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「悲惨のなかにこそ人間の真実がある」という考え方で
戦場や難民キャンプ、地震・津波の被災地などを
巡ったりしてる作家や写真家がわりといますが
こういう考え方はどうして産まれてきたんでしょうか?

オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも
人間の真実の姿ですよね?
というかそっちのほうが圧倒的にいいと思うんですが・・・

A 回答 (14件中1~10件)

こういう質問は、相手を見て答えなければならない類のものですが、好奇心という程度らしいので、ごくシンプルに答えます。

専門家が見たら、もっとちゃんと論述せよというでしょうし、私もできないわけではありませんが、ともかくわかりやすく答えた方が効果的と思ったので。

まず、尋ねてらっしゃる作品はレアリスムというものです。これが生まれた時期についていえば、まずフェルメールなどを思い浮かべればいいのです。日常の些細なものの中にも美があるというのが、始まりです。これが貧困問題などと結びつけられて、盛んになったのは、とくに十九世紀のフランスです。市民社会が台頭してきた時期です。貴族という特権階級の楽しみのために、美しいもの提供することが芸術なのではなく、苦しみの中にも美があると主張されるようになってきたのです。

なぜ、レアリスムが生まれたのか。端的に、人間が平等だと思うからです。安楽な生活をしていると、苦しい生活をしている相手が、虫けらのように感じられ、同じ人間ではないという考えに陥ってしまいがちです。ホームレスを排除しようという運動は、いくらでもありますね。
しかし、苦しい生活の中にだって、輝くものがあると見いだせれば、某かの平等の観念が築けるのです。人と人とのつながりが作れます。人道主義的な視点を支えるという点に、レアリスム芸術の意義があります。

人道主義なんてダサいという考え方もありますね。極端なものは、置いておきましょう。しかし、完全に人道主義的な観点を失ってしまうと、社会全体は、随分と、官僚的で、ギスギスとしたものになるでしょうね。結局、東大卒で、資産数億という人でもない限り、貧困や排除は誰にでも起きうるのです。世の中、そういう勝ち組ばかりでもないでしょう?

もちろん、苦しんでいる人間を見て、優越感に浸る人もいます。またサディスティックな快楽を覚える人もいます。どのように他者の苦しみを眺めるべきか?という議論は、かなりなされていることです。スーザン・ソンダグ著『他者の苦痛へのまなざし』など。

レアリスム芸術だけが真実であり、それだけに没入するべきだ、ということはありません。しかし、社会に生きる以上、自分の楽しみをもつ一方で、他者の苦しみを無視することができないのです。
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この回答へのお礼

リアリスム勃興の裏には、フランス革命による市民社会の出現と
産業革命による労働者層の搾取貧困、社会主義の勃興という
社会的背景があると考えると良さそうですね。

お礼日時:2011/12/11 16:36

>悲惨のなかにこそ人間の真実がある



人間が生きるか死ぬかのぎりぎりの困難な状況の中に置かれたとき、そこに生きるひとたちとその関係性、現れてくる現実の姿には彼らの真の生命力の差と、おたがいのエゴイズム剥き出しの本来の裸の人間性がむき出しになる、なりがちであるということだと思います。

>こういう考え方はどうして産まれてきたんでしょうか?

まあ直感と人間の長い経験からわかってきたのではないえしょうか。

そういったシンプルな考えと、実際に戦場や被災地の現場を撮影して回るカメラマンの作品にはやはりずれがあるのはたしかでしょう。そのずれを極小にしていくのが彼らの心意気であり、手腕であり技術であると思います。


>オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも
人間の真実の姿ですよね?

それも間違いではないでしょうが、首記のテーマにより重い価値を見つけて、それを追う人もいるということです。


>というかそっちのほうが圧倒的にいいと思うんですが・・・


いい?
それは貴方の価値観ですね。どっちが良いかという判定はひとそれぞれで不可能だと思いますが、私は人の心に強く印象づけるという意味で首記の方を取ります。
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この回答へのお礼

裸の人間性は、猿に近付く退化じゃないですか?
生命力とエゴだけで動物みたいになってしまって。

それを「人間の真実」と称賛するのには疑問を抱きます。

お礼日時:2012/01/24 21:26

>こういう考え方はどうして産まれてきたんでしょうか?



希少性で自分の写真の価値を増大させる戦略でしょう。

後進国では当たり前の子供が飢え死にする状況を撮影し、このような状況が見られなくなった先進国で売れば、希少性に対して価値がつくというのが彼らの商売です。

当然のことですが、そのような状況が当たり前の後進国では、その写真は希少性が無く、売れません。
そちらの国では、「オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてる」写真や映画が売れるのでしょう。
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この回答へのお礼

経済学的な視点ですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/01/24 21:23

芸術家やそういう暇人は、死とか生とかにいきたがるのが常。


要は、暇すぎる連中なんだよ。
そいつらじゃなくたって、毎日ビーチで海眺めてりゃ、だんだん生と死とかにいきつくわ。
でそれが人間の本当の姿だとか人間の観察の極みだとでも勘違いする。


