アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

度々、書き込んでいます。

家族の看護がいったい、どういうものなのか?分からなくなってきました…


71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、

年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。

そして、とうとう

2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院

私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。
でも、まだ元気そうに見えました…

2月16日、1回目の腹水を抜き、

2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される…

この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。
もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません

母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、
弟は東京から週末ごとに帰省します。 

もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。

食道からの吐血なので、固形物は食べられず、
点滴と水だけ…

腹水でお腹がパンパンなので、
水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。

3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。

腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、
それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、
昼間でも寝ている時間がかなり長いです。

でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」

と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。

母は病院の父の個室で寝て、24時間看護の体勢、
私は息子ですが、うつ病の為、家族の食事を作って、病院に通います。
でも、私にも家庭があるので、19時までには帰宅したいところ。

弟は今週は、大阪に出張もないので、東京に居ます。

私や弟が父に出来ることは、とても母にはかないません。
ただ、母の「サポート」をするしかないんだ、と分かりました。

肝心の父のここ最近は、「小康状態」としか言い表せません。

私が10時から18時までいる間は、
喋ることも少なく、ほとんど寝ていて、

でも突然、「み、水をくれ…」というので、吸い飲みで口に注ぎます。
それしか口に入れるものが無いので、「美味しい美味しい」と言ってくれます…

会話らしい会話も出来ず。

母は、一昨日は風邪で病院に、昨日は髪のカットに行きました。
実家の用事もありますし、祖母の介護施設の手続き等々、することがあり、
父だけに時間を使えないので。
その間、私が父を看ています。
何もしないのに、病院に居るだけで疲れます…

私は、家の車から実家で、実家の車に乗り換えて、病院に行きます。
母は、実家の車しか運転できないと言うので。

昨日の出来事の1つですが、

母がカットから実家の車で病院に帰って来て、駐車場に止めました。
もう18時を過ぎていて、私は焦っていました。母も焦っていました。
携帯に母から連絡があり、駐車場の方に向かいました。
「駐車券はどこ?」
「車の中」
「何階のどの辺りに止めたの?」
「3階の昨日とは違う方」
それで、別れて私は車の方へ、母は病院の方へ、
でも、実家の車のカギの引き渡しを受けていませんでした。
すぐ母の携帯に何度もかけても、出ません。 
何で携帯に気づかないのか!?
とにかく父の部屋に戻っていると思って急いで病院に戻るも居らず、
携帯にでた母は、買い物をしていました…
切れたらいけないと思いつつ、切れそうになりながら、
やっと母からカギを受け貰い、駐車場へ。
「3階に止めてあるからね」と言われたので3階で車を探します。
ありません。 また携帯にかけますが、母はでません!
4階を探してもなく、2階に行って、やっと車を見つけた時に、携帯に母から、
「ごめんね。えらい運動させてしまったね~。」
笑って言っていました。
私も、「2階だったよ」と笑って言うしか出来ませんでした。

夜の、「慣れない車」の運転の前なので、怒ってはいけないいけない。落ち着いてと。

そういう「一こま」でした。

私は帰宅してから、家族と夕食の後、
次の日の夕食を料理して、23時。

もう疲れて寝るだけです。

何か、何というか?
肝心の父を看護しているのか?父は殆ど寝ているだけで、
たまに体を拭いたり、寝返りをするため看護師さんの手伝いをして、
父の横ですることもなく、
でも、自分には自分の家族の生活があって、料理・買い物等で疲れて、
母にも、母の用事が何かとあって、
母の方が、病院の簡易ベッドなので、疲れているはずで…

肝心の父と会話もなく、
母も私も疲れるだけで…

看取るというか、家族の看護って、こんなものなんでしょうか?

長々と書いて、すみません・・・・

A 回答 (5件)

他人だから書ける話ですが、貴女にも、母親にも生活があります。



毎日、毎日介護て、疲弊してるでしょう。

父親は残念ながら、永くはありません。

しかもそこは病院なので、多少の事は看護婦さんがしてくれます。

任せきりは行けませんが、多少の逃避は問題ないのでは?

