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 2001年に20世紀フォックスから公開されたティム・バートン監督によるSF映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」は、1968年に公開されたフランクリン・J・シャフナー監督の「猿の惑星」とは異なり、舞台が未来の地球ではない筈ですが、何故馬がいるのでしょうか?
 仮に、舞台となっている惑星が未来の地球だったとした場合には、地上には全ての猿を圧倒的に上回る数の人間が居ますから、少数の猿が叛乱した処で、反乱を起こした猿は速やかに処分されてしまう筈ですから、舞台が未来の地球とは考え難いと思います。
 例え、人類が絶滅した後の地球だったとしても、そもそも、馬という動物は、家畜として人間に保護されているものを除けば、現時点でも絶滅寸前の生物なのですから、保護者である人類が絶滅した後に、猿と出会って家畜化されるとは考えられないと思います。
 ですから、不時着した宇宙船オベロン号に馬が居たとしか思えませんが、何のために馬を載せていたのでしょうか?

A 回答 (5件)

> 舞台が未来の地球ではない筈ですが、



そう思います。

序盤で宇宙飛行士が磁気嵐に巻き込まれ、惑星に不時着する際にも、周りに複数の惑星や衛星のある、明らかに地球とは違うイメージの惑星でした。
後半で、オベロン号に残されていた記録でも、オベロン号が不時着したのは無人の惑星で、猿はその後惑星で生活する際の労働力になってくれたって話があったと思います。

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> ですから、不時着した宇宙船オベロン号に馬が居たとしか思えませんが、何のために馬を載せていたのでしょうか?

猿の遺伝子に関しての実験なんかも行なっていた設定ですから、他の動物がいても不思議は無いです。
ただ、馬は大きすぎて実験動物なんかには向きませんが。


年代の設定が2029年とかになっていましたが、人類の持っている技術はかなり進んだものになっています。
・単機で宇宙を航行、大気圏にも突入できるポッド。
・オベロン号自体、かなり大きく、研究施設には擬似重力か、そんな感じの円筒構造は無かったので人工重力なんかがある。

そういう事から、遺伝子の記録とか、精子や卵子のみ保存していたものから、馬を再生したとか。


前述のオベロン号の記録だと、宇宙船は再度飛び立てないので、早々に惑星で生活する方針に切り替えたような印象もあります。
そういう前提なら、猿を作業に使っていたって話から、労働力として馬を使うって事はあり得ます。
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この回答へのお礼

 御回答有難う御座います。

>猿の遺伝子に関しての実験なんかも行なっていた設定ですから、他の動物がいても不思議は無いです。

 冒頭部分に、チンパンジーのペリグリースがシミュレータによるポッドの操縦訓練を受けているシーンがありましたし、未知の現象である宇宙嵐の調査のために、ペリグリースが操縦するポッドを発進させてもいましたから、私には、単純な労働力というよりも、人命を失うリスクを冒す事なく、危険な作業を遂行させるための要員として、類人猿の類を活用する事を目的とした研究(完成一歩手前)が行われているように思えました。(尤も、「喋れない=報告する事が出来ない」猿を貴重なポッドに乗せて使うくらいなら、安価でパニックを起こす事もない無人の小型探査機を使えよ、と激しく思いましたが)
 ですから、動物の高知能化の研究対象は、機械や道具を操作するための手を備えた猿にほぼ限られ、指が1本しかない馬は別の目的で載せていたのではないかと思います。(馬に出来て、機械には出来ない作業があれば、別ですが)

>遺伝子の記録とか、精子や卵子のみ保存していたものから、馬を再生したとか。

 そうですね、水、食料、酸素の消費量や、飼育スペース、排泄物の処理に要する負荷、等が大きい大型動物を、そのまま載せるよりも、新たに生み出した方が合理的ですね。
 馬用の人工子宮が必要となりますが、その辺りはフィクションですから、何とでもなると思います。

>前述のオベロン号の記録だと、宇宙船は再度飛び立てないので、早々に惑星で生活する方針に切り替えたような印象もあります。
>そういう前提なら、猿を作業に使っていたって話から、労働力として馬を使うって事はあり得ます。

 成程、馬を連れて来た本来の目的は定かではなくとも、自動車等の機械が、燃料を燃やして動力を得る形式であり、その燃料が尽きた場合には、馬を労働力とする事もあり得ますね。(労働力としては、脆弱なサラブレッドよりも、農耕馬や牛を使った方が良いと思いますが)

>単機で宇宙を航行、大気圏にも突入できるポッド。

 あれには私も笑いました。
 操縦席の前面に透明の大きな窓を備えた扉があり、その窓を進行方向に向けながら、大気圏突入をしているのにも関わらず、操縦者は輻射熱で丸焼きにならないのですから。

>オベロン号自体、かなり大きく、研究施設には擬似重力か、そんな感じの円筒構造は無かったので人工重力なんかがある。

 オペロン号には円筒構造そのものは無くとも、リングの一部を切り欠いたCの字形の様な形をした張り出しがありますから、そのCの字形の中心を軸として、船体全体を自転させれば、遠心力を人工重力として使う事が出来る可能性もあると思いますが、如何でしょうか?
 只問題は、そのCの字形の外周側の外壁(遠心力による人工重力下では床面に相当する)にも、窓らしきものがあったような気がしますが…

