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バカロレアの勉強をしていて日本人はどのような回答をするのか気になりました。
実際は小論文での回答になるのですが、根拠と結論だけでも結構なので論述していただけませんか!


たくさんある過去問題から選び出しました。どれでもいいのでお願いします。

・国家がなければ人はもっと自由になるか

・あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか

・労働は拘束でしかないのか

A 回答 (12件中1~10件)

#8ですが お早うございます。



>国家と自由とは結び付かない
例えば 最小の共同体を家族とすると その構成員である子供に「家族が無い方が自由ではないですか?」と聞いているんだろうと云うことです。
自立出来る人間かそうでない人間かで意味が違うみたいですね。
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難しいような簡単なような。

国家がないという事は警察も税金もないんだよね、だから自警団を作って犯罪抑止をしなきゃならなくなる、訓練も自分たちでやるんだから、専任した方がいい。その人達の給料が必要だから人々から徴収しなきゃならない。設備維持費も必要。無駄遣いされたらどうするか。どこまでは必要でどこからは無駄か?結局混沌から再び国家的なものが出来そう。しかもかなり不安定なものが。というわけで国家が国民の自由を保証している、となりNO。原爆は必要だった、例え逆の立場だったとしても原爆を落とした。原爆投下が日本の無条件降伏を本物にした。それがなければまだまだ戦えると主張する人も残り敗戦協定も首尾よく進まず、もしかしたら今の日本国憲法はなかったかも知れない。労働は拘束だとしたらそれは奴隷です。拘束であるなら労働しないとかはあり得なく、労働出来ないという事も許されないんじゃない?実際は使役側に対する要求が通る事もあるし、使役側には労働者に対する義務もある。だから労働は国家を維持する上で必要不可欠であり、国民の義務である、と同時に人間の最大の喜びです。最後の一節は私観です。根拠は長くなるので断腸の思いで割愛しました
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面白そうな話題ですね。

乗らせて下さい。
設問の抽象的な言葉から、現実への適用を考えてみるときに次の二つが前提になければなりません。
それは、
・抽象的言語の言語的規定
・その事例に類例する、実際的、現実的な過去事例
これを一つずつ考えてみましょう。

・国家がなければ人はもっと自由になるか
答えはNO。理由は以下です。
国家とは何でしょうか? と言ったとき、私は「富の再配分の決定機関とその決定範囲のことである」とよく言っています。国家が無いという前提はそれを消失することになります。
そしてもう一つ、自由になる、ということを考えてみます。これを単純に考えても真理からは遠いので、自由がない、というのはどういうことかという点から考えていきましょう。自由がない、というのはどういうことでしょうか。それは、人間が本来行動できうるべき範囲の権利が行使できない、ということになります。
つまりは、「富の再配分の決定機関とその決定範囲」が消失したときに、本来人間が行使できうるべき権利が行使しうるかという点については、根幹的な社会保障を国家が担っており、その上で権利を行使しうるケースが多いです。よって「国家がなければ人はもっと自由になるか」という点についてはNoという答えになります。
この具体的事例については省略します。

・あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか
これには二つの見方があります。
それは倫理的に「落とさない」という見方と、国家社会の生き残りをかけた社会的任務の遂行という観点から「落とす」という選択肢です。あるいは核を越えた非核兵器である神の杖やグローバル・プロンプト・ストライクというものも覚えておいてよいと思います。
両方の判断に必要な社会事例を覚えておいて、ディベートに応じて使い分ければ良いでしょう。そこに原爆を落とされた日本という立場からの議論を行えばOKだと思います。

こちらもなぜ核兵器を落とさなければならないのか、という点については国家と戦争という抽象的キーワードの言語化が必要です。先にも書きましたとおり、国家とは「富の再配分の決定機関とその決定範囲のこと」です。それでは戦争とは何でしょうか。
集団で人が人を殺している行為の総称でしょうか? それとも相手を傷つける行為や、意味なく疲弊する行為の総称でしょうか? 私はそれでは浅いと考えます。戦争とは決定権の簒奪の社会的様式の事です。
例えば国と国が戦争を行うのは、「富の再配分の決定と範囲」を互いに簒奪しあう事です。いわゆる戦争行為というものが、戦闘によって行われる殺害や傷害、破壊行為を含んでいるように一般的にはイメージされますが、現在では「経済戦争」「金融戦争」「宗教戦争」「情報戦争」「才能戦争」などと言われるように競争者とある到達点の奪い合いを行う事を指して戦争という場合が多くなってきています。戦争の本質とは、人の組織対人の組織による競争的拮抗の現実的発露です。よって実際の物理的戦闘行為が行われなくとも、経済戦争や情報戦争などで何らかの決定権を奪ったり奪われたような事があり、後の社会にその何らかの決定権が影響するようなものごとが残れば、それは戦争行為となります。
その決定権の簒奪が行えればいいので、戦争行為を行う場合であっても核兵器の使用とは必須ではありません。
こちらも具体的な記述は省略します。

