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死んだらどうなるんですか?
別に死後の世界とか天国や地獄はあるのか、という感じではありませんが「死」って何かなって思い質問しました
漠然に思った事をそのまま答えてくれると嬉しいです
「死」という言葉を聴いて連想するものでも構いません

当然の如くこあの答えに正解・不正解はありません
聞いたから別にどうというわけでもありません

宜しくお願いします

A 回答 (14件中1~10件)

無になる、何もない。

そう考えるのであればなぜ生きている間にいい事しようとか、病気になってまで働こうとかするんでしょうね。
働く必要って言うのは食べ物を得るためだけで十分。せいぜい科学者が自然災害から農作物を守る算段だけすればいい。つまりほとんどの農民(漁民)と僅かな知識人だけで十分。・・・共産主義ってこういう考えなんですよ。
なのになぜ、自分自身を苦しめる自由主義などに執着しているんでしょう。
自由主義だって、生きているうちだけなんだから、人に迷惑がかかろうが何しようが、自分が楽しいほうが得でしょう。なぜ助け合わなきゃいけないのでしょう。
願いとか祈りとかって無用の長物ですよね。

でも、もし言われているようにあの世があるなら、天国も地獄もあるなら、天国に入るための努力は絶対的に必要ですよね。少しでも障害を乗り越えやすくしてもらおうと祈るし、生きていることに感謝しますでしょう。

私は後者です。
死は旅たちです。誰でも見知らぬところに旅たつ前はとても不安になります。
でも十分に準備しておけば大丈夫なんです。
若いうちはまだ出発の時ではないから恐怖が強くて当たり前。自然な自己防衛本能なんです。
年を経るといつ迎えが来ても恐怖をなくすためにぼけてくるんですよ。
死ぬ寸前まで意識がはっきりしていたら、それこそ恐怖のきわみでしょ。ボケは天の恵みなんです。
いいことをする必要はないんです。普通に一生懸命生きれば魂は軽くなっていきます。
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無です

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あなたの親しい人、愛した人と集まる会になるんですよ。


あなたの一番愛した亡くなった人が菜の花の咲く、川の向こうで手を振っておいでとお待ちしているのです。死は不幸でも恐れでもないのです。楽しいことなのです。美しいことなのです。
私は母が待っていると思うと一日でも早く行きたいのです。
でも死をを自分で作るか自然に作るかが問題です。
自分で作る方が楽で楽しいのですが普通の方法ではつくれません。
川の向こうで待っている愛した人を待たせることになりますが、川のこちら側で一生懸命楽しく
生きる努力をしていると、川の向こうで待っている人の待つ喜びは倍増するのですよ
会った時の感激は三倍増します。
よく来たね、よく頑張ったねと母は言ってくれると思います。
祖先を大事にする、自分を大事にする、人を大事にする、家族子供を大事にすることが川の向こうの
母が一番喜ぶことなのです。
その結果渡って会った時、喜びは何倍増もするのです。
努力をしない、一生懸命に生きないときに川を渡ったら、お母さんは良く来たね。でも苦しかったみたいだね。ここは楽しい所だから安心しなさいと抱いてくれます。
私は仏のような母を思うといつも涙が出て、あれもしてあげれば、これもしなかったと悔やみますが
それを子供に返してやることが母の為なんだと思います。
そうすると川を渡った時によく来たねと母は手を握り、抱きしめてくれるでしょう。
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死んだら神様の一部になるんじゃないですか?



おそらく・・・。

>「死」という言葉を聴いて連想するも

自分との別れですかね。

たぶん、死んでも魂的なものは残るのではないかと思いますが、それまでの記憶などはなくなると思います。それを世間では「無の状態」になると表現してるんじゃないですか、生きているうちに「辛いこと」や「楽しいこと」をとことん体験して思い残すことなく死んでいきたいものですね。
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事故で脳の一部が損傷を受けると、脳のその部分が受け持っていたもの、感覚であったり思考であったり記憶であったりしますが、一部の神経活動や精神活動がスッパリとその人の中から失われます。



さて、では、死という現象の中で脳はどうなっているかというと、完全に停止してしまいますよね。
ということは、その人の神経活動・精神活動の『全て』が失われることになります。

肉体は神経活動上は動かなくなり(物理化学的な変容によって死後硬直~などで動くことはあります)、精神活動が停止することで意識もなくなり思考することも無くなります。

自分という個が完全にこの世から失われる分けで、怖いと言えば大変に怖いことですが、逆に考えれば自分なんて、そして自分以外の誰だって、たったそれだけの存在である、とも言えるわけです。

ならば、生きている今の内に出来るだけのことをやっておかないと損です。腐って怠けている暇なんてありませんよね。

一所懸命に生きて、時に休息して一息ついて~を繰り返しながら、長いようで短い人生を謳歌したいものです。
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まったくの無になることだと、私は思います。

死んだら何もかも無くなってしまうんじゃないかと。
だから私は死ぬのが怖いです。
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人間の死は動物の死と同じです。


植物も同じです。
天国や地獄もありません。
神も悪魔もいません。
人間とは本当にこの広い宇宙のなかでたまたま出来ただけです。
宇宙人がいるとしたらその宇宙人は、全く異なった生き物だと思います。
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家族でお墓のことで話ました。



死んでも魂が残るなら、冷たい土の下に埋められるお墓は嫌だね。
魂がないなら、やっぱりお墓は要らないね。

死ぬことの悩みは魂があるかどうか、
その魂がどこに行くか、でしょうね。

それで、魂があることにしていろんな商売が盛んです。
所詮は、自分の魂です。
魂があれば、自分の生きてきた結果の決算として行くべきところへ
行く覚悟をすることです。

魂がないなら、それでも自分の一生を悔いなきものにするだけです。
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猫になります。

(*^▽^*)ゞ


生きているということは,カラダの中のあらゆる物質が動いていること。
そして死ぬということは,体内や脳内その全ての小さい物質をも,その活動が止まる。

しかし,その失われたエネルギーはどこに行くのだろう?

実は,この世界と平行して存在するいくつもの次元の世界を行き来して,
この世界とは違う別次元の世界で,自分の好きなものに生まれ変わるんです!

生まれ変わった自分は,別世界で今の自分の姿をした自分と巡り会うかもしれません。


そんなわけで,俺は猫になります!
キャッ♪o((〃∇〃o))((o〃∇〃))oキャッ♪
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死んだらどうなるかは誰にも判りません。

が、死んだ後が問題です。生前の行いの結果が死後、膿が出る、もしくは火山の噴火のようにあわられます。善行をいっぱい行った方は、死後も尊敬され続けられるでしょう。悪魔のような方だったら、誰もお墓に訪れようとせず、死後も悪口を言われ続けますし、遺族も肩身が狭いでしょう。
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