【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

つまらないことかも知れませんが、気になって仕方がありませんので質問します。

「下にぃ~」の全文を教えてください。初めの頃は、その全文を叫んでいたと思いますが、やがて省略されたのではないか、と思っています。
「下にぃ~」と言えるのは、将軍家と御三家だけですか。
宿場の手前に来たとき、宿場に知らせるために「下にぃ~」と言っていたのですか。
宿場を出るときも言っていたのですか。
よろしくお願いします。

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A 回答 (11件中1~10件)

「下に」は「下に居れ」を略したものです。


江戸時代の「下に居る」とは、すわる、しゃがむ事を言います。
  角川「古語辞典」

行列の邪魔になるから、路の脇にすわって通過を待ちなさい
との意味です。
すわる、しゃがむ理由は藩主の安全上でしょう。
駅伝の応援のように、脇に立っていれば、いきなり抜刀し、
駕籠に切付ける事が出来ますが、しゃがんでいるとそうは
いきません。

将軍家康の行列の先触れが群衆をしゃがませるため
「下に、下に」と、かけ声をしたのではないでしょうか。
家康が人の上に立つ威厳を見せるためと、安全上のため
でしょう。

大名行列のうち、江戸市中(御府内)で「下に、下に」
と言えるのは、将軍家と御三家だけでした。

一般の大名行列は静かに行進し、路が混雑した時は
「寄れ、寄れ」(脇へ寄れ)とかけ声をかけました。

江戸市中の浮世絵では大名行列の脇を庶民が歩いて
います。(しゃがんでいる人もいますが)

御府内、将軍のおひざ元を離れれば、はばかることなく
「下に、下に」をいいました。

道中は人通りの少ない農地では勿論かけ声はかけません。
町屋(宿場)内を通るときは必要に応じかけます。
街道も混雑する時は同様です。
問題は領内では「下に、下に」ですが、他藩内でのかけ声
はそう言えたかどうかわかりません。
その藩の家格が上だと「下に」をはばかり「寄れ」にした
かもしれません。

ところで「下に」ですが十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には
大名行列のかけ声は「下ぁに、下ぁに」と書かれています。
よく言われる「下にぃ、下にぃ」とどちらが正しいか、それとも
藩によりどちらも使われたか?です。
これを見ても一般の大名も「下に、下に」を使ったのは確かです。
(御府内を除き)

供先切の話ですが街道の十字路に差しかかった時、横断道路
に婚礼行列が来るのを見て、大名行列を中断し婚礼行列が
通過したのちうしろの半分の行列が発進した例があります。
葬送の列も矢張り先行させたようです。
庶民に充分に配慮しています。
威張ってばかりいるのはドラマの上の話ですね。

但し行列に対し、あまりにもひどい無礼が、あった場合の無礼討
はありました。
御府内の場合もありましたが、幕府のお咎めは無かったといい
ます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「下に」は「下に居れ」を略したものですか!
なるほど、理屈に合っています。納得です。

<行列の邪魔になるから、路の脇にすわって通過を待ちなさい>ということですね。
納得しました。

「下に」のかけ声は「下ぁに、下ぁに」が正解でしょうね。
「したあ~」と伸ばす方が発声しやすいですし、
何より、十返舎一九は、その声を聞いているはずですから。

お礼日時:2012/11/23 21:16

再度、失礼致します。



>「路頭礼」という作法があったのですね。

「例えば『故事類苑(礼式部2)』「路頭礼」の〔五街道取締書〕の記録などでも、」
と私の表現が拙かった事とURL省略の為、誤解を生じたままでは心苦しいので、
改めまして訂正(肝心の書籍名を誤記、誤:故→正:古/3セットの不適切表現)の
お詫びを申し上げますとともに修正させていただきますm(_"_)m

『古事類苑 礼式部2/神宮司庁古事類苑出版事務所編/神宮司庁/明29-大3』
「古事類苑 禮式部三 路頭禮」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897799/2
上記のとおり「路頭礼」は書籍の目次題目上の表現に過ぎず、
またその中で「馬上禮」「車上禮」…などに目次題目が細分化されていて、
その中の「遇徳川三家以下諸侯幕吏」<22~28/91>(187頁最終行~198頁)項目のうちの
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897799/25
<25/91>(192頁18行目~)
例えば「〔五街道取締書〕御朱印其外行逢節(節)之心得又は及<=>不敬<->候者之事
文政九年戌九月相馬長門守問合」の位置付けとなります。