貴女も根を詰めすぎないように、しっかりとみとりましょう。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ありがとうございます。m(_ _"m)

私も家族が有り、2人の娘がいます。
下の娘はまだ2歳で保育園ですが、
上の娘は、8歳で、いつもは私が居ましたが、
今は家に帰って来ても私が居らず、
「鍵っ子」にさせてしまっています…

私は交通事故さえ起こさなければ良いのですが、
娘が、少し、気がかりになっています…

少し余裕をもつことも考えます。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/07 09:37

41歳です。


10年前、私も実父を肝硬変で亡くしました。

父が入院したときは、緊急だとか危ないとかではなく
「ちょっと数値的に悪くなったので、入院してそのへんを良くしましょう」的な
ことだったのに、入院してだんだん悪くなり、3ヶ月で亡くなってしまいました。

当時父の面倒は母が見ていました。
千葉に住んでいた兄と埼玉に住んでいた私は、週末のみ子どもを連れて
病室にいる母と交代したり、必要な買い物をしたりしていました。

たった3ヶ月でしたが、
兄も私も自宅から実家に帰るのに3時間はかかりましたし
途中二度の危篤状態があり、そのたびに小さい子どもを連れて
狂ったように大急ぎで帰って・・・
実父のことなのに、こんなに死んでほしくないと思っていたのに
疲れて・・・3回目(このとき亡くなりました)のときには
「またか・・・」とまで思うようになってしまいました。
家族の不満も、こちらが大変だというのはわかっていましたから
黙っていたけど、それでも溜まっていたのでしょう、
兄夫婦も、私たち夫婦も一時的に不安定な状態になりました。
それでも実家に帰らないわけにはいかず・・・大変疲弊しました。

亡くなったときは「ほっとした」というのが正直な気持ちです。
亡くなってからはまた葬儀等の準備で忙しくなるので
悲しんでいる暇も、疲れた体を休める暇もなく・・・
火葬場の都合で通夜が二晩あったのですが、泣くことができたのは
その通夜も終えて告別式に入ってからでした。

あなたの質問文、ずっと読んでいました。

私の父も腹水が溜まって苦しんでいましたし、
個室に移され、白い壁だけを見ているうちに
自分の死が近づいてきたのがわかるのか
暴れだして点滴を抜いたり、幽霊が迎えに来たと騒いだりしました。
母は本当に大変だったと思います。

家族の看護というのは、看取るというのは
あなたのおっしゃるとおり「そんなもの」だと思います。
病室で相手の手を取って、静かな最期を迎えられるのは
ほんの一握りなのではないでしょうか。
私の父も、最期はほとんど言いたいことも言えることなく
こん睡状態に陥り、そのまま亡くなってしまいました。
(私は最期に立ち会えませんでした。間に合わなかったのです)

あなたのお父様があとどれくらい生きられるのか
それはわかりません。
恐らく、病室に誰か1人待機しているのは
看護婦さんに迷惑を掛けられないという思いと
いつ最期の時が来るかわからない、最期のときに
1人にしてはいけないという思いがあるからだと思います。
できることなら、一晩だけでもいいですから看護婦さんにお願いして
皆さんで家で休むということはできるといいのですが・・・
もしものときはすぐに連絡をしてもらう、ということで・・・

キツい言葉になってしまいますが、
お父様が亡くなられてからも遺族の方々には
今の家族との生活が待っています。
これから亡くなっていく人のことより、これからも
生きていかなければならない人のことが、生きていかなければならない人の
生活のほうが大切なのです。
それは私の父が病床で言っていたことです。
お父様のことは勿論大切ですが、それでも、
ご自身の体を、生活を大切になさってください。
疲れたら、看護婦さんにお願いして休む。
大丈夫です、看護婦さんはそのへんはわかっていらっしゃいます。
休みたい・・・と思ったら、その心の声を優先して休んでください。

この回答への補足

私も42歳の男性です。

今から病院に行くので、また、帰ってから
お礼のお返事させて貰います。

ありがとうございます。<(_ _)>

補足日時:2013/03/07 09:39
    • good
    • 5
この回答へのお礼

お返事、ありがとうございます。
辛い体験を思い出させてしまい、申し訳ありません。

それから、お礼の方、遅れまして、すみません。
昨日は疲れて娘たちと夕食をしてすぐに寝てしまいました…


お家から、お父様の病院まで3時間もかかったのですね…

私の場合、父の病院まで、車で片道20分~30分ぐらいです。

それに、私はうつ病の関係で仕事をしていません。

妻は公務員で、妻に働いて貰っています。
ですから、下の娘は保育園で妻の帰りまで預かって貰えます。

上の娘は小学校の学童保育で5時まで預かって貰え、
また妻の実家が私の家から見える所にあるので、
私が家に居なくても、実家のお義母さんに見て貰っています。

そして、私は料理・買い物はしていますが、
完全な「専業主婦」とまではいかなくて、
洗濯とか子供のお風呂等は妻に頼っています。
極端な話、買い物と料理さえ作っておけば、私の家庭は回ります。

