プロが教えるわが家の防犯対策術!

視聴者の感情をあおる様に情報を並べなおして偏った情報を多く流す。
最近、ヨミウリオンラインの記事で頻繁にそう感じます。

毎日新聞や朝日新聞についても色々聞き及びはします。

マスコミの報道はどういう所までは信じられて、
どういう所は信じる事が危ないのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

 情報の基本的な部分は信用します。

ただ、こう思うなどの意見に関してはそれぞれの考えなので、参考にはします。
 ただ、単独で見るより継続して見ることも面白いです。マスコミも情報不足の状態で最初に出てきますので、間違いも多い。後に情報が増えて正確性も増してくる場合もある。

 社会面や政治面は特に各社色んな性格が出ているので楽しいですけどね。最終的に判断するのは読者や視聴者です。それをマスコミがと批判することは、いかに自分が判断出来ないという事を示しています。

 それと街の話題などは信用出来るかな。これは結構地道に取材していますからね。情報元や情報発信者が間違わない限り正確に伝わっていると思いますよ。

 偏向報道がという意見も出てきますが、本来変更した物です。では偏向していない状態とはなんでしょうか。各社横並びで良いのでしょうか? 横並びで良いのなら、1社単独で良いと思います。でも、それは非常に危険な物でもあります。情報の多様性も大切なのではと思いますよ。それに批判するのなら、その会社の情報を無視すれば良いのに、なんで積極的に見ているんだろうね。

 マスコミを信じるのではなく、自分が理解して信用出来る状態を作らないと、ただ従うだけの存在に成るよ。自分で考えなきゃね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

手厳しいお言葉ありがとうございます。
私のマスコミに対する姿勢が幼稚だったと理解しました。

マスコミがあえて偏る事にも
社会として大切な価値があるのですね。

しかし考えず流され過ぎてしまう人も居る。


国民が叩けば喜ぶ相手を叩き過ぎる偏りなどを見続けて
公平な視点を欠くクズの様な報道だ と勝手に
不快感を募らせていましたが、
一歩引いて受け止め考えるべきものなのですね。

マスコミの首を絞める事になればそれこそ
それどころではない言論の自由が奪われる社会に近付く。

まだまだ理解が浅いのでしょうけれど考えさせられます。
ご回答、感謝します。

お礼日時:2013/05/31 15:14

情報を受け取る側のテクニックも必要です


記事を見て断定文で書かれているのが客観的事実で、それ以外は記者の作文です
断定文だけを読めば間違ったことは書いてありません

マスコミはミスリードしようとはしますが、さすがに嘘を書けば問題になりますからね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>断定文で書かれているのが客観的事実で、それ以外は記者の作文

ありがとうございます。嘘までは書かない事が多いのですね。

お礼日時:2013/06/03 15:30

私の場合、まずは全面的に疑いますよ。

(^^;)

その中から「事実」と認定出来る部分だけを拾い集めて、再構築します。
そう言う行為が、いわゆる視聴者側のメディアリテラシーです。

メディアは事実も報道しますので、その部分は有益ですけど、多少の事実を含めて、歪めた報道をする場合も多いので、タチが悪いんです。

歪め方は、「編集」などと言いますが、多少の「加工」や、最悪は「捏造」なども存在し、それらを駆使しつつ、「解説」などと称して、メディアの主義・主張を付け加え、視聴者を誘引します。

TV報道で最近のネタで言えば、橋下市長の一番過激なフレーズだけを抜き取って報道するのが「編集」です。
そう言う発言をしたことは「事実」ですが、「事実の全て」ではありません。

「加工」になると、橋下氏が発言している映像のみを流し、アナウンスや字幕で、「橋下市長がこういう主旨の発言をした」などとなります。
こうなると、事実かどうかも判りませんが、辛うじて橋下氏が何らか発言したであろうことは判ります。

その次は、維新の会の会合風景だけを流し、「維新の会の関係者によりますと・・」みたいな、本当かどうかも判断しようが無い怪しげな情報で、こうなると「捏造」も疑わねばなりません。

そう言う事実の抜粋とか、事実かどうかも判らない情報を、さも事実の様にタレ流し、最後に解説者とかコメンテータなどが登場し、ある価値観などから「橋下市長は悪だ」「慰安婦が気の毒」みたいな、無難とか偽善的な意見で締めくくるパターンです。