なおNo.10投稿時「下馬、下座、冠物について3セットで言及されていますから、」
とのカキコミをさせていただきましたが、改めて読み返してみますと
上記〔五街道取締書〕中では
「徒士以下帶刀之者、百姓町人、右之者其、口付有<L>之馬にても行逢候ば、
下馬可<L>致義と相心得可<L>然哉、但下馬いたし候節(節)、冠物取可<L>申哉」などと
「下馬」「冠物」だけで「下座」には触れられていませんので
「3セットで言及」は明らかに不適切表現で私の勇み足、謹んでお詫び申し上げます。

(『膝栗毛』による予断と「路頭禮」等の全体を読む中で「下座」を含めてしまった次第で、
…どこかで見たような気もしますがハッキリしません…
口付の有無での差異に注目してしまった為に〔五街道取締書〕だけが頭に残り、
このような不適切表現に至り誠に申し訳ありませんでした)

>『考証東海道五十三次/綿谷雪/秋田書店/1974』
>市立図書館に蔵書検索するとありました。
>これは読まねばなりません。

何よりですね^^
実は私も蔵書検索を試みましたが、予想どおり地元図書館には無く、
勝手知ったる某政令指定都市の中央図書館にも無く(これは結構ショック)、
横断検索でも予想外に所蔵図書館が少ない様子で、
年内の読破を予定していましたが、遠のきそうです(><)

当初、Yahoo知恵袋などで「下に」一声・二声・三声の情報は見つけましたが、
何しろ情報源が無いカキコミばかりなので半信半疑でいましたところ、
何とか綿谷雪氏までは辿り着いた次第です。
著名な時代考証家とは言え過剰な期待は禁物かもしれませんが、
仮に典拠が明らかになれば、それを突破口に当時の実態に迫れるかもしれませんね。

幸運を祈ります^^
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この回答へのお礼

単なる歴史ファンの思いつきの質問に、こんなに詳しく調べ直して下さって誠にありがとうございます。
『古事類苑』から該当する箇所を抜き出すなんてことは、並大抵の労力ではできるものではありませんから、質問者としては、将にもったいない気持ちでいっぱいです。
明治の文章はなかなか読みにくいですからね。

私は、なんとか「五街道取締書」だけは読みましたが、疲れました。
お陰さまでよく分かりました。
私は、「下にぃ~」の全文を知りたくて質問しましたので、#5と#9の回答で納得しました。

お礼日時:2012/11/26 12:49

なるほどと頷ける点が多いNo.9の Pinhole-09 様の素晴らしい御回答の後で、


重複する内容を含むため気が引けるのでありますが、
当初よりこの御質問に注目し検索・裏付作業を試みておりますところ、
残念ながら知識不足&時間不足により肝心の裏付作業が遅々として進まないため、
気になっている幾つかの点についてカキコミさせていただきますので、
中途半端な投稿になる御無礼をお許し下さいm(_"_)m

『東海道中膝栗毛(1805-1814)』に関しまして、
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/879113/25

ト其より二人は錢を拂へ此所を立出行く向よりお大名の行列先拂の
男六十位の爺一人は十四五のやつこ何れも宿の人足なり
先拂「下アに\/冠り物を取ませうぞ
北八「かけ落者は下座をしねへでも宜いと見へる
彌次「なぜ
北八「冠り物は通りませうぞと云うは
先拂「馬士(まご)馬の口を取りませうぞ
北八「馬の口も取はづしが出來るかのハ・・
先拂「後の人脊(せい)が高へぞ

滑稽本である以上は当然創作も含むでしょうから、
割引は必要かもしれませんが…気になる点が…

参勤交代強制から百年以上経過した後に生まれた
十返舎一九(1765-1831)においてさえ
「下アに下アに」続けて「冠り物を取ませうぞ」
「馬士(まご)馬の口を取りませうぞ」と表現しているところを見ますと、
(この箇所は後に続く洒落の為に欠かせないフレーズゆえに、
単なる創作の可能性も有り得ますが)
例えば『故事類苑(礼式部2)』「路頭礼」の〔五街道取締書〕の記録などでも、
下馬、下座、冠物について3セットで言及されていますから、
単に「下アに下アに」だけではなく「冠り物を取ませうぞ」などの
口上も発せられていた可能性があるように思います。