お礼日時:2011/11/20 03:26

 SF映画というのはテレビ放送される時は設定や台詞が変えられる事がありますので、年と共に解釈が変わってしまう場合があります。

「猿の惑星」も同じジレンマがあるようですね。

 「猿の惑星」を最初にテレビ放送で見た時は、宇宙船は光速度に近い速度で飛行する宇宙船で、アインシュタインの相対性理論の話が出て来ましたし、女性宇宙飛行士が死亡していた原因は人工冬眠薬の副作用による死亡だと解釈されていた記憶があります。

 「猿の惑星」は人気が出て続編がいくつも作られたので、お話の辻褄が合わなくなり、途中で設定を変えているようですね。宇宙船で未来に行ったり、過去に戻ったりしていますから。

 新作「猿の惑星」も、かなり設定を変えてあるようで、初期のお話とは違ったものになっているように思います。
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この回答へのお礼

 重ねての御回答有難う御座います。

>SF映画というのはテレビ放送される時は設定や台詞が変えられる事がありますので、年と共に解釈が変わってしまう場合があります。「猿の惑星」も同じジレンマがあるようですね。

>「猿の惑星」は人気が出て続編がいくつも作られたので、お話の辻褄が合わなくなり、途中で設定を変えているようですね。宇宙船で未来に行ったり、過去に戻ったりしていますから。

 そうですね、只、ティム・バートン監督の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」は、私が知る範囲内では、1作しか製作されていない様ですから、前後作との設定上の矛盾は現在までの処、存在のしようもありませんから、その様な問題を気にする必要が無い分、本件を考える際にも楽なのではないでしょうか?(逆に、取っ掛かりが無いとも言えるかも知れませんが)

>新作「猿の惑星」も、かなり設定を変えてあるようで、初期のお話とは違ったものになっているように思います。

 元々は、ベテルギウスの周囲を回っている惑星において、6本腕の猿に似た生物が文明を担っていて、人間(に似た生物)は狩られる側の動物として描かれている話の様ですから、フランクリン・J・シャフナー監督の1968年版「猿の惑星」の頃から既に、原作とは設定が異なっています。
 ですから、むしろティム・バートン監督の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の方が、舞台が地球以外の惑星であるという点において(のみ)、原作に近いと言えると思います。

お礼日時:2011/11/21 06:01

 前作の「猿の惑星」では恒星間飛行に成功した亜光速宇宙船による宇宙旅行というお話で、相対性理論による時間遅延効果が起こっていて、宇宙船が不時着した地球は遥かな未来という設定になっていました。

しかし、乗り物としての馬は出ていたように思います。

 新作「猿の惑星」でも舞台設定は同じだろうと思います。テレビで放送されましたが、お話が「スタートレック」みたいで面白くなかったので、途中までしか見ませんでした。

 核戦争で地球が滅亡した後に馬が生き残れるかという問題ですが、家畜化した動物の多くは人間がいないと絶滅する以外に無いのだそうです。

 しかし、ディンゴのように家畜化した犬が野生に戻った例もあり、馬の中にも生き残って野生化する種類があるかもしれません。実際、野生の馬は現在も実在しますから、絶滅するとは限りません。

 核戦争で人類が滅びると言われているのは、核戦争の破壊力で滅びるとか、放射能で滅びるとか、そういう近視眼的な問題ではなく、文明が崩壊し、知識が失われたら、人類は存続出来なくなるのです。

 実際、今、文明が突然崩壊してしまったら、人類は文明生活を失うだけではなく、医療や介護も失い、生きていくのが難しい自然界の厳しさに直面する事態になります。言語文化も失った人類が文明を再起するなど不可能でしょう。

 化学物質を使って人間の知能や記憶力を低下させる技術は、すでに存在しています。そういう技術が戦争を目的に使われて、人間を猿以下の動物に変えてしまったら、猿の惑星が実現しても不思議ではないでしょう。文明を崩壊させる技術開発への警鐘が「猿の惑星」のテーマではないかと思います。
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この回答へのお礼

 御回答有難う御座います。
 折角御回答頂いた処、申し訳御座いませんが、SPROCKETER様は一部誤解されておられる様です。

>前作の「猿の惑星」では恒星間飛行に成功した亜光速宇宙船による宇宙旅行というお話で、相対性理論による時間遅延効果が起こっていて、

 確かに、1968年に公開されたフランクリン・J・シャフナー監督の「猿の惑星」では、土砂に埋もれかけた自由女神像が映っていて、舞台が遥かな未来の地球である事が明確にされていましたが、2001年に公開されたティム・バートン監督の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」では、不時着したオペロン号以外には、過去の人類の痕跡は一切登場しませんし、猿が人間にとって代わったのは、高知能化した猿の中の1頭であったセモスが、他の猿を煽動して人間に対して反乱を起こした際に、人間側が負けたためである事が、明確に語られています。
 又、私は覚えていないのですが、ネットで調べてみた処、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の舞台となっている惑星には、月が2つあるそうですから、地球では有り得ません。
 又、言語文化は人類が文明を築く以前から存在していたと考えられますから、文明を失っただけで人間が喋れなくなるというのは、どう考えても不自然であり、実際、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」に登場する人類は、主人公のレオ・デイヴィッドソンと同じ言語(まず間違いなく英語)で会話していました。
 ですから、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の人類は、アメリカ軍の宇宙船であるオペロン号の乗組員の子孫であると考えられます。

