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ありますかね?

A 回答 (16件中11~16件)

 惻隠の情と同じような内容なのですが そのことの起こる情況が違うかたちで そのような気持ちや心を相手に推し測って欲しいというその思わくを挙げてみます。



 言いかえると 自分のほうから心ないし意志を 言葉に出して言わない。それが 自然と相手に分かって欲しいと思って待っているその姿勢であり思わくです。

 これは オシツケではありません。惻隠の情を自分に向けて欲しいということでも必ずしもなく 何とか通じないかなと単純に思って 相手の反応を俟っているかたちです。

 分かってもらえなければ もうそれで おしまいとする。いたってあっさりとした思わくだと思われます。

 言ってみれば 人間というものは 互いに情感の共同性のもとにあって たえず相手の気持ちや心が――或る程度何らかの重みのある問題にかかわっているなら――分かり合えるといった素朴な共生感なのだと考えられます。





 問題は 当面する問題がかなり大きく重要な内容にかかわっている場合にあります。

 その例としては 相思相愛の相手とむすばれたいというふたりの意志を確認したあと それぞれの両親やまわりの目上の人たちの了解や祝福が得られないといった場合を取り上げることが出来ます。

 もうひとつは とにかくも何らかのきわめて重要なモノを 自分が一たん所持しているあいだに 壊してしまったり無くしてしまったりして 所有者である相手にゆるしを乞う場合に もはやひとことも言葉が出ず ただ立ちつくすといった場合です。


 これらは やや昔の話になっていると思いますが――現代人のあいだには見られないと思いますが―― それらの場合におけるいちばん極端な話というのは いづれの場合も 当事者が もし相手とする人たちから 自分たちの願いや思いを同じくしたかたちで分かってもらえなかったとき けっきょく最後の最後には自死をえらぶというときのその思わく これは 日本人に特徴的なものだと考えられます。

 たいへん大事で高価な陶磁器を割ってしまった場合 つぐないをするために――身も心もこおりついてしまった状態でいつづけ ついには―― 自死に到るというようなおのが思いの伝え方 これは 日本人っぽいように思います。

 周囲の反対で結婚がゆるされないカップルの場合は いわゆる道行きに出る。これは 死を決した逃亡です。まわりの考えにさからうと決めた時点で ふたりとも自死をえらんでいるものです。




 よく受け取れば これらの日本人の心は 単純にして純真で しかもそういう――自死という――負の方向におもむくものでありながら その意志はあんがい堅いのです。

 日本人は中途半端でチャランポランだと見られるところも多いと思うのですが 意志のつよいところも 事例がすくなくても これは日本人だと――事後において――思われ納得もされるようなものとして じっさいにおいて見られる。のではないか。



 しめくくりの言葉があるとすれば たぶん現代のわれわれとしては そのこころをよしとして 結着の仕方は もっと前向きに推し進めること。これが よいのでしょうかね どうでしょう。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

惻隠の情の裏側の世界
まあ
あるでしょうね・・

駆け落ち なんかもそうでしょう
そういった形で了解を求める・・という事もあるかと思います

許されない恋なら、お前たちにはそれしかない
そうしろ とは言わないが
勝手にするがいい
ただし
どうなろうとも
誰も見向きもしない

といった心の了解を求めてしまう
不道徳の黙認も一種の共生感なんでしょうね

また
身をもって償う という感覚も
当然の事として受け入れてしまっている
古きながらも・・ですが

自死を選ぶ心の美 といった了解がある
暗さではなく それを清廉として見る・・・といった


まあ

まあ

まあ

他の いい加減を許す心と

自らへの いい加減を許さぬ心



寛容と僅厳というドラマは 今もあるでしょうね
でも
でもなんですが
そうした時代劇心理からは解放されつつあるんじゃないでしょうか
心の美に殉じるといったことは古い・・
それらを語る、語られてきた物語が数多い というのは
一種の憧れ・・である
と見た方がよさそうです

今も昔も変わらぬ 日本的な憧れの世界である という事です
はっきりいうと
今の人達は、そんな憧れを抱いてはいないと思います
寛容はインターナショナル的という言葉に含まれ、僅厳は自由さへの責任というものになった 

古き良き幻想・・
それはそれで あっていいという事じゃないでしょうか

日本的なものとは
記憶の彼方に留めるべき幻想ではない
そんなふうに思うのですが・・・。

お礼日時:2013/05/19 20:06

自分の若い時の海外での経験から言えば 「見知らぬ同士でも助け合う」 「物をきれいに使う」 でしょうか。



昔の話で今もそうかどうかはわかりませんが、 日本人は借りた部屋(ホテルやフラットなどどこでも) きれいに使うし、困った日本人がいたら無条件で助ける。(当時の海外では例外なくそうでした)
見知らぬ 諸先輩の おかげで 「日本人はきれいに使うから」 と部屋探しには困らなかったことを記憶しています。

他の国の人には考えにくいことだそうです。(もちろん良い人は日本人と同じ率でいると思いますが)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いい話ですね
ちょっとしたマナー
ちょっとした心遣い
の大切さ

それができるか、できないかの違いは大きいと思います

形直ければ 影おのずから正し

といったもの
失いたくないですね。

お礼日時:2013/05/19 20:13

そうですね。

「自己責任」ではないでしょうか? 日本人はとにかく 「人のせいにするな!」 「世の中で起こることは全部自分に責任があるんだ!」という考えが、 いまだにあるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

あ~
これはですね・・
いわゆる
「逃げない」というやつですね
卑怯にならない、なっちゃいけないという感じです

まあ
侍の心で
いつでも腹を切る覚悟をもつ ということなんでしょう

>・・いまだにあるのではないでしょうか?

