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大学の授業で、人間の本質について、学ぶ機会がありました。
私自身、人間の本質について悪なのか善なのか、答えが見つかりません。
答えというものは、無いわけですが、なにか、善か悪か、納得のでききるような
意見をお持ちの方いましたら、教えてください。

A 回答 (9件)

僕が考えるには、人間は悪か善かと言う事ですが、多分両方だと考えます。

難しく考えるんでは無く、簡単に考えたら人間は欲の生き物ですよね。
しかし、それでは人間社会で過ごしていけないので教育があると。教育が無かった時代を見ると人が人を殺してた訳でしょう。これは人間が持ってる攻撃性ですね。
こんな言葉があります。『大学とは』と言う定義なんですが、『大学とは無知を憎む者が知識を得る為に努力し、知識を得た者がそれを世の中に知らしめる為に努力する場所である』と。世の中の犯罪の殆どが無知故に起こった犯罪である事を理解していただきたいと思います。今現在悪か善かと言えば文明を見れば、多分悪なのでしょう。
しかし、本当の答えは未来の方々が出すと思います。
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大卒では無いので適切な表現が出来るか判らないですが


善と悪は一緒のモノです
それを分けて考えるから????ってなるんです
一つの事柄に善と悪の部分が存在します
それを善として表面化するのか悪として表面化するのかは
その考えを持っている人の固定観念です
可愛い言葉を使いますと”天使”と”悪魔”ですよ
同居しているモノをわざわざ分けて考えると
理屈を付ける事が難しくなります
・・と自分は思っているのですが自分だけが納得しちゃいけないですよね~
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性善説と性悪説の話ですが、これを現代用語としての善と悪としてとらえるとややおかしなことになります。


性善説や性悪説が唱えられた当時では、善と悪は悪いことと良いことという意味ではなく、善=「完全なもの」「完成したもの」「高貴なもの」という意味であり、悪=「荒々しいもの」「粗野なもの」「下賎なもの」という意味でした。当時、善と悪は、むしろ正と邪であらわしたようです。
だから性善説は人間はもともと完成され本質が不変なものであって、高貴な者はもともと高貴であるし、下賎なものはもともと下賎だとしたのです。
逆に性悪説は人間は本来未完成であって間違いを犯す可能性をもって生きているのだから、常に精進すべきだというのです。
これと同じ使われ方では、浄土宗の「悪人なおもて往生をとぐ」というものがありますが、悪人でも往生することができるという意味です。
ここでの悪人というのは、修行を積んだ人でなく、煩悩を抱えた普通の人といういみです。あるいは当時荒々しい行為や仕事をしていた一般庶民という意味まで含むことができます。
あるいは、平安期の武士には自分の名前に悪の文字をつけた人もいましたが、それは荒々しいという意味です。

人間の本質は条件によって変化すると考えるなら、性悪説であろうし、必ず間違いを克服できるものだという確信を人間に見出すなら、性善説となるでしょう。
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性善説--孟子と性悪説-筍子もありますね。


人間の2面性-善も悪も2つ持っていると考えたほうがいいのではないでしょうか。
善があるから,逆に悪を知る,あるいは,悪を知るから善を知るですか。
人それぞれで取り方が違うでしょう。
善1.--自己に危険が及ばないこと危害を受けないこと。 2.人を信用,信頼できること。3.自然の法則に反しないこと。4.集団では3.の法則と集団のル-ルを守ること--これは1.2.3.の延長と考えても良い。
悪はこの反対。 
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性善説、性悪説の話ですね。



孟子は小さい頃、環境に合わせた遊びをしていたので、母親が気遣って3回引っ越しをしたという話があります。
最初は墓地の近くに住んでいてお坊さんごっこ、次に市場の近くに住んでいて商人ごっこ、そして最後に引っ越したのが学校の近くで、学問をするようになりました。

何を言いたいかというと、人間は環境に左右される動物だということです。つまり、もともとはどちらでもないんですが、環境が悪いと悪い人間になってしまう(朱に交われば赤くなる)ということです。

僕はそういうことで、人間は白紙だと思います。善とか悪とかの価値判断は結局人間が作り出したものですが、そうやって悪と決められたものから逃れて一生をすごすなんて不可能です。だから、人間は善い面も悪い面も持ち合わせたアンビバレントな存在になってしまうんだと思います。
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善か、悪か、なんて後から誰かが考えてくっつけるような物で、善でも悪でも無いのでは?ないでしょうか。


善とか悪とかは、なんとなく勧善懲悪型のヒーロー物の中の話かと・・・思うのですが。
キリスト教的考え方(そう言えば神様と悪魔が居たな・・。)の中で存在する物なのでは?世の中はもっと複雑で、そんなに竹を割ったような答えは出ないですよね!いずれにしても哲学的でナカナカ面白いといですね・・!。
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>人間が本質的に善か悪。


というこの部分の定義があいまいですね。

よって答えを導き出すためには、善と悪を
定義づけしなくてはならないですね。

keeさんは、それを『幸福』『不幸』という
ベクトルに置き換えました。

vitamin-powerさんは、それを『本能』と
『知性』というようなベクトルに置き換え
ました。

これだけで、すでに逆の答えになってますね。

何が善で何が悪かを定義する。
しかしコレは難しいですね~。

人食い人種にとっては、人を食うことは悪では
ありませんからね。

ある行動に対する善・悪の相対的な方向の違いと
ベクトルの大きさは、それを行う人とそれを評
価する人との環境の違いから後天的に発生する
モノである限り、人間が、本質的に善か悪かと
いうのはかなり無茶な議論のようにも思えます。

んが、まぁ、一般的により多くの国で採用されて
いる文律・不文律に照らし合わせていけば、
人間が追い詰められて、本能に近い行動をすると
「善」ならざる存在になるようだ、ということは
言えるのかもしれないですね。
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人間といっても動物には違いありません。

動物なら自らの種の保存の為、生命の安全の為、害があれば排除しようとするのは当然の事です。わずかな食料しかない時に奪い合いになるのは自然な事だと思いますし、異性を奪い合う事も、より強い種を残す為にはその争いにこそ意味があるのですから、無いとおかしいくらいのものです。
弱いものは淘汰されるのが自然界の掟ですから、それに逆らって弱いものを保護し、いたわり、相手を思いやる、などというのはおよそ動物的ではありません。動物には自分と自分の家族くらいにしか犠牲的精神はわかないでしょう。これも種の保存の為のメカニズムのひとつだと思います。
人間にとって悪とされる利己的、排他的な考えは、動物にとっては必要不可欠な生存の為の本能でしょう。ならば動物としての人間の本質は「悪」に違いありません。
人間は知恵以外に有効な武器をもたず、生存の為には集団で社会を作った方が都合がよいと知った時から社会のルールが必要となったのです。その規範としていわゆる「善」を必要としたのだと思います。いうなれば、経験的に後天的に備わったのが「善」である、という考えです。
というわけで、御質問では、本質は?との事。ならば答えは「悪」でしょう。
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気持ちのよいことこそ善とみます。


悪は不幸になることだと思います。

そう考えると、人間はすべて、気持ちよいことに向かって行動するものだとお思います。

だから、人間の本質は善だと思います。
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