あと、先拂は「何れも宿の人足なり」。
時代が下がるとともに変化した結果でしょうから、
果たして当初の本来の口上となると定かではありませんが、
前例を踏襲とも言えるかもしれませんが、注意喚起が目的とすれば、
口上は手短にならざる得ない結果、時代を越えてもさほど変化はなく、
また「宿人足」か藩の先払が発するかの違いもないように思います。

またGoogleBookなどを漁っていますと、
『江戸川柳散策/興津要/時事通信社/1989』には、
「下に下にで田舎者かしこまり」「脇寄れに何の事だとそっと言い」
などがありますから「下に下に」「脇寄れ」などは代表例なのでしょうが、

あと断片情報に過ぎませんが気になるフレーズがあります。
残念ながら、原本すら見ておりませんので、典拠までは?です。
読んでみたいものの如何せん
大規模図書館・書店に行く時間的余裕がありません(><)

「下に」の回数による区別があることと、
「下に」一声には「そのほか(は)国持大名」も含むニュアンス。
大名行列とは限らず、また御府内限定なのか定かではありませんが

『考証東海道五十三次/綿谷雪/秋田書店/1974』
…二声は御三家、御三卿、「下に」一声は老中、若年寄ら幕閣大官連である。
そのほかは国持大名ども、
すくなくとも江戸府内においては「下に下に下に」三声は将軍の行列に限る。
「下に下に」かけるように思っている人が多いが、それは誤りである。
地方道中での…

ほか、御質問の趣旨とは外れるかもしれませんが、
コーヒーブレイクに下記URLなどは如何でしょうか?
『日本建築学会近畿支部研究報告集 計画系(47)/2007-05-22』(805-808頁)
「上位身分通行時の町奉行所触書(建築史・建築意匠・建築論)/丸山俊明」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007052728

以上 中途半端なカキコミで申し訳ありませんが、
気になる点の現状報告とさせていただきます^^
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

<お大名の行列 先拂の男六十位の爺 一人は十四五のやつこ何れも宿の人足なり>

費用は節減したいが格式だけは表面上保ちたいということで、人足を雇うことは知識としては知っていましたが、こうして江戸時代の読み物で読むと、行列の状況が浮かんできます。
『東海道中膝栗毛』は、読んでみる価値がありそうです。
「下アに下アに」続けて、「冠り物を取ませうぞ」と言うこともあるってことは間違いないと思います。
多くの方から頂いた回答を全部合わせると、注意を喚起するために、いろんな口上があって当然だと思うようになりました。

>例えば『故事類苑(礼式部2)』「路頭礼」の〔五街道取締書〕の記録などでも、
下馬、下座、冠物について3セットで言及されていますから…

私の知識では、いったい何のことかさっぱり分かりませんが、「路頭礼」という作法があったのですね。
ここまで詳しく調べて下さってありがとうございます。

『考証東海道五十三次/綿谷雪/秋田書店/1974』
市立図書館に蔵書検索するとありました。
これは読まねばなりません。

数々の参考資料を教えて下さって感謝の気持ちでいっぱいです。

お礼日時:2012/11/25 20:31

    #6です。

補足です。

>>後期高齢者は、75歳以上です。自公政権時代、それまで60歳以上を高齢者と呼んでいたのに、75歳で区切って「後期」を付けました。医療保険が高くなります。当時は、いやなネーミングと悪評高かったです。

    おかげさまで僕も同じネーミングに入っていたことが分かりました。善い質問をなさるので、#3さんの優れたご回答とともに、いつも勉強させていただいています。今後ともよろしくお願いいたします。
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この回答へのお礼

私の質問はともかく、よい質問に出合うとその着眼点の素晴らしさに感服しますね。
私も、よい質問をするように心がけたいですが、今のところ「愚問賢答」続きです。
今後ともよろしくお願いします。

