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辞書の見方がまずいせいかもしれませんが、辞書には載っていないようですのでお尋ねします。
相手が「このかばんに荷物を全部入れたいんですけど」と言ったとき「全部は無理だ」という意味のことを言いたいときは「え、全部は入らないでしょう」が自然です。そのとき「え、全部は入れないでしょう」と言うと不自然に感じますが、その理由を説明するにはどうすればいいでしょうか。
私なりにそれを考えているうちに、これとは全く異質の問題だと思えますが「私はコンサートの会場に入れない」と「私はコンサートの会場に入らない」の例文に遭遇し、「入らない」と「入れない」の使い分けを説明することが困難になってしまいました。
もちろん、私の考えすぎで「え、全部は入れないでしょう」が自然な表現だというのであれば、問題はありません。その点も含めて、ご回答のほどよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

荷物の場合、「え、全部は入れないでしょう」と言うと、荷物に意思があって自ら入ろうと行動しているように聞こえるので不自然になるかと思います。



>「私はコンサートの会場に入れない」と「私はコンサートの会場に入らない」

こちらの例文の場合「入れない」は入りたい意思はあるけど何らかの理由があって入ることができない、「入らない」は自分の意思として入らないと決めていることになるかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。おかげさまで頭の中で整理できました。
こういうのを「意思動詞」とでも言うのでしょうか。どこかで聞いたことがあるような気がします。

お礼日時:2012/12/05 11:52

 休憩時間を利用しての回答です。


(1)「このかばんに荷物を全部入れたいんですけど」に対する答えとしての「え、全部は入れないでしょう」の違和感。

(2)「私はコンサートの会場に入れない」と「私はコンサートの会場に入らない」の違い。

 (1)は「物を何かの中に入れる(いれる)」との主体の動作であることから「入れる」が自動詞である、つまり「主体に対する記述」であることが解ります。一方「え、全部は入れないでしょう」は「全ての物を入れること」はできないが、その中の「一部分は入れることができる」として「入れること」そのものに主眼が置かれていると思われ、その上で「部分的にはできる」との説明が施されている形です。こうした時には、「え、全部は入らないでしょう」「え、全部を入れることはできないでしょう」などと表現することが一般的であろうと考えることができます。
 またうがった見方を許されるならば、「え、全部は入れないでしょう」の文章には「そこに入れてはいけないものを一緒に入れること」に対する非難や批判の意思が込められているとも読むこともできます。文法的な説明からいけば「入れる」は他動詞、「入る(はいる)」は自動詞として区別されますが、これが構文の中で使われる場合は変化します。「物がその中にはいるかどうかを試す」ならば現象文として「対象に対する観察」として説明されます。英語の文章ならば目的語としての名詞節です。目的語の内部であるならば、それが物主構文の形式だろうと人主構文だろうとそれを問う意味はないのです。
 「私はその道が私を駅へと導くことを知っていた」の文章ならば私は知っていた、が文章の骨格であり、文意としてならば「私はその道を歩いて行けば駅に出ることを知っていた」と同じです。道には意思はありません。その道を歩くのは私です。こうした意味で「辞書に固執する」ことは参考にはならないとも考えます。「辞書」に示されていることはあくまでもデータや参考程度に留めるほどでよろしいのではありませんか?

 (2)「私はコンサートの会場に入れない」では私がそのコンサート会場に入場するための要件を満たしていない、具体的にはチケットを入手することができなかった、チケットを持ってこなかった 、だから「残念だ」などが考えられます。つまり「コンサート会場には入れない」だけの要件を満たしているから「入れない」となり、それは「要件を満たしていれば入場を許可される」とのことになります。
 これに対し「私はコンサート会場に入らない」は他の状況を想像することもできます。たとえば「一緒に行くはずで待ち合わせをしている相手がまだ来ていない」「緊急に所用が入ったことで、自主的にキャンセルする(チケット代が無駄になった)」、だから「入らない」との意思を示す形と理解することができます。この場合には「入場の可否を判断する主体」が相手から(コンサートの主催者)から私へと移ります。ですから、相手が許諾を与えていてもこちらが判断して決める形です。違和感はありません。

 「れる・られる」にも様々な使い分けがあることもご存知でしょう。可能もあれば許容や受動さらには敬語的表現もあります。全て文脈の中で読み分けねば生きた言葉遣いを外国の方に伝えることも困難と存じます。余り「辞書的意味や表記」に囚われてしまいますと、ゲシュタルト崩壊を起こしかねません。この質問サイトでも、病的なほどにくどい「これは受動か使役か」との質問を繰り返している方がいらっしゃいますので、そうならないためにも一言申し上げさせていただきます。
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この回答へのお礼

貴重なご指摘とご回答、ありがとうございました。
私もいろいろな解釈が可能な表現について質問された場合は、必ず前後の文内容をきいて文脈の中で読み分けるように努めているつもりです。特にいま私をほぼ全面的に頼っている外国人は動作の主体・動作の対象を見失ってしまうことが多いため、注意が必要だと思っています。その人の方からその点も質問されるので、妙な方向に突っ込みすぎて逆戻りできなくなってしまう心配は少なくてすみそうです。それで救われていると思います。

お礼日時:2012/12/05 15:27

No.5 さらに訂正です。



> なお、「入れない」を「はいれない」と読むのは間違いです。
> 入る(はいる)は、五段活用をする動詞なので、「ない」は未然形である、「はいら」に接続します。
> 「はいれ」の形は、仮定形または、命令形になりますので、「ない」をつなげることはできません。

