性格悪い人が優勝

家庭科が必修科目になったのはなぜですか?

戦後間もなくの家庭科(中学、高校)は男女共学で選択科目だったと聞きました。

その後、中学や高校の家庭科は女子だけ必修になったようですが、当時は女子からの希望が多かったのでしょうか。
家庭科が女子のみ必須になったことで、女子は中学で技術・職業教育を受ける機会を失いました。技術・職業教育の機会を奪ってまで家庭科を必須にする必要があったのでしょうか。

また、最近では、中学や高校で家庭科が男女共に必修になったようですが、女子に加えて男子からの要望が多くなったのでしょうか(これはないでしょう)。
これによって男子も技術・職業教育を受ける機会が大幅に減りました(小中高で315時間から88時間へ激減)。

家庭のしごとは誰にでも発生するので必要といえば必要ですが、家庭科は小学校にもありますし、学年が上がれば技術・職業教育の方が重要だと思います。

しかし、実際には(過去には)、技術・職業教育を犠牲にして家庭科を必修科目にしているのです。

これは、どういうことでしょうか?

中学・高校の家庭科は選択科目のままで良かったのではないでしょうか?

A 回答 (4件)

 早速のレスありがとうございます。


これは僕が実際に経験してきたことです。小学校では男女共に「家庭課」でボタンのかがり付け方や調理実習(マナー指導を含む)を学びましたが、中学校では同一時間に男女別で「技術課」「家庭課」のそれぞれの授業が行われていました。今考えてみればこれも不自然なものだったことが判ります。中学校の段階で詳細に日本国憲法を学びますが、そこには「男女同権」が明確に記されています。にもかかわらず「男と女は別!」との旧態依然の考えをそのまま引きずったような「技術・家庭」のような括りの仕方がなされていたことに今さらながら矛盾と疑問を感じてしまいます。また高校では技術はカリキュラムとして設けられていませんでした(普通高校ですので)。
 
 >美術や音楽、体育、英語、国語、数学などの時間数が3分の1以下に削減されたとしたら、どのようにお感じになりますか?苦情が出ない方がおかしいとは思われませんか?
 
 美術や音楽、体育などと英語・国語・数学の科目を同列で論じることには疑問の余地があります。後者の時間数を減らすことは先ずありえません。但し高校での社会科のカリキュラム編成に異常と問題が生じ始めたのは例の「現代社会」が登場して以後に顕著に表れています。

>児童生徒にはいろいろなタイプの子がいます。私は美術や音楽の好きな子どもから、それらの科目を取り上げたいとは思いません。

 この点は賛同できます。蓋し、美術や音楽が好きという子供には「好きな食べ物やつまみ食いをしていては将来成人病予備軍になるよ」として主要科目の学習にも力を注ぐ必要性を確認させることも必要です。体育・美術・音楽が好きな子供はどうしてもそちらに逃避してしまう傾向があり自らの可能性(勉強のこつさえ飲み込めば本当は成績もあがる)に気付いていないケースが殆どです。

>中学の技術科は、男子にとって、体育に次ぐ人気科目だそうで(今でもそのようです)、多くの男子が積極的に取り組んでいます。中には「好きな科目は技術だけ」という子どもも少なからずいると思います。このような子どもから機会を取り上げてしまうことに抵抗はないのでしょうか?

教育課程としての中学校の位置づけが「将来の日本国民しての適切な素養を身に着ける」ことでもありますから、上記同様に「偏食の危険性」を一層強調して話すべきだと考えます。


>技術教育には、職業教育としての意義、人間の発達の促進(体育とは異なる意味での身体の使い方の習得)、産業に関する教養の獲得(分業や協業が発達した現代に不可欠な教養)などの効果や意味合いがあります。

>基本的な技術教育は普通教育(=小中または高校普通科)の中に設置しないと一般に利用できるとは言えません。「職業高校に行けば良い」では、法律や経済、サイエンス、医療、ビジネスなどの分野に進む子どもは技術教育を得る機会がなくなってしまいます。私も理工系の人間ですが、技術について直接学習したのは中学の技術科だけです。