お礼日時:2012/11/24 08:54

    #6です。

補足です。

>>殿様みな同じことを言っていたのか、ホント分かりません。

    これはおっしゃる通りです。

  「お立ちぃ~」と一言叫んでから「下にぃ~」と続けたのかもしれません。

     これもおっしゃる通りです。その前に「○○様」あるいは「○○州の○○様」(播州とか紀州というあれ)が入ってご威光のほどを誇示した可能性は大きいと思います。

    これは余談ですが「後期高齢者」と言うのはどこから先なのですか、僕は在米なのでおよろしければ教えてください。

    これも余談ですが、初めて京都に市電が走ったころ「危なうございますよ」という意味の言葉を発しながら、夜分には提灯を持って前を走った人がいたそうです。

    「下にぃ~」には、こういった行列には騎馬の侍などが居て、人ごみに慣れない馬などに近づくと「危ない」という、社会的な身分差だけではなく、実際的な警報の役目もしたのではないかと思います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>その前に「○○様」あるいは「○○州の○○様」が入ってご威光のほどを誇示した可能性は大きいと思います。

なるほど!!
間違いなく、そう言ったでしょう。
いきなり「お立ちぃ~」も「下にぃ~」はないでしょう。

>こういった行列には騎馬の侍などが居て、人ごみに慣れない馬などに近づくと「危ない」という、社会的な身分差だけではなく、実際的な警報の役目もしたのではないかと思います。


京都の市電の話は、そう言えば私も思い出しました。
確かに、つまらぬことで手間取ってはいけませんから、注意を喚起する意味もあったでしょうね。
「下にぃ~」でこんなに盛り上がって嬉しいです。

後期高齢者は、75歳以上です。自公政権時代、それまで60歳以上を高齢者と呼んでいたのに、75歳で区切って「後期」を付けました。
医療保険が高くなります。
当時は、いやなネーミングと悪評高かったです。

お礼日時:2012/11/23 15:55

    場所が分かれば答えも自然です。



    僕は「おうかん(往還)」とか「とんさんみち(殿様道)」という島原の殿様が通ったという「道」を見たことがありますが、今の感覚では非常に低く(風よけ?)、狭い(もちろん舗装も無い)筋でした。

    この「低い」(言い換えれば両側の畑が高い)ことから、領地の農民が殿様を見「下ろす」ことにならないよう、下に「居ろ」とか下に「降りて来なさい」という意味があったのではないかと思います。

    小さい時に「御神輿は二階から見るものではない」と言われたことがありますが、高貴なものを上から見てはいけない、という考えが重なっているのかも知れません。

1。「下にぃ~」と言えるのは、将軍家と御三家だけですか。

    殿様一般だと思います。

2。 宿場の手前に来たとき、宿場に知らせるために「下にぃ~」と言っていたのですか。

    行列が通過するなら「下にぃ~」、停まるなら「お着きぃ~」でしょう。

3。宿場を出るときも言っていたのですか。

    出る時は「お立ちぃ~」だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、「往還」とか「殿様道」の話は説得力がありますね。
「高貴なものを上から見てはいけない」という話も、そのとおりだと思います。
二階建ては制限されたり、二階の窓は開けるなとされる場合もあったとか、聞いています。

>行列が通過するなら「下にぃ~」、停まるなら「お着きぃ~」でしょう。
>出る時は「お立ちぃ~」だと思います。

そうですよね。
理屈に合ってますよね。
しかし、慣例にうるさかった時代ですからね。
殿様みな同じことを言っていたのか、ホント分かりません。
「お立ちぃ~」と一言叫んでから「下にぃ~」と続けたのかもしれません。

お礼日時:2012/11/23 10:52

bungetsuです。



あっ、今、気が付いてあらためて時代考証家の稲垣史生氏の本をめくったところ、

「下に~、下に~」は先供の者が言うが、他に二~三町先を先回りをし、庶民に「道をあけよ。これから大名行列が通るので頭をさげよ」と触れ回る者が居た・・・と出ていました。

これが慣例となったようですね。
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この回答へのお礼

態々調べて下さってありがとうございます。

先回りをしてきちんと説明しているのですね。
そしてその後、「下に~、下に~」と行列がやってくるということですね。
納得しました。

お礼日時:2012/11/23 10:27

こんばんわ。


bungetsuです。

>>「下に~」とは「何を下に」せよ、と言っているのか、初めて聞いた領民はさっぱり分からなかったはずで、おそらく最初の頃は領民に向かって「○○を下にせよ」と言っていたのかな、と思って質問しました。
あるいは、行列の何かの持ち物を「下に向けよ」と、指示しているのかな、と思っていました。

そうですねぇ。誰(どの大名か家来)が考え出したかは解りませんが、おそらく最初の頃は、先頭の者が「下に~、下に~」と言い、籠の警護の武士たちが、近くにいる庶民に「道をあけよ、道を」「頭を下げよ、頭を・・・」などと注意を促したのではないでしょうか。
そして、それが繰り返されることにより、庶民にも浸透したのではないでしょうか。