ありますね
あると思います
なんかこう 
竹を割った というのか
いさぎよい心
清廉な心 への憧れみたいなものが
あると思います。

お礼日時:2013/05/18 18:36

こんばんは。




良いものは良い、として取り入れて行かなければ、競争に負ける、時代に遅れる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

まあ
そのへんは、器用だと思います。
それで日本はやってきた、生きてきたと思います
その器用さも日本的かな・・
といった感じもしますが

じゃ なんで
そんなに柔軟性があるのか・・あったのか
という疑問も湧いてきますが

また
健康な競争欲を保ちつづける・・つづけられる という事は悪いことではない
バイタリティなんでしょうかね

常に前向きというバイタリティがあった
今もあるという事なんでしょう

強さと柔軟性
それも日本的かもしれませんね。

お礼日時:2013/05/18 18:25

惻隠の情ですね。



世界中の民族に同じメンタリティがあるとは思いますが、惻隠の情をもって武士の価値体系を築いたのは日本です。

今は、「命懸けで」仕事をする武士階級が無くなりましたが、商人やその他の職業の多くの日本人が競争や争いに買った時に自然に惻隠の情を示すので、(武士に限らず)日本全体の独自文化になったと言ってよいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

惻隠の情
参考
blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/50993164.html‎

なかなか深いものがありますね
いい捉え方のように思います
武士の情け というか
勝っておごらず、敗者へのいたわりを忘れず
という感じなんでしょうね

確かに
勝ちっぱなし、情け無用 というのは
何となく日本的ではない気がします

栄枯盛衰の無常感の中に勝者はいない という感覚が骨身に沁みている
とみる事もできそうですし
「仁」という博愛の精神が自然と受け継がれてきた
といった感じなのかもしれません

だとすると
そのへんの源流みたいなものは何なんでしょうね
草食系だとか、農耕民族だとか、あるような気もしますが

>商人やその他の職業の多くの日本人が競争や争いに買った時に自然に惻隠の情を示すので・・

このへんは、ありますよね

このあいだ
知り合いの人で、海外へ技術指導に度々行っていた人から聞きましたが
日本人は技術を分け与えることが自然とできるが、どこの国に行っても、中々そうやろうとしないのが多い
分け与えると、自分がそれだけ貧しくなってしまう
という感覚なんだ
と言っていました

日本人にとっては自然な事なのに、外国へ行ってみると、そうじゃない
ということが分かる
そういうもんかもしれない、と聞いていましたが

その人は、日本人は農耕民族だから分け与えることができるが
狩猟民族は、自分だけが獲物を取れればいい、という感覚なんだ
と盛んに言っていました
技術を教えるだけじゃなくて、その人に、技術を与えることも教えてやらなくちゃいけないんだ
と言っていました

まあ
どうなんでしょうね
私なんか、そういう立場に立ったことがないから、そのへんの苦労は分かんないんですが・・


惻隠の情
弱者への配慮、いたわり、与える心といったもの
日本的であることは確かだと思います。

お礼日時:2013/05/17 22:36

こんにちは。


自分の姿は、鏡で見ようとしますと見えますが
ご質問にはソレでは無い、歴史を持つ、純粋な、オリジナルな、
の意味かな~と勝手に想像します。創造かも?
日本と名乗った国が出来、以後外来との混雑などなく、真のモノ
は思い当たる処としては、文化遺産になったけど真の富士山です。
見えないものは有ります、外国人には見える日本に、本質的な指摘が
見えます、もちろん我田引水、自画自賛です。(サッカー界より)
日本人はミーティング(話し合い)が好き、でも自分の意見を言わず
黙ってしまう。一人ひとりの考えていることを表現し、討論しなければ
、本当に問題解決や良い行動が出来ない。(元ブラジル代表ドゥンガさん)
日本には、お金で買えない、世界に誇れる環境がある。それはスタンドの
雰囲気だと言われます。驚きですが「子供や女性が安全に楽しげに、そして
穏やかにサッカーを楽しめる。こんな環境は欧州には殆どない」
「それは日本に他に類を見ない“尊重する文化”が有るからだと思う。
人々はトラブルを望まず、向上心が高い。組織的にまとまる事もできて、
経済的な力も持っている。何より一人ひとりが、相手にしっかりと尊敬の
念を表す。私が日本を好きな理由はここにある。嬉しいのは、
この“尊重の文化”がプレーにも投影されている。」
(名古屋のストイコビッチ監督)
「Jリーグはとてもクリーンでフェアナなリーグです。世界に誇れる
ファンタスティクな側面です。それは、まるで山から流れる水のように美しい」
「サッカーは国民性を映す鏡」として、「サッカーは、一つの絵画です。
国民と選手が描く芸術なのです」(日本サッカーの父、デットマール・クラマーさん)
以後、様々な真の日本は変化せざるを得ないのでしょう。
しかし、外の声に耳を傾ける事で、良いものは守りたいと回答します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>尊重する文化・・

なるほど
意識してはいないんだけど
そう見えるのかもしれませんね

やっぱり
外から見ると 見えるんでしょうね
無感覚になっちゃっているんでしょうね

>子供や女性が安全に楽しげに、そして
穏やかにサッカーを楽しめる。こんな環境は欧州には殆どない

ちょっと驚きですね
当たり前だから、どこでもそうだという感じなんですが


何か
す-とした 日本的なものに触れてみたいという思いがあります
日本人が感じる日本的なもの っていう
贅沢でしょうか・・

お礼日時:2013/05/17 14:41

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