現代は専門特化の代名詞ともいえる時代であり、それゆえに「現代の匠」と称される職業分野およびその技術継承者も産業経済省の認定などの裏付けがあります。果たしてその様な部分に「技術課教育」が目を向けているかとの疑問もあります。T定規とデバイダーでの製図作業は今やパソコンのCADソフトに変わり、しかも建築物の設計製図ではそこでの生活動線なども同時にシミュレーションできるほどになっています。
 仮に技術・家庭の授業時間数を中学校段階で元に戻すならば他の授業科目時間数を削るか或いは土曜日を以前のように休日とせず午前中は授業を行う形に戻さざるを得ないか何れかの選択になるでしょう。そして技術課教育の目的に「ユニバーサルデザイン」を付加することが将来の日本にとって必要となるとも僕は考えます。
 誰にでもできる社会参加のあり方を学校教育の目的とするなら、技術課では何ができるだろうと考えての1つの提案です。左利きの僕が身の回りを見回して不便に感じる典型として「キップの自動販売機」があります。殆どが右利きの人を想定して作られています。また券売機が設置されている高さも車椅子で移動する方々にとっては使い勝手の余り良くない設計であり、目の不自由な方にとっても点字シールの貼られている位置が気になります。もしこの装置に音声認識を組み込んだらどうだろうかと想像したこともありますが、それにはコストの問題が必ず顔を出してきます。恥ずかしい話ですが、学生時代にラグビーの合宿練習で負傷し入院を余儀なくされていた時、車椅子での移動とトイレの介助は全てチームメイトの世話になった経験もあり「車椅子の目線と健常者の目線の高さの違い」から現在でいうユニバーサル・デザインに少なからず目を向ける切っ掛けともなりました。
 言葉は良くないかもしれませんが、技術課にはトンカチで釘を打ち付けたりアルミで状差しを作ったりするなどの技術論よりも「どうすれば人にとって使いやすいものを作ることができるか」との発想を学ばせるべきだと考えます。その視点を欠いていた?から技術課教育は片隅に追いやられるような状況を自ら作り出してしまったのではなかろうかと意地悪な目線で見てしまいます。
 子供の豊かな発想には驚かされることがしばしばあることもあり、そうした可能性の芽を摘み取ってしまう形には反対ですが、子供自身にもそうした可能性に気付きそれを伸ばすにはどうすれば良いかと自ら考え選択する姿勢を以て貰いたい。そのために教師はサポーターに徹することで自らの職掌と責務の殆どを果たすことになり次へとバトンを手渡すことができると考えます。
 昭和の名工の一人西岡常一や蒲田の町工場の社長達は自らの技を「親方の仕事を見る」ことで学び後に続く者へと伝えてきました。子供達はとかく「早くやりたい」と工具や道具に飛びつきたがります。それを押さえるのも教師の仕事です。「この単元で学ぶ内容と目的」を理解させることが先ずは必要です。もし教師の立場だとして「先生、早く作ろうよ」と生徒の一人がはしゃいだなら、その生徒には授業時間のあいだ、実習内容のレポートを書かせることを命じます。もちろん道具には指一本触らせることはありません。彼にとっては作ることが授業であっても教師の立場からすればそれは遊びとして考えているとしか認められない。大切な事として「何を目的としているか」を理解させるための授業であることを教えるには厳しさも必要です。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>中学校の段階で詳細に日本国憲法を学びますが、そこには「男女同権」が
>明確に記されています。にもかかわらず「男と女は別!」との旧態依然の考え
>をそのまま引きずったような「技術・家庭」のような括りの仕方がなされていた
>ことに今さらながら矛盾と疑問を感じてしまいます。

おっしゃるとおりです。
私も男女平等が当たり前の時代に教育を受けていますので、技術・家庭科の男女別展開はオカシイと当時から思っていました。女子は技術科が受けられず気の毒だなと思うと同時に、男子の中にも技術科よりも家庭科をやりたいヤツもいるはずだと思っていました。「女は家庭科でもやっておけ」という感じで差別されていたのかとも思っていました。