以上のことを少し整理しておきたいと思っていました。


泣くことが出来たのは告別式の後ということ、
回答者様のお父様とのお別れ方がそういうことであったこと、
家族が家族を看取るということは「そういうもの」ということ、

辛いことを書かせてしまいました…
でも、今の私は、解るというか予想が出来そうというか、
なんて言っていいのか分かりませんが、
ほんの3週間前の父の吐血の時は、父の姿の変貌に愕然とし、
かなり絶望的で、何も考えられなくなり、鬱が出ましたが、
父が少し回復した今では、理解しているような気がします。

絵に描いたように、穏やかな別れを期待しますが、
肝硬変からの腹水の苦しみ、肝性脳症の危険性(幻覚や暴言等)
そういう事から、医師からは、最後は「睡眠薬」を点滴に入れる
と言われています…

その睡眠薬が父との最後の別れで、
その瞬間だけは何が何でも教えて欲しく、
その時に「ありがとう」と「ごめんなさい」の全てを言いたいと
思っています。

ただ、私は上に書きましたように、暇で時間があります。
ですから、毎日、父の個室に通っています。

父の吐血までは、6人部屋でしたが、
吐血以後、なぜかは分かりませんが、個室になりました。
トイレやお風呂までついています。
料金は高いですが、かなり、くつろいで父を看て居られます。
特別な折りたたみ椅子を2つ組むと、簡易ベッドにもなります。

母はその簡易ベッドで泊まっています。
私も疲れた時は、そのベッドで横になります。

父は、ほとんど寝ています。昏睡ではありません。

お水を飲ませてあげられること、
看護師さんが体の向きを変える時に手伝うこと、
髪の毛をクシでといてあげられること、
伸びたヒゲを剃ってあげられること、等々
そんなことで父の身体に触れて、満足しています。
こんな時間が有る事は、東京にいる弟を思うと、
とても、とても、「有り難い」ことなのです。

昨日は、父のヒゲを剃らせてくれました。クシで髪も。
若い頃から、お洒落者の父だったから。
父はチカラの無い声で、「ありがとうな」って言ってくれました。
「ありがとう」は私が言いたい言葉なのに・・・
今まで、どれだけ苦労して私たち息子をここまで育ててくれたのか
孫を抱っこするまで生きてくれて「ありがとう」なのに・・・
その時だけは、たまらなくなって泣きそうになりました。

ついつい長々と書いてしまい申し訳ありません。
私は私の家庭と生活を私なりに守って父を看ているつもりです。
多少の疲れは出ますが、仕事をしていない私はこれぐらいは・・・
大好きな父を看取るのだから、と思っています。

本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/08 11:49

鬱病を抱え、父の看護に、家族の食事の準備まで…。


さぞかしお疲れのことと思います。

投稿者さんのご家族は、お父様の容態や看護をご存知なんですよね?
ご家族の方と話し合って、食事の準備は、お休みしてはどうでしょうか?
今は緊急時なんですよ。
肉親である父の人生の終焉に何が出来ずとも側にいて、見守りたいのは当然ですし、お母様を助ける事も必要です。
「息子として悔いなく寄り添いたい」とご家族に頼られてはどうですか?

一人で抱えられる事ではない、と思います。
ご家族にとっても「義父、祖父」です。
投稿者さんだけの事ではなく、家族の協力が必要だと思いますよ。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

お返事、ありがとうございます。

昨日は、さすがに疲れてしまったので、今日はゆっくりしています。
いい加減で、気ままな者です。

疲れているといっても、会社勤めで、残業が続いている方はたくさん居られて、
私も塾に講師として勤めた時期がありましたが、ドリンク剤を何本も空けて、
23時まで残業をしている社員さんを見てきました。

それに私は、鬱病とはいえ、障害者年金まで受給しています。
まあ、とても生活なんかできるような額ではありませんが。
それでも、就職難でアルバイトをしている人には頭が上がりません。

