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また、人が死ぬというの事が、実感できてないように、自分は思います。祖父や親戚の人の死を、見たりとかは、ありますが、自分の事となると、考えられないし、避けているのかも、しれないと思います。そして、もし、その瞬間がきたらとか、いろいろ考えると、普通の時は、怖くとも、大丈夫ですが、病気になったり、とかしたとき、ひとりだと、どうなるのだろうとか、精神的におかしくならないのだろうか、とか考える自分がいて、不安です。たられば、ですが人が、というか自分が、どうなるのか、漠然とした不安があります。どう考えれば、いいものなのでしょうか?自分事ですが、よろしく、お願いします。

質問者からの補足コメント

  • 自分が死ぬという事を、考えていざ死を、感じた時の怖さと、どのようにしたら向き合えるのかな?と思いました。その瞬間がもし、来たとき、焦らない為にできる事は、あるのでしょうか?

      補足日時:2018/06/11 06:37

A 回答 (8件)

今の科学技術を基に会話を進める現代人の私達には死後の世界について有意義な議論をする事が出来ません。



ただ一つ言える事は、少なからず今この状態は無くなるという事。

他人の死を目の当たりにするとわかると思いますが、人は死ねば存在が消滅してしまいます。

どこかへ行けば会えた時と違って、どこへ行っても会えません。まるで空想の生き物のようですが確かに痕跡と記憶はありますね。

では、自分とは何か考えた事はありますか?自分の存在、自分の意思、自分の選択行動、自分を観測するのは他人というのが普通の認識ですが、本当は自分を認識しているのも自分です。

感覚があって主観的かって違いがありますが、自分の事も他人の事のように本当は理解してない事が多いです。

そんな自分が消えるってどういう事だろう?観測者がいなくなった世界は継続するのだろうか?

宗教はそれほど信じていないけど、あったらいいな、もしくはないほうがいいなって。

深く深く思考を巡らすのは自由ですが、それは今私達における生という状態において不必要なものです。

死ぬ準備、終活なんて言葉が今ありますが、私は自分が死ぬ前に自分のお墓を選ぶことすら現実逃避するでしょうね。
だって必要がないのですから、自分が死ねばあとは迷惑かけていいのか?って話ですが、私達は自分が認識している死を迎えるのではありません。
文字通りそれが自分に訪れるのですから、受け入れるも何も必ず迎えに来るので考える必要は無いのです。

拒否し続けることで楽になれることもあります。
公園ではしゃぐ子供だっていつか骨になります。これは必ずです。

絶対なんてなかなかない世界で約束された事のうちの一つです。

最後に、死について考えるのはダメではありませんが、今の生を忘れるのは避けた方が良いです。
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この回答へのお礼

そうですね。人間今を生きているのですよね。自分も、それを忘れずに、大切にしたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/14 14:07

窓の外の景色の中のどこかでアリが一匹死んだとして何の変化も感じません。


この地球上で私一人が死んだとしても同じこと、私はそう思います。
長い時の流れの中で、人が生まれるのも死ぬのもそんなに大したことじゃないんです。

死というものに対して、
虫メガネで見るようにズームアップして見過ぎるから不安になったり恐れたりするんです。
もっとズームバックして遠く離れて気楽に眺めてればいいんです。
そしていよいよ死を迎えるとなった時に、
「何だかんだで楽しかった」「辛いこともあったけどよく頑張った」「まあ自分らしく生きられたかな」
みたいに思えるよう今を生きればいいんじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。捉え方しだいですね。

お礼日時:2018/06/14 13:59

基本人間って一人で生まれてくるので


死ぬ時も一人でも怖くないとおもいませんか?

また生まれ変わってくる場合もあると思いますし
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この回答へのお礼

生まれ変われると、考えたら怖くはないですね。

お礼日時:2018/06/14 14:00

そこで考え方を止めるから恐怖がつのるのでは?



怖くない死なんて無いですよ。
自殺願望とか無ければ。

恐怖に勝つため、若しくはそんな事を考えないで済むように生きる事を前向きに向き合う方が良いのではないでしょうか?

例えば、健康に気をつけたり、いつ死んでも成る可く悔いを残さないようにとか、、

どうですかね?
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この回答へのお礼

悔いを残さないように、生きる。自分もそうなれるように、生きたいですね。ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/14 14:01

人間の本質は、霊であり、魂です。


そして霊の本来の生活場所は「あの世」です。
この世に生まれるということは、あの世における「死」でもあります。
そして、この世での「死」は、本来の世界である「あの世」での「誕生」であり、あちらでは、別れた仲間が戻ってくるということで、お祝い事といえるかもしれません。
そして、「死」は、魂が肉体から離れることであり、生きている時の記憶も、自意識も視覚・聴覚などもすべては保ったままです。
通常、病院に入院していて、死期が迫ってくると、「お迎え」がやってきます。
すでに亡くなっている自分の両親や祖母とかが多いみたいです。
そして、死んでも「無」にはなりません。
なので、まったく死を恐れる必要は無いのですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。自分の魂は生き続けられるなら、確かに怖さが、なくなりそうな気がしますね。

お礼日時:2018/06/14 14:04

癌宣告を受けた時、死を考えました。


怖かったけど。
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この回答へのお礼

癌宣告ですか。リアルに、死を意識しますね。自分が今、それを考えるだけで、怖く感じます。回答者さんが、元気にされているなら、何よりです。ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/14 14:10

初めまして



考えない方がいいと思います

それなりの準備とかは必要かもしれませんが・・・

死とは、あまりネガティブに捉えるべきではないと思います

もともと、あまりネガティブな経験ではないと思うし、恐怖や不安を感じるのもわかりますが、それはひとつの側面にすぎないと思います

そして、一生懸命に生きて努力すべき時に、死の恐怖にとらわれてしまう事は、まったく意味がない事です

大事なのは、するべき時にするべき事を行う事・・・死についての経験は、するべき時がきたら、嫌でもわかる事だと思います
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この回答へのお礼

その時が嫌でも必ずくるので、来たときに、考えた方がよさそうですね。どうも、ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/14 14:12

いのちにはみんな公平に終わりがあります。


この世に生まれた時にそれぞれ使える時間が決められていて、終わりがいつなのかは誰にもわからないし、変えることもできないのだと思います。
年齢に関係なく、終わりは突然に訪れ、それはとてもあっけないものです。
恐れや不安を抱くのは当たり前ですが、考えてもしかたないことです。いつ来ても後悔を残さないことを考えましょう。
明日が必ずあるわけではない。
・・・いのちに出来ることは、結局、今をしっかり生きることだけなのかもしれません。
自分が消えても、自分が生きていた「跡」が誰かの心のなかに残るなら、それが生きている意味なのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

自分も、そのように、今を大切に、生きていくのが、理想ですね。ありがとうございます。

お礼日時:2018/06/14 14:15

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