しかし、実際は違いました。

中学の家庭科を女子のみ必須にしたのは家庭科教育関係者だったのです。当初の中学の家庭科は職業科の一部で、工業、農業、商業、家庭などの科目から2つ程度選択する仕組みだったようです。このとき、文部省は「家庭科は女子に強制するものではない」ことを明確に示していました。職業科は1958年改訂で技術・家庭科になったのですが、発表の前日まで男女共学の「技術科」(家庭に関する内容を含む)になる予定だったそうです。これを男女別の技術・家庭科にしたのが家庭科教育関係者です。

高校の家庭科も当初は男女共通の選択科目だったのですが、家庭科教育関係者が女子のみ必須にしたのです。家庭科教育関係者は高校家庭科の女子必修化を求めて請願を繰り返し、「女子の大学進学者が高等学校の時代に最低限の家庭科を履修することは、男女の特質を生かすことではあれ、男女の本質的平等を侵すものではない」という主張を展開していました。そして、1970年代になってから高校家庭科が女子のみ必須になりました。

どうして家庭科教育関係者はここまで強硬だったのか?
どうして女子教育や主婦教育にこだわっていたのか?

それを知りたくてこの質問を立ち上げました。


>教育課程としての中学校の位置づけが「将来の日本国民しての適切な
>素養を身に着ける」ことでもありますから、上記同様に「偏食の危険性」を
>一層強調して話すべきだと考えます。

日本の子どもは偏食どころか、技術教育不足の栄養失調状態です。普通教育における技術教育の割合はわずか3%でOECD諸国の中でも格段に少ない状態です。国立教育政策研究所が発行している資料によると、多くの国々では、小学校から高校まで、普通課程の中で技術教育を実施しています。技術教育はすでに教養教育としての意味合いが強くなっているのです。

もしご興味があれば「日本の子ども・青年の技術的教養の実態と課題 」という資料がインターネット上にありますのでお読みいただければと思います。

お礼日時:2012/05/08 19:14

 中学および高等学校での「家庭課」の意義と目的は学習指導要領に以下の規定があります。



【中学校】
A 家族・家庭と子どもの成長
1.自分の成長と家族
2.家庭と家族関係
3.幼児の生活と家族

B 食生活と自立
1.中学生の食生活と栄養
2.日常食の献立と食品の選び方
3.日常食の調理と地域の食文化

C 衣生活・住生活と自立
1.衣服の選択と手入れ
2.住居の機能と住まい方
3.衣生活、住生活などの生活の工夫

D 身近な消費生活と環境
1.家庭生活と消費
2.家庭生活と環境
 
【高等学校】
「人間の生涯にわたる発達と生活の営みを総合的にとらえ、家族・家庭の意義、家族・家庭と社会とのかかわりについて理解させるとともに,生活に必要な知識と技術を習得させ、男女が協力して主体的に家庭や地域の生活を創造する能力と実践的な態度を育てる」

 この様な考え方が質問者様にはお気に召さないのかもしれませんが、「家庭課」の成り立ちから考えても「男は仕事に専念する。女は家事に専念する」との発想は現実的に不自然ともいえる部分が少なくありません。
 何らかのトラブルで片親となってしまった子供を育てる場合や共働き家庭、そして高齢夫婦のみ家庭で役割分担をしたならば、家族としての家庭は成り行かなくなる可能性が多分にあります。
 「技術・家庭」として技術や職業教育を犠牲にしているといえば聞こえはよいのですが、「家庭課」を履修科目としているのは普通科高校です。普通科高校でなぜ家庭課が男女共通の科目として位置付けられている理由ですが、女子生徒の大学進学率が向上していることや「女性差別差別撤廃条約」の批准などの背景があります。
「学年が上がれば技術・職業教育の方が重要だと思います」これも一つの見解ではありますが、それならば職業高校(商業高校・工業高校・農業高校)も普通高校とは別に設けられていますので、そちらを選択するとの発想も成り立つはずです。
 商業高校や工業高校でコンピュータの基本操作やアプリケーションの性質などを学ぶわけですから、それが技術教育の役割を果たしているとは考えられませんか?。何もノコギリで木材を切ったり、半田付けしたりすることだけが技術や職業教育の役割ではないと私は考えますが、如何でしょう。
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この回答へのお礼

コメントいただきありがとうございます。

中学技術科は、当初は3年間で315時間あったのですが、現在は88時間まで激減してしまっています(家庭科は小中高に設置されているので、これほどの影響を受けていません)。

美術や音楽、体育、英語、国語、数学などの時間数が3分の1以下に削減されたとしたら、どのようにお感じになりますか?苦情が出ない方がおかしいとは思われませんか?

