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昨夜のNHKの東日本大地震津波の報道番組で山田町の避難している避難所が津波に襲われ、避難したにも関わらず大勢が無くなった事を言っていました。
何故過去に此処まで津波が来たと言う記録があるのに津波が到来する所を避難所にしたのでしょうか。今回の被害は過去の教訓を生かさずの被ったものが多いようです。
過去の教訓を忘れず被災するのは今後どうすれば良いのでしょうか。
住居の高台移転も反対者が多くて進まない現状ですが、過去の災害の教訓を生かしていくにはどうすれば良いかお教え願います。

A 回答 (7件)

行政が避難所選定に無関心なのは理由が在ります。


少数が死亡すると行政の責任が追及されますが大勢
が一度に死亡すると責任追求は弱くなります。
なぜなら行政責任を追求する住民数が大きく減るから。

震災以前に久慈市の産業課と工場進出条件を検討
した事が在りますが海岸沿いの工場用地の海抜を
尋ねたら3メートルぐらいとの返答でした。5メー
トルの津波で工場が流されてしまうと言ったら今
まで来ないから心配無用との答え。それでも不安
だから15メートルの津波に対する対策は有るのか
と聞いたら笑いながらその時は数万人が死ぬので
考える必要なんか無い。そういわれました・・・
大勢死ぬからアナタの工場要員が死んでも無問題。
もちろん工場進出はしませんでした。
大企業なら現地犠牲者に黙祷で済むでしょうが零細
の私には破滅ですからねえー

行政が住民の命を守ろうとしていると考えるのは
無思慮なのです。行政が守るのは批判されない事。
避難所を作っておけば批判はされない。安全とは
まったく無関係なのが災害対策と言う物なんです。
気仙沼工場が全滅した小企業が在りましたが悲惨
な状況に陥りました。全てが津波で流されて社員
も死にました・・・事業全体が・・・・


どうすれば良いかは単純です。自己判断ですね。
行政や他人にはあなたを救う必要など無いのですから。

この回答への補足

津波で死ぬのも自己責任ですかね。不賛成です。

補足日時:2012/03/11 11:39
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昭和35年(1960年)のチリ地震津波を聞いたことがおありだと思いますが、年齢がバレルようですけど、私はあの津波の十日ほど後に青森県と岩手県北部の海岸に行きました。

俗に「三陸海岸」と言われますが、陸奥と陸中、二つの海岸です。それは酷いものでした。目も当てられないなどと言うレベルではなく、今風の言葉で言えば「嘘だろう」という感じです。ところが3.11津波はあのチリ地震津波でさえ幸福であったと思われるくらい言語に絶する惨状を生みました。
 三陸では明治の大津波、昭和の津波と、津波銀座とも言うべき津波被害地帯ですが、人間という存在は「羹に懲りて膾を吹く」ことがある反面「三日も経てば忘れる」という愚かさも持ち合わせています。吉村昭さんは三陸大津波を扱った小説の中で、津波に襲われて高い場所に家を建てるのだが、心に大きな打撃を与えた被害も薄れるに連れて次第に反対の心が湧き起り、特に猟師などは海に近いか遠いかで生活と仕事が決定的に違ってくる為、二三年もするとまた下の海辺近くに住むようになると書いています。そして歴史は繰り返されるわけです。
 表現が悪いですが、自分一人だけがどうにかなるという自己責任で済ませられるものなら彼一人が勝手に危険地帯に住もうと一向に構わないのですが、ほとんどの人間には家族があり、家族が作る社会があり、それぞれ環とつながりで一人だけ好き勝手を許されない社会を作っています。彼一人だけならともかく、彼が一家の強い家長とか独裁的人間で、自分の意思を押し通した選択の結果、家族など彼の周囲の人の何人かが彼と共に津波被害の危険のある低地に住むことになったとしたら、彼の責任は測り知れないほど重く大きいものになります。そして、そのような彼を助けるために何人かの人が危険な目に遭うわけです。NHKスペシャルで、釜石の人で「100回津波警報があれば99回は何も起きなかったから、今度も大丈夫だと思っていた」と避難しなかった理由を語っていた人がいましたが、こういう人がいるため最後まで避難を呼びかけて自分が津波に襲われ命を落す人が出てくるわけです。みんなが防災無線の避難警報を聞いて直ちに避難していれば、誰も死なずに済んだのです。
 猟師のことに戻りますが、以前の漁船は木造船でしたから、海に繋いだままでは船体が重くなり危険になるため乾燥させる必要があり、漁が終わればみんなが出て海から浜に引き揚げていました。しかし今の漁船のほとんどはプラスティック製で乾燥の必要がないため、どうしても海辺に住まなければならない必要性が減ったのです。
 それでも海で生業をする人にとって海岸から遠いこと、高台であることは経済面で見たら不便と不利益以外の何物でもないでしょうが、人命というかけがえのないもので見たら、経済的な不便などは何ほどのこともないはずで、そのことを忘れないでいるしかないのです。
 チリ地震津波で大災害を受けながら「これでしばらく津波は来ないな」と言っていた人もいました。津波は台風などと違い、毎年必ず襲来するものではないため、大津波の後は「しばらくは来ない」と安心してしまうもののようです。3.11を経験してもなお高台移転を嫌うのは、「千年に一度の津波が来たのだから、もう自分や孫子の代には津波は来ない」という考えに支配されているからです。小生が見聞したチリ地震津波の経験と同じなのです。
 結局は、自分の選択が他人の命まで巻き込んでしまうことを常に心に留めておかなくては、此の度の経験も生きてこないでしょう。
 

