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軽く検索した程度ですが羊羹の歴史を調べました。
元祖は総本家駿河屋ですよね。
こちらはのれん分けして数多くの「駿河屋」があるようです。
羊羹の元祖としてはこちらのルーツのほうが歴史もあるようです。

虎屋は御所出入りの菓子司だったようですが
羊羹製造については駿河屋に遅れをとっています。

また、「夜の梅」という商品名は
虎屋、駿河屋(のれん分け法人含む)、鶴屋八幡で合意のもと使っている商品名のようです。
鶴屋八幡の全身は虎屋伊織という話ですが、これが現在の「虎屋」とどう関連するのかわかりません。
また、駿河屋ももともとは鶴屋の屋号を名乗っており、これを返上しています。
虎屋、駿河屋、鶴屋八幡。
名実ともにようかん処のトップ3でいいと思うのですが
歴史を調べてもいまひとつどういう関係だったのかわかりかねます。

駿河屋(本家);練羊羹の開発、元祖。のれん分けして勢力拡大
虎屋:御所出入りで実績をつけ菓子司として成長、東京に移すことで関西ローカルを脱却
鶴屋八幡:虎屋の分派、今の商品券にあたる菓子切手の発行により成功

このように推測されるのですが、これでいいのでしょうか。
なにかしらようかんの歴史について調べられる書籍等(あまり高いと困りますが)
などもありましたら参考にお願いします。

まあ、駿河屋、虎屋、鶴屋八幡ならハズレってことはないんでしょうけどね。
全国的な知名度というブランドでは虎屋が1位なんでしょうか。
鶴屋八幡はまだしも、調べると総本家駿河屋のほうがやや格上に感じるのです。
何故羊羹といえば虎屋なのでしょうか。

詳しい方よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

#3です、和菓子好きとしては非常に面白いテーマなため、


自分なりに色々と調べてみました。

駿河屋の岡本善右衛門により初めて練羊羹が作られたのは
1589年(天正17年)とされていますが、
羊羹が贈答品・高級菓子として庶民に広まったのは
18世紀の江戸とのことです。
http://www.kirinholdings.co.jp/csr/food-life/col …

夏目漱石や森鴎外の作品に名前が登場する「藤むら」も
この時期に江戸で出店したとのこと。
この「藤むら」のルーツを調べてみましたら面白いことが分かりまして。

http://www.gonzoshouts.com/place/1590/
>藤むらの起源は、練羊羹の元祖といわれる京都伏見の駿河屋に肩を並べられるような羊羹をつくるよう、
>加賀前田藩始祖である前田利家が家来に命じたことに端を発しています。天正17年(1585年)
>豊臣秀吉が聚楽第で諸大名を集めたときに駿河屋の練羊羹を自慢したらしく、
>それがおもしろくなかった利家を含む一部大名が、秀吉の鼻を明かそうと羊羹作りを始めたようです。
>このことは火坂雅志が『羊羹合戦』という作品にしていますので、是非お読みください。

つまり、練り羊羹を作ったのは駿河屋ですが、それを庶民に広めたのは駿河屋に対抗して作られた
菓子司なのですね。

また、#3では、明治2年の東京移転によって大きく名を上げたのではないかと推測しましたが
夏目漱石や森鴎外の作品に登場するのは「とらや」ではなく「藤むら」なこと、
また明治28年の段階では店の規模が小さかったこと、
http://www.toraya-group.co.jp/corporate/cor03.html
>1895 (明治28年)
>赤坂裏3丁目(現在の東京工場所在地)へ移転する。
>当時は店の規模が小さかったこともあり、店舗と製造部門が同じ敷地の中に設けられていた。

以上から、少なくとも明治においては「羊羹と言えばとらや」という地位は
確立されていなかったと推測されます。

では、いつ頃から「とらや」の知名度が今のように浸透したかについては
これはまた推測になってしまいますが、社史を読み解くと、
戦中の軍用受注により資本を増やし、昭和21年に日本橋や銀座の一等地に出店。
「室町時代から続く伝統と、御所出入りの実績、そして日本橋・銀座店のステータス」をもって、
#2、#5様が仰るようにデパートで一等地を確保という流れでしょうね。

