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大航海時代より昔にも貿易はありましたが、今みたいに共通言語がない世界で人々はどうやって海外の人達と交渉していたんですか?

A 回答 (6件)

隣国同士は自然に繋がりができ、人の移住もあり(今よりも国境の意識が薄い)、規模の大小は問わず日常的な交易がおこなわれ、言語もそのような中で自然に両国語を話す人間が出てきます。

また、中国・朝鮮半島にみられるように政治的な混乱・内乱・戦乱・異民族の侵入などにより大量の難民や政治亡命がおこったりたりします。さらに秦氏・東漢氏・西漢氏などのように平和的な?移住もあります。このような人々やその子孫が通訳になっている例が見られます。
未知の言語に会った場合は手振り身振りから入るでしょうが、人間により他言語の習得に驚異的な能力を持つものも少なくありません。必要は発明に母と言いますが、必要は言語の習得の母でもあります。交易に必要と思えば全ての人ではありませんが容易に多言語を習得する人間は出て来ると思います。
なお、大航海時代を含めてですが、通訳の通訳の通訳という方法がありますし、用例も多くあります。例えば、日本人がカンボジアの人と意志を通じ合わせるために、日本語を中国語に通訳する人間がいて、次に中国語をベトナム語に通訳する人間がいて、さらにベトナム語からカンボジア語に通訳する人がいて、やっと日本語からカンボジア語に話が通じるとする方法です。通訳が4人までの例は知っていますが、陸路を行くような場合は当然としても、陸伝いに航行することが多かった古代に海上交易などの交流にも利用されました。
ただ、遠隔地の交易は思いのほかに古くからあり、メソポタミアとインダスとの交易は古い例で、海上交易であったようですし、相当長期にわたり交易は続けられたようですので、相互に両言語通じる人間は育って行ったと思います。
さらに大航海時代ですが、中国からアラビア半島までの海上交易網は大航海時代以前から存在し、スペインなどのヨーロッパ人の交易はこの従来の海上交易網を利用した面もあります。沖縄が万国津梁として中間貿易の地として日本・中国・朝鮮と南洋諸国と交易を通して結びつけた時代も、大航海時代以前の時期です。
この中では大航海時代のはるか以前から中国に近い地域では中国語(筆談を含めて)が共通語の役割を果たすことがありました。陸路のシルクロードの西域やペルシャを中心とする地域ではペルシャ語が共通語でした。西域の場合もう一言語、ソグド語が共通語でした。その後ウイグル語が取って代わったと思います。現在の英語のような世界的な共通語?はありませんでしたが、地域の共通語は存在しましたので、それを利用する方法もありました。ヨーロッパ諸国の共通語は長くラテン語でしたし、イスラム成立後はコーランの理解のために(コーランがアラビア語以外の翻訳を禁じているため)アラビア語が普及し、イスラム世界の共通語となっている。アフリカや中南米にも共通語と呼ぶ存在はあったと思いますが。
余談になりますが現代中国が簡体字を制定・普及させたために、東アジア世界を中心とする地域の筆談という意思伝達機能が失われたことは大変残念なことです。台湾では従来の繁体字を使用していますので、筆談は可能で、利用することはあります。(中国の変化以外に当然のことですが、東アジア各国が韓国のハングルの普及のように自国言語の普及を促進させ、漢字離れが起こっていることもありますが。)



鞍作福利(飛鳥時代の通訳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E4%BD%9C% …
ソグド語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0% …
ラテン語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%86% …
アラビア語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9% …

地域共通語を先に記載したほうが分かりやすかったと思いますが、急ぎ回答をしたため分かりづらくなりましたが悪しからず。
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隣国同士は自然に繋がりができ、人の移住もあり(今よりも国境の意識が薄い)、規模の大小は問わず日常的な交易がおこなわれ、言語もそのような中で自然に両国語を話す人間が出てきます。