いつ、どこで、誰が言い出したかは、今では全く「不明」の状態です。


>>国境では、藩によっては関所があったと思いますが、そこでも「先払い」するのですね。
その理由が分かりません。


関所では、多くの庶民が通過の許可待ち、つまり、行列が通り過ぎるまで待たされていましたので、一種の「見せつける」意味合いもあったと思います。
「お殿さまは、偉いんだぞ~」というような意味合いで・・・。

また、関所のない国境では、「今、殿さまが通過中ですよ」と言うような一種の権威付けだったのではないでしょうか。



歴史作家として「ふがいない」回答ですが、どのような史料をあさっても、その事についての詳細は出てきませんでした。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

<ごめんなさい>なんて、とんでもございません。
私の独り言のような質問に早速応えて下さって恐縮しています。

国境で他藩の領民に向かって「下に~」と叫ぶのは、どうも合点がいきませんが、
しかし、将軍家と御三家なら許されたのでしょう。
いつも、へ理屈ばかり言ってごめんなさい。

お礼日時:2012/11/23 10:25

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>「下にぃ~」の全文を教えてください。

一般的には「下に~、下に~」で終わりますが、
中には「下に~、下に~。お通り~、お通り~」
と言った藩もありました。

また、面白いところでは、
「片寄れ~、片寄れ~」又は「よけろ~、よけろ~」
などを連発した藩もありました。


>>宿場の手前に来たとき、宿場に知らせるために「下にぃ~」と言っていたのですか。宿場を出るときも言っていたのですか。

「先払い」をしたのは、国元の城下と国境、その日の宿のある宿場へ入る時、出る時。そして、江戸へ入る時だけでした。
江戸の街に入ると、御三家などに遠慮をして先払いはなく、静かに行進しました。

「下に~、下に~」の掛け声を「先払い」といいました。これはもちろん先を歩く者が大声を発して「路を空けよ」ということを表しました。街道筋では通行人が道の端によけて頭(こうべ)を垂れて見送りました。
良くTVなどのような土下座はしませんでした。TVの中の「大うそ」です。
しかし、江戸の街でこの「先払い」をしたのは将軍家か御三家、御三卿だけでした。



(よもやま話)
1.大名行列はいいかげんだった?
道具、打物、挟箱、先頭警護の武士、お籠、後尻警護の武士の順で行列は進みましたが、道中では隊列をくずし、雑談をしたり、景色の良いところでは立ち止まって見物したりしました。

2.大名行列も道の端へ  
大名行列よりも格が上だったのが「御茶壷道中」。これは、毎年将軍家が飲用する新茶を京都の宇治から運ぶ行列のことで、この御茶壷道中の往復に出くわしたら、さあ大変。大名行列とすれ違ったりした時は、どんなに偉ぶっていた大名も籠から出て腰を深々と折って、敬意を表しました。

3.大名行列も回り道
江戸市中で大名行列同士が行き違うことはしばしばであった。この時は、お互いが籠を開けて双方が目礼をした。しかし、籠を止めることは絶対にしなかった。また、相手が御三家や格式が上位の場合は籠を降りなければならなかったので、ややっこしい、めんどうくさい。そこで、御三家などとわかると下級の大名行列は、あわてて、横道へ逃げ回った。

4.参勤交代
慶長7年(1602)、加賀の前田利長が人質として江戸で暮らしていた母芳春院を訪ねて江戸へ出てきて、将軍家へ「挨拶」をしたのが始まりでした。しかし、当時は「統制」がきかず、大名も「我先に」と競ったため、3代将軍家光が寛永12年(1635)に「武家諸法度」19ケ条を定め、その第2条に「参勤交代」の制度を明確にしました。

5.参勤交代の時期
「夏四月中」と書かれてあり、現代の「太陽暦」に直すと、おおよそ5月で、入梅以前に参勤するように定めてあります。その後、西国の譜代大名は2月、関東と東海の譜代大名は9月、外様大名は4月、というように時期をずらせました。これに、譜代大名をして外様大名を監視させていたからです。