このように、伝統や実績に胡座をかくことなく、時代に沿った営業戦略があったからこそ
いまの「とらや」があるのでしょうね。

これについては、現在も愛されている京都の老舗にも言えることですね。
練り羊羹の元祖である総本家駿河屋の直系のれん分けでありながら
「先斗町駿河屋」はお茶屋街に近いことから「ひとくちわらび」などの
小振りなお茶菓子を看板にすることで、
「するがや祇園下里」は八坂神宮の参拝客相手の飴菓子「豆平糖」で
現在も生き残っています。

※ #3で挙げました二条駿河屋は直系ではなく、先斗町駿河屋ののれん分けでした。
  失礼いたしました。


余談ですが、#5様が挙げられている「ゴディバ」も似たような経歴があります。
元々はベルギー王室御用達のチョコレート屋だったのですが、
1972年にアメリカの巨大食品メーカーに買収され、
その資本を持って同年に日本橋三越に出店しています。
そこで高度成長期の追い風を受けて地盤を固め、
ここ10年の高級チョコレートブームで
「ベルギー王室御用達・日本における高級チョコレートの先駆け」として
一気に開花しました。

余談の余談ですが、チョコレートとしてはヴァローナのグアナラ70%(製菓用)の
粒を舌の上で転がすのが好みです。(噛むと苦い)
チョコ菓子としては札幌ショコラティエマサールのオレンジピールショコラが
個人的に絶品だと思っています。

この回答への補足

もうちょっとなんかあるかな、と思いましたがそろそろ締め切ります。
本当にありがとうございました。

玉羊羹で有名な福島の玉嶋屋というお店では
駿河屋や虎屋ほどの歴史はないのですが江戸時代からの味、製法を
今に伝えることをこだわっているそうです。
写真を見る限り小城羊羹や駿河屋の古代伏見羊羹に似た
周りに砂糖の結晶化したタイプのようです
(駿河屋ではこれを練羊羹とはわけていますが)

福島という位置から考えると藤むらで作られた羊羹の系譜かもしれませんね。
まったく根拠はありませんが。
これからも色々なようかんを食べてみようと思います。

補足日時:2013/10/16 22:30
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この回答へのお礼

いろいろ調べた上お教えいただき本当にありがとうございます。

いやいや、戦時の軍用受注ですか……

実はこの質問、まったく無関係の「戦時のようかんはどんなものだったのか」
という疑問に端を発したものだったのです(笑)
戦争体験の手記ものでようかんが出てくることはよくあります。
酒保で買えた支給された、というような話のほか
海軍が保有していた食料専門の補給艦「間宮」では艦内で調理、製菓をし、
「間宮の洗濯板」と呼ばれたようかんが人気だったそうです。

艦隊に随伴できる食料専門の補給艦”給糧艦”は「間宮」しかなかったため
急いで「伊良湖」という艦を建造したそうです。

この「間宮」のようかんが「虎屋」を名指しして「虎屋を凌ぐ味」とされる
話が出てきたのがそもそものきっかけでした。

「間宮」は戦没していますから当然乗っていた職人さんも戦死しています。
甘いものに飢えた軍人さんが潮風にあたる船の上で食べると格別だった……
という部分をナシにして「虎屋」を凌ぐ、とすると
それ以上のようかんはなんだろう? という話からようかんのルーツを辿り
何故駿河屋が「虎屋」ほどのブランド力を持っていないのか?
という疑問になって質問させていただいたのです。

それがめぐりめぐってまた軍の話になるとは思いませんでした。
WW2時代に軍と取引があったのなら状況の補正なしで
純粋に虎屋を凌ぐ味のようかんを「間宮」で作っていたのかもしれませんね。
(駿河屋のようないんげん餡ではないと思いますが)

アンケートカテゴリで「ようかんといえばどこのお店?」と尋ねたところ
駿河屋は挙がらず虎屋以外では佐賀の村岡屋という店が挙がりました。
虎屋は東京進出で納得できるものの何故佐賀の店が?
と思っていましたがこちらも日清戦争から軍と取引があったそうです。

