【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

今日のYahoo!ニュースからコピペしました。
人間の心をこんな風にカテゴライズしていたらそのうち日本から健康な人間がいなくなってしまうんじゃないでしょうか。
均一でないことへの異常なまでの強迫観念です。
文部省は個性を病気扱いして小学生に抗鬱剤を投与しようとしているのでしょうか。
結局、医者と製薬会社を儲けさせるだけじゃないでしょうか。
こういうことは薬物依存を助長させるだけなないですか。

*************************
<発達障害>小中学生61万4000人 文科省調査・推計
毎日新聞 12月5日(水)22時1分配信
 普通学級に通う公立小中学生の6.5%に発達障害の可能性があることが5日、文部科学省の調査で分かった。40人学級で1クラスに2~3人が「読む・書く」が苦手、授業に集中できないなどの課題を抱えていることになる。調査対象地域の44都道府県(岩手、宮城、福島の3県を除く)を基に推計すると約61万4000人になる。このうち約4割は特に支援を受けておらず、専門家は「教員の増員などの手当てが必要」と指摘している。

 調査は今年2~3月、学習障害(LD)▽注意欠陥多動性障害(ADHD)▽高機能(知的発達の遅れのない)自閉症--の発達障害の主な3要素について、44都道府県の普通学級に通う計5万3882人を抽出し、担任教諭が回答した。

 「文章の要点を読み取れない」「簡単な計算ができない」などLDがあり、学習面で著しい困難がある小中学生は4・5%。「教室で離席する」などのADHDが3.1%。「周りの人が困惑することを配慮せず言う」などの高機能自閉症は1.1%。一部はこれらが重複していた。

 発達障害とみられる児童生徒を学年別に見ると、小学1年が最多で9.8%。成長に伴い障害が改善され、小学4年7.8%▽中学1年4.8%▽中学3年3.2%だった。

 また、38.6%は「個別指導」などの支援は受けておらず、学校内で支援が必要と判断された児童生徒(18.4%)でも6%が無支援だった。

 調査に協力した大南英明・全国特別支援教育推進連盟理事長は「医師らで構成される専門家チームの設置や教員の増員などの対策が必要だ」と訴えた。

 同様の調査は02年にも5県から約4万人を抽出して実施。発達障害の可能性がある子供は今回より0.2ポイント低い6.3%だった。【石丸整】

A 回答 (15件中1~10件)

これは、教育の現場(注:神話)がいま追いつめられている、という話が書いてあるのです。



昔、もう少しちゃらんぽらんな空気で教師が子供を見守っていたころ、
読み書きができない子は、高学歴高収入教育熱心夫婦の子供ではなかったのです。
そのため、賢い子なのになあ、と矛盾を感じる機会も夜なべで手袋編む母親の実感くらいしかなかった。
手をヒラヒラさせたり頭をフリフリする理屈っぽいお喋り君は、学校に1人2人、いるかいないか。
出来事の後先がわからずに衝動的欲求を止められない子は、学年に1人2人。
直前の指示なのに聞いているんだかいないんだか何も覚えていない、何も覚えていないので何もろくにできないけれど、頭の回転は速く元気が取り柄の、落ち着きのない子はクラスに1人か2人。
思い込みが強く、融通がきかず、ショックなことがあると無かったことにしよう的な誤魔化しをするうそつきちゃんが学年に1人、2人。
脈絡が混乱するが知能が高いので考えが止まらず、思路が暴走して支離滅裂に話す、こんな子は教師生活25年てな教師が2回遭遇すれば多いほうだったかと思います。
これらが全て出揃うというわけではなく、そこそこ混じる程度なので、教師は45人学級を統率できたのでしょう。

