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お世話になります。
世界中には
●王制(ほか、呼び名は異なるが、一族の血縁者が代々政治をつかさどるシステム)を続けている国
●王室等は継続するが政治からは切り離し政治上の権力を一切持たない方式で王室を継続させている国
●王室を他国に追放したり、革命によって王室一族を処刑して血を絶った国
などがあります。

これらはどのような理由でそれぞれの方式を採用しているのでしょうか?

世の中の趨勢をみていると、王族が政治を行う国よりも王制を完全廃止した国の方が民主主義が進んでいる、という感じがありますが、やはり王制をやめた国の国民は、王族による政治をいまだ続けている国や政治からは切り離したものの、王族は生かしておく国を
「いまだに王制を廃止しないなんてレベルの低い国だこと」
と見下しているのでしょうか?
それとも
「やっぱり王制を廃止しなけりゃよかった。今からでも王族の末裔を探し出して復活させようかな」
と思っているのでしょうか?

まあ、一概にはいえないでしょうから、それぞれの国の政治家や有名人の公式発言から、知人の外国人・学校にいる留学生の私的発言まで、幅広く情報をお待ちしています。

A 回答 (4件)

(1) 招かれた王



イギリスは17世紀半ばのピューリタン革命で国王を処刑した。共和制となったがクロムウェルの独裁だった。彼の死後、1660年に王政復古したが、1688~89年には名誉革命が起きた。議会が王を追放し、長女夫婦をオランダから招いて王位に据えている。
スウェーデンでも、議会が1810年にフランスからナポレオンの部下を招いて国王にした。子飼いではなく、若干ライバル的な部下だったことが味噌で、スウェーデンは強大なフランスに対して全面対決も従属も免れた。
フランスも国王をギロチンにかけたり王政復古したりで、何度も政体が変わっている。と、まあ高校の世界史で習ったようなことを思い出してみた。君主制を倒したら民主的かというと、恐怖政治や独裁体制になってしまい、君主制に戻したことがある。

(2) 裕仁も呼び戻された王

情緒的には、天皇は(1)のケースと異なり古代からの伝統に基づいているように見える。(1)の王たちより尊い、と考える人もいる。
しかし、憲法学界で有力な「八月革命説」や「断絶説」によれば、1945年8月以前と以後の天皇は別ものである。これは「革命」という文字づらにもかかわらず手堅い説で、反論するのは難しい。提唱者の東大法学部教授・宮沢俊義は憲法学界をリードして、その著書は司法試験受験生などの必読書だった。
この説をもっと大胆に言い換えると、次のような擬制が考えられるだろう。「戦前戦中の天皇は1945年8月に一旦廃帝になり、直ちに国民によって『戦後天皇』として呼び戻された」。天皇の地位は、主権の存する国民の総意に基くのである。
骨董なら古いものやオリジナル(原物)に価値があるが、民主主義国家の王は、「国民に招かれた(国民がわざわざ呼び戻した)」ことにこそ値打ちがある。

(3) 身も蓋もない事実

世界史を振り返ると、古くからの王は革命や戦争で次々に廃されている。また、「国民国家以前からの王」を戴く国は、「国民によって王位に据えられた王」の国や共和国に圧倒されている。前者より後二者の国の方が強い。
これは主義信条やお国柄を超えた歴史的事実であり、世界の人々も当然意識している。以上が、ご質問に対する答である。(2)と考え合わせると、民主主義はけっこう実利に裏打ちされていることが分かる。もっとも、民主主義にもいろいろ事情があって話は単純ではないけれど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
国家国民以前からの王、は次第に減っていくか、国民によって据えられた王、に換えられていくのが時代の流れなのですね。

お礼日時:2012/05/11 07:16

まず王政と民主制ですが、案外民主政治の歴史は古く、紀元前のギリシャのポリス(都市国家)や共和制時代のローマなどは民主制を採用していました。



特に共和制ローマは王政に対するアレルギーが強く、護民官として民衆のための改革を目指したティベリウス・グラックスは元老院の陰謀が元で民衆に「グラックスは自分が王になることを望んでいる」と誤解され、暗殺されたという史実もあります。暗殺されたのは紀元前133年とされています。

この後、ローマは皇帝を擁する帝国に変貌しますが、日本の天皇(英語ではローマ皇帝と同じ称号:エンペラー)や中国の皇帝とは違い、事実上の血統主義であり独裁主義でありながら、民主的な手続きを必要とするというどちらかというと現在の大統領制に近い(というより大統領制が皇帝制度を模している)制度がありました。しかしこれは「王政」とは違うのです。

古代ローマが崩壊するとヨーロッパ各地に「王」が誕生するのですが、彼らは「皇帝の跡継ぎ」という資格で各地を統治したため、ヨーロッパの「王」というのはアジアやイスラム圏の「王」とは少し異なるところがあります。