もしかするとカレーライスが大衆に広まったように、虎屋の現在のブランド力は
戦後復員兵が広めた評判だったのかもしれません。

ますます面白くなってきました。本当にありがとうございます。

お礼日時:2013/10/05 07:24

No.1です。


興味深いご教授、ありがとうございます。
なるほど、そういう経緯があったんですね。
総本家駿河屋、今度ぜひ買ってみたいと思います。

私自身、デパートのお菓子売り場で働いていた経験がありまして、少々体験談を書かせていただきたいと思います。
虎屋さんの詳しい出店経緯についてはしりませんが、虎屋だけは。デパートの中でも「別格」の扱いを受けているように見えました。
お菓子売り場の一等地だし、他の店がせせこましく並んでいる中、虎屋だけはゆったりとした店構えで、のれんなんかも下げて、そもそも床材が黒い石風で、普通のリノリウム床とは風格が違うし。
虎屋がそこだけ「うちは高級店なんざますのよ」という雰囲気を醸し出していると、やはり、金持ちマダムたちは虎屋に向かうわけですよ。
以前、虎屋の本店でお茶でもしようかと出向いたら、駐車場はBMWやら外車の高級車がズラーっと並んでいて、お茶処には入れませんでした。
ああいうところは、お金持ち奥様のサロン的な役割も担っているんですネ☆

個人的な考えとしましては、純粋に美味しいか否かではなく、
御所出入りで箔をつける→早期のデパート出店(箔があるのでデパート進出もスムーズ)→知名度があがる→売れ行きが好調なら、会社の資金も増えるので、新たな出店も可能。店舗の内装や調度品、備品の一つ一つも質を上げられる→更なる「高級店」としての知名度が定着する
ってな流れかと思います。
まあ、経営が上手くいったんですね。
いくら商品が良くても、結局は経営、営業の力がモノを言いますから。
経営陣が敏腕であるというころも、虎屋の特徴として考えられます。

私自身、チョコレートの販売経験がありまして、チョコレートでも同じようなことが言えるかと思います。
チョコレートだと「ゴディバ」というのが、今現在定着しているかなと思うのですが、ゴディバはベルギーのチョコレートです。
ベルギーチョコは、総じて、コッテリと甘いです。
個人的には、カカオの風味をしっかりと感じる、甘さ控えめのフランスのメーカーの方が好きなのですが、義理の母が「やっぱりチョコはゴディバよね☆」と言えば、やはり、バレンタインの義理の父用チョコはゴディバのチョコを贈る事になります。
夫のバレンタインのお返し用も、やはり、知名度を優先すると、ゴディバを選ぶことになります。
相手の好みが明確に分からない以上、ゴディバのチョコなら、皆が知っているので、失敗はしないからです。
知名度の低いチョコなら、もしも相手の口に合わない場合「不味いチョコを貰った」ということになりますが
、知名度の高いチョコなら「単に口に合わなかった」ということになります。
ゴディバも、虎屋と同様、デパート進出に成功したメーカーだと思います。
バレンタイン時の、チョコレート特設会場でも、ゴディバは別格です。売り上げも別格です。
最近ではTVのCMなんかもやるぐらいですし、いやはや、資金があるというのは、凄い事です。
ゴディバの社長(正確には、日本にゴディバを持ち込んだ輸入代行の商社であって、チョコを作ってる会社の社長ではないんですが。すみません、会社名は忘れました)も、敏腕経営者として、以前テレビに出てましたし。

話が反れてしまってすみません。
まあ、あとは、純粋な味だけじゃなくて、ブランド名が美味しさを引き上げてるってのもあると思うんですよね。
「あの虎屋の羊羹だから、さぞ美味しいだろう」「やっぱり虎屋だから美味しい」って感じで、思い込みで舌の感覚は変わりますから。

2年前の正月に、虎屋以外で羊羹を買ったところ、大失敗をしまして、それ以来、冒険をせずに大人しく虎屋で羊羹を買ってたんですが、久々に、虎屋以外でも羊羹を買ってみようという気になりました。
総本家駿河屋ですね、ぜひ羊羹を買ってみようと思います。
なかなかに興味深い質問をありがとうございました。
面白かったです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

#3様の指摘されたとおり総本家駿河屋は紀州に召抱えられたのが運命の分かれ道だったようで間違いなさそうです。
仰る通り、消費者は味ではなくブランドにお金を使いたがります。
もちろん虎屋の味を否定するものではありませんが、何よりも
明治2年に東京遷都にあわせ東京に進出したのが成功のポイントだったんだと思います。

「高級店」「老舗」というのも価値ですが、結局は行き着くところは「知名度」なんですよね。
贈答品の場合は同格かそれ以上かもしれない価格、歴史のお店のものでも
なんだ「虎屋」じゃないのか。と思われるのならば「贈答品」として格下になってしまう。
残念でもったいない気持ちになりますが、「ものづくり」と「商売」は別だということでしょうね。