現在、このような子供が多く現れるようになってきて、幼稚園や小学校がきゅうきゅうとしているのは事実です。公立の公立たるゆえんは、すべての子供に平等に文科省の決めた教育を授けることです。認知の仕方や発達の仕方がみんなと同じでないことを、個性と言おうとも発達障害と言おうとも、文科省の教育を親が望んでいないなら私立に入れねばなりません。発達障害に特化したクラスが売りの高額な私立か、程度問題なのでコネで入学許可したものの学業に関して基本スタンスとしては置いてけぼりにしてしまう私立などです。

認知の発達を促す育成を療育と言いますが、療育の知識や経験を積んだ人材を学校に導入しないと、教育は崩壊してしまうであろうという危機感を、いま先進国の教育現場はどこも感じています。

向精神薬は神経に蓄積しますので、子供に安易に使うことはありえません。ロボトミー並みの発想です。それはいけません。

今後の方向として、画一的な集団保育・集団教育に代わる別のあたらしい教育の形があるとよいかもしれませんね。
合わない現場からは学べないものですからね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。
そういう子供が多くなったのか受け入れ側のキャパが小さくなったのかどっちなんでしょうねぇ。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/07 22:19

> そういう子供が多くなったのか受け入れ側のキャパが小さくなったのかどっちなんでしょうねぇ。



まあ、いやな話になりますが、子供の間引きがなくなり、戦争も暫くなくなって、遺伝的に若干定型発達からずれた認知の弱い個体が増えたという説には否めないものがあると思います。
ほかに自然環境や社会環境とか、食とか出産方法とか、予防接種とか、いろいろ原因を主張する仮説が流布してはいるんですが、さほど説得力を感じません。

戦中の発達障害児の実態を調査している研究者がいます。
発達障害の子供たちというのは、どんな母親でも防空壕に速やかにおとなしく入れることができないであろうような子供たちなので、
聞きわけのないそのような子だけを言いくるめて外に置いたのか、母子でいたたまれず外に出たのか、障害児童をめぐる枝葉末節というか一挿話なんですけれど、資料として保存していこうという活動なんですね。

けっこう根は深いです。
現場のキャパが小さくなったと言う場合は小さな事象に限ると思うんですね。教師の個人の質とか、教育学部のカリキュラムの問題だとかのような。

いまのところ、医者の出る幕はあんまりないはずですよ。発達検査の「判定」は医者がするものではありませんから。「診断」は医者でないとできませんが、役に立つわけでもなく、現場は別に「診断」を必要としていないのです。
重要なのは、納税義務があることですね。つまり、国としては教育を施して就労させないといけないと。
知能検査で検出できず、特徴も広汎すぎるため支援学級のようなところにまとめて押し込むことのできない子供たちに、どうやって、就労までの教育を施していこうか、と悩んでいるのがこんにちの先進国の現状なんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

弱者をどうするのか。
人間の社会にいつも突きつけられるテーマですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 19:58

>人というのはそれほど論理的な生き物ではないのです。


>そうでなければ心理学など存在しませんでしょう。

心理学は、感情と理性を同時に持てるように理論的にできてます。
理論がなければ、学問ではありません。


>私もそう思いますが、ことはそう単純じゃないと5年間メンタルヘルスのカテゴリを見ていて思います。
>第一に意識の改革が必要なのは私のような部外者ではなく当事者の方だと思っています。
>つらいのは私ではなく当事者なのですから。

そうです。辛いのは当事者です。
当事者でなければ解決できないのです。
他者の問題をあなたは解決できないのです。

あなたが変えられるのは、あなた自身でしかありません。
本気でどうにかしたいとまで思われるなら、あなた自身が学ぶことから始まるのではないでしょうか。

話しをしていて、質問者様のご自身の問題が浮き彫りになってしまいましたので、私は終わりとします。
あなたの問題の解決は、あなたにしかできませんので。

私は、現場で力を出すことにします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現場にはあなたのような良心的な人間が必要なのでしょう。
私は外野からやれることをしたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 19:44