つまりヨーロッパの王は多少なりとも民主的な手続きを踏んでいて、王政が成り立つには最低でも宗教界と貴族の賛同が必要であり、フランス革命以後に皇帝となったナポレオン・ボナパルトも手続き上は民主的(もちろんある程度強引に手続きしていますが)に皇帝の地位を得ているといえます。

ですのでヨーロッパ人にとっては、伝統的に立憲君主制の考え方があり、むしろフランス革命のほうが特殊な例であり、フランス革命以後は王自身の保身の為もありますが、イギリスの立憲君主制に倣って君主制に移行し、第二次大戦まではそれが普通であったといえます。(これを壊したのは共産革命なのですが、これはちょっと後で出てきます)

これに対して中近東からアジアの「王」はまさに絶対君主的王であり、王=神という地域も多数存在しています。日本の天皇家=神だったのも、西洋的な神(唯一神)ではなく、王=神の考え方だったといえます。

この場合の「神」は、何らかの理由によりその土地の統治権を得た一族、という意味であり、統治権を得ているのだから立法権・裁判権・収税権などの統治行為権があるとされ、だからその国の臣民は「王」に服従する、という意味になります。
その点では神=恐れ多くて従うべきもの=自分達庶民を導いてくれる存在、だったわけです。

これの面白いエピソードにヨーロッパに外遊したロシア皇帝がある街で建物の高さを実感する為に「おい、お前飛び降りてみろ」と家来に声を掛け、ヨーロッパの王族がびっくりした、という逸話があります(もちろんロシア皇帝をなだめて家来は一命を取り留めました)
それぐらい「王」でも権力に違いがあったのです。

さて前置きが長くなりましたが、これらの歴史相違があるため、地域によって「王政と民主制」による意識の違いというのはかなり大きいといえます。

イギリスを始めとしたヨーロッパは立憲君主制があれば民主制は十分成り立つし、民主制そのものはかならずしも進歩的ではない、という意識があります。

アメリカ人は肌で王政を感じることは無い(ヨーロッパのように自国、あるいは隣国が王政ということはない)ですし、独立の目的そのものが自由主義のための民主国家建国ですから「民主主義の砦」という意識がたぶんにあり「民主自由主義こそ人類のもっとも価値ある国家体制」と考えている節があります。
しかし、歴史的に浅く(移民の国ですから当たり前ですが)民族のよりどころが無いので、ケネディ一家のようにザ・アメリカの人物を偶像化する傾向があります。
「王家」に対する憧れ(多分に歴史的・文化的な)があるのかもしれません。

さてイスラム国家については現在でも王政の国が多く、民主制に対する考え方は微妙なところがあります。しかも民主制以上に王政=還俗政治と神聖政治の対立が大きく、1979年のイラン革命は王政を廃止して神聖政治に移行するという、ちょっと日本人には理解できない方向に変化していますので、イスラム圏の人々にとっては「イスラムの教えに忠実に生きれる国にするにはどうすればいいのか」という回答の一つが民主制である、ということです。
 イスラム教でも一国の中に何種類もの宗派があるような国では、民主制はそれなりの力をもつからです。しかしこれも「イスラムの教えに則るための民主主義」ですので、日本人や西洋人の考える民主主義とは趣が異なるといえるでしょうし、進歩的でも無く国を治める選択肢のひとつにすぎないということです。

さてイスラム教でもなく西洋でもない大部分の国ではどうかというと、ここで民主主義と共産主義の対立が出てきてしまいます。

そもそも1945年までは自立した独立国はヨーロッパ・ロシア・日本・アメリカ合衆国ぐらいしかなく、あとは大体どこかの植民地か傀儡政権だったので、民主主義もなにも「その国に住む国民が自分たちの意思で国のあり方を決める」ということは出来なかったのです。

それが第二次大戦後ヨーロッパ本国の疲弊により、各地で独立運動が高まりどんどん独立していくことになっていき「自分達で国の方向を決める!」という民主的な機運が高まったのですが、この時代民主主義は民主主義と共産主義があったのです。
これにより、朝鮮半島やベトナムではどちらのイデオロギーの国になるか戦争になりましたし、ドイツはソ連に占領されて東西に分裂(ポーランドはもっと近かったので事実上占領)と「民主的」とされる形態が二つ存在したのです。

現在の時点から見れば「共産主義は民主的ではない」と思われるでしょうが、それまでは事実上の植民地で「国家」ですら無かったのですから、当時から見れば共産主義でも十分に民主的でしたし、むしろ庶民(お金持ち以外)から見れば「労働者の権利」を約束する共産主義のほうが「民主的」だったのです。

これらの国からみれば「王政」とは「西洋に付け入る隙を与え、民衆を奴隷に差し出して自分達はのうのうと生き残った」古い体制であり、民主制でも共産制でも「進歩的で自分達の理想」と感じたでしょうし、事実(うまく機能していないところが多いですが)民主主義を進歩的であると評価しています。
これらの国から見ると「王政を廃止していない国なんて古い」のでしょうが、ところが世界最長の王政が続きながら民主的で裕福な日本を見ると、非常に複雑な感じがするようです。