ブランドに左右されず評価できる舌を持っていれば「ものの価値のわかる人間」って言われると思いますよ。そうなりたいものですね。

ちなみにチョコレートはゴディバより通販で人気の自由が丘 チュべ・ド・ショコラの割れチョコが好きです。まあ割れチョコなんで贈答品には向かないかもしれませんが……
もしかすると「チョコレートといえばゴディバよね」と言われるお義母様も考えを改めるかもしれません(笑)

舌が肥えてくると有名店だと美味しくて当たり前という考えがあって、逆に知らない店(自分が無知というだけでも)でその基準を上回ってくるとそのジャンルに新たな道が見える気がします。

やっぱり「虎屋」は美味しいわ。ここが最高よね。
で終わってる人はそこまでで、

なんだ、「虎屋」なら美味しくて当たり前だ
→「虎屋」より美味しいだと!?
→もっとおいしい羊羹があるかもしれない……
→次はこの店買ってみよう

となると食道楽の底なし沼なんでしょうね(笑)
これが「舌が肥える」と言うのかもしれません。

お礼日時:2013/10/04 17:29

東京の者です。


まったく質問の答えではないのですが、羊羹といえば「虎屋」オンリーで、その他のブランドを気にもしていませんでした。

ぜひ駿河屋さん、鶴屋八幡さんの羊羹もいただいてみたいと思います。

ユニークな質問、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
どちらかといえばアンケートの質問のほうに頂きたかったです(笑)

調べていくと塩瀬総本家というお菓子屋さんも出てきました。
練羊羹を発明したのは総本家駿河屋の前身ですが
さらにその前に塩瀬総本家は「蒸し羊羹」を作っていたようです。
もともと奈良にあったそうですが、今は東京に移っているそうで
こちらでも現在は練羊羹を作られているようです。

鶴屋八幡は「鶴屋(駿河屋)」とも「虎屋」とも関連がないことがわかりましたので
ブランドとしては「虎屋」「駿河屋」より1ランク落ちるかもしれません。
(もちろん鶴屋八幡のおいしさを否定するものではありません)

夜の梅はともかく、練羊羹はとらやは小豆ですが駿河屋系はいんげん豆ですので
きれいなピンク色をしています。
黄金の茶室を作らせたとされるほど派手好みだった秀吉なら
さぞこの華やかな色の羊羹は好まれたんじゃないかと思います。
とはいえ現代の製品は多少色素など入れているようですけれども。

「虎屋」は一口サイズのものから最高級品まで違うのは目方で基本同じものだそうですが
「駿河屋」は流石元祖のこだわりか、並品、極上、鶴寿(5000円します)と
それぞれ砂糖の配分と製法が異なっているそうです。
歴史と発祥という店で「練羊羹」に関しては総本家駿河屋がNO1と考えていいかもしれません。

お礼日時:2013/10/04 01:22

個人的な推測ですが、人が多く、かつ全国から人が集まる


東京に早期に進出したのが大きいのではと思いますね。
そこで上方菓子司としてのブランドと御所出入りという実績で
名を上げたのでしょう。

私は京都出身で関東在住ですが、
そもそも「羊羹と言えば虎屋」という評価自体が
東京を中心とする関東でのもののように思えます。

反対に、竿状の練り羊羹の元祖と言われている総本家駿河屋が
秀吉や徳川家に愛されながらも現在の知名度に落ち着いたのは
徳川家に愛されるがあまり紀州に召し抱えられたのが
大きいでしょうね。

歴史にifは禁物ですが、このとき江戸に召し抱えられていたら
現在の羊羹勢力図も変わっていたかもしれません。


また、

>駿河屋(本家);練羊羹の開発、元祖。のれん分けして勢力拡大

とありますが、少なくとも京都では、本家とのれん分けは
別物と評価しますので、のれん分けが本家の勢力拡大に繋がらないと思います。
そもそも、駿河屋直系ののれん分けで竿羊羹を名物としているお店はあまりないような。
私がよく利用させて頂いていた先斗町駿河屋さんは「ひとくちわらび」ですし、
二条駿河屋さんは「松露」ですし・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アンケートカテゴリで「練羊羹といえばどこのお店?」という質問をしたのですが
虎屋が多数、総本家駿河屋の名は10回答で現状ゼロです。
のれん分けで勢力拡大はよく調べず書いてしまいました。

