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女性はなぜ生きているのでしょう
仏教において女性は必要のない人間なのでしょうか
生きている意味がない人間なのでしょうか
シャカはなぜそんなにも女を嫌うのでしょうか
女って何なのでしょうか
女は女では仏になることはできない
女性は修業をしても仏になることはできない

「悟りに達しようと堅く決心して、ひるむことなく、たとえ測り知れないほどの理知を持っているとしても、女性は、完全な悟りの境地は得がたい。女性が、勤め励む心をくじくことなく、幾百劫(一劫は四三億二〇〇〇万年)・幾千劫の間、福徳のある修行を続け、六波羅蜜(修行の六ヶ条)を実現したとしても、今日までだれも仏になってはいない」(法華経)

私も女は愚かな生き物だと思います。
なぜ生まれてきたのだろうかと
生きる意味を求めてたどり着いた仏教でさえ女は必要ないととなえていました。
今の時代男より女が強いように思えてしかたがないのですが、仏教の熱心な信仰者の方々は今のこのような時代をどのように感じているのでしょうか

ただなんとなく生きる。生かされているから生きる。
こんなことができる世の中だからこそしっかり生きたいです。
しっかり修業して生きていきたい

女はどんなに頑張っても仏にはなることはできないのにどうして仏教を信仰するのでしょうか
宗教のことはあまりよくわからないのですが、救われないものにどうしてそんなにもすがるのでしょうか
仏教を信仰する意味がわかりません。

A 回答 (20件中11~20件)

男は、何か仕事をして、世の中でその存在価値を


認められるために生きています。
その意味で男の価値は相対的です。

しかし、女性は、存在するだけで価値があるのです。

これは、太古から男がエサを獲得し、それを女性の
ところに持っていって、気に入れられ、そうやって男の
子孫を残す事ができた、ということに由来していると
考えています。

男はいくら頑張っても女性とできない場合が
多いのですが、女性は違います。
その気になれば、簡単です。
女性は簡単に自分の子孫を残せます。

このように、女性の価値は絶対的なので、お釈迦様も
あえて言及しなかっただけだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
考えてしまいます。
女性は女性のままでは仏になることはできないということを知り憤りを感じました。
私もそう思うことが多々あるからです。
いろいろな観点から考えることができますね。
男が女がという問題ではないということにたどりつきました。
ご意見とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 01:27

 こんにちは。



 ゴータマ・ブッダが まちがったということです。《信仰》の意味が分かっている場合を除いて一般に―― 一般にです――
 ★ 仏教を信仰する意味がわかりません。
 ☆ それだけのことだと考えます。

 ○ 【Q:ブッダの美女マーガンディヤー事件】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5121424.html

 こういう事件そして問題があります。ブッダは気が狂ったのでしょう。

 ▲ 【資料1:ブッダが求愛をことわる】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・・・マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。

 ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。

   「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人
  の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。
  大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われは
  この女の足にさえ触れようとは思わぬ」
     (『スッタニパータ835』)

 「大小便の詰め込まれた女」とは、ほかならぬマーガンディヤーのことである。
 釈迦の真意は、娘を溺愛し、盲愛し、執着しすぎている両親をその苦から救うことにあった。いずれ死別はくる。両親が先か、万が一娘が先か、それはわからぬが。であるならば、娘に執着せずに手離しなさいとうのが釈迦の深い諭しである。この説法で両親は真意を悟り、出家を決意する。

 しかし、救われないのは娘のマーガンディヤーである。目の前で「大小便の詰め込まれた女」と言われれば、傷つき「許せない」と思ったであろうことは容易に想像がつく。そして彼女は当然、釈迦を憎んだ。

 その後、マーガンディヤーはコーサンビー国(* コーサンビーはヴァンサ国の都)の王と結婚し、王妃となる。釈迦がコーサンビ-国に布教に来たとき、彼女は屈辱的な過去を思い出すのである。そこで、釈迦に復讐するために、人々を扇動し、王妃の命令によって托鉢に歩く釈迦に石を投げさせ、罵詈讒謗を浴びせたのである。

