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始まりには終わりがある
始まりのない終わりはない
終わりのない始まりもない

では
始まりとは、終わりの始まりなのだろうか
終わりの始まりだけが始まるとしたならば
その終わりは、始まりを必要としない
始まりを必要としない終わりは、終わりではない
始まりが終わりに代わっただけである
同様に
終わりを必要としない始まりは、始まりではない
終わりが始まりに代わっただけである

では
始まりと終わりとは
終わりを必要としない始まりと、始まりを必要としない終わりなのだろうか
始まりが終わりを必要とせず、終わりが始まりを必要としないならば
別に、終わりがなくとも始まりは起きるだろう
また、始まりがなくとも終わりは起きるだろう

始まりには終わりがある・・・というのは間違っている・・・

どこかおかしい・・?

直してください。

A 回答 (10件)

 回答No.6koiprinさんの補足を見て思いました。



 有限の世界は物質世界の事。我々が存在する物質界の、宇宙の、事。
 無限とは、これらを現象させている宇宙の本体「絶対の大心霊体」の事。

 絶対の大心霊体の“意志(意力)”によってこの世の宇宙が物質的に存在、あるいは現象していると捉えれば、物質的宇宙には、始まりがあり終わりがあると云えます。
 もしかするとビッグバン、なんていうのもこの宇宙では繰り返し繰り返しされている物質界の現象、と云えるかもしれません。

 そう思えば、物質的世界は存在し続けている、と云う事を“無限”と受け止められるかと思います。
 

この回答への補足

補足します。
質問内容の変更もお知らせします。


始まりとは開始という瞬間を含んだ概念である
同様に
終わりとは終了という瞬間を含んだ概念である
概念による事象の記述は正確ではない
正確さを求めるなら、始まりと言わずに開始と言うべきである
観測された開始こそが、本当の始まりである
だが、人はそうした言い方、表現というものを好まない
主観を加えることが可能な概念の領域を事実を基に設定し、言葉にしてしまうのである
始まりという言葉はそうしたものに違いない
これは事実解釈における人間性というものなのだろう
事実という客観を、自由な主観の中に取り入れようとする行いでもある
以上が、始まり(終わり)という言葉そのものに対する解釈である。

次に
本当の始まりと終わりに相当する「開始と終了」についての実際をできるだけ見てみたいと思います。
主観を切り離すことは難しいかもしれないが、質問の続きとしてやってみたいと思います。
事実やそれに近い内容という事になりますので、案外答えやすくなるのではないかと思います。
当初の質問であった、私の主観的文面の修正においては、上記の内容をもって一応の答えと致したく思います。

これ以降においては
「開始と終了」というものについて、皆さんのご意見を改めて幅広くお聞きしたいと思います。
下記に参考文を載せておきます。
よろしくお願いします。


時間の開始と終了とは、その対象とする事象の区切りである
開始と終了とは、事象の時間と状態を表している
開始と終了に跨るものが過程である
開始と終了の判断は、事象の観測による
事象の開始及び終了は、観測の開始及び終了と一致しない

補足日時:2013/08/24 21:26
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>もしかするとビッグバン、なんていうのもこの宇宙では繰り返し繰り返しされている物質界の現象、と云えるかもしれません。

不可知の世界の中に私達がいる、という事なんでしょうね
お釈迦様が悟りを開く前に、宇宙レベルの縁起の考察を行った、ということも仏典に書かれていますが・・
どうなんでしょうね
幾多の宇宙の生成消滅を観た・・というような記述なんですが
なんか気の遠くなるような感じがします。

仰っているように
現象の背後には永遠の実体があるという考え方は、ごく自然な考え方だと思います。
始まりも終わりもない、変わりない真理の現れとして、この世界があるというものです。
しかし、そこにおける概念とは矛盾をはらんだもののようです。
概念とは、直接、真理を指し示すものではない、という事を龍樹は言いたかったのかもしれません。
始まりと終わりがあるがままに、有限であるがままに、全ては永遠なる真理である、といった思考の矢印を残していった・・
その後の展開は空思想につづくものとして、Yさんもご存じの事と思います。
始まりと終わりのないものは言葉では説けない・・
ではどうなんだ、どうすればいいんだ・・
という展開だったんでしょうね。