今はのれん分け、または無関係の菓子屋が「駿河屋」を名乗ることによって
「駿河屋」という屋号にブランド力がなくなっていったのではないかと推察しています。
「大阪本家 大阪の駿河屋」は「総本家駿河屋」の分家だそうですが羊羹メインですし
「伏見駿河屋」も羊羹を看板にしているそうです。
駿河屋系は基本的に練羊羹はピンク色のいんげん餡のようかんのようですね。

私は関西なんですが初めて東京に行ったときに生菓子の少なさに驚いたものです。
現代ですらそうなんですから、おっしゃる通り虎屋の関東進出は大きく名を上げる要因になったでしょうね。

もし現在の羊羹勢力図が違っていたら単に「羊羹」と聞いて思い浮かべる色は
小豆の羊羹ではなくいんげんの紅色だったかもしれませんね。
ようかん、深いです!

お礼日時:2013/10/03 21:49

虎屋の羊羹言われる様になったのはデパト進出からです。

 (高島屋)

知名度のない虎屋がデパト進出して全国区になりました。

ブランドでは駿河屋総本家がNO1です。

全国取り寄せ羊羹NO.和歌山紅葉屋本練り羊羹 2012年モンドセレクション金賞受賞

私は小城羊羹がすきです。回りに砂糖で白くなって回りは少し硬く中は柔らかい。

羊羹の年間消費量佐賀県

羊羹のうんちく

秀吉が九州征伐にいったときに佐賀県小城に疲れて立ち寄ったときに菓子職人が小豆の練りも物出したときに

秀吉が(よう関心じやの)と言いました。その後菓子職人は名前のない小豆の練り物に(ようかん)と名前をつけた。

(ようかん)と言う名前がついた?

駿河屋も秀吉と関係ありますので…………小城羊羹→駿河屋

羊羹は羊のス-プがヒント
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もう面倒なので問い合わせてみました。
鶴屋八幡の前身は「虎屋伊織」ですが
虎屋とはまったく無関係だそうです。
駿河屋の前屋号は「鶴屋」ですが
鶴屋八幡とはまったく無関係だそうです。

虎屋は皇室御用達でハクをつけ、デパート進出で名をあげたようですね。
総本家駿河屋が文句なし最高峰のようです。
ただ、「駿河屋」は暖簾わけを繰り返し分家も多く
「大阪の駿河屋」は分家、「河内駿河屋」は無関係といった具合に
「駿河屋」という屋号のブランド力を失ってしまったようです。

ようかんを知らない人からすと虎屋のほうが有名かもしれませんので
贈答品としては本来格上の駿河屋が格下に思われてしまうかもしれない点が残念ですね。

ようかんという名を秀吉がつけたというのは少々眉唾な気がします。
1444年に日朝貿易の一部として砂糖が入り、初期の蒸しようかんは
1300年代の記述があります。そちらのルーツを辿ると塩瀬総本家がさらに
駿河屋より古い歴史を持つ菓子司となります。

羊の煮こごりをお茶の間食としたものから、肉食の許されない僧侶のため
豆を煮て葛などで固めたもの(まだ砂糖は使われない)に転じ
菓子として砂糖を入れた蒸しようかんが「砂糖羊羹」と呼ばれたそうです。

そこから練ようかんを作ったのが駿河屋初代ということですね。
ようかん、奥が深いです。

お礼日時:2013/10/03 15:48

御所出入り、つまりは、皇室御用達ってことで、箔が付き、宣伝、営業効果が上がったということではないでしょうか?



羊羹に詳しい方、味にうるさい方なら別ですが、特に詳しくない人にも「皇室御用達のお店の羊羹です」って言ってお渡しすれば問題ないですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに今の皇室以上に「天皇は現人神」だった時代の御所出入り菓子司ですからね。
今以上に看板に箔はついたでしょう。
ただ、純粋に羊羹道(?)を考えるのであれば
駿河屋が王道な気がします。
どちらが美味しいかは…… 食べ比べてみるしかないですね。
並品ですが買ってはあるのですがカロリー的にいっぺんには食べられません(笑)
日持ちしますしゆっくりいただこうと思います。
ようかん、面白いですね。

お礼日時:2013/10/03 03:22

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