 このように誤解ゆえの迫害は、釈迦にもあったのである。
 (『徒然草2001 法則編』  
  http://www.melma.com/backnumber_31267_1625651/ )
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ○ 【Q:ブッダの性愛観は 間違っていませんか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5145751.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
参考になりました。
考えることがたくさんありました。
人に思っていることを伝えるのは難しいですよね。
それがどんなに正しいことであってもそのことを知らない人に伝えるということは難しいことと思います。
説法もそれを聞く側がそれをしっかり受け止める気持ちをもって聞かなければ意味のないものになってしまうのですよね。
難しいなと思います。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 01:51

そもそも宗教は、人の意識に社会性のタガを


はめるために発達したものです。
女性は、生殖や食事などの生命としての人の
根幹の部分を担っている(生命として完結して
いる)ために、「社会性のタガ」など必要としな
いのに対し、男性は単体では増殖という生命
としての基本をさえなす事ができず、本質的に
社会性が“なくてはならない”のです。
そもそも宗教は、男性のためのものなのです、
犬が鎖につながれる事で急に強気になるよう
なもので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
社会性のタガが男性には必要なのですね。
それが宗教。
しかし女性が社会性を逸脱していたらと考えると宗教を信仰しない女性に対する男性は大変ですよね。社会性を持つようにと宗教という形で心に誓おうとしていることに矛盾を感じるのではないでしょうか。
正しいと分かっていてもそれをすることができないというのは苦しいことだと思います。
psytexさんのおっしゃっていることはわかります。そういう社会であればよいのでしょうけれど。考えることがたくさんあります。

psytexさんの意見とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 02:29

神の言葉を聞いて下さい.


たとえば,オス犬がブッダに成り得ただろうか.
たとえば,オス猫が悟りを開いただろうか.
性別とは,与えられた仕事に適した性質である.
ブッダに成り得る性質は,性別によって与えられるわけでは
ないのだ.

ヴェーダーンタにはこうある.「人の性質には三種有り.」
ひとつに,サットワが有る.
この性質を持って生まれた者は,信仰心篤く,大覚に至る
かもしれない.

ひとつに,ラジャスが有る.
この性質を持って生まれた者は,名誉,利欲に良く励むために
忙しく,供犠を疎かにする.

ひとつに,タマスが有る.この性質を持って生まれた者は
間違った宗教を妄信し,空想と惰態に過ごし偏狭を脱しない.

これらは縁によって生まれ,縁によって別れ,また縁によって
生まれるのだが,それぞれに幸福は有るのだ.だから与えられ
た仕事を続けながら,信仰心を保つことが大切である.

ここまでの言葉を理解できたなら,次の言葉も理解出来るはず
です.
「男は女でもあり,女は男でもある.これが転生である.」

実際のところ,与えられた仕事は思いのほか忙しく,
女は美しく,生あるものを慈しむことが仕事であり,
男は逞しく,守るべきものの為に戦うことが仕事であり,
とても悟りを開くどころではありません.

ですから,仏教産業には,心捉われる必要などないのです.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
12/24の今だからわかります。
皆さんの意見を聞いて自分なりに考えてそしてGA_CK_UNさんの意見を聞いて徐々に考えがかたまってきたように感じます。
自分なりの言葉にすることはできませんが心の中では気持ちもかたまってきました。
仏教には心とらわれる必要はないという言葉もとても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/12/24 02:50

社会や国家が女性が出家することを人口政策上好まないので、仏教集団もそれに倣ったというのが実情だと思います。

そうしないと抹殺されますからね。
そういう大人の事情は口にできませんから、経典に書かれているとか悟れないとか後付けで回避してるだけです。
それとは別に、仏陀が消極的だったのは、男女混ぜるのは指導面や経済面で大変だし堕落も速まると判断したからでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろいろな考えがあるのですね。
堕落も早まるということは少しわかるような気がします。
何も考えずに宗教のことだけを考えるようになっては堕落に陥ってしまうというようなイメージでしょうか。
私もそう思います。
宗教はどこまで信じていてよいのかという問題もありますよね。
信仰心があつくて大変なことに巻き込まれてしまったというニュースの意味がようやくわかってきたように感じます。
一言に宗教といっても奥が深いなと思いました。
これからも勉強していきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 03:11

そもそも女性には宗教はいらないのです。



宗教とか哲学とか、はたまた法律とか政治とか、社会の仕組みとか、決まりとか、そういったものがなくても、肉体的にも精神的にも強い女性はうまく生きていくのです。
そして生物学的に明らかに弱い男性を保護し、女性と対等に扱うために、男尊女卑の制度で底上げをしているのです。