この説明はこれで間違いではないのですが、「入れない」を「はいれない」と読むのは、間違いとはいえません。
実は、五段活用をする動詞は、下一段活用をする「可能動詞」になることができます。

つまり、「入る(はいる)」 は、「入れる(はいれる)」という可能動詞になります。
こちらは、下一段活用をするので、未然形は、「入れ(はいれ)」であり、入れない(はいれない)という書き方が可能です。

この意味で、「全部は入れない(はいれない)でしょう」というのであれば、少なくとも間違いとはいえません。
ただ、ニュアンスとしては、日本語で、可能動詞を使う場合、主体が人間(や動物、生物)であることが多く、(鞄に入っていく荷物という)無生物に対して、使用するのは、頻度としては少ないと思います。
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この回答へのお礼

さらなる追加説明、ありがとうございました。
あなたの回答内容を集約・整理すると、実に本格的で素晴らしい説明になると思います。

お礼日時:2012/12/05 12:30

「入れない」における「入れ」の部分がが自動詞「はいれ」とも他動詞「いれ」とも解釈できる, ってことです.

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この回答へのお礼

ご説明、ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/05 12:25

No.5 訂正です。



> 入れる(いれる)は、五段活用をする動詞なので、「ない」は未然形である、「はいら」に接続します。
> 「はいれ」の形は、仮定形または、命令形になりますので、「ない」をつなげることはできません。

これは、

入る(はいる)は、五段活用をする動詞なので、「ない」は未然形である、「はいら」に接続します。
「はいれ」の形は、仮定形または、命令形になりますので、「ない」をつなげることはできません。

です。
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この回答へのお礼

訂正いただきまして、ありがとうございました。
おかげさまで、すんなり納得できました。

お礼日時:2012/12/05 12:21

「入らない(はいらない)」は、自動詞「はいる」の未然形+助動詞「ない」です。


一方、
「入れない(いれない)」は、他動詞「いれる」の未然形+助動詞「ない」です。

この場合、「入れる」や「入る」の主体は、荷物ですので。
「入らない(はいらない)」 = 自動詞なので、荷物が自分で鞄の中に入っていくイメージ。
「入れない(いれない)」 = 他動詞なので、荷物を、誰か(その、誰かの意思で)入れるイメージ。
になります。

この場合、動作の主体である、相手は、「荷物を全部入れたい」と思っているわけですから、
「入らない」=あなたが入れたいと思っていても、荷物は入ってくれないでしょう。
「入れない」=あなたが入れたいと思っていても、あなたは全部を入れないでしょう。(意味が変)
となるわけです。

コンサート会場も同じです。
この場合、入る主体は、観客でしょう。

「会場に入らない」は主体である観客が自分の意思で入らないこと。
「会場に入れない」は主体である観客は入りたいのだけれど、ほかの誰かの意思(たとえば、主催者)で入ることができないのです。

なお、「入れない」を「はいれない」と読むのは間違いです。
入れる(いれる)は、五段活用をする動詞なので、「ない」は未然形である、「はいら」に接続します。
「はいれ」の形は、仮定形または、命令形になりますので、「ない」をつなげることはできません。
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この回答へのお礼

明快かつ詳しいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/05 12:19

他の方の回答を見て思ったのですが、


ひょっとして、「え、全部『は入らない(はいらない)』でしょう」と「は」の区切りと「入」の読み自体勘違いしてるってことはありませんか?「入」は「い」とも読めますが、この場合は「はい」になりますよ。
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この回答へのお礼

ご心配いただきまして、ありがとうございました。
「全部は入れないでしょう」は「ぜんぶは、はいれないでしょう」と読むこともできるのです。今回はその読み方で使っております。

お礼日時:2012/12/05 12:17

「え、全部は入らないでしょう」これは少々不親切だと思います。


相手は入ると思って言っているのを自分の価値観で押さえつけて全否定している印象に受け取られます。
「え」って言葉も「信じられない、そのくらいのこともわかんないの」って相手を馬鹿にする言い方ですしね。
否定と否定のダブルで印象は最悪です。接客用語で使おうとしてるならクレームレベルです。
友達どうしなら冗談交じりで済むかもしれないけど。

>「このかばんに荷物を全部入れたいんですけど」

この質問に適切な対応は「このかばんに荷物を全部入れたいんですけど(入りませんか?)」と聞かれているので、
「少々難しいですね」と曖昧に濁して「入れたい」と意思表示した相手を立てつつも不可能な旨を伝えるのがスマートだと思います。

「私はコンサートの会場に入れない」→チケットがないから無理、できないってこと。
「私はコンサートの会場に入らない」→まだ友達を待ってるから「入れるけれども自分の意志で入らない」
「したいけれどもどう頑張ってもできない」のと「できるけれども「あえて」やらない」という意味の違い。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
文法的な説明だけでは不十分ということもありますので、参考にさせていただきたいと思います。

お礼日時:2012/12/05 11:54

入らないは 「自己判断」です。

実際は入るのに判断で「だめだろう」としているに過ぎません。
実際に、入る入らないの事実はこの場合関係ありません。

入れないは、第三者からの「拒絶」です。自分での判断ではなく 状況を説明されて 入場を断られるときが
入れないです。 こちらも、実際に入場できる出来ないの事実は関係ありません。
門番がダメといわれたら、たとえ東京ドーム一個分の空きスペースがあっても入れないのです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
あらためて言われてみると、これは荷物の場合にも応用できる理論のようですね。

お礼日時:2012/12/05 11:49

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