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30代男です。
同世代以上の方に質問です。

今回のロンドンオリンピックを見ていて思ったんですが、日本人メダリストのインタビューで「感動を与える」というくだりがとても耳につく気がしました。

結果的にそうなっているので別に良いんですが、なかには「次回も感動を与えることができるように頑張ります」的なことを言う選手もいます。

「次回は(も)金メダルを取れるように頑張ります」なら全然いいんですけど、「感動を与える」という目標に違和感を感じます。

ちなみに自分が子供の頃のオリンピック選手(およびマスコミ)って、いまほど感動感動って言ってなかったように思うんですが、気のせいでしょうか。同じような違和感を感じる方っていますか?

自分の解釈では、過去のオリンピックでは(世情なども含めて)成果第一主義(メダル第一)だったのに対し、昨今は成果(メダル)のみで全てを語る風潮が弱まってきている。
そのため、「メダル」を「感動を与えられるモノ」と言い換えてるのかな、と思ったり。。。

考えすぎでしょうか。 どうなんでしょう。

A 回答 (6件)

回答というわけではないですが…。





今回のオリンピックばかりではなく昨今のスポーツ選手はよく口にする
コメントですよね。突っ込むほどではないけど日本語としての微妙な違和感は
自分も感じます。



感動は見ている側が結果として感じるものですからねぇ。感動してもらえるようというのは
ちょっと違うと思います。ただコメントする側は特に深く言ってるとは思えませんし
マスコミや昨年からの社会情勢の影響が大きいのではないですかね。



基本的に多くのオリンピアンはアマチュアで自分のため(一定の支援者のため)にやっていて
その延長線上に観客、視聴者いるのであるから本来はわれわれは部外者で競技者の意識の中には
ないはず。それに感動してもらうためだけに自分を厳しく追い込めるはずはないと自分は考えます。
結局は流行と言ったら語弊がありますがそういった言葉、コメントなんではないですかね。



だいたいほとんどの競技はオリンピック時期が注目のピークでオリンピックに熱狂した人たちも
数か月で忘れてしまいますし。単純に考えたらいいんではないですかね。(41歳男)
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この回答へのお礼

そうですね。単純に考えれば仰るとおりのことだと思います。

また、3.11以降の意識の変化みたいなものも確かにあるのかな、と思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/27 09:39

現代の「オリンピック選手」が、昔の「オリンピック選手」ほど、プレッシャーの度合いが違う!とゆうか、それほど、背負ってる感が無いからでは?


何しろ、(与える)って言ってるぐらいですから!!
「日本代表」とゆうより「私代表」みたいな。それを象徴していると思うのが、ボクシングのミドル級で、金メダルを取った選手、名前が出てこないけど、言ってましたね!
〈ミドル級は「日本人」には無理って言われてますけど、僕に無理とは言われてない。〉
「俺代表」「私代表」だなぁ、そう感じました。
昔の「オリンピック選手」で「銅メタル」を取ったにもかかわらず、自殺した選手がいたぐらいですから。
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この回答へのお礼

>昔の「オリンピック選手」で「銅メタル」を取ったにもかかわらず、自殺した選手がいたぐらいですから。

そうなんですか!
金取れなかったら、ということですか?

>〈ミドル級は「日本人」には無理って言われてますけど、僕に無理とは言われてない。〉
「俺代表」「私代表」だなぁ、そう感じました。

私はこれにはあまり違和感を感じません。
選手は私的に頑張って良いと思うんです。
ただ、「(人に)感動を与える」という話が絡んでくると、なんだかなぁと思うのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/29 09:09

考えすぎだと思いますよ。


選手も精一杯の結果ですから
素直に口をついて出た言葉だと思いますけど。

結果を讃えてあげたらいかがでしょうか。

過去のオリンピックの時と比較もしない方が
楽しく観戦できると思いますし。

これからはパラリンピックも始りますので
オリンピックに追いつくくらいの
盛り上がりがあれば、いいな~
なんて思っています^^;

この回答への補足

補足というわけでもないんですけど、今回のオリンピックの金メダリストが、結構な割合で君が代を斉唱していなかった点も実はちょっと気になっています。

順位・結果が確定した瞬間はワーッと思うのですが、表彰台に棒立ちで国歌斉唱しない姿を見て萎えました。。。

※自分は特別愛国的とは思いませんが、日本代表なんだから国歌くらい斉唱して欲しいかなと。

補足日時:2012/08/23 17:01
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

結果を称えることには異存ありません。
パラリンピックも応援したいと思います。

お礼日時:2012/08/23 16:58

 メダルを取れなかったら、あそこまで差異をつける国民性の問題だと思います。

銅メダルなら、レスリングのあのヒトはあそこまで持ち上げられたでしょうか?パレードって、取れなかった人は乗ってたんでしょうか?招待さえもないんでしょうね。ほとんどは招待されても出ないでしょうが、需要があるからその言葉が生まれる。「日本代表の誇り」として、みんなパレードに自信を持って出られるような受け側にも意識改革が必要に感じます。

この回答への補足

えっと、自分が違和感を覚えるのは、メダリストとそうじゃない人の扱いの違いや、メダルの色で扱いが違うということではありません。
確かに日本代表に選ばれている時点で、メダル以前に日本のトップレベルであるということも分かりますが、オリンピックという競技の場に上がった以上結果が全てということについ、自分は納得できます。
(昔は、オリンピックは出場することに意義があると言われていましたが。。。)

自分が違和感を覚えるのは、マスコミや観戦者が言う「感動をありがとう」や、出場者が言う「感動を与えられる選手」などの「感動」というキーワードに関わる言説が(20-30年前に比べて)多いように感じる点です。

決してこれを否定するわけではありませんが、昔に比べて多いと感じるのが気のせいなのか、なにか時代背景があるのか、そこらへんのことです。

補足日時:2012/08/23 13:50
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/23 13:43

「次回はメダルを取り逃がして勘当されないよう頑張ります」

















のほうがいいかもしれません。
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この回答へのお礼

座布団一枚!

お礼日時:2012/08/23 10:15

選手なんて素人ですから構成作家もいません。


どこかで聞いた言葉の受け売りといんたびゅあーの誘導尋問です。

それにオリンピックなんて賭博用の運動会でしょ?甲子園もそう
金が動かなきゃ他人様のお遊戯会なんて価値もありません
人間が鉄球を何メートルだか飛ばしただの100mを8秒で走ったのということに
なんの授産性も感動の要素もありません。

オリンピックのトトカルチョは儲かりましたよ。マスコミが根拠も無いのに勝てるだの報道するから
賭ける側が日本が金取れるだのにたくさんかけて、負けてくれた分配当が大きかったので
感動するほど儲かりました。

この回答への補足

質問が分かりにくくてすみません。

>どこかで聞いた言葉の受け売りといんたびゅあーの誘導尋問です。

そうかもしれませんが、「どこかで聞いた」のならば過去に比べてそういう機会が増えているのではないか。

「いんたびゅあーの誘導尋問」ならばなぜその必要があるのか。(視聴者が求めている時代背景とか)

そのあたりのこともご意見をいただきたいです。

補足日時:2012/08/23 10:13
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/23 10:14

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