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εーδ論法について勉強している大学2年のものです。

εーδ論法が重要であることの理由として、極限の概念の明確化が挙げられ、「かぎりなく近づく」などの曖昧な説明なく厳密に定式化できると説明されます。

ただ、疑問なのが、別に曖昧でも使えていればいいのでは?と思ってしまうところです。
よく説明では「曖昧な極限の定義のままであると、間違った結論に導かれてしまうことがある」といわれ、終わってしまうのですが、具体的にどのような場合で困ったことになってしまうのでしょうか?

具体的な例と、その例で困ってしまう部分の説明などを挙げていただけないでしょうか?
「ほら、今までの極限の定義だと、こういった問題には答えられないでしょう?」というような説明をお願いいたします。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

>No.9 パチンコでもしてれば~のような一部の方の陽に質問者を見下す態度に違和感があったので、別に数学をやるべきでないということはないのでは、とNo.7で批判めいたことを書いてしまったのですが、No.9で数学について仰っていることは全くその通りですし、少なくともalice_44さんのNo.1での解答には質問者の方を見下すような意図はなかったのでしょうから、違和感の表明の仕方として適切でなかったと反省しています。

失礼致しました。
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←A No.1 補足


うーん、伝わらないなあ。
No.6 の人の言うとおりなのかも知れない。

εδで考えないと、どういう計算で間違える…
という話をしているのではなく、そもそも、
計算が合う合わないで考えること自体が
まるで数学じゃない…と言っているのです。
「物理計算をしてればいい」とは、そういう意味。

εδを使わないと答えが合わなくなるんじゃなく、
εδでも、他の何でも、とにかく「近づく」とは
何なのかを、何らかの形で定義しなければ、
何かが何かに近づくとか、近づかないとか、
何かが何かに近づくとき何が起こるとか、
そういうことを証明つきで示すことができない。
証明されていないことは、単なる予想であって、
数学的な事実ではない…という話なんです。
これに同意しない人は、数学には参加していない。
全く違うルールのゲームを行っているということ。

A No.7 の例だって、「近づく」流だけでも
多変数関数の極限を定義し、非収束を説明する
ことはできますが、「近づく」を定義せずに
そんなことをしても、それは単なる説明であって、
証明ではない訳です。
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計算は同じだと思います。



これはどうでしょうか:
1-0.999…=0.000…01
(1、マイナス、0、小数点、無限個の9、等号、0、小数点、無限個の0、0、1)
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曖昧な定義のまま直観的に議論をすると、例えば、以下のような (実際には偽の) 命題を真であると勘違いする恐れがあると思います。



「原点に向かう任意の直線に沿って同一の値に収束する関数は原点で連続である」→誤り。 反例が存在する。 下記URLを参照。
http://d.hatena.ne.jp/yadahoiso/20090519/1242735 …

「f を I 上の関数とし、{f_n}(n∈N) を区間 I 上の連続関数列とする。 各 x について lim_{n→∞} f_n(x)=f(x) ならば (すなわち、f_n が f に各点収束するならば)、f(x) は連続関数である」→Cauchyも犯した誤り。 反例が存在する (なお、「各点収束」を「一様収束」と修正すれば正しい)。 下記URLのp.79を参照。
http://www.h6.dion.ne.jp/~hsbook_a/biseki/biseki …

# 以下は余談です。
# 勿論、ε-δ論法はそれ自体が興味深く、価値あるものです。
# ただ、ε-δが発見される以前は、長い間、極限に関する曖昧な理解のまま解析学が行われていたといいます (そのために誤った定理が「証明」されてしまうこともあったそうです)。 (なお、この辺の歴史について、読んだことはないのですが『ε-δ論法とその形成』という本に詳しく書かれているようですので、興味があれば読んでみてください。)
# そういう歴史があるくらいですから、質問者の方が「ε-δが無いと具体的にどのような場合に困るのか?」という疑問を抱かれたのは自然なことだと思いますし、そういう人は数学をやるべきでない、というような物言いは極端に過ぎると個人的には感じます。
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この手の質問では、自力で考える習慣がない人に百万言を弄して解説してもなかなか伝わらないものです。

たとえば、「数式を使わない微積分」的な通俗本を読んで分かった気分になっている人とか。

もし、質問者さんが上の文を読んでカチンときたなら、添付図の式が正しいことを教科書の丸写しでなく自分の言葉で説明してください。大学2年生の数学の過程を理解していればできるはずです。これをやれば、なぜ曖昧な説明が用をなさないか得心がいくと思います。
「εーδ論法について教えてください」の回答画像6
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 あげあしをとるような回答かもしれません。



 例としては、"実数全体の集合 R" を定義域・終集合とする定値関数。
 f(x) = a

 R の 1 つ の 要素 c に 変数 x が限りなく近づくとき、f(x) は a に近づく … ?
 f(x) は a に近づくどころか、a 以外に行き場がありませんよね。でも、ε-δ 法 を用いた定義にのっとれば、そのような定値関数にも a という極限値を与えています。

 詳しくは、次の書籍をお読みください。
 石谷茂 著「 ε-δに泣く 」( 現代数学社 ) p.11 - 12

 
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曖昧でも良いと思ってる人にそもそも”εーδ論法”を


学ぶ資格はありません。

人間にとって人類愛は必要ないと思っている人に
キリスト教を布教するようなものだからです。

貴方には数学の勉強はやめてパチンコをやる事を勧めます。
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 ごもっとも。


弁解1
では、次のような証明を考えてみては。式中のx_nなどは、x の添え字です。

n → ∞, x_n → 0 ならば、n → ∞ のとき (x_1 + x_2 + x_3 + … +x_n)/n → 0 であることを証明せよ。

弁解2
道具として使うなら、使えればいいのかもしれません。けれども、その道具はどんな時でも使っていいのかというような懸念が使う側にもあるのでは。

   
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極限を定義せずに



極限に関することについて
間違っているとか
困ってしまうとか
判断できるはずがない

だから
そんな例を探しても
むだでしょう
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別段、凝った例を考えなくても、


「近づく」流では、
lim[x→a]( f(x)=g(x) ) = (lim[x→a] f(x)) + (lim[x→a] g(x))
さえ、証明することができません。
f(x) が b に、g(x) が c に近づくとき、
f(x)+g(x) が b+c に近づく理由は、何ですか?
そこが気にならない、計算の答えが出れば満足
な人は、数学とは縁を切って、物理の計算でも
しているとよいです。

この回答への補足

>そこが気にならない、計算の答えが出れば満足
な人は、数学とは縁を切って、物理の計算でも
しているとよいです。

そこが気になる貴方に、どういった部分が気になるのかを詳しく教えていただきたいのです。
なにぶん、私には気にならないもので。
しかし、やはりεーδ論法については知りたいのです。
もちろん直感的に気になる、となれば難しいのかもしれませんが・・・。

ですので、今回のような直感でわかるこのような例でなく、直感ではわからないが、あまり難しくない例などを示していただければうれしいです。

良かったら回答していただければ幸いです。

補足日時:2013/09/26 14:29
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/26 14:30

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