・労働は拘束でしかないのか
私は拘束でない、という立場と、拘束である、という立場を両方経験しました。
いろいろあるのですが、眠いのでこの辺で終了します。
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・国家がなければ人はもっと自由になるか


    ↑
なりません。
国家が無ければ、自分の身は自分で守らねば
ならなくなります。
その為に費やすエネルギーが膨大になります。
結果、人は身を守る為だけの人生になって
しまいます。
故に、自由は大幅に減ります。

・あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか
    ↑
落としません。
ワシントンやニューヨークになら落としても
善いと思います。

・労働は拘束でしかないのか
    ↑
一日の内、一番良い時間を労働に使っています。
それが定年まで続きます。
労働は拘束でしかない、と考えるのは不幸な人生です。
労働は、自己実現の一環であり、それを通して社会に
貢献するものだ、と考えた方が幸せです。
労働を罪悪と考えるのは、キリスト教の悪い処です。
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この回答へのお礼

hekiyuさん回答ありがとうございます!

2問目の回答が気になりました。

問題の意はあなた(がトルーマン大統領だった)なら広島や長崎に核爆弾を落とすのか
だと思いますが

あなたは日本側がもし核爆弾を持っていたのならワシントンやニューヨークに落とした。ということですね?
ではなぜ落しても“善い”と思ったのでしょうか?

お礼日時:2013/06/21 16:06

こんばんは。



>国家がなければ人はもっと自由になるか
私は 国家と自由とは結び付かないと思います。この問題を作った人の教養を疑います。
国家とは人間が生き残るために作った共同体ですから 無くなることはありません。共同体が無ければ 今の人類の繁栄はなかったからです。その共同体のために自由が制限されているだけです。

>あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか
人間が新しい未知の兵器を実戦で使ってみたいと考えるのは自然なことだと思います。関係者は如何なる理由があろうと 過ちを神に誓い深く反省するべきです。
過ちを知った人類は 無知な誰かが二度と同じ過ちを繰り返さないように阻止すればいいと思います。(神はそうすることで過ちを赦される)

>労働は拘束でしかないのか
今の労働は 時間という拘束により日々の糧を得るだけのものです。
本来 人間は生きる糧を得るための活動をすればよいのであり 時間による拘束は無意味だと思います。他で生きる糧を得ることができる者は 時間による拘束はいらない。
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この回答へのお礼

Tefu_Tefuさん回答ありがとうございます!

>国家がなければ人はもっと自由になるか
の回答に興味をもちました!

国家がなければ人は社会的に豊かにはなれないという考えでしょうか。
社会的に豊かになることが人にとっての自由でありそれが国家(正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体)により作られている。
国家がなくなれば自由もなくなると等しいので結びつくことはない。

という解釈でよろしかったでしょうか?

お礼日時:2013/06/21 15:53

(1)自由とは責任をすべて自分で取らねばならず、それを補てんしてくれるのが不自由という存在であり、国家もその1つである。

よって国家がなくなれば自己責任の恐怖におびえる日々が始まり、実質的には自由でも精神的な自由や解放感はない者とも言えるのではないだろうか。

(2)NO。当時のアメリカ軍は日本の暗号を90%以上解読しており、すでに降伏は秒読みだと知っていた。そのうえで原爆を落としたのは大規模で悪質な人体実験であり、戦後アメリカ人に対しても極秘に人体実験を行っていた事実もある。よって自分は放射能による人体実験など行わないので落とさない。

(3)労働とは人間が生物であるということから考えねばならない。生き残り子孫を残すために狩りや居住確保などの作業、つまり労働は生存に必要不可欠であり、本能的に行うものである。そのため労働には達成感や使命感などが本来生まれるものである。
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この回答へのお礼

rokomettoさん回答ありがとうございます!
(3)の回答にとても興味を持ちました。

・労働は拘束でしかないのか

これを拘束でしかないと答える人はやはりいないようですね。いたら面白かったですが!

