ショボ短歌会

偶々漱石全集が手に入った機会に、この近代日本文学の主峰をおりなす作品群を探検し、踏破したいと思っていますが、早速、最初の「吾輩は猫である」で引っかかって、仲々前に進めません。

そこで、これまで漱石の小説を読んできた皆さん、漱石に詳しい皆さんに伺います。

・漱石の小説の中で、この「猫」を読んだ率直な印象は如何でしたか?

・「猫」は、漱石いや引いては近代文学の中で、どういう位置を占めているんでしょうか? 
そんなに意味のある重要な作品なのでしょうか? 
(今読んでいる印象では、「猫」の飼い主である苦沙弥先生(漱石がモデル)やその家族・友人たちの言動をユーモアを交え揶揄しているだけみたいで、そのどこが面白いのか、と正直思わないではありませんが・・・。)

・漱石の小説は他にもありますが、やはり順序としては「猫」を最初に読むのがいいのでしょうか?
(正直、延々と人物風刺や、どうでもよい話が続いている印象があり、たいくつなんですが・・・)
どうしたら、「猫」を楽しんで読めそうでしょうか?

尚、私は、50代の後半から、改めて読書に目覚め、年間少なくても100冊ほど色んな分野の本を読んでいますが、遅まきながら漱石にも取り掛かることといたしました。若い頃に、この「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」それに学校の授業で「こころ」を読んだ記憶はありますが、正直あまり鮮明な記憶はなく、未開拓分野であることを恥じ、何とか全部目を通したいと考えています。

A 回答 (4件)

手元に本も、ありませんが、昔の記憶を辿ると、水島寒月君が、バイオリンらしきものを買いに、なぜか夜店のような所に吊して売っている情景がある。



欲しくて手を出そうとするのですが、迷いながら触りかけると、夜店のひょうたんのようなバイオリン同士が、触れあって「チン」という音を立てます。

寒月君、「ひゃっ」と飛び上がって、買うどころか、ほうほうの体で逃げ帰り、苦沙弥先生宅で、「初めてのお買い物」を報告します。

ここだと思うのです。この作品の笑いどころであり、作者の主眼点は。



開化明治で、みな西洋かぶれになってしまったけれど、頭の中は江戸と進化が無く、本質的には変わらないのに、何を最新文明と言って、有り難がっているのだと、漱石流の強烈な文化批判を、私は受け取りました。


漱石の近代批判は、英国から帰ってきて、浮かれ変わりきった明治日本人に対し、このテーマはずっと続きます。

最初の作品の「猫である」は、猫の眼からみた、社会批判で、西洋文化の象徴のバイオリンを、ぬえのような正体不明として、夜店で売られるひょうたん同等と、小馬鹿にします。それが勝手に音を立てただけで飛び上がる日本人。ここに面白さが凝縮されていると思います。

そして150年経っても日本人の本質は、変わっていないと思うから、今の僕らが読んでも笑えるのでは、ないでしょうか。

その痛快で軽快だった漱石が、次第に重い作風となるのが、明治の青春の終りなのだと、思います。
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この回答へのお礼

おっしゃっている箇所にはまだ至っていません。

当時の明治の西洋かぶれの日本人に対する漱石流の強烈な文化批判なのですか?
そしてその近代批判は、現代日本にも当たっているのですね。
しかしその軽快さが、後の作品では失われ、次第に重くなっていくのですか?
「猫」は「明治の青春」がうかがわれる得難い作品なのですね?

お礼日時:2013/02/16 21:55

私は漱石は「こころ」から読みましたが、話の筋に緊迫感があり読み進めやすいし


一番面白いと思うので「こころ」から読み始めてみてはどうでしょうか。
でも、主な作品をだいたい読んだ後で、私が一番好きになったのは「猫」でした。

市井の隅でおかしな人たちがたわいもない話をして落ちもなく終わる、
居心地のいい作品世界にいつまでも浸っていたくなる魅力があります。
真面目に向き合って読み込むより、なんとなく休日の昼下がりにぼけっと落語を聞くような心持で1章ずつ読んだほうがいいような作品ではないかと思います。

いつまでもだらだら続かないようにあえてあんなラストにしたんでしょうけど、
それさえしみじみ切ない余韻が残って、何度も読み返してしまいます。
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この回答へのお礼

「こころ」など、短くて読みやすいものから読んだ方がよいかもしれませんね。
「猫」は、大型本を広げて休日の昼下がりにだけ読んでいるので、なかなか捗りません。
平日は他の本を沢山読んでいて、もう何冊にも追い越されました。
でも、一回ゆっくり専念して読んでしまえば、味がわかり、又読み返してみたい本なのかもしれませんね。

お礼日時:2013/02/16 21:50

学生の頃は文芸誌などを作ったりしていましたが、今は暇つぶしに読書している者です。



以前太宰治の言葉に「面白くない本は読まなくていい」と書いてありました。含蓄があるのかないのか?そのまんまの意味で解説の必要もありませんよね^^;

自分も漱石は高校生~大学生の頃読みましたが、「明治・大正の文学ってこんな感じなのか」という参考文献を見ている感覚で特に面白いとは感じませんでした。(確かに日本人なら読んでおこうと思いますよね。その点では同感です。)

「それから」とか「虞美人草」とかを読んでも、(その頃の)大衆小説とどう違うのかなと今でも思っています。

文学もエンターテインメントと割り切っています。面白くなければ自分の中では「終わっている」んじゃないですか? 文学部で卒論を書くわけではないのなら、つまらないと思ったら無理して読む必要もないでしょう。

或いは、日(年?)を置いて、肩の力が抜けたら、一度開いてみたらどうでしょう? 面白いと思うかも!、知れません。
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この回答へのお礼

文学もエンターテインメント或いは娯楽と割り切ってしまってもいいのかもしれませんね。
そんなに高踏芸術ではないのかもしれませんね。
文豪って言ったって、大衆作家とそれほど違わないのかも。
以前、川端康成の小説を読んだ時も同じような印象を持ちました。

お礼日時:2013/02/16 21:45

「吾輩は猫である」は、何の変哲もない日常を描いて、


話がとりとめなく進んで、何が言いたいのかどこが
面白いのかわかりませんでした。

たとえ有名な作品でも、自分に合わなければ止めても
いいでしょう。
どんなに身体にいい食べ物でも、嫌いなものを顔を
しかめながら食べても身につきません。
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この回答へのお礼

そうですね。同様の評が多いようですね。
得るものがない作品は、有名でもスルーする方法はありますね。

お礼日時:2013/02/11 20:29

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