とっておきの手土産を教えて

国鉄時代の客車に詳しい方にお尋ねします。
「つばめ」や「はと」などの客車特急の走っていた時代は1、2、3等の客車がありましたよね。
そこでその時代の1等車にはどのような物があったのでしょうか、
木造は除いて鋼製客車で「イ」の記号を表示していた客車を知りたいのです。
私の知る限りでは、展望車と寝台車以外の1等車は青大将に連結されていたマイ38だけなのです。
これ以外に、「ネ」や「テ」の付かない1等車はあったのでしょうか?
あったのなら、それはどのような車両で、何の列車に連結されていたのかご存知の方お教え下さい。

A 回答 (3件)

こんばんは。

前の方の回答ですが・・・

>「国鉄」に限れば一般旅客営業に使用されたのはマイ38のみですが・・・

ウソです。全く「出鱈目な回答が付いていますな。」

残念ながら特急富士に接続する形で九州島内に運転された急行1、2レには「マイシ37900」という
一等食堂合造車が連結されていたんですよ。正真正銘一般の列車に連結された一等座席車です。

1934年に一等車は東海・山陽線の優等列車以外には連結されなくなり、このマイシはマロシに
改称され(室内はそのまま)大社急行に使用されました。

また、先に出たマイフ97はデッキの無い密閉型の展望車でして、外国の要人が東京から京都に向かう時に
何度も使用されています。14号御料車の後に連結されたようです。牽引機はEF5861ですね。

あと進駐軍専用列車用の一等車としてオイ30、オイ31がありましたがこれも一般の列車には
使用されていません。

その他にはスイロフ30550というのが戦前にありましたが、これも政府高官や皇族方の貸切用でした。

ということで、一般旅客営業に使用された一等座席車はマイ38以外には、マイシ37900があるのですよ。
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この回答へのお礼

おお、素晴しいですねマイシ・・・是非図面か、写真を拝ませて戴きたいものです。
世が世なら、当然姉様と共に富士に乗って、下関に行き、そのあと門司からその1列車の
マイシで南下・・・・夢のような話ですね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/28 00:23

何か出鱈目な回答が付いていますな。



「国鉄」に限れば一般旅客営業に使用されたのはマイ38のみですが他に特別営業客車(所謂インスペクションカー)としてマイ98、スイ99、マイフ97が有ります。
さらに連合軍用客車に対する国鉄形式としてイとなっているものが有ります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/28 00:20

 鉄道サークルで鉄道産業考古学を教えている者ですので回答をさせていただきます。



 明治の頃は上等(一等)、中等(二等)、下等(三等)で車両の階級はスタートし、それぞれの区分としてイ、ロ、ハが割り振られました。これは日本が敗戦になり、米軍の滞在(俗に言われる進駐軍)の接収により、改番されるまで続きました。

 改番されるまでには寝台に関しては「マイネ」等が格下げにより、「マロネ」になりました。この時に冷房がある寝台がA寝台の始まりです。部分にしか冷房がない寝台はB寝台になり、冷房がない寝台はC寝台になりました。昭和44年に優等列車には等級の廃止によりC寝台はB寝台の3段寝台に改められました。
 
 A寝台 http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E5%AF%9D%E5%8F%B0 …

 一等車 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%AD%89% …

 
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この回答へのお礼

回答戴きましたが、私の知りたいことではありませんので、残念でした。

お礼日時:2011/11/28 00:19

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