その展開は、思想的に既に終わったと見られています
悪く言えば、死んでしまった思想です
時々、発掘してくれる人がいて、これは中々いい・・
というぐらいになってしまった
いつかは
直接真理の声を聞いて伝えられる人が再び現れるのかもしれない
そんなふうにも思います。


まあ・・
龍樹のものまねをちょっとしてみたかった・・
というのも本音なんですが
そのレベルの違いというか、スケールが違いすぎますね・・
彼は真理を指し示す大きな矢印を残していった人だったと思います。
概念の限界と矛盾を述べながら、空という大きな矢印を残していったのだと思います。



ちょっと脇道にそれてしまったかな・・
始まりと終わりのことで、慎ましくゴチャゴチャやっていた方が楽しいかもしれません。
また。

お礼日時:2013/08/24 18:38

始まりには終わりがある -----偽


始まりのない終わりはない----真
終わりのない始まりもない-----偽
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この回答へのお礼

矛盾という絵を見事に描いてくださったようで・・
ありがとうございます。

スパッと言い切るという明快さはいいと思いますが
やはり主観解釈というグレーな色合いは残る・・(失礼)

じゃ、お前はどうなんだ
と言われそうなんで
試しに・・ということで



開始とは、始まりにおける最も初期の、最も正確な状態の観測である
観測しうる事を前提とした事象の始まりの記述である
では
ただ単に始まりと言えば、正確な始まりではない
開始という観測事実を含む始まりである
だが、観測事実が無いにもかかわらず、始まりという言葉は用いられる
それは、開始があるであろうという仮定に基ずく概念であって、開始という事実そのものではない
事実観測が不可能であるならば、始まりとは概念のままである
事実観測が可能であるならば、始まりは開始という概念以上の言葉に代わるに違いない
このように
始まりとは概念であり、開始とは事実を指すものである
同様に、終わりとは概念であり、終了とは事実を指すものである


ん~
まだまだか・・
まだまだ なんだろうな・・

お礼日時:2013/08/23 22:26

 回答No.5、comaas88さんの「始まっても終わりのないことはあり得る」と云うところを突っ込んで聞いてみてほしいと思いました。



 
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この回答へのお礼

幾度もお答えありがとうございます。

>「始まっても終わりのないことはあり得る」

始まり、という言葉を使った瞬間に、終わりという意味は含まれている

そんなふうに思いませんか・・

だとすると、この一文には矛盾があることになります。
概念の自己矛盾というものです。
この事は批判ではなく、概念構築における自由が矛盾を招くことを指しています。

Yさんは仏教に詳しい方と思いますので
そのへんの例を上げてみましょう。
龍樹の文として知られているもので、ご存じかもしれませんが・・


運動という概念について

未だ運動を開始しない物には運動はなく
すでに運動を終了した物にも運動はない
現に運動しつつある物にとって「運動」は必要ではない
もし別に「運動」が存在するとすれば
運動しつつある物がなくても運動がおこるであろう


まあ、なんですが
この一文を初めて読んだ時には、ちょっと感動した
悪くいうと、素晴らしい屁理屈だと思った
既成概念の自己矛盾の指摘、といわれる一文なんですが
その自由自在な思考は素晴らしいと思った
反論はいくらでもできると思うが、概念の無実体をあばこうとする姿勢は、まさに自由そのもの
そんな感じがした


概念に矛盾はあっても
それを批判する自由に矛盾はない
批判に始まりと終わりはあっても、自由に終わりはない

ちょっと恰好を付け過ぎたかな・・・
失礼・・。

お礼日時:2013/08/23 21:58

 回答No.3、psytexさんが言っている「存在」と「現象」について思ったことは、紙そのものを見ることを「存在」と云い、その紙の表面の一方を“表”もう一方を“裏”と見ることを「現象」と云っているのではないでしょうか。


 表とか裏とかは「現象」として見ているのだと。

 ひもは両端(始まりと終わり?)があるけれどその両端をくっつけてしまえば、「両端(終始)」がなくなってしまう、と云うのは始まりと終わりは背中合わせ、と云われているようにも思います。

 背中合わせではあるけれど、“同じ”ではない?となって混迷、してきますが。

 釈尊が此の世の事(宇宙)を「始めと云うものもなければ終わりと云うものもない」と云ったとされていますが、私なぞはどうしてもこの言葉と結び付けて考えて見たくなってしまいます。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