あなたの言うとおり、楽しむのも悲惨もすべてが人間の真実の姿です。


あえて補足するならば、追い込まれた状況ほど、人間の本能・感情の赴くままの反応が出るのでそれを真実だというなら真実だが、俺から言わせりゃそれは人間らしさではあるが、やはり全てが人間の真実だ。

再度言うが、あいつらは暇人なだけだ。
役にも立たない自己満足な評論させとけだ。
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この回答へのお礼

暇だから極端に向かって、人目を引く方向に走ってしまうのかも
しれませんね

お礼日時:2012/01/24 21:22

人類の特徴は、社会的生命である所です。


環境を、本能的な条件反射の対象としてではなく、
五感の総合した外的環境として脳内に再構成し、
そこに予測・コミュニケーション・思いやり・工作・
分業(助け合い)といったものを可能にしたのです。

そうした能力は、もし身の回りに本能を充たす物が
そろっていれば必要ありません。ただ手を伸ばして
とればいいだけで、助け合う必要などないのです。

もちろん、環境の悪化だけでなく、内面的な発展の
可能性の実現(革新)においても、そうした協力は
必要になりますが、そうした機会(たとえばカンブ
リア紀の大爆発)は、そう多くはありません。

結果として、環境が良くなると組織性や協力性は
劣化し、過去の繁栄した文明は、繁栄の頂点にお
いて腐敗や無駄といった劣化が始まり、それまで
虐げられていた種族に逆転される、という歴史の
くり返しなのです。

粘菌という生物がいます。ふだんはアメーバ状の
形態で単独生活をしていますが、環境が悪化すると
集まって網の目状の多細胞生命体となり、迅速に
移動し、胞子をとばします。
まさに人類文明のアナロジーと言えるでしょう。

それは人類がその進化において、助け合っている
はずの社会において、お金や地位といった二次的
価値を競い合う、“馬車馬の目の前のニンジンに
操られた擬似弱肉強食(結果的には無意識に助け
合っている)”に陥っているからです。
豊かな状況でも、自己の虚栄心や貧富の格差を
望まず、助け合うことに喜びを見出せれば、「悲惨の
中にこそ人間の真実がある」という事にはならない
のですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
助け合いをしない社会の裏返しということですね。

お礼日時:2012/01/24 21:18

どうも,こんにちは.寝起きなので,また寝ます.


が,その前に回答をひとつまみ.

ボードレール か誰かの叙事詩みたいなので,
高級レストランを背景に,男と女の心の底を
あらわした作品がありました.

男と女が,レストランでくつろいでいたが,ふと外を
見ると,レストランを見つめる小汚い親子が居るのに
気づいて,女はそれを追い払うように希望したのに対し,
男はその親子を慈しみの眼差しでみており,何か親しみ
さえ感じたので,女を憎んでしまった.

ボクが思うに,男は,ゴージャスな女に飽きてしまった.
という話かと.
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます

お礼日時:2012/01/24 21:14

こういう名言的な文章は意図的に省略して格調を高めています。

ここでいう「真実」は普遍的真実という意味でしょう。
ワイワイ楽しくも真実なのですが、それは一時的特殊な状態であり、多く占めるのはイライラと不安と苦痛の状態です。
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この回答へのお礼

人間の多くの時間は、ワイワイ楽しくでも、イライラ不安苦痛でもなく
わりと散文的な普通な時間なのかもしれません。
冷静と情熱の間というか・・・

お礼日時:2011/12/11 16:32

 こんにちは。



 ★ 「悲惨のなかにこそ人間の真実がある」という考え方・・・はどうして産まれてきたんでしょうか?
 ☆ それは かんたんです。スサノヲ市民たちはもともと よろこびも かなしみやくるしみも ともに分かち合ったという生活日常から来ています。
 
 縄文時代における狩猟・漁労・採集経済としての生活が やがて鉄と稲がもたらされると 農耕による生活が始まりました。この人為的な栽培という作業をともなう生活が日常化し社会的にも様式化してくると 人びとは――草がしおれ木が枯れ魚や猪が生きなくなるという事象の中にも――《とき》とその流れを知るようになりました。早い話が ひとは死ぬのだと知りました。時間的存在なのだと。

 そうして それまでは草木や動物や山々に《ヨリ(寄り・憑り)》していたわがたましいは ここで時を知って堂々と世界に《イリ(入り)》するのだと自覚しそう宣言しました。
 後づけとしてでも みづからを《ミマキ〈イリ〉ヒコイニヱ》と名乗りました。女性には《イリヒメ》と名づけています。われは 世界内存在なりというわけです。

 この人間宣言をともに果たし ともによろこびましたが そのミマキイリヒコが市長として立ったそのムラにも 流行り病いが発生したと言います。
 その事態の経過を日本書紀は次のように伝えます。たぶんに神話という要素も入っているのですが 要約した記事をそのまま引用します。崇神天皇――その時代(正しくは西暦300年ごろ)には《天皇》はありませんでしたが 後世からそのように系譜づけされています――が ミマキイリヒコその人です。