テレビはまだ、肉声とか本人映像などがありますが、新聞になると、明らかに本人では無い人間が書いた文字ですから、信じる要素がありません。
外国人の発言などになると、「翻訳」と言う作業の中で、もうやりたい放題って感じです。
個人で裏が取れる情報以外は、信じられる部分は少ないです。

強い悪意や偏った思想などを持って行った「編集」は、もう「加工」とか「捏造」の領域で、それに対する「解説」とやらは、もう「洗脳」に近いです。
従い、洗脳されないためには、「全面的に疑う」くらいの方が安全ですね。

全面的に疑えば、朝日や毎日は、もう怪し過ぎて・・・カルト宗教団体みたいに感じますよ。
私など、もはや情報入手としては扱っておらず、「今日はどれくらい歪んでるのか?」と言う目で見て、半ばマンガを読む感覚でバカにしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「本人がその発言全体として言いたい事」
も編集で継ぎ接ぎにすれば
「捏造」と言えるほど意味が変わる酷い継ぎ接ぎにも
できますよね。

そうした事に対してマスコミは
発言者にも、
それを見て勘違いする視聴者に対しても
ポリシーをろくに表明しませんよね。

全面的に疑うくらいの方が安全。

そうなのかもしれません。
マスコミは公正さのプライドより、エゴのプライドの方が大きいのでしょうかね。
報道する俺達が正義だ 的な。 どこか残念です。

お礼日時:2013/06/03 15:36

マスコミは情報操作機関!? 気に食わない記事には、裏取り調査!?

    • good
    • 0
この回答へのお礼

最近のマスコミは感情操作機関でしょうかね。

偏った事実だけ並べて伝え、視聴者の抱く感情を操作する。
感情の刺激を欲する視聴者に調教し、繰り返し餌付けする。

また見てくれれば視聴率が稼げる。
不都合な報道から目を逸らす事も出来る。


それでも無いよりは有る事が大切。
鵜呑みにする人間になりさがらない様に自分で知り考える。
ただそれだけでしょうか。

お礼日時:2013/05/31 15:40

ありもしない事実を並べるのは朝日新聞ぐらいですが、それ以外のところだと


「○○が起きた」という点には耳を傾けます。但し、コメンテーターの言葉には
マスゴミの偏向、傾向性が反映されるので、それには全く耳を傾けません。
もしあるとしても、その方向性を加味して結局どういいたいのかを考えます。

これはマスゴミだけじゃなくて、対個人でも同じ事ですな。

ただ、昨今目に入ったTV番組で、他社の新聞記事を並べて喋っているだけという
ニュース番組を見かけたが、自分で調べて自分が責任を持つという社会人として
基本的な姿勢がこれっぽっちも無い。こういうところは信用するに値しない。

俺の好きなアニメに銀英伝があるが、その中でバグダッシュ中佐の発言を紹介します。
「主義主張は生きる為の方便、勝ち目ない主義主張は邪魔なだけ」
「世の中に飛びかっている情報ってものには必ずベクトルがかかっているんだ。つまり、
誘導しようとしていたり願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益を図る方向性が
付加されている。」

ごく普通の発言ですが、そんなもんですな。全てが嘘だと目くじらを立てる事もない。
ただ、民主主義が民衆のレベルを反映するように、マスコミのレベルは利用者の
品性を反映するでしょう。結局、利用者側が賢くならなければならないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分自身に対してもどうなのか考えさせられる話ですね。

マスコミにどこまで頼るか。
マスコミの言葉にどこまでのめり込んで行くか。
願望。利益。
マスコミに限らず個人単位でも言える事。

マスコミがどう だけでなく、
目の前の個人に対しても言える事なのですね。

考えて情報を受け取る様にしようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/31 15:01

全てのマスコミ報道は嘘である、と思っていれば間違いない。

真偽を知りたければ、自ら裏を取れば良いこと。そういう態度は、あらゆる学問(科学)での基本的手法。先人の著した書物、いわんや、マスコミ報道を鵜呑みにしていては、科学的な論文にはならない。そういうことは、たとえば、大学での卒論の際に学ぶこと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
色々な受け止め方があるものなのですね。