>馬の中にも生き残って野生化する種類があるかもしれません。実際、野生の馬は現在も実在しますから、絶滅するとは限りません。

 いえ、現在確認されている純粋な野生馬は、「蒙古野馬(タヒ)」位のもので、北米大陸の「ムスタング」や、宮崎県都井岬の「御崎馬」などは逃げ出した家畜馬が野生化したものだとされています。
 その蒙古野馬にしても、1966年に目撃例があるのを最後に、1968年には絶滅したとされています。
 この事は、馬という生物種は、犬や狼とは違って、自然界における生存競争に生き残る能力が劣った種である事を示しています。
 一方人類には、未だに狩猟採取生活を継続している民族が居ますし、その様な文化を持つ人々が住んでいる地域は、核攻撃の対象からは外れていますから、核攻撃後の世界に、少数しかいない猿や、実質的絶滅している馬が生き残れるのであれば、人類もまた生き残っていなければ不自然です。
 ティム・バートン監督の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」でも、フランクリン・J・シャフナー監督の「猿の惑星」のシリーズの第4~5作目辺りでも、人間に代って猿が支配する世界となったのは、人類が猿に負けたためである事が語られています。

 それから余談ですが、フランクリン・J・シャフナー監督の「猿の惑星」において、宇宙船が未来の地球に到着したのは、相対性理論による時間遅延効果(ウラシマ効果)のためではなく、時空の歪みに巻き込まれたためだったと記憶しています。
 実際、乗組員の中の1名だけが、時間が進み過ぎたために、死亡して遺体がミイラ化していましたし、シリーズの第3作目では、コーネリアスを始めとする3頭の未来猿が、コバルト爆弾の爆発で地球が消滅する寸前に、地球を脱出し、時空の歪を通って、20世紀の地球にやって来る話となっていますから、ウラシマ効果によるものではない事は明らかです。

お礼日時:2011/11/20 04:41

>何故馬がいるのでしょうか?



馬がいなくていい理由もありません。
つまりどうでもいいのです。
理屈は何とでもつけられると思います。

それと、映画を見た感じでは、
近未来というより、パラレルワールドが舞台と
いう風に感じられました。
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この回答へのお礼

 御回答有難う御座います。

>馬がいなくていい理由もありません。

 馬が居ない方が、設定に整合性が取れる事で、作品世界に深みが出ると思います。

>それと、映画を見た感じでは、 近未来というより、パラレルワールドが舞台と いう風に感じられました。

 つまり、2001年版の猿の惑星は、馬は存在していても、類人猿等の人科の生物は進化しなかったパラレルワールドという事ですね。
 脚の構造上の問題から、3本指を持つ馬の祖先の動物から進化して、現在の馬の様に1本指の動物が現れたのは、比較的後の時代である約400万年頃であるのに対し、ヒトとチンパンジー等の類人猿が別の生物となったのは500万年前前後と考えられていて、実際、最初期の人類の祖先に近い生物であるラミドゥス猿人は約440万年前の生物ですから、人類が居ないパラレルワールドは、最初の馬が現れる以前に違う歴史を歩み始めた世界という事になり、現実世界の馬とそっくりな動物が進化する確率は低いと思われますが、絶対に無いとは言えませんから、馬が登場する理由の1つにはなり得ますね。
 後どうでも良い事ですが、ティム・バートン監督版では、猿の歴史が始まってから数千年が経っている事が語られていますし、フランクリン・J・シャフナー監督版では、ニューヨークの自由の女神像が堆積した土砂によって半分埋もれてしまっていますから、どちらの作品も(人間が支配している世界のシーンは別として)猿の惑星が近未来である様に見えるシーンは無かったように思いますし、私の質問文でも、猿の惑星の主舞台が近未来であると取れる様な文面は無いと思うのですが・・・

お礼日時:2011/11/16 01:39

2001年にリメイクされた作品は観に行かなかったんです。


予告で観たのですが、人間が喋っていたからです。
1968年の猿の惑星の方が面白かったと思います。
人間が喋れない程退化しているから面白いのです。
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この回答へのお礼

 御回答有難う御座います。
 1968年版に関しては、私は逆に、理由もなく人類が喋れなくなっている点が、不自然過ぎて嫌だったのですが、SFとして見做さず、異世界のファンタジーものとして観る場合には、人間が喋ら無い方が面白いかも知れないですね。
 そう言った意味では、フランクリン・J・シャフナー監督のシリーズは、地球を舞台にしているが故に、どっちつかずの中途半端な作品になっている様に思えます。

お礼日時:2011/11/16 00:27

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