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駐日大使に就任する予定のアメリカ人政治家が、日本の格言だとして「水は流れても川は残る」という表現を引用しながら、演説をしたそうです。

日本の格言にそんなもんありましたでしょうか?

それとも、日本語ができない政治家の英語のスピーチを日本語に訳す通訳の問題で、ハチャメチャになったのでしょうか。

私自身の無い知恵を駆使して考えると、格言ではなくて方丈記の書き出し「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」を連想するのですが、みなさんはどう思いますか?

日本に伝わる格言で、上記のようなものをご存知の方がいらしたら、ご教示ください。


P.S.しかし、日本文化に関する造詣を披瀝したかたったのでしょうが、逆効果ですよね!

A 回答 (6件)

金森徳次郎の名言の一つ「水は流れても川は流れない」を引用したのだと思われます。

憲法学の授業とかでは、必ず目にする言葉の一つなんですが「格言」と言うには、ちょっと苦しいところですね。私の日記にもう少し詳しく書いておきましたので、よければごらん下さい。

参考URL:http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/571514
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この回答へのお礼

有難うございました。

スピーチ・ライターがマニアックな部分に詳しくて、それを丸のみしたケネディー女史が「格言」と勘違いしてしまったのでしょうかね。

お礼日時:2013/09/01 10:48

調べました。


そして参考情報らしきものを見つけました。

The Water Flows On, But The River Remains. | yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/571514
<Caroline B. Kennedy (次期)駐日大使が8月28日におこなった演説の中で、「日本の格言に“水は流れても川は残る”という言葉がある」(サンケイ記事)と不思議な「日本の格言」を引用して話題になっている。2分たらずの演説だが、私(安岡孝一)の見たところ、この「格言」は、昭和21年6月25日の帝国議会における金森徳次郎(憲法担当国務大臣)の答弁を、引用したものだと考えられる。

根本ニ於キマシテ我々ノ持ツテ居ル國體ハ毫モ變ラナイノデアツテ、例ヘバ水ハ流レテモ川ハ流レナイノデアル、私共ノ憲法草案ニ關シマスル基本ノ觀念ハサウ云フ點ニ存在シテ居ルノデアリマス

ただし、Kennedy (次期)駐日大使は、金森の答弁を日本語で読んだわけではないだろうから、たとえば、John W. Dowerの『Empire and Aftermath』(Harvard University Press, 1979)のp.325あたりから孫引きした可能性も考えられる。

Kanamori, ostensibly the Yoshida cabinet's legal expert, was no less emotional when it came to discussion of the emperor and polity. There was no rupture, no conflict whatsoever, between democracy and the Japanese monarchy, he argued at one point. And again: “The water flows, but the river stays. In this point lies our basic conception concerning the draft constitution.”

もちろん、金森としては『方丈記』が念頭にあって、この答弁をおこなった可能性が高い。しかしKennedy (次期)駐日大使は、『方丈記』の、たとえばDonald Keene訳を引用しているわけではない。あくまで、日本国憲法草案に対する金森の答弁を引用している、という点に注意が必要だろう。>


他の回答者の方も方丈記を念頭におかれているようですが、上記記事の推測からすると、

方丈記

方丈記をもとにした日本の金森徳次郎(憲法担当国務大臣)発言

キャロライン・ケネディ発言

のラインになるようです。

>それとも、日本語ができない政治家の英語のスピーチを日本語に訳す通訳の問題で、ハチャメチャになったのでしょうか。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかしてもとの水にあらず。」

「例ヘバ水ハ流レテモ川ハ流レナイノデアル」

「The water flows, but the river stays.」

「水は流れても川は残る」

日本語から英語に訳された時にかなり簡素な表現になり、なおかつそれが日本語へ翻訳された時に、我々が古文に感じるある種の瑞々しさ、時代に通底する普遍的概念、感情、感動などが翻訳によってそぎ落とされてしまったようです。

しかし、仮にこの推察が正しければ、日本の古典に通じていなくとも、日本の近現代史のテキストをよく読み込んでいるというインテリの人だと私は見受けました。
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この回答へのお礼

有難うございます。

回答No.1をご確認ください。

お礼日時:2013/09/01 10:49

木造さんに解答なんて恐れ多いが、ご参考に。


私も方丈記を思い浮かべました。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

論語には、 『論語』子罕 16

子在川上曰。逝者如斯夫。不舎晝夜。子川のほとりにありて曰く。逝k者は斯の如きかな。晝夜をおかず。
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2013/09/01 10:50

    #3です。

続きです。ちょっと食事に出ておりまして失礼しました。

    外国の政治家には、行先での繋がりを枕にする慣習があります。下記0:20から始まるケネディーの Ich bin ein Berliner 「私はベリリン市民だ」は有名ですが、二回目は bearleener と英語流の読みまで原稿に書き込むと言う熱の入れ方でした。
    

    まあこういう枕の例だと思われます。
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この回答へのお礼

ベルリン子でないのにベルリン子であると主張し、視聴者に迎合する政治家だったですね。

こういう訳のわからないスピーチをする人が有名になったので、スピーチライターが探してきた言葉を「格言」と勘違いしてしまったのでしょうね。

お礼日時:2013/09/01 10:52

西暦紀元前475年頃死んだヘラクリトスの



    Πάντα ῥεῖ καὶ οὐδὲν μένει

    すべては流れ、同じ物は無い、と言う意味なんだそうですが(僕はギリシャ語の時間クラスメートの美人「中略」ちょっと記憶が薄れておりますので)下記によるとそう言う意味なんだそうです。
    http://en.wikiquote.org/wiki/Heraclitus

    爾来、鴨長明、どこやらのおっさん、英語の諺 you cannot step into the same river twice 「あなたは、同じ河に二度足を突っ込むことは無い」などなど、無数です。

    ですから、 言わばどこにでも転がっている格言、哲学的思考、諺、名言で、就職先におべっかを使いたい政治家の原稿書きが、棚の引用辞書で見つけ、それを読み上げたミソユーの出来事でしょう。
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この回答へのお礼

有難うございます。

>就職先におべっかを使いたい政治家の原稿書きが、棚の引用辞書で見つけ、それを読み上げたミソユーの出来事でしょう。

結局、日本の有識者からの信頼を失うスピーチということになるのでしょうね。

お礼日時:2013/09/01 10:54

基本的にはこれを論ずるのは「哲学」になります。



「川」という実在(イデアと言っても良い)が存在すると考えるのは「実在論」になります。

一方単に「同じ場所を水が流れ続ける現象」がそこにあるだけと考えるのが「唯名論」になります。

ギリシャ時代から続く議論ですが、論ずる価値はないと「私」は思います。

しかしアインシュタイン先生やシュレーディンガー先生達は「実在」にこだわっておられるので、「実在」が無いと不都合が生ずるのかもしれません。

今のところ「実在」が無いと「困る」現象は知られていないと思うのですが、理論物理学者でない「私」が知らないだけかもしれません。
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この回答へのお礼

ああ、そうですか。

お礼日時:2013/09/01 10:54

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