児童生徒にはいろいろなタイプの子がいます。私は美術や音楽の好きな子どもから、それらの科目を取り上げたいとは思いません。

中学の技術科は、男子にとって、体育に次ぐ人気科目だそうで(今でもそのようです)、多くの男子が積極的に取り組んでいます。中には「好きな科目は技術だけ」という子どもも少なからずいると思います。このような子どもから機会を取り上げてしまうことに抵抗はないのでしょうか?


>「学年が上がれば技術・職業教育の方が重要だと思います」これも一つの見解では
>ありますがそれならば職業高校(商業高校・工業高校・農業高校)も普通高校とは
>別に設けられていますので、そちらを選択するとの発想も

技術教育には、職業教育としての意義、人間の発達の促進(体育とは異なる意味での身体の使い方の習得)、産業に関する教養の獲得(分業や協業が発達した現代に不可欠な教養)、などの効果や意味合いがあります。

基本的な技術教育は普通教育(=小中または高校普通科)の中に設置しないと一般に利用できるとは言えません。「職業高校に行けば良い」では、法律や経済、サイエンス、医療、ビジネスなどの分野に進む子どもは技術教育を得る機会がなくなってしまいます。私も理工系の人間ですが、技術について直接学習したのは中学の技術科だけです。


>商業高校や工業高校でコンピュータの基本操作やアプリケーションの性質などを
>学ぶわけですから、それが技術教育の役割を果たしているとは考えられませんか?

コンピュータの利用は生産現場から日常生活に至るあらゆる分野に広がっています。コンピュータの利用は技術教育として扱うのではなく、すべての科目の中で進めていくべきものです。


>何もノコギリで木材を切ったり、半田付けしたりすることだけが技術や職業教育の
>役割ではないと私は考えますが、如何でしょう。

おっしゃるとおりだと思います。今の技術科は時間数が少なすぎて、木材加工の次にロボットの制御をやるような時間割になっていないでしょうか(見ていないので詳しくありませんが)。時間数をもっと増やして体系化して欲しいと思っています。

お礼日時:2012/05/07 23:09

離婚・おひとり様が増えたからでは。

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この回答へのお礼

中学家庭科が必修科目(女子のみ)になったのは1960年頃です。もともとは選択科目で男子も履修可能でした。
また、高校家庭科が必修科目(女子のみ)になったのは1970年代です。それまでは男女共通の選択科目でした。

お礼日時:2012/05/06 22:36

女性の社会進出の増加を受けてのことですね。



女子だけが家庭科を行うのは、男性は家事などやらなくてよいという考えが多少は入っています。
これでは女性の地位向上につながらないと思い立った政治家がいて、男女平等の考えから男女とも中学での家庭科が必修となりました。

良いか悪いかは別にして、今はこの考えで進んでいます。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

高校家庭科はもともと男女共通の選択科目だったのを、家庭教師団体が陳情を繰り返して女子だけ必修科目にしてもらったようです(男子は選択科目のまま)。それも、1970年代になってから。一部の女性には不本意だったのかもしれません。

中学の家庭科は職業科の一部で、工業、農業、商業、家庭などの科目から2つ程度選択する仕組みだったようです。
当時の家庭科の先生方には職業科に位置づけられたこと自体が不本意だったようで、1960年頃から独立した科目として女子のみ必須になったようです。当時は男性・女性の役割がかなり明確だったとはいえ、何も必修科目にする必要はなかったのではないかと思います。

そして、家庭科の男女共修・・・

技術・職業教育として位置づけられていた現在の中学技術・家庭科はスカスカです。
残念でなりません。

お礼日時:2012/05/06 22:33

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