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今デぃべートで、履歴書の学歴欄は必要か必要でないかをやっています。私は必要だと思うのです(差別的な考えではなく)
もし履歴書に学歴欄が無くなったらどうなりますか?なぜ必要なのか教えてください!!

A 回答 (8件)

ディベートなんて懐かしい言葉です。


私もやっていましたよ。

>もし履歴書に学歴欄が無くなったらどうなりますか?なぜ必要なのか教えてください!!

私は必要だと思います。
その人がどんな事を今までしてきたのかが、だいたいわかります。
今の日本はまだ学歴社会な部分があります。
それは明治時代の「学問ノススメ」から変わっていません。

学歴=大学名で採用を決める
といったイメージがありますが、
そこから脱出したら、もっと学歴がプラスなイメージになると思います。

あなたは学歴欄が必要と思うなら、
その理由を差し支えなければ書いてください。
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日本の履歴書の学歴欄と学歴偏重はむしろ逆だと思います。



下の方で日本の履歴書ほど簡素なものはないという発言がありましたが
まったく同感です。海外で専門の職を得ようとしたら、どういう大学で
どういう勉強をしたか、その結果として論文等の提出を求められること
だってめずらしくないんです。

そのくらい大学、大学院出身者の社会的地位は高いんです。
その証拠に国際的には博士号を持つ人に「ミスター、ミズ」と呼び掛けるのが
失礼なこととされています。仲良くなれば別に問題はないんですが
一般人であれなんであれ「ドクター」と呼ぶのが慣習です。

日本人はどーしてもエリートを伺った見方にしか捉えられないように
思います。どうも高学歴と官僚というのがセットだからなんでしょうかね。
学歴欄が必要なのは、どういう大学に入ったのかではなく、
何を専攻したのかという、専門的な情報を得るためのものと考えれば
いいんじゃないんでしょうか。

もちろん、学術的な知識なんて必要ない職業もあります。でも学歴欄はある。
それは日本の履歴書が市販の履歴書に記入する方式だからなんですね。
上の繰返しになりますが、本来は履歴書とは自分を売り込むための
大切な書類ですから、履歴書自体がビジネス上の交渉道具になるわけです。
よく外資系へ転職を考えてる人がいますが、彼等も前職での実績を書類に
してそれを履歴書としています。書式だって必要事項を除けば自由です。
早い話しが日本の履歴書は役所の書類みたいで、どんな職業であれ
同じ書式であるということです。
だから、学歴なんて必要がない職業でも学歴が必要な職業と同じ書式の
履歴書を使ってる以上、学歴欄があるんですね。

もう一つ付け加えれば、日本はほんとは低学歴偏重主義なんですよ。
なぜかといえば「博士」の就職活動の厳しいこと厳しいこと。
多少は変わりつつありますが、日本の博士はそのまま大学の学者という
考えがあるのか、民間への就職はほんと難しい。
それでいて給料は大卒が5年たったくらいと全然変わらない。
だから日本の若い博士はどんどん海外へ高飛びしてしまうんですね。
海外では修士号なんて博士号に挫折した人がおなさけでもらえる
ような存在で、日本のように修士=大学院を卒業した学生とは
見てもらえないんですよ。

以上、高飛びした先輩ばかりに囲まれている院生の意見でした。
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「必要か」といわれれば「必ず要る」ものではないでしょうね。

だいたい、「履歴書」自体が必要かどうか(JIS規格までつけて)の疑問もあります。横並びのすきな日本人的発想の産物ではないでしょうか。ヨーロッパでは所定の用紙なしに、自分でPRします。

資格が必要な場合、「学歴欄」にいくら自己申告したって「卒業証明」がないと通用しません。教員免許など、「卒業証明」に「成績証明」も必要。
ぎゃくに、「教員免許証」を持っていれば、ほかの証明は不要です。

採用条件が「大学卒」ということだった場合、本当は「M大」なのに「T大」と書いても、それが理由で解雇することはできません。(採用する前にばれて不採用、はあり)