No.11の続きです。



病名は、単にその人の状態を分かりやすく表している言葉であって
色眼鏡や偏見を持つのは、受け取った側の個人の問題です。

病名がなければ、支援の目安はつけられず
病院では保険扱いもできず、行政支援も受けられないでしょう。

病名は、医者でないとつけることができません。
それは法律で義務付けられています。

当事者と、本当に深くかかわらないと分からないことは沢山あります。
ご自分が見た限りの印象をどう思われようがかまいませんが
過度の一般化で話しを持っていかれるのはいかがなものかと思います。


医者や医学や薬に悪い印象をお持ちのようですが、すべてが悪い訳でもなく
医学の進歩が足りなくても、選んであるのは患者さんです。

医者を特に強く信頼している訳でも、かばう訳でもありませんが
あくまでも、どこに行くのか選択権を持つのは患者さんです。
当事者が選んだ場所で、そこでできるだけのことをされているだけです。

個人的にはカウンセリングが、もっと取り入れられ
巧い人が多ければなぁとは思います。
当事者が自分を理解していけば、良くなる人はもっと出るのです。

しかし、ここの質問と途中からの話しは、問題のすり替えになっているとお気づきですか?
その偏見が、この質問をさせたのではないかと危惧しています。



>教師にとって都合の悪い子供を病気という名目で医者にぶん投げた。
>私にはそう見えるのです。
>考えすぎでしょうか。

そんな単純な問題なら、こんな話しは出ないでしょう。
教師が国に訴えてる訳でなく、国が教師に調査を出させている訳ですから。


健常者の、その人が持つ印象や色眼鏡やステレオタイプに
本当に困っている当事者が、周りからの正当な支援を受けにくくしていることに憂慮しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>病名は、単にその人の状態を分かりやすく表している言葉であって
>色眼鏡や偏見を持つのは、受け取った側の個人の問題です。

もちろんそうですが、人というのはそれほど論理的な生き物ではないのです。
そうでなければ心理学など存在しませんでしょう。

>当事者と、本当に深くかかわらないと分からないことは沢山あります。
>ご自分が見た限りの印象をどう思われようがかまいませんが
>過度の一般化で話しを持っていかれるのはいかがなものかと思います。

深くかかわっていないなら口を出すなとおっしゃるのでしょうか。
深くかかわっていないからこそ見えるものがあると私は思います。

>あくまでも、どこに行くのか選択権を持つのは患者さんです。
>当事者が選んだ場所で、そこでできるだけのことをされているだけです。

これまたその通りですが、こと精神的な問題については適切な選択をすることは非常に難しいと思います。
私たちはいつから精神的な問題の解決を医者に頼むようになったのでしょう。

>ここの質問と途中からの話しは、問題のすり替えになっているとお気づきですか?

私の中では一つのものですからすり替えた覚えはないのです。
小出しにしている感はありますが。

>教師が国に訴えてる訳でなく、国が教師に調査を出させている訳ですから。

どちらの意図かは問題ではありません。

>本当に困っている当事者が、周りからの正当な支援を受けにくくしていることに憂慮しています。

私もそう思いますが、ことはそう単純じゃないと5年間メンタルヘルスのカテゴリを見ていて思います。
第一に意識の改革が必要なのは私のような部外者ではなく当事者の方だと思っています。
つらいのは私ではなく当事者なのですから。

お礼日時:2012/12/08 09:50

No.7です。



>素晴らしく良心的な解釈だと思いました。

お礼ありがとうございました。


行政や政府側から考えますと、一人月5万の支援で年間60万。
60まで生きたとして40年間で2400万。
10万の支援で、4800万。

どこにも就職できず、親の支援なども見込めないとしたら月15万で、7200万。
子供の時の10年ほどの支援で、就職できればこの金額が変わる人がどれだけいることか。
これは、もちろんすべて国民負担になります。


発達障害の方の意見として、親は先に逝くものだからできれば自立して欲しいが本音で
当事者は、働かないと家でぼーーーっとしているだけでつまらないようです。
働きに出たい人が多く、働いている人は働き続けたいという希望が強いです。
ネットワークがありますので、そういう話しが伝わってきます。