存在と現象
なんですが・・
表裏一体という言葉も浮かんできます。
まあ、私だけの勝手な解釈なんですが・・
存在というと、近くで見ている
現象というと、離れて見ている
存在と言うより現象と言った方が、客観性が高い
存在という捉え方には曖昧さがあるが、現象という捉え方には曖昧さがない
そんな感じがします。

わざと、難しく言い換えると・・
事象認識における客観性の違いによる表現の許可されたもの
存在とは、主観認識を含んだ事象把握

てな事にもなりますかね・・

「始まり」と「開始」という言葉の関係に何となく似ている
そのへんの事を考えてみるのも面白いと思います。


仏教の宇宙観が出てきましたか・・
「無始無終」という得体の知れない、思考を絶望に追いやる(?)代物なんですが
宇宙における過程の中にいて、その一部しか知らないのであれば、そう呟く(?)のが自然でしょう
三界は客舎のごとし・・などと言った怪物君もいたようですが
まあ、あまり気にしない方がいいと思います。
気にしても、どうにもならないと言うか、別次元というか
人間の言葉じゃないと思うんで・・
そんなところです。

お礼日時:2013/08/23 20:52

始まりと終わりを決めるのは誰か?


自分が終わったといっても、ほかの人が終わっていないといった場合、自分が決めた終わりはなんなのだろうか?時間軸に始まりと終わりはあるのか?宇宙はビッグバンで時間が始まったのか?その前にも時間があったのではないか?では終わりはあるのか?
始まりと終わりは主観で決められるもの。時代区分にしてもいつが境なのかは、なんとなく決められている。江戸時代は西暦何年の何時何秒が始まりとは、誰も決められない。勝手に決めるしかない。
だから、基本的には始まりも終わりもない。
ただ時間軸を決めた瞬間から、区分がないと気持ち悪くなってしまった。
始まりも、終わりももともと主観だから、始まりには終わりがあると言っても良いし、始まりしかない、終わりしかない、終わりには始まりはない、始まりには終わりはない、と言っても、受け入れるしかない。
俺は違うと思うよ、という意見のぶつかり合いになるだけ。

この回答への補足

皆さんのご意見をもとに少し直してみました。


始まりとは、その後につづく過程をもつものである。
終わりとは、その過程が終わることである。
過程から見るならば
始まりとは、過程の始まりである。
その過程が終わることが終わりである。
過程がなければ、始まりもなく終わりもない。
過程があってこそ、始まりもあれば終わりもある。
過程をもたない始まりはなく、過程をもたない終わりもない。
過程という両端が始まりと終わりである。
始まりと終わりという両端をもつ過程とは有限である。
過程とは有限である。
どのような過程も、始まりと終わりがあるゆえに有限である。
始まりと終わりがある事が有限の証明である。
始まりも終わりもなければ無限である。
無限には、始まりも終わりもない。
無限には、過程というものはない。

どうだろうね・・・

補足日時:2013/08/23 20:16
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>時間軸を決めた瞬間から、区分がないと気持ち悪くなってしまった。

あ~
これですよね
だいたい、私もこんな感じになってきた・・
捉えどころがないっていう感じは、気分を害するものです。

ちょっと一休みといった感じで、こんな話もあります。
経験則には違いないが結構印象に残っている事なんですが・・

その昔、消防団に入っていた事がありまして
訓練が終わってから、最後の挨拶を先輩が一礼と共に言ったんですが
挨拶が済んでからも、皆ながガヤガヤとしていた
すると、後ろ向きになっていた先輩が急に前を向いて
「終わりといったら終わりなんだ!!」
「何をいつまでやってるんだ!! 」
と、怒鳴った

これで急に静かになってパラパラと解散したんですが
まあ、先輩からすれば
自分の言葉でもって、きれいに解散させたかったんでしょう
ですが、そうならなかったので感情的になってしまった


主観的かもしれませんが
人間何でも区切りを付けたい、というのはあると思います。
区切りを設けて整理し、認識しやすくする、というものです
その方が感情的にもスッキリするでしょう。

始まりと終わり・・と言えばどことなく主観的
開始と終了・・と言えばどことなく客観的
そんな感じもしますね

宇宙の始まり、という言葉はあっても
宇宙の開始、という言葉は聞きません
始まりという言葉に含まれるニュアンスが主観を許しているからでしょう
そう考えると、言葉の使い分けは大切かもしれません。
始まりと終わり、という言葉を何に用いるかは自由だとしても
主観が許されるものと、そうでないものとにおいて分ける必要がある、という事です。
そのへんも、もう少し考えてみたいと思います。

