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三重県民の人はどうして方言関西弁用いるのか理解できない為、具体的に教えて下さい。

A 回答 (4件)

伊勢神宮と都(京都)の関係だと思います。

大阪弁でなく京都弁に近いと思います。三重県には多くの神宮領がありました。20年に一度の式年遷宮には当たり前のように三重県民にはお宅はいくらと奉加帳が回ってきます。伊勢神宮の影響力は大きかったと思います。

三重県の北部の桑名は名古屋弁が混ざっています。名張、伊賀はほとんど奈良弁です。南部の熊野あたりは紀州弁です。
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何故三重県民は関西弁を喋るのか?



先に解答されておられる方の仰るとうり。

三重県の北部は尾張弁、伊賀地方は関西弁、南部は紀州弁、その他に津市を境して松阪市・伊勢市・鳥羽市はまた違った方言です。

先ずは地図を見てください。

愛知県・岐阜県・滋賀県・奈良県・和歌山県と。

三重県ほど県境が多い県は数少ないと思います。

後は食文化ですが、私が育った(三重県と奈良県の県境)近くは。

お雑煮はすまし汁と丸餅で関西と東海の中間です。

お味噌は八丁味噌に近く渋味があります。

お茶は緑茶より番茶を好みます。

後もう一つ山(峠)を一つ越えただけで。

ビミョーに言い回しが違いますよ。

言葉(方言)って考えれば考えるほど面白いですよね!

言葉(人とお話しする)最高のコミュニケーションツールだと思います。

方言を文章にするのは、至難な業だと思います。

言葉は言霊とも言いますよね。

後もう一つオマケです!

今から十年以上前のコマーシャルです。

お笑いコンビのシャンプーハットさんが、出ておられたコマーシャルの一説です。

『おっちゃん出身何処?』

『三重県!』

『ビミョーやなぁ~。』

おもいっきり笑えました。

かなり脱線しましたけど。

お役に立てば幸いです。
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江戸時代まで、今の三重県と愛知県境の木曽川には橋が作られておらず、東海道でも愛知県側の宮の宿と、三重県側の桑名の宿は、舟で渡るルートを使っていました。


しかも、名古屋が発展するのは江戸時代からの話しで、それまでは文化や商業の中心はあくまで関西方面でしたので、人的な交流も関西との交流が主流でした。
そのため、言語や食文化に関しても、三重県は名古屋よりも関西に近いと言われているようです。
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 三重県でも東海側と関西側とで分かれます。

テレビの電波の関係もあると思われます。
 元々の文化圏として分かれているのも関係したのかな?

 
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