また、中国・朝鮮半島にみられるように政治的な混乱・内乱・戦乱・異民族の侵入などにより大量の難民や政治亡命がおこったりたりします。さらに秦氏・東漢氏・西漢氏などのように平和的な?移住もあります。このような人々やその子孫が通訳になっている例が見られます。
未知の言語に会った場合は手振り身振りから入るでしょうが、人間により他言語の習得に驚異的な能力を持つものも少なくありません。必要は発明に母と言いますが、必要は言語の習得の母でもあります。交易に必要と思えば全ての人ではありませんが容易に多言語を習得する人間は出て来ると思います。
なお、大航海時代を含めてですが、通訳の通訳の通訳という方法がありますし、用例も多くあります。例えば、日本人がカンボジアの人と意志を通じ合わせるために、日本語を中国語に通訳する人間がいて、次に中国語をベトナム語に通訳する人間がいて、さらにベトナム語からカンボジア語に通訳する人がいて、やっと日本語からカンボジア語に話が通じるとする方法です。通訳が4人までの例は知っていますが、陸路を行くような場合は当然としても、陸伝いに航行することが多かった古代に海上交易などの交流にも利用されました。
ただ、遠隔地の交易は思いのほかに古くからあり、メソポタミアとインダスとの交易は古い例で、海上交易であったようですし、相当長期にわたり交易は続けられたようですので、相互に両言語通じる人間は育って行ったと思います。
さらに大航海時代ですが、中国からアラビア半島までの海上交易網は大航海時代以前から存在し、スペインなどのヨーロッパ人の交易はこの従来の海上交易網を利用した面もあります。沖縄が万国津梁として中間貿易の地として日本・中国・朝鮮と南洋諸国と交易を通して結びつけた時代も、大航海時代以前の時期です。この中では中国に近い地域では中国語(筆談を含めて)が共通語の役割を果たすことがありました。陸路のシルクロードの西域やペルシャを中心とする地域ではペルシャ語が共通語でした。西域の場合もう一言語、ソグド語が共通語でした。その後ウイグル語が取って代わったと思います。現在の英語のような世界的な共通語?はありませんでしたが、地域の共通語は存在しましたので、それを利用する方法もありました。ヨーロッパ諸国の共通語は長くラテン語でしたし、イスラム成立後はコーランの理解のために(コーランがアラビア語以外の翻訳を禁じているため)アラビア語が普及し、イスラム世界の共通語となっている。
余談になりますが現代中国が簡体字を制定・普及させたために、東アジア世界を中心とする地域の筆談という意思伝達機能が失われたことは大変残念なことです。台湾では従来の繁体字を使用していますので、筆談は可能で、利用することはあります。(中国の変化以外に当然のことですが、東アジア各国が韓国のハングルの普及のように自国言語の普及を促進させ、漢字離れが起こっていることもありますが。)



鞍作福利(飛鳥時代の通訳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E4%BD%9C% …
ソグド語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0% …
ラテン語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%86% …
アラビア語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9% …

以上、参考まで。
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知らない人と交換したら腐る寸前の魚と米を交換された。


昔はこう言うトラブルが後を絶ちませんでした。

信用があり、必要のある物を見つけるには市が必要でした。


天平文化の特徴のひとつに貴族文化と仏教文化があります。
貴族や僧侶を次々留学させました。

当時は囲碁でもって学力や国力を推し量ったと言いますから、
中国語や漢文は身だしなみと言っても過言ではありませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B9%B3% …

公の通詞は世襲制であり、弟子を取りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E8%A9%9E

朝鮮との貿易は対馬藩に一任され、朱印状を発行しませんでした。(朱印船貿易)


身振り手振りの商いは縄文時代の三の丸遺跡時代でしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85% …


世界最初の国際通貨と呼ばれる物はギリシアコインでした。
当時の世界(貿易圏)で流通しました。

言葉を知らなくてもコインを持っていれば信用されました。

朱印船貿易は国家と言う信用で貿易されます。
ルソン助左衛門は自分の信用でもって巨万の富を得ます。

もちろん、
ルソンに自ら渡航し、ルソン語やルソン文化を熟知して商いに望みました。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/03 11:13

日本の場合ですが。



中国で政変があると、亡命者が出てきます。
奥地に逃げる人と、海外に逃げる人がいます。

海外に逃げた人が華僑になる訳ですが、その
一部が日本に来ています。

そういう人たちが、通事をやりました。

日本には蘭通詞と、唐通事がいまして、
蘭通詞は全員が日本人でしたが、唐通事は
ほとんどが中国人でした。

こういう中国人が日本語を覚え、中国との間の
通訳をしました。
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この回答へのお礼

最初から2言語話せる人達が通訳の役割をしてたんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/03 11:12

今は実質的な共通言語として英語となっていますが、昔も同様に世界全体ではありませんが、各地区には共通言語がありました。


東アジアでは中国語(漢字という文字ですが)、中東地域ではアラビア語、ヨーロッパ地区はギリシャ語からラテン語へ等々、それらの間でも両方の言葉を使える人はいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/03 11:12

    ジェスチャー、とか手真似でしょう。



     いつも行くところなら商業用の中間言語(jargon, pidgin などと言います)が出来ました。
例えば、北米のコロンビア川はシャケが採れるので有名ですが、みんな言葉の違う先住民の種族が集まって、一年分の漁をしました。そこでチヌーク・ジャーゴン(Chinook Jargon)と言われる共通言語が出来ました。BCからカムループスあたりの先住民も集まり賑やかだったようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinook_Jargon

    また中国系日本人、韓国人、インドネシア人、フリピン人、ベトナム人、タイ人、マレーシア人、などは、ピジン(英語のビジネスから)と呼ばれる、華僑の貿易用共通言語を作り上げました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pidgin

この他にもジャマイカ、ナイジェリア、地中海沿岸のリングァ・フランカ、など 共通言語はたくさんあり、ネイティブとしての話し手が出来るとクレオール言語という名でも呼ばれます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Creole_language

    今のように世界規模で貿易するには時間もかかり、物の保存方法(例えば冷凍)もなく、無駄も多かった(航海術や海図が未発達だったため海難事故が多かった)ので近距離で多く使われ、そのため種類も多かったと思われます。
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この回答へのお礼

地域ごとに共通言語があったんですね。
詳しい回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/03 11:11

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