最後にまとめると
・ヨーロッパは民主主義を進歩的とは思っていない。必要悪であるという自覚もある
・イスラム国家の主題は「イスラムの教えに忠実な国家体制」であり、民主主義はその実現のための一つの手段に過ぎない
・以前植民地だった地域では、民主国家=進歩的であるが、民主制と共産制の選択があったため内戦状態になった国も多い。ただし彼らは共産主義を含めて民主主義は進歩的で王政は古いと感じている。

王政復古の実例でいえば、
1907年のブータンの王政復古、1975年のスペイン、1993年のカンボジアの例があります。
ブータンは最近立憲君主制に移行しましたが、隣国のネパールは王政を2008年に廃止しています。どちらも隣国の中華人民共和国の影響を受けた共産派の圧力を受けたものです(ただし、ネパールは王族が悪行ばっかりしてたので民衆に愛想つかされましたが)
スペインもカンボジアも激しい内戦の後、国を一つに統一する象徴として国王を迎えて国家を安定させたものです。

フランスも革命以後、ナポレオンによる皇帝就任とその後の王政復古、そして第三共和制で国家運営が安定するまで80年の月日を要しています。

簡単に「民主主義」といいますが、国の統治が安定するには時間もかかりますし、国王(象徴)がいるだけで安定するという事実もあるといえます。

ですので、民主主義が進歩的と考える国もありますし、必要悪と考える国もあり、王政をうらやましがる国もあるといえますし、どんなに厳しくても民主主義を守る国もある、ということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
凄く詳しい説明でよくわかりました。
ご職業は大学の先生ですか?
またご縁がありましたらよろしくおねがいします。

お礼日時:2012/05/08 07:04

>これらはどのような理由でそれぞれの方式を採用しているのでしょうか?


 元々王政の場合
 絶対王政→立憲君主政治そして現在のような
 いわゆる英国王室のような『君臨していても統治せず』に切り替わっています。
 で王政が完全にないのは、途中で問題が起きて切り離したが、最初から無いかです。
先進国ではロシアなどは革命などにより廃止した経緯があります。米国は英国から独立したときには王政ではありません。
 なので最初から王政ありきなので、採用というのは変かもしれません

>王族が政治を行う国よりも王制を完全廃止した国の方が民主主義が進んでいる、という感じがありますが

 そうではないと思います。
 先進国で王が存在してるのは日本を始め英国、豪州、カナダ、そして北欧各国などあります。なので民主主義なのに王がいるのは歴史が古いともいえます。
 例えば英国のエリザベス2世は グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)女王
カナダ女王
オーストラリア女王
ニュージーランド女王
ジャマイカ女王
バルバドス女王
バハマ女王
グレナダ女王
パプアニューギニア女王
ソロモン諸島女王
ツバル女王
セントルシア女王
セントビンセント・グレナディーン女王
ベリーズ女王
アンティグア・バーブーダ女王
セントクリストファー・ネイビス女王  を兼任しています。

 なので欧米では王政のある国は歴史ある格調高い国家と認識されています。実際冠婚葬祭の儀礼では大統領よりも王は上座に立ちます。
 で王の中でも歴史が古いほうが上座に近いので、王政の歴史が長いほど(欧米では)上位に立ちます。なので日本の王室(いわゆる天皇が最上位に立つことが多いのです)
 尚東南アジアとかインドでは王の在位が長い方が上座に立ちます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そうではないと思います。
 先進国で王が存在してるのは日本を始め英国、豪州、カナダ、そして北欧各国などあります。なので民主主義なのに王がいるのは歴史が古いともいえます。


いえ、私は「民主主義が進んでいるという感じがあります」と言ったのであり、
「王制を存続している国は建国の歴史が古く、王制を取っていない国は建国の歴史が浅いですね」
と言ったわけではありません。
誤解させてしまい、言葉足らずでした。失礼。

お礼日時:2012/05/07 12:51

長年ブラジルに住みましたのでブラジルの場合を書きます。



ナポレオンが絶頂の時代にポルトガルがナポレオンに背いたので攻め込まれました。ポルトガルの王様は植民地ブラジルへ船で逃れ、ほとぼりが冷めるまで植民地ブラジルで過ごしました。ところが意外と滞在が長引いて息子ペドロ一世が、ブラジルの独立を宣言してブラジルの王様となってしまいました。1822年のことです。
1889年、ペドロ二世の時代にブラジル国民が帝政に反対を示したので王様は潔く退位しポルトガル本国へ帰りました。

ブラジルの場合は中間の立場です。
王様は不要として共和制を支持しているが、イギリスの女王や日本の天皇に一種の憧れを抱いています。現に1968年に当時皇太子であった現天皇がブラジルをご訪問されたときはブラジルは大歓迎をしたのを覚えています。その後総理の角栄さんもブラジルを訪問しましたが、あきらかに歓迎のレベルが違いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ブラジル人に親日派が多いのはそういう理由もあったんですね。

お礼日時:2012/05/07 10:21

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