A 回答 (2件)
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No.2
- 回答日時:
当方ANo.1さんと同じ高校だったり・・・?
当時明大八幡山Gで当時高校生とは思えないほど強かった久我山と目黒が
明大3軍辺りを交えて毎週末一日中練習試合をしていました。
まぁ、花園決勝で対戦したりしてた2校ですから化け物の集まり(苦笑)
当方2年生の時、何を血迷ったかそこへ出稽古に行くことになった。
初めは当然相手にもしてもらえず(相手がレベル高すぎて練習にならんから)
グランドの隅で延々ランパス。
いつの日かお声が掛かり久我山目黒の2軍混じりと試合試合試合・・・。
相手は中学でも一端にやってた奴らの集団。いくらやっても勝てなかった。
ラスト一本取ったら終わり、といわれても取れない。
泣くまでやれ、といわれても情けなくて泣けないから終わらない。
その内梅木監督(当時)が試合中のグランド内に入ってきて
「おまえら、やる気あるんか!!!」と怒号と愛のムチ。
いやぁ恐かった。
まぁそんなんが続いて3年生になり、相手が気を抜いたのかちょいと勝ったりして。
勝ったらさぁ大変、3本勝負(30分ハーフ3本)。休憩3分。
昼飯も他校同士が試合中の隙に口に放り込む。
当時は練習中や試合中に水を飲むなんてことは御法度。
(昨今のような狂ったような暑さではなかったから耐えられたのかも)
私は左プロップだったので、右耳がいわゆる「餃子」状態になり出血もしばしば。
餃子保護のため(笑)濡れたタオルをヘッドキャップと耳の間に挟むのですが、
あまりに喉が渇くので、ぞうきん化したそのタオルの水分をチューチュー吸ったり。
たまにOB会等で同期に会うと、その頃の話で持ちきりになります。
自分じゃ全く記憶にないことも、仲間はよ~~く覚えてたりして。
苦しかったけどいい思い出です。餃子は直りません(笑
No.1
- 回答日時:
思い出すのも厭なのだが、ご参考に
高校時代、関西の有名校と組んだ練習試合です。春の対戦成績が良かったので、監督がOBの伝手で組みました。
これが結果的にはとんでもないミスマッチ、こちらは前半で足が止まってしまい。後半は手足が竦んでタックルもチェイスも出来ず、グランドから逃げ出したい状態でした。
結局、監督が申し入れて後半20分くらいで打ち切りになりましたが、それでも100点(当時はトライ4点だったので、20本近いはず)取られました。試合後は腑抜けで、スクールウォーズじゃないけど、私たちはまさにゼロでしたね。
うちの高校は都大会だと準決勝から準々決勝常連で、久我山や目黒(当時)とやっても、試合が壊れるようなスコアになったことはないのですが、この試合は別でした。こんな連中と対等にできる久我山はすげえなと逆に痛感しました。
この年はこれが後を引き、何となく本調子にならないまま花園の予選も終えてしまいました。準々決勝敗退で成績的にはいつもの年と同様なんだけど、不完全燃焼感が強かったです。
これに比べりゃ練習のつらいのなんて今となってはどうって事ないですよ(当時は別ですが)、ダボスの丘なんか何度でも登るわ(無理無理)。
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