ライオンはお腹がすいていなければ目の前に獲物がいても捕食しないらしいですね。
捕まえといて明日食べればいいのにと考えるのは人間の本能でしょうか?いえ知能、理性ですかね。
たとえばブラック企業でサービス残業を余儀なくされている社員はどうでしょうか?
彼等もそれは生存に必要不可欠と思い、本能的に行っているのでしょうか?
私には他の人も残業しているから自分もせざるを得ない、他に仕事がないから仕方なく続けているように思います。それは拘束とも言い換えられるかもしれません。

お礼日時:2013/06/21 15:00

(1)国家がなければ人はもっと自由になるか


 まず全方向で自由な状態になり、そこから横暴な権力の支配の乱立がはじまって、その結果大多数の人はより拘束された人生を余儀なくされる。
(2)あなたなら広島や長崎に核爆弾を落とすのか
 気持ちとしては絶対に落としたくはないが、時代の雰囲気や群集心理の高揚に直面した時に自分を貫けるかどうか自信はない。
(3)労働は拘束でしかないのか
 弱肉強食の競争原理を前提とすれば、生き残りの戦争のための厳しさを突き詰めた拘束でしかない。しかし‘労働は社会的動物として自己発現する場だ‘ということを前提に据えることができれば、生きる喜びの一環として位置付けることが可能だ。
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この回答へのお礼

suzumenokoxさん回答ありがとうございます。
(1)に関してはsuzumenokoxさんとほぼ同じ思考ですね


国家がなければ人はもっと自由になるか

マックスウェーバーの
「国家とは域内において正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」
で考えると

国家とは暴力装置であり、支配階級のための道具である。
これを崩したとしても、生まれた時から人間は能力などの格差があり人間は平等になることはありえない。
したがって国家とはまた違う支配階級が生まれるだけなので自由にはならない。

お礼日時:2013/06/21 14:25

>・国家がなければ人はもっと自由になるか



Oui、もっと自由になります。
貧しくなる自由も、キリシタンに奴隷にされる自由も含めて!

>・あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか

Non, 瀬戸内海と有明海に落として、原爆の恐怖で、日本の無条件降伏を勝ち取る。

>・労働は拘束でしかないのか

Non, 労働=拘束+報酬
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この回答へのお礼

Mokuzo100nennさん回答ありがとうございます!

1問目の回答に興味を持ちました。
自由とは自己自身の本性に従い束縛、拘束もなく選び活動できることだと私は思っています。

貧しくなる事や奴隷になることは“自由”なのでしょうか?
恐らくMokuzo100nennさんは悪くなるも良くなるも自分次第なのでそれは“自由”との意なのだと思いますが
もう少し詳しく聞いてみたくなりました。
しかしながら今回の問題とは少し逸れてしまうのでまた機会があれば宜しくお願いします!

お礼日時:2013/06/21 13:53

基本的に歴史的な経緯と、思想史的な変遷と問題点を述べて


その上で自分の考えを展開すれば良いと思います。

1問目の国家と自由なら、古代の都市国家から王制、共和制、皇帝から中世の宗教国家、
そして近代の民主主義、共産国家へ、
思想的にプラトン、ホッブス、ルソー、マルクス・レーニンなど。
3問目の労働と拘束についても同様。

ただ、2問目の「あなたなら、広島や長崎に核爆弾を落とすのか」は
本当に入試に出たのでしょうか?
これは今でもアウシュビッツや南京大虐殺、従軍慰安婦などと並び
切れば血の出る政治的に非常にセンシィティブな問題です。
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この回答へのお礼

bougainvilleaさん回答ありがとうございます!
ただbougainvilleaさんの論述も読めたら良かったです。
皆さんがどんな回答をするのか知りたかったので。

2問目ですが実際に私が試験を受けたわけではないのでハイ出ました!!とは言えません。。
過去問題で検索すると出てきました。
非常にセンシィティブな問題なだけに日本人としてどういう答えを出すのか気になりました。

お礼日時:2013/06/20 23:20

・自由にはならない


 紙幣など貨幣経済や流通さえも管理・保護する物がなくなる
 衣食住の確保や自己生命の保護など自己環境保全の為に行う行為が多くなり
 自由という物は皆無となる

・落とす
 これは自分がWW2当時 米国大統領なら落とします。すでに戦争の勝はほぼ確定しています
 で、核を落とす事によりソビエトへの牽制に使えるからです。

・手段
 労働とは生きるために必要な物を獲得する手段。そして手段とは特定の目標がある
 この場合労働とは金銭を得るのが目標であり、その金銭は生きるために必要
  つまり労働をしなくても自己の生活が保障されるならする必要はない
 そして生きるために金銭が必要なら、労働は生きるための手段である
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この回答へのお礼

rikukoro2さん回答ありがとうございます!
まさに私が欲しかった回答例です。

お礼日時:2013/06/20 23:15

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