お礼日時:2013/05/31 15:15

最近の報道で、「それは違うだろう」と、思った内容。


首相公邸での幽霊がでる、でないとの噂で、
民主党議員の質問に対する政府答弁書。
「承知していない」との答弁発表後、官房長官が笑いながら
記者の質問に「感じないことは・・・」と、答えた場面で
あるニュース番組が、「これ内閣不一致です」と言った。
これは、キャスターではなく、ニュース原稿を書いた担当者の
考えが、偏った思考の持ち主だと思った。

報道を鵜呑みすることは、間違った判断をしてしまうことも。
ただ、逆にメディアの報道を全く信じず、
個人のネットの書き込みや、知人との会話のみを信じてしまうと
デマに振り回されたり、デマを発信してしまう確率が
高くなると思います。

昔は、特にテレビのニュース番組のキャスターは
個人の感想や、考えを発言することはなかった。
今は、事案についての感想や、考えを
ある程度、発言している。
同じ事案でも、その発言によって受け止め方が
違ってくることも。私は、時間があれば
違う局のニュースを見て判断するようにしています。

新聞の内容も同じ事ですが
複数の新聞を購読することは、カネが掛かってしまうので
記事の内容で、事案についての
反対・賛成、支持・不支持、危険性等の
専門家のコメントは見るようにしています。
新聞記者の記事は、さらっと読むだけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
誰の言葉かによっても色々変わる訳ですね。

信じる情報によってはデマにも。

情報との向き合い方。考えさせられます。

お礼日時:2013/05/31 15:20

報道は


A,事実の部分と
B,その事実をどう評価するか、の部分に分かれます。

Aは、発言の一部だけしか報道しないとか、色々の作為が
 ありますので、鵜呑みにするのは危険です。
B,はその事実の善し悪しですが、これは更に信用できません。


”マスコミの報道はどういう所までは信じられて、
どういう所は信じる事が危ないのでしょうか? ”
    ↑
政治に関する報道、国際関係、イデオロギーに関係する
事件、話題になっている事件などは、
何らかのバイアスが掛かっていると
みて間違いありません。
特に、大見出しなどは怪しいです。

じゃあ、小さい事件などはどうか、というと
これもあまり信用出来ません。

私の経験ですが、NTTと客のトラブルを報じた
朝日新聞の記事などは、客の一方的な言い分しか
掲載しておらず、明らかに事実と合っていませんでした。

また、小学生の頃、学校で各新聞を寄せ集めて、
比較したことがあるのですが、単純な犯罪ですら
新聞社ごとにバラバラでした。
強盗が発生した、ということは本当なのですが、
その態様がバラバラでした。

従って小さな事件の場合は、大まかな部分は正しいが
仔細は怪しい、と考えるべきです。
ex)1,
NTTと客の間にトラブルはあった、という部分は
信用できるが、どちらに非があるかは信じない。
ex)2、
何時どこで強盗があったのは信じるが、その仔細は
信じない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうやって受け取るのが懸命なのでしょうね。

事実の一部しか報道しない姿勢は幾度か見て来ました。
情報の受け手の感じ方が変わるのは明らかですね。

一方的な視点でしか語らない報道は増えた気がします。
その方が感情というエサで視聴者を獲得出来るから
なのでしょうけれど、信用すら難しくなり。

報道できない個人情報などもあるために
何度おきても掘り下げられない事件などもありますし
あくまで報道は極々窓口程度にしか見るべきではないのかもしれませんね。

>政治に関する報道、国際関係、イデオロギーに関係する
>事件、話題になっている事件などは、
>何らかのバイアスが掛かっていると
>みて間違いありません。
今後注意してみたく思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/31 15:26

ソースが共同通信社の客観的ニュース以外は信じません。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
信用できるものを絞るのも1つの手なのですね。

お礼日時:2013/05/31 15:29

貴方が信じたいものを信じたいときに信じる事です



物事には全て公平などはありません
又その公平を追求したところでパラドックスに陥るだけです
貴方は貴方自身を信じれば良いのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにそうなのかもしれません。

事実の一部しか報道せず、
報道しなかった別の事実を知ると感想が逆になる。

感情を踊らされ、感情が受け入れる情報を偏らせる。
そうした様を放置し過ぎれば
社会は感情的に操られやすく危険な選択をし後悔ばかりする
自分で考えられない国民ばかりになってしまうのかも
と不安を感じたりもしますが、

個人に出来る事は個人にできる事までですよね。

お礼日時:2013/05/31 15:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!