当事者も基本的人権は守られるのが法律でも決まってます。
健全に生きるための支援は、必要だと思います。
やむなきは、金銭面の支援になるでしょうが、できれば本人が望む形がいいでしょう。


どの見地から見ても、調査・対策・支援は必要だと私は思いますが、いかがでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

障害がある人に必要な支援を行うのは何の問題もないでしょう。
しかし、精神に病名をつけるという行為は恐ろしく危険な行為だと私は思います。
メンタルヘルスでいくつかご回答をしているようですが、病名をほしがっている人間が多いことに驚かれると思います。
彼らは自分のそれは病気なんだと思いたがっています。
そして、病院に行き病名をもらって一時の安心を得ます。
当然医者は薬を処方しますが、薬が心の問題を解決してくれるはずもありません。
10年以上医者に通っている人たちはこの手の病気は寛解止まりだとあきらめムードです。
それを指摘されれば医学の知識がないのに勝手なことを言うなと反論しますが、医学はあなた方の助けにならなかったではないかと私は言いたくなります。

教師にとって都合の悪い子供を病気という名目で医者にぶん投げた。
私にはそう見えるのです。
考えすぎでしょうか。

お礼日時:2012/12/07 22:12

こういった、生徒の個性を大人になって伸ばすことが出来る先生を、生徒達は良い先生として卒業した後で思い続けています。

生徒だった時に『出来が悪いと思われていた場合では尚更です。』

こういった傾向は『教育委員会が』先生と生徒の自主性という芽を積んだ結果と思っています。

先生が目の前の生徒の悪いところを、叱れなくした、原因は、無い方が良い組織が生んだ弊害と感じています。

生徒と先生の間に(何も具体的な事を知らないくせに)立ちはだかっている姿は、人間同士の心の交流さえなくしかねない勢いで『上からの目線で』指導しているつもりの組織のせいと感じます。

生徒と先生が真正面から付き合う事が無い現状、或いは本音で付き合う事が薄くなった傾向は『人対人』のつながりを、軽視している教育委員会の歴史となっているような気がします。

生徒と先生の間に如何して『教育委員会』と言う組織が存在するのか理解出来ません?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分の子供のころを思い出すとひどい教師もちらほらいましたので教育委員会のせいともいえないとは思いますが組織的な教育というものの限界なのでしょうかね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/07 21:44

発達障害は鬱病でもないし、勉強ができない子でもないです。



その辺を混同されませんように。

一分野に特化した天才児に発達障害が見られるのはよくある事です。
(程度も様々ですが)

彼らが苦手とするのはひととの協調性だったりするので、それを見越した教育体制は必要だとおもいますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

発達障害が精神病の一種と認知されないこと、クラスの大多数が何かしらの病名をつけられるような時代ならないことを祈るばかりです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/07 21:41

私の子供の頃にも、多動の子供はいましたね。

読み書きが苦手な子供もいましたし、計算が苦手な子もいました。
別に病院にもいかず、数年で落ち着きましたが・・・。先生や親は大変だったかもしれませんね。いや、そうでもないかな?最近はそうかもしれませんけど。

まず、薬物は関係ないかな?ただ、質問者様の意見は分かります。

基本的に、考え方によって2つの見方ができます。
1つは、これは何とかすべき忌忌しき問題である。人を増やすべきであるという考え方。
もう一つは、私はこちら側の人間ですが、なぜそこまで問題で増員がいることに繋がるのか、そもそも全て病気に該当させるべきで治療しなければならないのかという、2通りです。

1を考える人の多くは、その影響を受けてきた人やそれを研究している人に多いかもしれません。
要は、何らかの苦しみを受けた人、もしくはそれを研究対象として見ることで、何らかの恩恵を受ける人です。また、特に考えないが、そうなのかと素直に受け入れる人も、こちらに入るかもしれません。
まあ、目指しているのはきっとここで、たぶん予算絡みの話だと思います。

