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大河ドラマ「八重の桜」が始まりましたが、このドラマに出てくる
会津藩の教え「ならぬことはならぬものです」を
聞くと、どうももやもやします。

これは論理的には「AはAである」というトートロジーで
何も言ってないに等しいのでは?
この教えは命令を遂行する足軽レベルなら規律重視でもいいけど、
戦略を考える大将がこういう思考だと不味いのでは?などなど

みなさんはどう思われますか?

A 回答 (17件中11~17件)

 少なくとも「言論文化」の成熟しているとはいえない国や集団にあっては有効な手法であるかと考えられますが、それは別な言い方をすれば「思考停止状態」にあるとも言えるでしょう。


 この点は現在の日本でも変わりないともいえます。それは古くさい儒教道徳が戦後も形を変えて生き残っているともいえます。日本の企業社会で嫌われるのは「意見を言う者」ですが、逆に欧米では「君はどう考えるの?」と問われて、自らの意見を言えない人物は評価もされません。
 目的に対して、そこに至る過程をクリアするために戦略や目標があるのであって、日本ではその「目標」をクリアすることが目的になってしまっている結果ともいえます。思考および行動からみれば、逆立ちと揶揄されても文句もいえないことすら、まともに理解できないのでしょうね。
 日本の社会では「考える、疑問を持つことを極端に毛嫌いする」「上意下達が絶対的な支配原理であり、これに少しでも疑問を持つならばそれは反逆に値する」との貧しい発想です。だから日本は「靡く文化」とも呼ばれる。一つの方向を一糸乱れぬ形で目指すことが美徳とされるのでは、つい最近「大国」をカネの力で強引にもぎ取ったどこぞの国と変わりありません。
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この回答へのお礼

アメリカでもアメフト体育会的なノリはあるように思いますが
戦略的な雰囲気が違うように思います。
日本だと考えたあとに、上手く空気を形成するところが
重要なんですよね。

お礼日時:2013/01/11 16:37

 大将はごく少数、もしくは1人でいいので、皆が兵隊的思考のほうがむしろ都合がいいのでは?


 あとは階級の差はあれど兵士だけ。
 船頭多くして船沈む、よりはましではないかと思います。
 柔軟な思考は戦闘の指示を出す大将や少数の指揮官だけが持っていればいいわけで、他は命令に忠実なほうが統率のとれた働きができるでしょう。

 現代でも会津は住民のモラルが高く、交通違反なんかも少ないしマナーも優れている、という話を聞いたことがあります。
 屁理屈で、目の前の相手を口で言い負かしていけば世の中を渡っていける、と思っているような人間が多い現代では、こういう考え方は素晴らしいと思いますが。
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この回答へのお礼

>  屁理屈で、目の前の相手を口で言い負かしていけば世の中を渡っていける、
> と思っているような人間が多い現代では、こういう考え方は素晴らしいと思いますが。

こういう人は最近多いですよね。枝野、仙谷、橋下など幾人かの政治家の顔が思い浮かびました。
実は兵隊的な思考の人が多い時のほうが、質実剛健で国として上向きなのは、
秦の昔からプロイセンドイツやソ連アメリカまで、古今東西当てはまるような気もします。

お礼日時:2013/01/11 16:34

訂正します。



>什長の家に集まって

正しくは「毎日持ち回りで各自の家の座敷を借りて、そこに集まって」です。
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会津武士(上士)は、6歳になると「什」と言う組織に強制加入させられます。



その「什」では「什の掟」と言うのがあって、什長の家に集まって、以下のように唱えます。

---什の掟、ここから---

一、年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚言(ウソ)を言ふ事はなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一、戸外でモノを食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
ならぬ事はならぬものです。

---什の掟、ここまで---

このように、7つの掟があって、その7つの掟の「念押し」として、最後に「ならぬ事はならぬものです。」と唱えます。

NHKのアホなプロデューサー(か、脚本家)は、最後の「念押し」の部分だけ取り上げて、ドラマ内で、さも「これが会津の教え」みたいな表現をしているので、質問者さんのように「何も言ってないに等しいのでは?」と言う誤解が生まれるのです。

一度、NHKのアホなプロデューサー(か、脚本家)を、小一時間ほど問い詰めた方が良いと思います。
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この回答へのお礼

「ならぬことはならぬものです」の由来がよくわかりました。
これは7つの掟の最後に付加される、強調の文だったのですね。
たしかにここだけ抜き出したら、わけわからないですよね。

ただ、会津には「ならぬことはならぬものです」という
気風がわりかし濃いようにも思うので、この1文はやはり
象徴的なものとして意味があるように感じました。

お礼日時:2013/01/11 16:30

同じもやもやした気持ちを感じますが



一方で、全ての因果というか理由というものは

有限の脳では分かりきれないだろうという諦めの感じもあります。

合理的であると同時に経験則的なものへの信頼は大切です。

>戦略を考える大将がこういう思考だと不味いのでは?などなど

大将は頭脳は明晰でなくてはなりませんが
頭脳に執着するのは参謀レベルの仕事だと思います。
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この回答へのお礼

すべての因果は追うことは不可能だけど、
やはり情報は最大限に集めて、状況に応じて
是々非々で判断するのが最善ではないでしょうか?

お礼日時:2013/01/11 16:27

おっしゃる通りだと思います。


このような筋の通った考え方は、太平の江戸時代では有効であり、
会津藩はその封土を全うしました。
しかし、幕末の激動期では周囲の流れについていけず、
国土は荒れ、若い命がたくさん無駄になりました。

長州藩に高杉晋作などの若い英才が現れたのと対比できるでしょう。
きっと、会津藩にも英才は出現していたのだと思います。
ただ、政治のシステムが彼らを浮かび上がらせなかったのです。
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この回答へのお礼

たしかに江戸の封建時代には有効ですね。
しかも会津は盆地の山国で交通の要衝でもなく、
いくら品川お台場警護をやっていても、世の流れからは
隔絶してたように思います。
その点、長州、薩摩は海に面していて、世界情勢を捉えるのも
速かった。そうせい候、斉彬公も偉かったと思います。

お礼日時:2013/01/11 16:22

たとえば、殺人や自殺はいけないこと。



なぜいけないか?という議論は要らない。ならぬことはならぬものです。

(ご質問のような)屁理屈を言うな!という潔い教えだと思います。
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この回答へのお礼

この「ならぬことはならぬものです」は聖書の「十戒」のように、
人間社会を成り立たせるための最低限のルールであり、
この地点で議論は終わり、ここから先は神が定める領域だというふうに
思っていたんですが、No4さんが教えてくださった「什の掟」には、
殺人と自殺の禁止は入ってないんですよね。
武士だから、敵が攻めてきたら当然殺人もしなければならないし、
(ドラマ中でも綾瀬はるか演じる八重が鉄砲で人を撃ってました)
なにか失態があったら責任を取って切腹=自殺をしなければいけない。
ということで、No1さんの思う「ならぬこと」の内実とは
ズレがけっこうあるのではないかと思いました。

お礼日時:2013/01/11 16:17

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