お礼日時:2013/08/22 23:23

>始まりには終わりがある



一般化は出来ません。
たとえば、モーツアルトの音楽(作品)についてとかなら小林秀雄が言ったとおり真でしょう。
他のものにも一般化するとしたら、それは単なる願望です。

>始まりのない終わりはない

これは単に ないものはない、といっているだけのことです。
現在進行中の現象についてもこの証明は不可能です。
始まっているものはありますが、必ず終わるというわけでもないでしょう。

>終わりのない始まりもない

これは単に経験則を語っているだけでしょう。
終わりがあるから始まりがあるのだということの一般化は出来ません。
始まりが終わりの必要条件だというのは(始まらなければ終わる必要はない)真ですが、十分条件ではありません(始まっても終わらないことはありえます)。

これ以下の記述は無意味です。

上記についてもっと深めてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>始まりには終わりがある
>一般化は出来ません。

またまた、一行目でつまずきです。

一般化は出来ないと言われても、ちょっと辛いですね。
始まりには終わりがある、と
今までに結構聞かされてきましたから
割合簡単な常識だと思っていた。

う~ん・・
厳しい・・
やさしくない・・
すべてが主観だと言われている感じですね
じゃ、どうなんですかね
始まりと終わりを、どう解釈すればいいんですかね・・
否定されるのは仕方がないとしても
どう解釈すればいいのかな・・

否定的論法によって真実を明らかにするという姿勢は、評価されるに値するもの、と思いますが
その否定が一種の仮定である可能性も捨てきれない、という事もありましょう・・

難しい・・

>上記についてもっと深めてください。

矢印をありがとうございます。

お礼日時:2013/08/22 22:34

◎1;始まりとは、終わりの始まりなのだろうか


◇そういえると存じます。しかし表現的にも実際も“終わり”の“開始”はありません。
つまり始まったものが継続し、終るということであって、終わりが始まるということはありません。信仰哲理では一なる存在に終息するだけで、それは始まりではありません。
AUM⇒オームとも発しアーメンに通じます。
宇宙の創造音とされています。万物の存在音であり、鐘音はそのイミテーションです。
A⇒創造の開始の音(vibration)
U⇒創造の継続の音(vibration) 私達は今はこの音しか聞こえません。
M⇒創造の終息の音(vibration)

◎2;終わりの始まりだけが始まるとしたならばその終わりは、始まりを必要としない。始まりを必要としない終わりは終わりではない。始まりが終わりに代わっただけである。
◇終わりは始まりません。終息であるに尽きます。円環的思考ではその終息の終息は開始となって、始まります。終息は開始という終息の終息を必要としていません。
終わりに代わった始まりが終わりであり、終息です。

◎3;終わりを必要としない始まりは始まりではない。終わりが始まりに代わっただけである。
◇終わりが必要。終わりが必然でない始まりは概念必然的にない。概念的に始まりには終わりを含んでいる。そして始まりという現象と存在は終わりを必要, 必然としている。

◎4;始まりとは終わりを必要としない始まりであり、終わりとは始まりを必要としない終わりか。
◇始まりには終わりが必要。終わりが必然でない始まりは概念必然的にない。概念的に始まりには終わりを含んでいる。そして始まりという現象と存在は終わりを必要, 必然としている。終わりには概念必然的に始まりは含んでいない。また終わりが現象創造の始まりを必然とはしていない。概念的にも必然ではない、含んでいない。

◎5;始まりが終わりを必要とせず、
◇始まりは概念的必然として終わりを含み、創造と存在においてもない終わることが必然。
◎5-2;終わりが始まりを必要としない。
◇終息したままで開始する必要と必然はない。しかし円環思想では必然とは違う意味で創造と存在の開始はある。どうして開始するかは質問の範囲ではない解答になるので、省略します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