6.参勤交代は一斉におこなわれたの?
いえいえ、隣接する藩が相談して、隔年に行われました。例えば、「豊前」と「豊後」の藩主たちを見ると、
中津、杵築、府内・・・の3藩が譜代大名。
日出(ひじ)、臼杵、佐伯、岡、森・・・の5藩が外様大名。
子、寅、辰、午、申、戌年には中津奥平氏、杵築松平氏、臼杵稲葉氏、佐伯毛利氏が江戸へ。
丑、卯、巳、未、酉、亥年には府内松平氏、日出木下氏、岡中川氏、森久留島氏が江戸へ。
このように、交代で参勤しています。これを「御在所交代(ございしょこうたい)」と呼び、全ての大名が江戸へ集結することはありませんでした。

7.他家の領地を通る
江戸に隣接した大名はともかくとして、ほとんどの大名は他家(他藩)の領内を通るわけですが、「前触れ」と称して、使いをたてて「何日ころ通過します」と「礼」をつくし、通行される藩でも、橋の修繕や道路の整備をして、お互いが気を遣いました。しかし、友人だからとか親戚だからと言って、藩主同士が会うことは許されませんでした。これには、藩主同士が結託して幕府転覆などを話し合われては困る、という意味がありました。

8.大名行列は行軍
参勤交代のための「大名行列」は、事前に「道中奉行」が任命されて、行列よりも先回りして、宿の手配などをしました。そして、大名が泊まる宿を「本陣」と呼び、家来たちの泊まる宿を「脇本陣」とよびました。また、宿に入るにも規則があり、夜五ツ(午後8時)までに到着できなければ宿側も断ることができ、そういう時には「野宿」をしました。もっとも、大名行列は行軍とみなされていましたので、陣幕はもちろん、料理の材料、鍋、釜、風呂桶、そして、殿様用の便器などなどを全て持って行きました。さらに、宿に宿泊しても、宿の料理人が食事を作るのではなく、宿の台所を借りて、家来の「御膳掛り」が食事を作りました。

9.通行中のトラブル
11代将軍家斉の頃、明石藩松平斉宣(なりのぶ=家斉の第53子!!)が、御三家筆頭の尾張藩を通行中に猟師の源内という者の子ども(3歳)が行列を横切ってしまった。家臣がその子を捕まえて本陣まで連れて行った。ただちに、名主や坊主、神主までもが本陣へ行き「許し」を乞うたが、斉宣は聞き入れず、その子を切り捨てにしてしまいました。尾張藩はこれをおおいに怒り、使者を遣わし「このような非道をするようであるなら、今より当家の領内を通らないでもらいたい」と伝えました。斉宣は、行軍を取りやめるわけにもいかず、まるで、町人か農民のようにコソコソと尾張領内をぬけました。さらに、数年後、猟師の源内は、斉宣が20歳になったのを期に、木曽路で得意の鉄砲で斉宣を射殺してしまいました。もちろん、源内は死罪となりましたが、子どもの恨みを晴らした、というわけです。

まだまだありますが・・・このへんで・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「下に~」とは「何を下に」せよ、と言っているのか、初めて聞いた領民はさっぱり分からなかったはずで、おそらく最初の頃は領民に向かって「○○を下にせよ」と言っていたのかな、と思って質問しました。
あるいは、行列の何かの持ち物を「下に向けよ」と、指示しているのかな、と思っていました。
「頭を垂れておけ」という意味みたいですね。
そして、それが意味するところが「路を空けよ」と言うことなのですね。

国境では、藩によっては関所があったと思いますが、そこでも「先払い」するのですね。
その理由が分かりません。

いつも詳しく回答して下さって感謝しています。

お礼日時:2012/11/22 21:15

下に~下に




の繰り返し
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/22 20:47

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Q参勤交代の「下に~」とは?

参勤交代の大名行列では「下に~下に」と言いながら歩いたそうですが、どういう意味があるのでしょうか?
また、江戸に参るときも国に帰るときも同じように「下に~」なんでしょうか? あと、このかけ声はほとんどの大名がやっていたのでしょうか? 町に入るとゆっくり歩き、町から出ると急ぎ足だった、と習ったのですが、町に入ったら、「下に~」の一言につき「一歩」みたいな歩き方、だったのでしょうか? たくさん質問してしまいましたが、どなたか、おわかりの点がありましたらどうかお願いします。

Aベストアンサー

土下座の意味のようです。
しかもこれが使えたのは御三家のみ。
宿場町のみゆっくりで他は強行軍で旅費を節約したようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8D%E8%A1%8C%E5%88%97
http://www.katch.ne.jp/~ans121-zyuzin/sann.htm
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/rekishi03.htm

Q「わかりづらい」  と  「わかりずらい」

「わかりづらい」  と  「わかりずらい」
漢字にすると(判り辛い、解り辛い)なのかと思います。

「わかりづらい」が正しいとおもって使っていたのですが、
最近「わかりずらい」もよく目にします。

二者択一だったら皆様はどちらを使うべきですか?