履歴書自体、自己PRの道具、ということで見れば、項目が多いほうが見栄えはします。
官庁にコネが必要な企業が、県の部長はT大卒だから、後輩を入れたほうが有利、と思えば採用されやすいでしょうね。
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履歴書の学歴欄ひとつで、即日本は「学歴偏重」とはいえないと思います。



学歴偏重で問題なのは、大学の序列化という点が大半だと思います。
要するに大学名や入試の難易度と、その人の実際の能力には現実の乖離があるのが普通であり、そのことを重視せずに、学歴欄の大学名だけで当否を判断するおそれがある、ということが問題なのでしょう。

ですから、例えば雇用者が、「修士」や「学士」を必要とした場合、「高卒」であれば不利益をこうむるというのは当然のことだと思います。
仮に「高卒」の人の能力が「大卒」の人よりも上回っていたとしても、「学士」という資格がないことで採用されないというのは、当然ありうることだと思います。

学歴欄が、その他の資格欄と同様に、「学士」や「修士」といった資格をもっているかどうかの判断に必要と考えるべきではないかと思います。

繰り返しますが、日本における学歴偏重の是正と、学歴欄の削除は、無関係ではないけれども別の次元のはなしであるということです。
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 就職するにしろ、何かに応募するにしろ、採用決定権は相手側にあるんですよね。

ですから相手がどのような学歴を重要視しているかによると思うんですけど。
 私はアルバイトとして新聞配達や土建業(ただ穴を掘って土を運ぶだけの力仕事)などいくつもやってきましたが、そういうところに○○大学□□学部で△△専攻なんて書いても意味ないでしょう。健康な体と常識があれば採用されます。
 ですから、学歴がいるかいらないかは履歴書を出す方が決めることではないと思います。学歴がなくても「自分を採用しないとあなたは損をすることになる!」と説得できるくらいの特別な『何か』があれば別ですが。
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他の国々のように、数十ページ、場合によっては1冊の本のような厚さの履歴書を出す場合、敢えて学歴を書かずに通り過ぎるということは不可能ですよネ。

在学中にどのような成果を挙げたかを可能な限り書くのが当然ですから‥
また、日本のように学歴を重視しない国はめずらしく、世界の大多数の国は日本では想像できないほど、学歴が重視されていますからネ。
でも、ご質問は現状の日本の履歴書についてのことなのですネ。
日本式の世界で最も簡潔な履歴書に学歴までを書かなくなったら、一体なにを書くのでしょうか?
住所・氏名・生年月日・性別・所持資格・特技‥
どこで何を専攻してきたかというのは非常に重要なことです。
出身大学は重要ではありません。
どの教授(助教授)の元で指導を受けてきたのか、誰の講義を受けてきたのかということで、わずか数行の学歴記載から想像以上に多くの情報を得ることができます。
書類選考を行う際には欠かせない情報ですネ。
もし、記載欄がなければ、個別に面接の際に聞いて記入するということになりますから、面接官の労力を非常に大きくするだけでしょう。
そして、面接官の労力が増え、処理時間が増えるということは、多人数の面接が煩雑なものとなりますネ。すると募集を早めに締め切ってしまうこととなり面接できる人数も少なくなり、就職などの機会がへることにも結びついてくる‥そういう可能性も考えられますネ。
個人的にはアメリカ並みとは言わないまでも、少なくとも10ページ程度、小冊子程度の履歴書があるほうがよいと思うのですが‥
書く立場の方も、自分を見直す機会をもてますからネ。
以上kawakawaでした
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面接前に、その人がどういう勉強をしてきたかどういう知識があるかという事が分かるというのが学歴欄の利点だと思います。

小学校中学校はともかく、高校からは工業高校や商業高校などがあるし、大学はさらに種類がありますよね。職歴もそうだと思います。どんな仕事を何年やってきたかというのは即戦力になるかどうかの判断基準です。面接前に分かるっていいことですよね。
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一言!それは日本が「学歴社会」だからじゃ無いでしょうか?

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