>今の時代より女が強いように思えてしかたがないのですが

いつの時代もそうだったんだと思います。


さて、宗教において、修行の邪魔になるものは悪魔とかなんとか名前を付けて、忌み嫌うよう仕向けられています。
男性は無条件に女性に魅かれてしまうので、宗教は概して女性を不浄なるもの扱いしています。

徒然草でも、
「男子を惑わすものは何と言っても性欲だ。
女子のいい香りとか、ただの石鹸の臭いだとわかっていてもドキドキしちゃう。
空を飛べる仙人が、洗濯中の女子のふとももを目撃して、神通力を失って落ちてきた、なんて話があるけど、女子のぷるぷるの二の腕やふくらはぎは、女子の可愛さそのものだから、そりゃ仙人も落ちるよね。」
って書いてあるし。

宗教を学ぶ前に、
・宗教は男が作った
・宗教は欲を捨てることを求める
ということを思い出し、男の欲とはすなわち性欲である、ということを忘れないようにしてください。
そして宗教の経典や聖書などに書いてある言葉が、男が書いて男が翻訳したものであることも覚えておいてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
宗教は男性が作った。そして男性が翻訳した。
欲を捨てるために男性の欲である女性を忌み嫌うような言葉で表したのですね。
皆さんの意見を拝見して理解した今ならわかります。
御釈迦様がなぜそのようなことをおっしゃったのか。
理解できます。
生物学的には男性は弱い。そうなのですね。
私は生物学的にも男性のほうが強いと思っていました。
肉体的には男性が優位で生殖機能をとっても男性が優位かと思っていました。
女性がどんなに存在として子孫を残していくことができるとしてもそれを作る種がなければ子孫は誕生していかないという考えでした。
しかし究極的にはそうということはできないのですね。
そのこともわかったような感じがします。
仏教という形にだけとらわれていてはいけないのですね。
表面だけを見ていたような気がします。
回答ありがとうございました。とても参考になりました、

お礼日時:2011/12/24 03:58

まぁ昔から男尊女卑ってのあるし、たとえば高校野球とか女子禁止じゃん。


相撲も土俵に女上がるなって。
そういうのは、世界的に見ても仏教に限らず、流れだと思うよ。
最近の女性はつけあがって、鼻が高いですが。
バカだからすぐマスゴミの流行に踊らされますね。
女なんてそんな生き物・・・独身で童貞、彼女いない暦=年齢、女とは1秒も会話したことの無いある意味悟りを開いた40代の男が、思っている考えです。
女なんて、捨て駒だよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
男性であるK66_FUKさんがそのように思うのですからそう感じているのは私だけではないのですね。
こうして今の時代に自由に何事にも縛られることなく生きている女性は確かに強いのかもしれませんね。日本だけではなく世界にも目を向けて考えてみることも大切なことなのだということに気がつきました。
世界を見て日本を見るとまた新たな発見が出てくるかもしれません。
その機会を作っていただきありがとうございます。

お礼日時:2011/12/24 04:28

釈迦も性欲には克てないという事でしょう。


女性が仏になってしまうと仏も性欲に克てない。
なので仏に加えてやるもんか!ってな事かもしれません。

まあ、仏にならなくても良いんじゃないですか?女性は悟りを開かなくても神だし悪魔だし…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そういうことなのかもしれませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 04:32

釈迦が法華経を説いたわけではありません。


あくまで後付けの分派です。

日蓮宗や創価学会の女性に生きる値打ちはないというのが
質問者さんの意見のようですが、それは尼僧の存在を否定しかねない意見のようですよね。

仏教を信仰するのも、ブランド志向も同じものだといってしまうと私も成仏できませんかね?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 04:33

何かの宗教などに入られてる方なのでしょうか?



女は子孫を残すために必要だと思います。

この世に男だけが存在しても
男は女がいなければ生まれてきません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにそうなのですよね。仏道には性を用いてはいけないのかもしれません。
そのように思うことにしました。
女性がいなければというとその後の言葉に戸惑ってしまうのですが仏道には男性も女性もないのだと思うようになりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/24 04:48

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