話の世界でいえば、庶民に化けているわけですから土下座をしたでしょうね。事実、ドラマではしていましたから。


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