プロが教えるわが家の防犯対策術!

やっぱり、漱石ってビッグネームだよね。「街鉄」とGoogleの検索窓に入れただけで、「街鉄の技手」とサジェストが出て、それで検索すると、すごくたくさんの人が「なぜ『坊っちゃん』は街鉄の技手になったか」について好き勝手に思いを巡らせている(もちろん、明確な答えなどないからそれぞれ好き勝手言いたいこと言ってるだけ)。皆さん、覚えてないでしょうけど、『坊っちゃん』の一番最後で、教師を辞めて東京に戻った主人公は「その後、街鉄の技手になった」と、ほんの一言だけ、その後のキャリアについて言及されているんですね。その、たった一行で書かれてることについて、「なぜか」「どんな意味があるのか」をめっちゃ考えてる人がめっちゃいるということです。
でも、正直、「そんな深い意味なんてないだろ!!」というのがたぶんおそらく、一番まともな意見だと思うんですね。そりゃそうだと思わない? そもそも『坊っちゃん』自体、そこまで難しい話ではなく、どちらかというとただただ痛快で、楽しくて、どんな人でも楽しく読める、わりと軽い小説じゃないですか。血の気が多い主人公が、気分の悪い教頭たちに仕返しして、さっぱり教師を辞めて、大好きな東京に戻って、よかったね、よかったね! というわりとシンプルな話の最後に、「まあ一応、その後の進路を書いておくか…」とでも思って、「街鉄の技手になった」とサラッと書き添えただけなんだよ、たぶん。たぶんね。というか、普通の感覚であの小説を読んだら、そう思うと思うんだけど。
まあでも、文豪がサラッと書いた一行に、何か深い意味があるとみなして、いろいろ考えたりするのが楽しいのか。まあ、それはそれでいいと思うけどさ。ちょっと、面白いなと思って。正直言って、ちょっと滑稽にも思えてしまった。本当に真剣に、「街鉄の技手になった」理由を思索してる人がわりといるから。でもまあ理由を与えるにしても、「いかにも明治っぽい、コンテンポラリーな要素をとり入れるため」でいいと思うけど。それ以上のものは出てこないと思うけど。
あなたはどう思う?

A 回答 (1件)

これに詳しく書いてあります。


https://ameblo.jp/tta33cc/entry-11450311655.html

当時は街鉄の技手というと時代の先端を行く花形の人気職だったそうで、運転手でも大人気だったのが、技手というとさらにそのうえですから、まあエリートです。

最後に坊っちゃんを読んだのは随分昔のことで、もう細部はまったく覚えてないのですが、結局坊っちゃんという人はとことんシティボーイだったんじゃないでしょうか。

それと、漱石自身、かなり長いこと教師/教授職にありましたよね。漱石自身、「学校なんてやめたい!」と思うことも多かったんじゃないでしょうか。

だって彼は帝大教授ですよ。それが、小説で身を立てられるとなったらあっさりその身分を捨ててます。

「嫌いな教師という仕事をやめて、東京で小説家として成功したい」という漱石の気持ちが投影されてるのかもしれませんね。

でも、こういう疑問って「こんな一行でわかるわけ無いだろう」というような話ではなくて、「ああであろうか、あるいはこうであろうか」と想像を巡らせ、結論が出ないことを前提に人と論じ合ったりして楽しむものじゃないでしょうか?
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!