ところで、家族の協力ですが、私の家族は、妻と2人の娘です。

娘は8歳と2歳です。
8歳の娘には、学校に行って、誰も居ない家に帰らせています…

妻は前のところでも書きましたが、公務員です。
定時に仕事が終わります。ほぼ残業はありません。
ですから、「買い物や料理をしようか?」と言ってくれています。

でも、子供の面倒を見れるのは母親の妻が9割です。
私は、基本、買い物+料理で、洗濯、掃除等は分担しています。

土日に電車で娘2人を連れて父に会わせてくれます。
帰りは、一緒に私の運転の車で家に帰ります。

それだけで十分ですし、仕事で疲れた妻に帰って来てから、
晩ごはんが終わって、子供を寝かしつけて、
それから慣れない料理をさせるのは「酷」だと思っています。

確かに、私がムキになって、疲れていても、
晩ごはんの後に、明日の晩ごはんを作ったりしていますが…

でも、1時間程度の残業と思ったら何でもないです。

お気遣い、本当に、ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/08 12:43

 現在 休業ですが、元 癌専門病院勤務の看護師です


 
 読んでいて疑問に思ったのは自分からの職業観点なのですが

 患者さんを1人見た時、その方を取り巻くご家族のことも

 私たちは視野に入れて動いています

 私の職場の場合ですが、24時間体制で家族が滞在という形は

 取っておりません

 どんなに長く面会されていたとしても

 朝の9時ごろから 21時ごろまでで

 それ以降はご帰宅されています

 たとえば24時間体制が、ご家族のご希望であれば

 個室に限り可能だとは思います

 しかし ご家族の生活を考えると 私たちも ご家族の健康のために

色々とアドバイスやご指導を入れることもあります ご家族へのケアです。

水が飲みたい主旨など どんなことでもスタッフは対応しますし

遠慮しないで言って頂ければと思います

個室を担当するスタッフは頻繁に訪室しますし

こまめに状態をチェックしております、。お声掛けもきちんと。

きっとお母さんは、誠心誠意 夫に尽くしているのでしょう
その気持ちも汲みとりながら
時々 私たちは 付き添う (主に患者さんの配偶者の方)と
お話をします。精神的に身体的に少しでも楽になってほしくて。


貴方は貴方の出来る範囲で良いのですよ

お食事はお休みした方がいいです

週に一度でも 貴方のご家族皆さんで
病室に訪れて、団欒があれば良いと思います


 病室に座っているだけ、水を飲ませるだけ ただ室内にいるだけ

 言葉で表せば そんなシンプルなことかもしれません

 けれど、同じ時間を共有している
 目覚めて 冗談を言ったり 会話のやり取りがある
 苦痛な時を共に過ごし、見守っている

 それらのことは 患者さん自身にとって
 とても励みになっています
 私たちがどんなに迅速で的確な医療行為をしても
 家族の力には敵わないものがあるんですよ

 無理の無い範囲で 貴方はお父さんの最期を
 共に過ごしてあげることが親孝行だと思います
    • good
    • 8
この回答へのお礼

happyclothさん、お返事、ありがとうございました。

父の死期は突然やってきました。

昨日、メールで母から、
「余命1週間」と聞きました。

一昨日、主治医から母に余命宣告があったそうです。


昨日、夕方まで会っていた母なのに、

私の顔を見て言えなかったんでしょう・・・・・・・

このメールには、さすがに私も覚悟していたつもりが、

身体中の力が抜けてしまい、

夕食も、食べなきゃいけないと思いつつ、

やはり、のどを通りませんでした……


私は、匿名ですが「nao913」です。

質問履歴を公開にしています。

最近は、父の「転院」について質問していました。

でも、もう母は断固として転院を断ることにし、

私も、母の決意を守っていこうと思っています。


父の方ですが、

点滴もしているし、水も飲みますが、

尿の量が減っているので、

肝硬変の上に腎不全が来たようです。

肝硬変末期からは、このように、「肝腎不全」になると、

ネットで調べて分かっていました…

腎不全、つまり、尿が出ないと、すぐ逝ってしまいます。

こういう状態になって、父はどんな最期を迎えるのでしょうか?

苦しむのでしょうか?

昏睡になって、分からずに逝くのでしょうか?

その点について、宜しければ、教えて貰えませんか?

どうか、よろしくお願いします。m(_ _"m)

お礼日時:2013/03/13 03:45

私も肝硬変の病で父を亡くしました。


同じくほとんど寝たきりでした。

でも闘病中のことは、よく記憶に残ります
交わす言葉は少なかったけれど

子供に体を拭いてあげた話を十年経った今でもすること
ありますね。

看病で忙しい日々に
突然死はやってきますよ。

お父様は、肝臓機能が低下して話すのもおっくうで目を閉じて
いらしゃっるだけだと思います
聴覚は最期まで機能しているらしいので
話をしても聞いてくれてるはずです

私の父も水を欲しがりました
あなたの看病をお父様はとても感謝されてるでしょうね
    • good
    • 7

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!