アドバイスを頂きたいと思います。

Aベストアンサー

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn.x=29&jn.y=11&kind=jn&mode=0

私は辛い(つらい)→づらい、と考えて「づらい」を使っています。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
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ずらい
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Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.

Q明石藩主・松平斉宣が行列を横切った幼児を殺害?

このような噂話があったことは事実でしょうが、「行列を横切った幼児を殺害した」のは史実ではないと思うのですが、教えてください。

Wikipedia 「松平斉宣」の記事の一部です。

『甲子夜話』が記すところによると、斉宣が参勤交代で尾張藩を通過中に3歳の幼児が行列を横切ってしまった。斉宣の家臣たちはこの幼児を捕らえて宿泊先の本陣へ連行した。村民たちが斉宣の許へ押し寄せて助命を乞うたが斉宣は許さず、切捨御免を行って幼児を殺害してしまった。この処置に尾張藩は激怒し、御三家筆頭の面子にかけて今後は明石藩の領内の通行を断ると斉宣らに伝えた。このため明石藩は行列を立てず、藩士たちは農民や町人に変装して尾張領内を通行したという。

松平斉宣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%96%89%E5%AE%A3

Aベストアンサー

この異常な無礼討ちは事実の可能性があります。
尾張家との確執について、明石藩の資料にありました。

十一代将軍家斉の二十五男の周丸が明石藩の養子となり、のちに斉宜藩主となった。   六万石から八万石に加増された。(持参金ですか)
将軍の子が大名の藩主になると御三家へ挨拶に行く慣例がある。
尾張家へ行ったところ、正門から通れるのは、十万石以上の大名に限るとの事で、側門から入らされしかも鄭重な扱いを受けず、斉宜は大いに不満だったという。(同じ家康の血を曳く間柄なのにつれない扱いだ)
  
勿論参勤交代の話は載っていません。
供割をした幼児の処分を聞かれた斉宜は、あの時の屈辱を思い出し斬れと命じたのかも知れません。    

Q芯が残ったまま炊けてしまったご飯どうしましょう

水が少なすぎたのか・・・ご飯に芯が残ったまま炊けてしまいました(T▽T)
たくさん炊いたので捨てるのはもったいないので、なんとか美味しく頂きたいのですが、いい方法はあるでしょうか?
ひじきご飯を失敗してしまったのでショックですっ゜(゜´Д`゜)゜

こうしたら、普通に炊いたご飯みたいになるよ・・・なんてことはないでしょうか?
教えてください。

Aベストアンサー

驚かれるかもしれませんが、あとこれ位お水があれば良かったなと言う水の量を、炊飯器のご飯の上から全体にまんべんなく追加します。

その後、もう一度炊飯ボタンを押してみてください。

二度炊きする焦げ焦げになると思いきや、普通に炊けますよ。
そして見事に芯は消えています。

ただし加える水分量が多すぎると、逆にベチャベチャになるのでご注意ください。

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q突然できる蚊にさされた跡のようなもの

どう表現していいのか分かりませんが、前触れもなしに肘の内側に、「蚊にさされた跡のようなもの」が出来ます。

肘の内側がかゆいなっと思って触ってみたら、ぷっくらと1cm弱くらいの大きさのものができています。
セーターや長袖を着ているので蚊ではありません。しかも毎回同じ場所に出現します。

アルコールを飲んだときによくできるような気がします。
でも飲んでないときもでてきます。

大体30分位したら、消滅するのですが気味が悪いです。
何かの病気なのでしょうか…?