私が2を述べる理由は、一言で言えば本人または家族が苦しんでいるかそれともそうでないかを、本当に把握しているのかが、ここでは書かれていないのが理由です。もし、本人が治療を望んでいて、または家族がもしかしたらと思っていて、それなのに誰にも相談できない人が、それだけいるなら、大問題です。

しかし、研究レベルでこういう数字が出ているから、増員して割り当て適切な社会に溶け込ませましょうというのをするなら、やりすぎ書きすぎです。研究する側も、もっと周りを見るべきでしょう。

何故か?
私は、最初に同級生に、そういう人がいたと言いましたが、その人が気にしていたかどうかは別として、いたというだけで、その人との関係が悪かったとは思いませんでした。むしろ、こういう子もいるのだと思ったものです。そうやって、人は幼いながらに人との違いや、自分の得手不得手などを学ぶのです。そこで、挫折したり、不安があった時に助けるのが大人ですが、不安がない中で、先回りをしていると、ろくな大人にはなれません。

スピルバーグが、発達障害だったのは有名ですが、彼がそれを知ったのは、大人になってからです。
もし、先に何らかの対処がされていたら、彼は監督ではなかったかもしれません。

まあ、これは定期統計の一つでしょう。予算絡みで頑張っているのでは?

その程度のものです。

ついでに言えば、先に書きましたがこれは、製薬会社はほぼ関係ないと思われます。あくまで、研究成果や調査の部類で、予算などに影響する結果だと思われます。そのため、即座にどうこうなるとは言えません。

まあ記事にして得策だったかは・・・。支援してほしいといった人の割合もあって、尚且つそれが不十分だったという数字があれば、世論も必要性を考えるでしょうけど。
これは、考えてみると、単に割合がこうだったというだけで、前回から0.2ポイント増えただけで、これだとほぼ横ばいとみるべきですし、増員が話題に今なるなら、今までにも検討しているでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

単なる予算欲しさの警報だけで済めばいいのですが。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/07 21:38

>このうち約4割は特に支援を受けておらず、専門家は「教員の増員などの手当てが必要」と指摘している。



発達障害は、周りの適切な指導のもとでやっていけば、周りとの協調や就職ができるようになる場合があります。
彼らに社会で生きるためのことを教えられる環境を与えることに着目した記事ではないでしょうか。
環境支援ですよね。

発達障害に効く薬は無いでしょう。
大学病院でさえ、判定と経過観察しかしてないのが現状です。
判定には明らかな基準があり、勉強ができないなどのことでなく
機能的なことにおいて判断されます。

問題は、事実抜きの推論で心配事を作らないことではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>彼らに社会で生きるためのことを教えられる環境を与えることに着目した記事ではないでしょうか。

素晴らしく良心的な解釈だと思いました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/12/06 12:06

どこをどのように解釈すると、薬物依存になるんだろう?



このニュースは
文部省が学校の指示の元、教師の目線で児童生徒の普段の様子から各種発達障害で見られる症状や行動に該当する児童生徒がどの程度いるか?という数値調査を行ったというものである

文末にも記載されているよね?
『発達障害の可能性がある子供』と、あくまで半分素人の教師が主観的に判断したものなので、専門家のチームを作って確認する必要があると

『医師らで構成される専門家チームの設置』ということは、そういった問題に対応する部署を文科省に設ける必要があるし、それなりの予算措置が必要になる

選挙が終われば直ぐに予算編成作業が本格化するから、文科省の予算確保のための資料作りと思うのが正解でないの?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おっしゃることは正解だと思います。

でもその先に私が危惧する様な事態になるんじゃないでしょうか。
勉強ができない子供が発達障害者呼ばわりされていじめられるとういう事が想像できるんじゃないでしょうか。
同じ日本人なら。

お礼日時:2012/12/06 11:51

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!