アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。
自分なりに調べてみたのですが「諸行無常」と「諸法無我」の意味や違いが理解できません。できれば具体例をまじえながら説明していただければ幸いです。宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

四季の移り変わりがあるようにいつも世界は変化していく。


花は咲いたすぐ後に枯れて茶色になって落ちる。
そして種を残す。
これは残念なことでなく悲しいことでなく自然で当然なことで
何者もそのままでなくそして永久に在るものは無い。

これが諸行無常。

これを人は「ああ美しい」とか「ああ醜い」とか「ああ悲しい」とか思う。
それを受け手として思う自分がいる。
それは思い込みである。
なぜなら人もその花同様
変化し咲きそして枯れていく無数の変化する世界の一部だから。
そういった変化自身の一部なのだ。

あなたの体をみてさえ一つとして単独で存在しているものは無い。
それらもまた小さな世界。
世界は皆、繋がりで存在している。

だからこそ縁を大切にして良い関わりを持ち良い行為を行い
あなた自身でもある変化そのものを良い状態にしていくべき。

これが諸法無我。

と思う。
    • good
    • 8
この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました!
理解の参考となりました。

お礼日時:2013/07/27 10:56

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版


悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるものにあまりこだわりを持つな、地上のものに執着を持つな、ということ。

・諸法無我

これも諸行無常と同じく、地上のものに執着を持つなという教えですが、これは、空間論です。
時間論で、「一切のものが変転していく」ことをとらえているとすれば、こちらは、「一切のものは実在ではない。すべてのものは夢幻の世界である」
という空間の教え、思想です。

この両者いずれも、この世的、3次元的な視点ではなく、あの世からこの世を見たときの視点です。なので、特に後者の思想は、悟りを得ないと解りにくいと思えます。
たとえていえば、この世は舞台劇であり、実在する建物と思っているのははりぼての舞台セット。
出演者はそれぞれの役柄を演じているが、舞台を降りたら(あの世に戻ったら)本来の自分に戻る。
だから、自分が舞台上の役で持っている地位や財産にあまり執着して生きるな、ということですね。
さらにいえば、舞台を降りたら(死んだら)すべてが無になるというのは誤りであり、役者の顔を脱ぎ去った、本来の自分が生きている「死後の世界」に戻っていくので、舞台上のことに執着するなということでもあります。

ちなみに、もうひとつ「涅槃寂静」があり、この3つを三宝印といって、仏教の教えの基本とされています。

・涅槃寂静

時間・空間、そのすべてにおいて、固定的なものは何もない、恒常なるものは何も無い。そのなかで、現にここに存在し、修行をしている私は、いったい何であろうか?という問いを追求し、そして永遠の実相なるものをつかみとってゆく、そこに涅槃寂静の境地が開けてくる・・・。

そして、これらの思想は、無我、空の悟りに通じていくものです。
    • good
    • 14
この回答へのお礼

大変よく理解できました。
読みやすい文章でかつ読みやすい文章のレイアウト、ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/27 10:58

諸行無常は、すべては変わりゆくもの、有限で永遠なるものは無い


諸法無我は、すべては相対的であり、単独で存在するものは無い
といった意味だと思います。

諸行無常の例は、自然の移り変わりや、社会の移り変わり
諸法無我の例は、水が条件によって、お湯になり水蒸気になり雲になり雨になり、また水になり氷になり
といった条件によって変化し続けるもの
以上の例が上げられると思います。
    • good
    • 13
この回答へのお礼

理解の参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/27 10:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!