 ▲(ヰキぺ:崇神天皇=ミマキイリヒコイニヱのミコト) ~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E% …

 崇神天皇5年(紀元前93年)、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。

 崇神6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。

 天照大神を豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)の命(ミコト)に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、〔次代の〕垂仁天皇25年(紀元前5年)に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。倭大国魂神を渟名城入媛(ヌナキイリヒメ)命に託し、長岡岬に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。

 崇神7年2月、大物主神(オホモノヌシのカミ)、倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソ)姫命に乗り移り託宣する。
  11月、大田田根子(オホタタネコ)(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(これは現在の大神(オホミワ)神社に相当し、三輪山を御神体としている)、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となる。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ いろんな但し書きや解説が必要かと思いますが 要は オホタタネコがスサノヲ市民の代表であり その代表の上に指導者となっているのが 崇神ミマキイリヒコ市長(ムラオサ)だと考えられます。
 それまでにも薬草を探し求めたりして医療にも熱心に力をそそいでいましたが いかんせんこの疫病の発生には 非力なわれらが祖先でした。ですから 要するにこのくるしみとかなしみのときにも 人びととともにあったというお話です。それだけの話です。
 物語によると 二年間その疫病の退治にかかっているようですね。


     *

 ちなみに ここでアマテラスオホミカミは スサノヲのミコトの実の姉ですから むやみに追い出すわけには行きませんが ややこしい存在ではあったのだと考えられます。
 それは 人の心性ないし知性が 何ごとにも憑りつく《ヨリ》なる原始心性であったのが そこから抜け出て〔 Entzauberung = 呪術の園( Zaubergarten )からの解放〕 《世界へのイリ》を果たした。つまりは 歴史知性を獲得した。
 その後 このイリ歴史知性の中から ヨリ心性をもイリ知性をもぜんぶ十把一絡げにして束ね みなの面倒を見てやるという《スーパー歴史知性》が出たというその人びとが アマテラス公民族だと言えそうです。
 つまりは 

 《ヨリ》原始心性―→《イリ》なる歴史知性―→《ヨセ》なる超歴史知性

 といった進展があった。最後のスーパー歴史知性は 人びとを束ね《寄せ》るという理性信仰ではないでしょうか? 
 崇神ミマキイリヒコのムラにおける共同自治の時代には 社会はまだ平屋建てだったと思われるのですが 《ヨセ》なる超歴史知性が現われると人びとは このきわめて優秀で押しのつよい人びとのために社会に或る種の神棚をこしらえてその第二階にかれらを住まわせた。共同自治を統括する国家経営をまかせた。ということになります。《国ゆづり》と呼ばれています。

   *


 ★ オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも 人間の真実の姿ですよね?
 ☆ 市長ミマキイリヒコと市民オホタタネコとの連携がしっかりしていたときには かなしみだけではなく たのしみも 手放しでともに分かち合っていたのではないでしょうか?
  いまは 社会の二階建て構造――アマテラス‐スサノヲ連関制――の中で つつしましやかにそうしているようです。
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この回答へのお礼

独特な世界観をお持ちの方のようですね。
私にはちょっと理解しかねます。

お礼日時:2011/12/11 16:33

 フランクルの著書の「それでも人生にイエスと言う」というタイトルを思い浮かべますが、「それでも」のそれが、何を指すかがその人の人生観ですが、それがオシャレとおいしいものと楽しいことでもいいのですが、極限に近い困難や悲惨さを味わっても、人生にイエスということは、そうとう大変ではあるけれども、得られるものも大きいと思います。

何を得られるかを言葉にするのもまた難しそうですが。
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この回答へのお礼

たしかに得られるものが大きいとは思えるのですが、
それを得るために強制収容所巡りするような感じの
作家などがいて、その姿勢が疑問なのです。

お礼日時:2011/12/11 16:38

 以下は、一般的な応答だと思っています。



 極論ですが、現在でも人類の9割は、いまだに原始人のような悲惨な生活をしている、という意見もあります。ただこの根っこには、

>オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも人間の真実の姿ですよね?
>というかそっちのほうが圧倒的にいいと思う・・・

    ・・・(1)

という感覚が見えます。自分も(1)の意見には大賛成です。しかしそれでも、現在でも人類の9割は、いまだに原始人のような悲惨な生活をしている、のであれば、

>悲惨のなかにこそ人間の真実がある・・・

    ・・・(2)

という意見には、一聴の価値はあると思えます。上記のような意見を言う人達が、

>戦場や難民キャンプ、地震・津波の被災地などを巡ったりしてる作家や写真家・・・

になった動機はわかりませんが、根っこには、やはり(1)があったのではないのだろうか?、と勝手に想像する訳です。

 で、自分の意見を言うと、

  悲惨のなかで、人間の真実は強調される.

です。だから(2)に対しても、何も言いません。

 昔、とってもくだらない小説の中で、次のような一文がありました。

  「世界中の人々が、平和を無駄使いできるような世の中を作りたい」

・・・不覚にも。泣きました。
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この回答へのお礼

悲惨のなかでは、人間はドラマチックになるという捉え方ですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/12/11 23:39

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