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以前にも同じような質問をさせていただいたかもしれませんが、やはり釈然としない気持ちになっています。回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思えるのですが、どのように考えたらよいのかご教示いただければ幸いです。

A 回答 (15件中11~15件)

回転は決して相対的ではありません。


 ふたつの円盤があり、一方が回転している場合、回転しているほうに立てばコリオリの力や遠心力が加わることで、式で説明するまでもなく明確に差があります。
 さて、紙の上ではなく宇宙空間で回転している物体があるとき、その中心は回転しているか否かという命題(N0.1さん)について、考えるとこれは極限の問題に帰結します。面倒くさい話は向きにして結論だけ言うと回転しています。
 走っている車を時間でどのくらい走ったかというと、時間を短くしていけばその移動距離もゼロになります。無限に時間を小さくしたら移動距離もゼロになるから止まっている。なんて馬鹿な話はありません。「飛んでいる矢は止まっている」というゼノンのパラドックスそのものです。
「二分法」「アキレスと亀」「飛んでいる矢は止まっている」「競技場」
 ⇒ゼノンのパラドックス - Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E% … )

 ちなみに、この世で一番小さい素粒子は電子で大きさはゼロ--これより小さい物体がないため測れないという意味でゼロ---なのですが、電子のスピンによって磁力が現れますね。
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この回答へのお礼

私の粗雑な疑問と電子のスピンとは感覚的にも直接的なむすびつきはないように思います。独楽が回転していることを見ているときに考えている軸の中心(このへんからはっきりしなくなってきます)そして場面が突然変わって電子の世界という感じです。この場面が変わるというのが曲者というか、今回の質問の核心なのかもしれないと思うようにました。ご教示感謝申し上げます。

お礼日時:2013/09/21 02:41

「回転」という運動は、回転中心や回転軸に対してどれだけ動いたかで定義されます。


回っている時も止まっている時も、「回転中心」は変化しません。原点が動いては回転という運動自体が定義できないのです。

コンパスを使うとき、コンパスの針は回転して見えますが、その先端が載っている紙面は回転していないですよね。
「回転中心」はもちろん紙の上にありますから、全く動かない。
しかし、逆にコンパスを固定して紙を動かす場合は紙は動きますし、両方動かすことだってできる。
そこが紛らわしいところです。

ともかく、「観測者が紙と同じ動きをしている限りは、観測結果としては紙は静止したままコンパスが回って円を描く」と観測されます。電車に乗っていて、「動いているのは電車ではなく地面の方」だと見えるのと同じようなものです。

そのように、動きというのは全て「相対的」に表されるものである関係上、その基準としている「原点」が動いては運動の定義が成り立たちません。
すべての観測系において「不動」の原点を定めて、その原点との相対的な運動で表す。「相対論」の基礎ですね。
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この回答へのお礼

私の疑問が相対論と関係があるとは思えませんが、やはり難しい問題なのかもしれないと思い始めました。ご教示ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/21 02:49

 どのような意味で、中心と言っているのですか。

そのことに注意して、物理の板に質問されると、ニュートン力学のレベルで解決すると思います。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りなのだと思います。私には中心とは何かがはっきりつかめていません。数学でいう点と独楽の軸の先端を重ねることができていないという感じです。ご教示感謝いたします。

お礼日時:2013/09/21 02:26

> 現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思える



 歳差運動と言います。それは、独楽の重心が、独楽の接地点の真上にない場合に生じます。なので、真上にあれば歳差運動は出ませんで、自転している以外は全く動きがない。その状態は「眠り独楽」と呼ばれます。ご質問の「理想的中心」とはこのことを指しているのでしょう。なので、以下、歳差運動はないものとします。

 数学で言う「点」は、大きさもなければ向きもない。「点を、その点自身を中心にして回した(自転させた)もの」は同じその点であって、何も変わらない。だから、「点が自転している」と言ってもいいし、「点は自転してない」と言っても良い。どっちだと思っても、どこにも何の違いも出ません。つまり「点は自転とは無関係だ」ということです。逆に言えば、「点は自転しているか、自転していないかの、どっちかだ」という考えこそが間違いなんです。(たとえれば「お月様はオスかメスかどっちなんだ?」と尋ねるようなもの。)