Aベストアンサー

私もよくそのような状態になっていましたが「慢性蕁麻疹」でした。
私の場合は首や腕などがかゆくなり赤くふくれます。
掻くとみみずばれの様になり、放っておくと30分程度で消えます。
蕁麻疹というのがそのように発疹が出て短時間で消えるものですから、
特に原因がなく出るようでしたら私と同じだと考えられます。
私の場合は体質で原因不明でしたが、寒暖差等の原因で起こることもあるので
心配でしたら皮膚科を受診されてもいいと思います。
頼むと血液検査などもやってくれますよ。
(ただし原因はわからないことが多いそうです)

Q道路の白線・黄色線は「はみ出し禁止」?「追い越し禁止」?車線変更は?

道路の白線・黄色線について疑問に思っています。過去の質問を拝見しましたら、白・黄色の実線について
「はみ出し」を禁止している
「追い越しのためのはみ出し」を禁止している
「追い越し」を禁止している
との回答を眼にしました。

1)どの見解が正しいのでしょうか?


2)1)の回答にもよりますが、車線区分線としての白・黄色の実線の場合には、車線変更は禁止なのでしょうか?

「はみ出し」禁止であれば当然ダメでしょうが、「追い越し」禁止であれば車線変更は可能なような気がします。しかし、その場合は「追い越しのための車線変更」と「ただの車線変更」との区別がつかず、どこから違反とされるのかわかりません。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

少し噛み砕いて書いてみます。
(学科のテキストには明記されていないと思われるので)

◆白色実線の中央線

主に、片側に複数車線ある場合の中央線で、(原則として)絶対にはみ出し禁止。

(複数の車線があるため、駐車車両や道路工事などがあっても、中央線をはみ出すことなく回避できるから)

中央線が2本線で引かれている場合は、それが中央線であることと、はみ出してはいけないことを、より強調するため。

◆黄色実線の中央線

主に、片側1車線の道路に引かれており、追い越しのための右側部分へのはみ出しは禁止。

(道幅が狭いため、駐車車両や道路工事、また軽車両を追い越すなどやむを得ない場合には、中央線の右側へはみ出すことが出来る)

「追い越し禁止」の標識がある場合は、右側へはみ出すことはもちろん、はみ出さずに済む状況であっても、追い越しそのものが禁止されます。


次に

◆実線の車線境界線(白色・黄色とも)

実線部分では、車線変更そのものが禁止されます。白・黄色ともに。

※交差点(内部)と、その手前30メートル以内はもともと「追い越し禁止」場所ですから、仮に点線(破線)の車線境界線であっても、追い越しのための進路変更(車線変更)をすることは出来ません。
(優先道路を走行していて信号機のない交差点の場合は除外。←あまり考えなくて結構です)

テキストには、「追い越しが禁止される場所」として7項目の記載があると思います。
それらの場所では、追い越しをしようとして進路変更(車線変更)しただけでも違反行為と考えられます。

●「追い越しのための車線変更」と「ただの車線変更」との区別 について。

クルマはその速度に応じた車間距離を必要としますが、最低限必要な距離としては、前車が急停車した場合に追突しない距離と考えられます。
次に、追い越す動機としては、速度差があるため前車に対して、最低限必要な距離程度までに近づいてしまったから、という理由が挙げられると思います。
(勿論、急いでいる場合もあるでしょう)

追い越す意識(目的)があるかどうかという心理は、遠目には分かりませんが、車間距離がギリギリまで近づいていた場合には、意図していたと判断されるのではないでしょうか?
追い越す必要がなければもう少し車間距離を取るでしょうから。
特に速度を上げて接近していった場合には、その速度差から、追い越す意識があったと判断されると思われます。

現実的には、追い越しのための車線変更自体が違反行為となるケースが多いと思いますが、単純に追い越す意図があるかないか、を判断する材料はギリギリの車間距離か十分な車間距離か、また、前車と同じ速度であったか、速い速度で接近中であったか、だと考えます。

前車と十分な車間距離があり、速度も同程度の場合には、単なる車線変更と見なされると思います。

どうぞご安全に。(元、指導員より)

少し噛み砕いて書いてみます。
(学科のテキストには明記されていないと思われるので)

◆白色実線の中央線

主に、片側に複数車線ある場合の中央線で、(原則として)絶対にはみ出し禁止。

(複数の車線があるため、駐車車両や道路工事などがあっても、中央線をはみ出すことなく回避できるから)

中央線が2本線で引かれている場合は、それが中央線であることと、はみ出してはいけないことを、より強調するため。

◆黄色実線の中央線

主に、片側1車線の道路に引かれており、追い越しのための右側部分...続きを読む

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。


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