天使と悪魔選手権

これは発展途上国の話ではありません。日本の話です。

日本の場合、女房族が大蔵省で旦那は小遣い制ですね。

昔は、給料手渡しだったので、旦那が給料を持って帰ったときに、嫁さんに「ありがとう」と言われていました。
ところが今では給料は銀行振り込みなので、給料日に嫁さんが降ろしてきて、旦那に「はい小遣い」と手渡して、旦那が「ありがとう」と言っています。

これじゃ、嫁さんが亭主を、会社に派遣しているようなものじゃないですか?
しかも、この時の日当を考えると、小遣いの1000円となります。
(今では、「1000円亭主が500円になっている」なんて話もありますね。)

「日本は、表向き亭主関白だが、それは建前だけで、実は嫁さんがしっかり財布を握っている」
これはP.F.ドラッガー博士の言葉です。
私は、「P.F.ドラッガー博士は本当のことがわかっている。並の学者でないなあ。」と思いました。

皆さんは、この考え方をどう思いますか?

A 回答 (3件)

本文は「こういう違う見方も出来る」ことの紹介であって、本質ではないと思います。



> 嫁さんに「ありがとう」と言われていました。
生活費としての収入を得た「お仕事」に対しての感謝ですよね。

> 旦那が「ありがとう」と言っています。
生活費をやりくりしてお小遣いを捻出してくれていることに対するお礼です。

> 嫁さんが亭主を、会社に派遣しているようなものじゃないですか?
全くそのとおりです。
給料をどちらが直接派遣先から受け取ろうと、全く同じシステムです。
前記の、どちらがありがとうとか言う立場とは全く関係ないでしょう。

> しかも、この時の日当を考えると、小遣いの1000円となります。
労働者の日当と捉えれば、これはその労働者や家族の生活費に当たります。
この1000円は、個人裁量下にある遊行費であって(ま、一食分の生活費を含みますが)、解釈が違います。外に囲いの人がいれば別ですが。
ご家族の生活費はこの1000円含まれていません。

> 「日本は、表向き亭主関白だが、それは建前だけで、実は嫁さんがしっかり財布を握っている」
これを嘆くならば、家庭の会計権利を奥さんに渡した夫の責任だと思います。財政を支える会計権利を放棄した(流通経路を自ら変えた)と同時に、発言権も放棄した、のです。
給料の銀行振り込みというシステムの普及が、夫の手を経由せずに奥さんが直接手にすることを可能にし、それぞれの意識が変えられた、ともいえるでしょう。
直接家庭を支える全額を受け取った人がその扱いに責任を感じる(が生じる)のは当然の理。

> ドラッガー博士の言葉
単に、時代の流れに応じて家計主権の異動があった、それに伴って発言権までも手放した夫の立場、これを揶揄した表現、と言うことでしょう。
亭主関白は家計主権とは本来関係ないはずです。
頭が上がらない、それで我慢できる(うまくいっている)根拠、それは奥様やご家族への愛で充分でしょう。その控えめさをもてるのも男(夫)の特徴です。
そのようにドラッガー博士に反抗するべきで、「並の学者でないなあ。」とは、言い負かされているだけです。

この回答への補足

話が十分でなかったことはすみませんでした。
私が言いたかったことは、こういうことです。

外人は、日本の女性進出が少ないこと等で、男尊女卑の国だと考えています。
ところが、財布を握っているのが女房であると聞くと、
「嫁さんが旦那を雇っているのか?」なんて聞かれるそうです。
(現に欧米では財布は旦那が管理しています)
しかも給料振り込みとなれば、前述のようなことになっています。

私もそうですが、日本の亭主は「財布の管理なんて面倒くさいことはやってられない」というのがホンネであり、それを嘆いているわけでもありません。
(むしろ、私はこんな状態だ事を聞いて、確かにそうだ、と笑ってほしかっただけです。)

日本が男尊女卑か女尊男卑か?次の2つの考えがあります。
(1)統計でみても女性進出が少ないのは明白。男尊女卑に決まっている。
(2)昼間は、旦那がコンビニ弁当なのに、女房族がランチを楽しんでいる。ランチでは、
 「ウチの旦那、全然使えないのよ」
 「私は旦那を奴隷としてこき使っているわよ」
 と旦那の悪口の言いたい放題。これは女尊男卑だ。
答えは両方正解でしょう。そう、ドラッガー博士の
「日本は、表向き亭主関白だが、それは建前だけで、ホンネは嫁さんがしっかり財布を握っているので、かかあ殿下だ。」
が一番の正解じゃないかと思います。

補足日時:2013/09/07 17:21
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No.1です。



どうも「ドラッガー博士」の解釈に酔わされている感が否めません。

> (2)…女房族がランチを楽しんでいる。ランチでは、
結局は亭主に直接言えない、主権を取れない者の陰口でしかありません。

私が言いたいのは、夫婦の財政形態は様々であって、それを一意的に方向付けすることに違和感を覚えます。
見た目で判断された他人が言ったことに一方的に賛同していることにも、同じです。
見た目を統計整理してそれを言い換えているだけでは「並の学者」の域を出ていないと思います。
見た目と反する方向からの分析「見た目はそうだが、男達は爪を隠して平穏を維持しているのだ」などの考察があれば考えは変わりますが…
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別にたいした事には思わない。


役所からの交付金や補助金を受領するときだって同じことをいうんじゃないかな。
納税者が税金の予算配分からもらうんだけどね。こっちは手続きから大変だ。

昔の(現在でも)農家では、夫がお金を握っていて、妻は必要な都度に夫からお金をもらい、日常の買い物をしていた(いる)のがほとんど。
私からすると、非効率的なものに思えますが、威厳だったんでしょうね。

その私は、勤めの報酬収入は、妻が管理しています。
しかし、月々のお小遣いとして貰うわけではなく、予めや必要な都度に要求しています。

実際の行動として、
日常でお金の出し入れをする事は、とても煩わしい手間です。
また、衣食の買い物を夫がいちいち指図するなんて、器が小さいとしか言いようがない。

まぁ、こんなもんだと思うようになっていれば、いつしか気にならなくでしょう。
本質は、「ありがとう」は人ではなくて、お金に言っている気もするしね。
・・・諭吉(英世)、久しぶり~!・・・
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