 一方、数学じゃなく現実のこの世界においてはどうか。これは難しい話だな。
 ANo.1では「点と言ってもいいくらい小さい、現実の粒子」(「超粒子」なんて初めて聞きますが)の話をなさっています。おそらく素粒子のことを仰っているのでしょう。しかし、素粒子には決まった大きさというものがありません。決まった場所にあるということもできません。「なんかこの辺りにもあもあっとあるっぽい」という存在の仕方しか出来ない。ですから、「独楽の回転中心には素粒子が丁度あるか、ないか」という質問は、まるで「月はオスかメスか?」になってしまいます。また、素粒子は自転に似た「スピン」という性質を持っていますが、これは好きなスピードで回るということができない。飛び飛びの値にしかならないんです。というわけで、ま、素粒子はご質問とは関係ないでしょう。
 むしろ、独楽の回転中心点というものが本当にあるのか?が、まず問題です。素粒子は「このあたりにもあもあ」と存在するのですが、実は独楽だって(回っていようが止まっていようが)、場所が決まっているわけじゃありません。まず熱運動というものがあって、独楽を作っている原子がテンデに動き回っています。その動きを封じるために絶対零度に冷やしたとしても、なお、独楽は結局のところ素粒子の集まりなんですからもあもあしていて、その位置ははっきり決まらないんです。(それはもう、極めて小さなもあもあなのですが。「不確定性原理」と呼ばれます。)なので、「独楽の重心」だとか「回っている独楽の回転中心」ということを厳密な意味で考えるのは無理です。
 そういう場合、物理学では、座標というものを持ち込みます。現実に存在しているわけではないx軸、y軸、z軸という座標軸を基準にして位置を測る仕組みであり、ある位置(たとえばx=1, y=2, z=0)を「点」と呼びます。こうして、現実の世界にある訳でもない「点」を考えて、あとは数学でものを考えて行くわけです。重要なのは、その点は(現実にある訳でもない)座標軸を基準にして定まっている、ということです。独楽を基準にすることはできない。(なぜなら、上記の通り、独楽はもあもあしているから。)
 ですから、ここに出てきた「点」は、どうしても数学の意味での「点」でしかあり得ず、なので冒頭に書いたように、それは自転とは関係がないシロモノである、というのが結論です。

この回答への補足

私の不注意でお礼の書き込みの欄を他の方のものと取り違えてしまいました。まったく申し訳ございません。間も置かず補足させていただくのも恐縮ですが、回転は二次元だが点は一次元であるということと関係があるでしょうか、というのがstomackman様に対する質問でございます。

補足日時:2013/09/21 03:00
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この回答へのお礼

超粒子というのは素粒子のことでしょうか。いわゆる古典力学と量子力学の境界(?)のことかとも思いました。自分で言い出してこのように申すのも恐縮ですが、中心というものも超粒子の世界では数学でいう点ではなくなっているのかもしれないなどと想像してしまいます。どうもすみません。前後しますが、回転という言葉自身を私は理解できていないこともありありと実感いたしました。幼き日のご体験を交えたご回答に感謝いたします。

お礼日時:2013/09/21 02:23

>回転中の独楽の理想的中心(点)は回転していますか


>以前にも同じような質問をさせていただいたかもしれませんが、やはり釈然としない気持ちになっています。回っている独楽は確かに回っていますが、中心(点)というのは回転していてもわからないものなのか。現実の独楽は軸の先端で位置を変えている部分は中心ではないように思えるのですが、どのように考えたらよいのかご教示いただければ幸いです。
⇒小学6年の頃の経験にちなんでお答えします。

 担任の先生がまったく同じ質問をしたのです。「回っている独楽やレコード盤(の台)の中心は回っているか止まっているか」という質問でした。クラスの誰も答えません。ややあってから、先生はたまたま目があった私を指名しました。私が答えあぐねていると、「感じでもよいから、どっちだと思うか答えるように」というのです。
 それで、私は、「中心も回っていると思います」と答えたのです。先生は、こう説明しました。「回っているものは外側ほど速く、中心に近づくとだんだん遅くなる。だから中心は止まっているんですよ」と。

 大好きな先生で、心底傾倒していましたが、そのことについてだけは、(何も言いませんでしたが)ずっと反発を感じていました。後年、原子や原子核、クオークやニュートリノなどの超粒子等の大きさを知ったとき、そのことを思い出し、ますます確信を強めたものです。
 それまで、この世で最も小さいものは原子だと思っていましたが、超粒子はそれよりはるかに小さいんですね。その違いたるや、半端じゃありません。「もし原子を地球の大きさに拡大すると、その中に含まれる超粒子の大きさはどのくらいか。」 な、何とその場合の超粒子は、ピンポン玉より小さくなってしまうのだそうです!

 ようやく本題に入れます。回転体の中心を拡大してみましょう。分子が回っています。もっと拡大してみましょう。原子が回っています。もっともっと拡大してみましょう。超粒子がぽつんぽつんとあって、それが回っています。超粒子と超粒子の間はすけすけです。
 おそらく、極限まで拡大した場合の回転体の中心は空洞でしょう。したがって、それが回っているかいないかは、判断できないかも知れません。しかし、それでもなおかつ私は、「回っている」と言いたいです。「それでも地球は動く」とつぶやいた(とされる)ガリレイと同じような心境です! 『空洞」のどこかに印でもつけることができれば、回っていることが確認できるに違いありません!!

この回答への補足

貴方に対するお礼をほかの方の欄へ書き込むという二重の非礼を犯しました。この欄を借りて深くお詫びいたします。

補足日時:2013/09/21 03:02
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この回答へのお礼

超粒子とは素粒子のことでしょうか。量子力学と古典力学の問題なのでしょうか。詳しくお話しくださいましてありがとうございます。

お礼日時:2013/09/21 02:52

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