アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

最近の裁判でもありましたが。

子供の頃から虐待を受けていたかわいそうな子供が、殺人を犯した場合、
(1)「しょうがない」「親の責任、子供は被害者」とか、思いますか?
それとも
(2)「子供時代がなんであろうが殺人は殺人」「親が虐待は関係なし。殺人を犯してしょうがない理由にはならない。」とか思いますか?

■皆さんは(1)と(2)、どちら派でしょうか。
お願いします。

A 回答 (8件)

(2)です。


罪は罪です。子供時代に虐待を受けていたからといって、人の人生を奪っていい理由には絶対になりません。
殺人、ダメ絶対!
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ですよね。

私も理由がどうであれ罪は罪だと思っています。

お礼日時:2012/02/26 15:39

親子揃って償って欲しいですね。

当事者は殺人罪なので償うのは当然だ。
欧米では未成年が罪を犯した場合、親も処罰されるところもあったかと思います。
製造物責任(PL)法っぽく考えれば、未成年の場合、親にも罪が及ぶ事があってもいいかも。

日本は、犯罪の加害者に対するフォローが一流という奇異な国です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>欧米では未成年が罪を犯した場合、親も処罰されるところもあったかと思います。
そうなのですか。情報感謝です。

>日本は、犯罪の加害者に対するフォローが一流という奇異な国です。
はい、甘すぎですね。

お礼日時:2012/02/26 15:40

虐待していた張本人である親を殺したならのなら1ですが



親じゃなく他人殺したのなら2ですね

虐待されていて殺人等の犯罪犯したりする人間は虐待受けていた人間の1%も居ないのに、責任逃れに使うほうが間違ってます
    • good
    • 1
この回答へのお礼

あなたの意見に完全同意します。

お礼日時:2012/02/26 15:40

(2)です。



大の大人が人を殺しておいて、それが「幼年時代から受けた虐待、劣悪な生活環境による生育影響が殺人に走らせた理由」は通らないでしょう。ふざけんなちゅうの。生育環境と罪を犯すのは別問題です。

永山則夫=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1% …

みたいに、4人も人を殺しておいて、逮捕され獄中で自分の生い立ちを書きしめた本がベストセラーになって、一種の「悲劇の人」みたいになったら、遺族はたまったもんじゃないですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ですね。

心から反省しているならまだしも、馬鹿にしていましたしね。

世の中そんなものだと思います。
反省の言葉を並べても実際はどうなのか。

お礼日時:2012/02/26 23:41

(1)です。


殺人をしょうがないで片付けていいとは言いませんが、人は環境によって善にも悪にも染まります。
複雑に見えて、人間って意外と単純な生き物です。
その単純部分を形成するのは、幼少期~少年期の環境が多分に大きいです。

その部分に欠損があるのなら、十分に情状酌量の余地があると思います。

でも殺人はダメ 絶対ヽ(`Д´)ノ

虐待もダメ 絶対(`Δ´)!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

その意見も十分理解できますよ。


でも虐待を言い訳には出来ないでしょうし、自分がされて嫌なことを他人にする思考もどうかと思います。
思考の改善や努力は出来たはずです。

確かに虐待は許されるものではなく、かわいそうな子供だと同情はするし助けになってあげたいとは思いますが、殺人を犯した場合は、それはそれ、これはこれ、だと思います。それが赤の他人への危害なら尚更。

日本の情状酌量は、「甘い」と、個人的には思います。

お礼日時:2012/02/27 10:55

背景や事実関係によりますね。



無差別殺人を犯したなら当然(2)です。

しかし、(1)にすべき事件もあると思います。
尊属殺重罰規定で争われた栃木実父殺し事件が端的な例でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

はい。その事件に関しては私も(1)だと思います。
子供に重い罪はないでしょう。

幼少期にひどい行為をうけていて、その被害をあたえていた人本人を殺すなりするのは、私も十分理解できる範囲だと思いますね。

お礼日時:2012/02/28 08:51

どのような理由であろうとも厳罰を求める派ですが、この選択肢だと(1)になります。




虐待に限らず、事件の経過などで量刑を判断するのが最良と思います。

(2)の回答は、つまり加害者の育った環境に限らず、何故そのような事件がおきたのかというあらゆる量刑の比重を決める要素は「殺人は殺人。関係ない」と言う倫理に相当します。

一人を殺す事件でも、10年そこそこで出所するような軽い罪は許せませんが、死刑に相当する事件もあれば、無期懲役に相当する事もあるでしょう。

快楽殺人と、突発的な殺意での殺人、長年の虐待での恨みによる殺人。これら一律に死刑が相当とも思えません。


(2)は、極端な言い方をすると「殺人は、どんな成り行きであろうと一律の量刑が正しい」と言っているようなものになります。(2を賛成している人は、そう言うつもりは毛頭ないと思いますが。)


殺人はダメです。虐待だろうと何であろうと。それは当たり前です。
しかし、量刑を決める上では、事件の成り行きは考慮しべきと思ういます。当然、虐待での情状酌量が認められれば、人を殺しても罪が軽くなるのはあってしかるべき。(死刑か死刑でないかとか、そう言うレベルだが・・・。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は基本的に(2)の立場ですが、
>快楽殺人と、突発的な殺意での殺人、長年の虐待での恨みによる殺人。これら一律に死刑が相当とも思えません。
理解できます。

「快楽殺人」は情状酌量の余地無し。
「突発的な殺意での殺人」は状況にもよる。
「長年の虐待での恨みによる殺人」は、その当人を殺すなら、情状酌量は十分入ります。

というのが私の意見です。

お礼日時:2012/02/28 16:41

(2)は社会で生きていく上での心構えとして考えます。

個人のルールとして

(1)は現実にその人に刑罰を科すときの指針として考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。
しかし(1)も状況によって変わってくるので、一概には言えないところが難しいですかね。

お礼日時:2012/03/01 13:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!