一回も披露したことのない豆知識

課題でアジア太平洋戦争はいつの時点なら防ぐことができたと考えられるか、あなたの見解を述べなさい。
というものが出たんですが、一応私なりに考えてみたのですが-3箇所くらいあると思うのです。

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること。
2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ。
3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと。

※個人的には、石橋湛山の小日本主義なんかもありなのかな?と思っています。

という考えがあるのですが-どう思いますか?観点がズレていたりなど何かご指摘や追加すべき要項がありましたら教えて下さい><

ちなみに、解答サイズはB4用紙の1/4程度だそうです。

A 回答 (9件)

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること



満州で相次いで日本人及び朝鮮人への襲撃事件が発生しております!満州各地の軍閥も独立宣言を起こし収拾がつかなくなっておりますが、いかがいたしましょうか?
国民は政府を無能・無策、中国人に味方して日本の国益を失していると喚いております!


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ

モンゴルへの軍事侵攻は成功するでしょう(ノモンハン以外のソ連軍は大打撃を受けていた事がロシアの情報開示で判明しています)
brainex閣下、大変でございます!海軍が勝手に北部仏印に進撃を開始しました。このままでは二正面で戦わざるを得ません!いかがいたしましょう?


3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと

brainex閣下、大変でございます!海軍が東太平洋上で米太平洋艦隊と衝突を起こしました!米国政府は日本が無警告で攻撃を仕掛けてきたと非難しております!

   1の段階
1929年に世界恐慌が起こり、29年・30年は連続で冷害が起こったため農村は疲弊しています。31年は大豊作で米価は大暴落しました。32年・33年は大冷害で農村恐慌が起こります。満州事変を強引に止めて回復途上の経済(事変特需)を不況に持っていきますか?戦争で人減らしできたのに戦争を中断して疲弊した農村に兵隊を戻しますか?

   2の段階
陸軍が反対しているにも関わらず海軍によって強引に推進された北部仏印進駐をどうやって止めるのですか?陸軍がクーデターでも起こして海軍省を制圧でもしますか?間違いなく内戦になりますよ。また、日中戦争で得られる特需で命を繋いでいる中小企業を潰しますか?

   3の段階
東條英機は首相ですので国家方針決定権がありませんし(当時の首相は内閣の総代なだけで、各省の方針は各省が決める。内閣内で方針が一致しない場合は内閣不一致となって総辞職せねばならない)、幾ら陸軍が対米戦に反対しても陸軍大臣が首相であるため反対投票することが出来ません。唯一、対米戦を止める方法はクーデターで以下の様な内閣を作ることです。
首相・陸相…東條英機
その他の大臣は全て陸軍将官ないし陸軍の都合にあった文官
海軍大臣通達によりタカ派の山本五十六を更迭し陸軍の言いなりになりそうな提督を連合艦隊司令長官に据える
対米交渉担当を海軍系から英米駐在武官経験者の陸軍将官に変更し、交渉の引き伸ばしを徹底させる
交渉の合い間にサイパンなどの防備を固める
フィリピン・ビルマ・インドネシア・ベトナムの独立運動を焚きつける
特にインドネシアの独立運動は全面支援を行い、石油の確保を行う
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4.天皇が偽者だったと皆が知る必要がある



最高指導者だった天皇家が歴史を偽り、日本国民を大量に死に至らしめた事を旧日本軍が認識する必要があったと思われる。
歴史的要因として、竹内巨磨と竹内文書、そして階段状ピラミッドの所在です。
闇に葬られた竹内文書と皆神山の真実。

なお、昭和天皇が皆神山の報告を聞きトイレに篭ったことは言わずと知れた事です。
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日露戦争以後は一気呵成に米国との戦いへ傾倒したというご意見が多いようです。

確かに日米戦争は1909年に既にアメリカ人が想定して小説に書いているそうです。最短でこれを防ごうとすれば、日露の勝利後に日本が軍備を自粛して、重商主義から内向きに転向していれば、ひょっとしてあの戦争は回避できたかもしれませんね。
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歴史の見解なんてのは数学物理と違って正解があるわけではありません。

立場によって見方が変わるだけです。だから、質問者さんなりの見解でいいと思いますよ。

なお、事実関係としていつなら止められたかとうのなら、歴史の必然として止められなかったと思います。#1さんと同じですね。日本はアメリカの仲介を受けて日露戦争に勝利しましたが、皮肉にも日露戦争に勝利して太平洋随一の大海軍を持ってしまったがゆえにアメリカとの対決が不可避となってしまいました。だから太平洋戦争を防ぐためには日本海海戦に勝ってはいけなかったのですが、もし日本海海戦に敗北していたらその後の歴史はまったく変わっていたでしょう。

あとは、「結局なんだかんだいったところで防ぎようがないよね」という見解を先生が受け入れるかどうかだけです。私は中道左派の思想の持ち主ですが、バリバリの護憲左派の先生なら「太平洋戦争は防げねえよ」なんて言い出したら落第点をつけられそうですからね。
「先生のお気に召す答えを書く」のが歴史でいい点を取るコツです。
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 難しい質問ですね。

ご指摘の3点のなかでは満州事変の処分が実現性が高かったとと考えます。満州国建国後は中国、モンゴルにもロシアにも侵攻=北進せず大人しくしているのが正解だったと思います。

 ただ、大人しくしていることができたかは別の問題です。私は太平洋戦争は米国が第2次世界大戦に参戦するための口実づくりであったと考えますから、『アジア太平洋戦争はいつの時点なら防ぐことができたと考えられるか』という質問には解なしと言うべきでしょう。その理由は次のとおりです。

 口実の図式

1当時の米国では反戦世論が圧倒的であった。反戦を公約に大統領に再選されたルーズベルトの施策は?