一つだけ言葉を選ばせていただきます。

>始まりという現象と存在は終わりを必要, 必然としている。終わりには概念必然的に始まりは含んでいない

さらに、少しだけ省略させていただきます。

>始まりは、終わりを必然としている

この「必然」という言葉はNO.2のYさんからも聞かされました。
必要ではなく必然という言葉
やっぱり適切で重い感じがします。

アナログ的に言うと
「あってしかるべき」となりますか・・
始まりには、しかるべき終わりがある 

と・・
つい書き替えてしまいたくなる
ダメなんです
自分流に変換しないと頭に入らない
手遅れなんでしょうね
脳味噌が
勝手な解釈をご容赦ください。

お礼日時:2013/08/22 22:11

「始まり」は現象であり、存在ではありません。


「始まりがあれば、終りがある」というのは、存在の話です。

「紙には表裏があります」(A)
(表を説明するために、紙を取り出して一面を指し)
「これが『表』です」
(紙を裏返して)
「表には、必ず裏があります」(B)

という風に、AとBの間にすり替えがあるのです。
「表裏がある」のは紙であり、『表』にではありません。
実際、幾何学的には、いろんな可能性があるものです。
「ヒモには必ず端があります」と言っても、輪にしてしまえば
端はありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「始まり」は現象であり、存在ではありません。

う~ん
これが まあ
どうなんでしょうね・・
現象と存在の見分け方が難解といえば難解です
はっきり言うと・・分からない・・

言葉を入れ替えてみると
「始まりでないもの」は存在であり、現象ではありません。
となって
ますます分からなくなる

事実そのものと、それを表す概念とは区別すべきもの
というようにも解釈できなくもないし・・
存在を存在として見るためには、現象の時間性を切り離す必要がある、というようにも、何となく思えるし・・

・ ・ ・ ・ ・

一行目でつまずいてしまった・・

>「ヒモには必ず端があります」と言っても、輪にしてしまえば
端はありません。

こうなると
幾何学に無知な私が答えを出せるのだろうか・・

まだリタイアは早い
早すぎる
希望をもとう・・。

お礼日時:2013/08/22 21:48

 「終わりの始まりだけが始まるとしたならばその終わりは始まりを必要としない」



 この文章が不自然です。

 質問の文章に添って言えば、「終わりの始まりだけが始まる」とした場合でも「その始まり」は必要だと思います。

 なんか、始まりと終わりの間の道程を消してしまった様な捉えかたですね。

 また質問文の「必要」は「必然」という形容の方が適切かと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね
確かに、最初の始まりといったものを無理に押し込んでいるような感じです。
やはり仮定としてはよろしくないかもしれません。
終わりの始まりは、やはり始まり・・なんでしょう。

客観から主観に行って、また客観に戻る、といった感じでいいのでしょう。
あとは、不自然と仰っているように
仮定の有効性をいかに消すかだと思います。

仮定という自由意志の働きを、それのみに限定しない事はやはり大切でしょう。
仮定が虚構になりつつあるのでしたら、その仮定は打ち切らねばならない
自由意志への歯止めが必要である・・という事になりましょうか
矛盾しないものを矛盾であるというのは、やはり虚構に近い感じがします。
その反対もやはりそうなんでしょうね。

しかし、概念と言いますか、屁理屈と言いますか
不自然ながらも成立してしまうところが面白いと思います。
溺れ、なんでしょうね・・
自由意志が自らの自由に溺れてしまう
客観性を見失ってしまう
虚構と気付かないで虚構を創りだしてしまう・・

戒め、といたしましょう。

お礼日時:2013/08/21 21:53

こんばんは



>始まりには終わりがある
始まりのない終わりはない
終わりのない始まりもない
は 「始まりの結果として終わりがある」と云うこと

始まりの結果として終わりがある
始めることが次のことを始めることに繋がる
終わりとは そのことについては終わりのことである

事象を区別するべきでは 同じことの無限ループなの?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>始まりの結果として終わりがある

始まりと終わりは、原因と結果の状態を表すもの、というように捉えればいいのでしょうか・・
そこには仰るように
>次のこと
というように
始まりと終わりを一つのものにおける事、としての扱いがあるようです。
事象の区別というものなのでしょう。
事象の客観性において、始まりと終わりの状態も区別されるべきなのでしょう。
となると・・
仮定を設けた主観のあり方に問題がありそうです。
また、このような事実概念の矛盾は、客観的概念に主観的概念が持ち込まれたもの、結果だともいえそうです。
つまり、客観的概念から主観的概念を取り去る事によって解決されるかもしれない
という事になりましょうか。

>終わりとは そのことについては終わりのことである

不必要な仮定を持ち込むべきではない、というような
できれば、そのへんの言葉をもう少し頂けたらと思います。

お礼日時:2013/08/21 20:37

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