この回答への補足

東北の海岸地に行くと昔津波がここまで押し寄せたという石碑があるのを見た事があります。過去に被害を被ったのに再び危険な土地に住み始めたのが今回の被害の現実です。人は咽喉過ぎれば熱さ忘れるの通り時間が経てば危険がなくなるのでしょう。まあ叱られますが被災者は自業自得なのでしょうか。

補足日時:2012/03/11 11:44
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難しい問題です。


海岸から、遠ぉく遠ぉく、どこまで遠く!に作るとそこに着く前に津波に追いつかれるのです。
海の近くに住まわせずに、きこりでもさせればよいか?それでは生活できません。
漁師や水産加工業は海辺で生活します。まぁ、8階建て程度の強固な避難所を造りましょうか。
でも次は10階建てでも飲み込まれる大津波がくるかも・・・・・
悩みは尽きません。

この回答への補足

津波が来ることは覚悟の上でしょうから、地震があれば直ぐ津波を想定して逃げる事を忘れないことしか有りませんね。

補足日時:2012/03/11 11:46
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原発賛成派の、安全神話をぶちのめすコトガ、ダイ市でっせ!!

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>何故過去に此処まで津波が来たと言う記録があるのに津波が到来する所を避難所にしたのでしょうか。

今回の被害は過去の教訓を生かさずの被ったものが多いようです。
過去の教訓を忘れず被災するのは今後どうすれば良いのでしょうか。

過去の教訓を生かしたから、避難所ができたのだと思います。
また、過去の教訓は例えばその地域に堤防が出来る前の話で、今は立派な堤防があるから大丈夫。と思っていたとしても不自然ではないと思います。

更に山の中の小さな被災の碑を発見したとして、それで行政が既にある避難所の場所を変えるのは、広報のコストなどを考えるとチョット無理がある気もします。

あんまり高い場所の避難地では、そこへ行く事自体が大変になって避難所の意味が薄れる気もします。


 今回の震災は1000年に一度と言われています。
 その程度の確率のために、例えば堤防を高くするとかは過剰防衛な感じがします。
 (土木業者が儲かるだけか?)

 生かせる教訓があるとすれば、堤防などの設備だけでは被害は防げない。
 とにかく早く避難し、かつ避難した場合の家族との連絡手段を家族の中で確立することでしょうか。(家族を探しに行って被災した人も多数いたと聞きます。)

 そのために日頃の防災訓練の頻度を上げるとか。防災訓練の日は地元企業の協力を得、なるべく、多くの住民がさんかできるようにするとか。

 こっちのほうが行政費用も少なくて済み、現実的な気がします。

この回答への補足

やはり費用が先で人命は後回しなのですか。それじゃ救われませんよ。

補足日時:2012/03/06 08:58
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>何故過去に此処まで津波が来たと言う記録があるのに津波が到来する所を避難所にしたのでしょうか。



いえいえ、そんな記録はなかったのです、公式的には。確かにそういう記録が残っているのは事実です。ですが、既にお答えいただいた方の仰る通り、そういった研究には、有形無形の圧力があり、そういった記録は「無視」されたわけです。理由づけはいくらでもあります。あまりにも昔のことなので、その事象が再び起こる可能性は極めて低いとか、昔の記録でどこまで正確か分からない、そんなものを根拠に出来ない等々。
その結果、記録が「ない」ことにされ、だから「想定外」なんて表現になっているのです。
いまになって、無視したはずの記録に注目し、津波の想定を見直すというお粗末な事になっているわけです。

>過去の教訓を忘れず被災するのは今後どうすれば良いのでしょうか。

恐らく、被災者の方々を除くとかなり風化してきていると思います。私の周りでも「節電」なんて夏で終わったくらいの認識の方も多いです。
高台移転については、「居住、移転の自由」を憲法を盾に主張し反対されている方もおられますが、あの条文は正確には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と公共の福祉の制限が付いているんです。ですから、行政が制限をかける事も出来ないわけではないですが、それは強権的ともとられるので、やりたくないんでしょうね。どうしても高台に住みたくなければ、「自己責任」ということになるんでしょう。それでも、最小限の方針を示し、協力を求めるなど、地道にやるしかないと思われます。

防災については、完全に被害を食い止めることが無理と考えながらも、被害を最小限に抑えることを目標にし、耐震基準(液状化対策も含む)、防火基準、設置基準をより細かく策定し、実施していく。これしかないですね。

この回答への補足

1000年に一度の災難で大変な事になった。被害対策はもう1000年後まで不要なのでしょうか。

補足日時:2012/03/06 09:00
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>何故過去に此処まで津波が来たと言う記録があるのに


>津波が到来する所を避難所にしたのでしょうか。

流れとしては、今回の震災が起きてから
過去の記録や研究にスポットライドが当たった
という流れのようです

それもここまで波がきたという明確な記録は
ほとんどないので以前は国や電力会社としては
「そんな津波の証拠がない」扱いだったのようです

また、活断層や津波についても研究者が発表しても
「お前は原発反対派なんだろう」と電力会社から言われたり
「地価が下がるからそんな研究するな」とやくざが来たり
なかなか受け入れられる環境が整っていなかったようです

それで、図らずも対立することになったり
研究できなくなったり、研究を諦めたり…

>研究過去の教訓を忘れず被災するのは
>今後どうすれば良いのでしょうか。

防災、ですね
一番には一般の人が地震や津波に対して興味を失わないことです
興味が高ければ国の予算もついて、研究の裾野や
防災グッズの市場も広がり
人々が何らかの人生の決断をするときに
災害を考慮して選べるでしょう
(どこに家を建てるとか)

この回答への補足

災害対策は自己責任ということでしょうか。

補足日時:2012/03/06 09:01
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