2日本を米国に攻撃させること。日本に攻撃されたなら米国は三国同盟を理由に独伊を攻撃できる、チャーチルの要請に答える事も出来る。大戦終了後は政治的にも世界のリーダーになれる、一石二鳥。当時米国では武器産業への聴聞査察が行われていました。繁栄を謳歌する米国民を参戦に持っていくには日本の米国攻撃しかない。なんとしても日本を怒らすようにもってゆくこと!

3どうやって日本に攻撃させるか?蒋介石をして関東軍をシナの奥まで挑発する。蒋介石には米国から1億ドルの工作資金が渡されていました。戦線が拡大すれば経済封鎖の実施し、三国同盟からの離脱を要求することができる。これはハルノートとなって現れます。

以上の観点からすれば、満州事変で日本政府が責任者の処分を内外に示せばあるいは開戦せずに済んだかも分かりません。しかし、米国はつぎつぎと手を打ってくるでしょう。日本はクリンチでしのぐしか術はなかったと考えられます。亡国か死かという極限まで日本を追い詰めるでしょう。マッカーサーの『ハルノートを突き付けられたどんな小国でも米国に開戦したであろう』との言葉が有名です。

結論として太平洋戦争は避けられなかったと言うべきです。米国は日本のいかなる施策にも耳を貸さず、『日本が先にピストルを抜くようにもって行った』(ルーズベルト)でありましょう。真珠湾攻撃の報に
ルーズベルトは『パンツも脱がずに発射したか』と喜んだそうです。これ以降米国世論は開戦に反転していったことは言うまでもないでしょう。

 

 

参考URL:https://sites.google.com/site/yashinokazenifukar …
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大筋においてNo1様に同意します。



>課題でアジア太平洋戦争はいつの時点なら防ぐことができたと考えられるか、あなたの見解を述べなさい。

「アジア太平洋戦争」という戦争を私は知りませんが、どの戦争のことでしょうか?

日中戦争か太平洋戦争かで全く違います。

それに、「防ぐ」の定義が不明です。
防ぐ=日本が戦争(戦闘)をしない→その結果、日本がどのような事になってもよいなら、いつでも「防ぐ」ことは可能です。

また、↓ですが、あなたなりに考えてみた結果 どのような根拠によるものでしょうか?
それを示していただかないと、観点がズレているかどうかもわかりません。

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること。

適切な処理(便利な言葉ですね)とはどのような事でしょうか?
その内容も示さずに、「適切」とか言うのは、能無しの無責任な発言でしかありません。
「適切な処理」の内容は、回答として求められていないと思います。
それまで要求しているなら、質問者様は他人に課題を押し付けている事になります。
それに、独自行動で満州事変を起した(ということになっている)関東軍がそれを受け入れるか疑問です。


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ。

北進論をとるべきだった という根拠は何でしょうか?
南進論は資源確保の為の戦略ですが、北進論の戦略はドイツと協調してソ連を叩く事です。
それで得られる資源は、樺太の原油くらいですが、それだけ戦争の継続は不可能です。


3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと。

戦争とは、当時進行中の日中戦争と、その後の対米戦のどちらでしょうか?

日中戦争の場合:朝鮮地方の治安維持や在中邦人の保護ができません。
(質問者様は、満州事変の原因をご存知でなのでしょうか)

対米戦の場合:東条首相のみで開戦を決定したのではありません。
彼はもともと開戦には反対していましたし、他の者達も好きで開戦したのではありません。
それに、内情はどうであれ(動画参照)、アメリカがやる気だった以上、どのような譲歩をしても、引きずり込まれたはずです。


>観点がズレていたりなど何かご指摘や追加すべき要項がありましたら教えて下さい

↑のように言っていますが、質問者様は、課題を他人に押し付けているのではありませんか?


>ちなみに、解答サイズはB4用紙の1/4程度だそうです。

このようなテーマで、B4用紙の1/4 (B5の1/2)・・・?

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どうやったって戦争は防げませんでした 松岡外相があれだけ開戦阻止に動いたのに軍部が強行したんだから

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アジア太平洋戦争って何ですか?何を止めるの?止めてどうなるの?誰がいつどこで何のためにどうやって何をやめるの?

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私は、不可避であったと考えています。


米国がどうしてもやりたかったのですから、これを防ぐのは
無理です。
それはあのイラク戦争を見ても判るのではないですか。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。
私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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